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早くお帰りになってください

作者: 南小日向
掲載日:2016/07/03


「早く金をつめろって言ってんだよ!」


包丁を突きつけてくる覆面の男を、どうしようという気持ちで見つめ返した。

切羽つまった余裕のない怒声をバックミュージックに、私は自分の身に起こった不幸の原因は何なのかと考えていた。






今日もお客の少ない喫茶店。閉店時間の20時までが本日のアルバイトの勤務時間だ。

終了時間間際になって疑わしい言い訳をしながら颯爽と店を後にする店長を横目に、カウンターで誰もいない店内を眺めていた。

店閉めというロス時間分、残業手当はしっかり頂こう。

店長とは気心が知れた仲なので、こういったことは珍しくない。私はアルバイトのくせして、店を自由に開閉できる鍵を持たされていた。


時間になり、ドアの前にかけられていた札を裏にし、鍵をしめる。ブラインドを下ろし、レジ締めを行おうとした所で突如、自分しかいなかった静かな空間が壊された。


「金を出せ!」


そう、そうだ。あのとき私はしっかり入り口の鍵を閉めていた。ということは、この覆面の男は裏口から入ってきたことになる。

店長め。あれほど言ったのにまた鍵をかけないで出ていきやがったな。

おかげで私は、カタカタと揺れる刃物と対峙するはめになったじゃあないか。


はあ…とため息をつく。

そこにピクリと反応をした覆面の男の姿に、しまったと遅ればせながら後悔した。


「てめえ何考えてんだ!!」


更に近くなる凶器との距離。

しかしそれに比例して緊張を隠せない覆面の男の様子を見て、膨れ上がった恐怖は徐々にしぼんでいった。


「妙なことを考えているなら迷わず刺すからな!」

「いや、あなたは絶対刺せないよ」


真っ直ぐに目を見返して言えば、覆面の男は面白いほど動きを止めた。

しかし直ぐに我に返り、覆面に空く小さな穴から覗く瞳に困惑を宿し、それでも気丈に私を威嚇してきた。


「い、いい加減なこと言ってんじゃねえよ!てめえは早くこれに金を入れりゃあいいんだ!」

「……金って言われても……」


ちょうど開かれていたレジの中を覗く。

おつり用に入れてあった金額と合わせ、4万に満たない金額しか入っていなかった。


「あなた、こんな端金で人生棒に振るう気?」

「う、うるせえ!」

「今ならまだ間に合うよ。私はいつも通り店閉めをして、いつも通り帰るんだから」

「何言って……」

「何も起こっちゃいないんだよ」


大きく見開く目が見えた。黒いニットの覆面で顔を覆っていても、空気で男が驚いているのが伝わる。

戸惑うような遅さで包丁が離れていった。


「あんた…バカか…?」

「失礼な奴だな。私は平和主義者なの」

「こんな強盗一つまともにできないようなやつ、警察につき出すくらい簡単だったろう…」

「だって面倒臭いじゃん」


覆面の男はまた目を見開いた。


「てめえそれが本音か!」


また包丁を突き付けられた。まじでそれ怖いから止めてくれ。


「このちょっとした感動を返せよ!」


知らないよ。

私はそこまでアホではないので、その言葉は飲み込んだ。

というか金品を要求するわけでもないのに怒りのままに凶器を振り回すなんて何て危ないやつなんだ。


「…もういい!ほだされた俺が馬鹿だった!あるだけ全部金を入れろ!」


今の出来事により男の緊張が溶けてしまったらしい。無駄に強盗をやりやすくさせただけで、私の努力は塵と化した。


渋々お金を男が持ってきた黒のバックに入れ始める。

テレビ等で銀行強盗の犯人が持っているような大きさで、4万円ぽっきりじゃあスカスカだ。お金はポケットとかにしまった方が良いんじゃないかと要らない心配をした。


「入れたか?」

「一円残らず」


チャックを閉めて渡せば、男はふう…とため息を吐き出した。

まだ逃走という過程があるのに、そんなに気が緩んでいて大丈夫なのか?


「あー、お前やりにきいよ。おかげで疲れた」

「こっちだってあと少しでマイスイートホームに帰れるところだったのに。とんだ災難だよ」

「本人目の前にして言うことじゃねえだろ、それ」


お前こそ談笑してる場合じゃないだろう。

そう言いかけて口を開くが、男が出現した時以上に私は度肝を抜くことになる。

男は「あちい」と言っておもむろに覆面を取り去ったのだ。


「………ねえ」

「あ?」

「……いいの?」

「何だよはっきり言え!」

「顔、おもいっきり見ちゃってるんだけど、私」


男は手にしている黒の覆面を見、自分の顔をペタペタと触る。次に断末魔のような叫び声を響かせた。


「何やってんだオレー!!」

「ほんと何くつろいでるの、あなた」

「お、お前のせいだ!」

「さっきの言葉をそのまま言わせてもらうわ。…あんた…バカか…?」

「言い方も真似してんじゃねえよ!」


ツッコミもそこそこに、男は頭を抱えてへたり込んだ。

包丁は忘れ去られたかのようにカウンターに置いてあるので、私は近寄って労うように男の肩を叩いた。


「あなたこんなことしなくたってお金くらい稼げるでしょう。まだ若いし……それに、あなたイケメンだしね」


覆面の下から露になった顔は頬がこけ、何日も放置したように無精髭がはえていた。

しかし、それらが無ければ相当な色男だと分かる。今は見る人が見なければ分からないが、顔のパーツは綺麗に配置され、切れ長な目が印象的な美形だった筈だ。背も高いし、前はスタイルも良かっただろうと伺える。


「……イケ…メン?」

「うん。何でか今は痩せこけてるけど、あなた地は凄く良いでしょう」


そう言えば、男は自嘲気味に小さく笑った。


「皮肉なもんだな。もう誰にも言われる事のない台詞だと思っていたのに」


じゃあ今までは言われてたのか、このナルシストめ。言いかけて口をつぐむ。

男の顔が悲痛に歪まれていたからだ。


その後は、男は独り言のようにポツリポツリと自分のことを話し出した。

ちやほやされ自分の見た目に自信があったこと。俳優になりたいという夢を持っていたこと。一生懸命事務所のレッスンを受けたこと。映像の見切れに映る名もない役の仕事しか入ってこなかったこと。それでも何年も粘ったこと。

そして、事務所の先輩に地獄へ突き落とされる一言を言われたこと。


「“お前まだ気付かねえの?てめえは入れ物がいいだけの大根役者だ。何年やったって無駄なもんは無駄なんだよ。”…ってさ。それ言われて、周りの人間も俺のことをそう見てんのかって思ったら急に恐くなった。惨めになった。

…そして逃げ出したんだよ、俺は。何もせずゴミみてえな生活して、気付いた時は金も無いわ別人のような身形になってるわで。…こんなになって、まだそんな風に言ってくれる奴に会うとは思わなかった」


男は弱々しい瞳を上げる。しかしすぐ怪訝な表情に変わった。


「てめえ、何してんだ」

「いや、話長くなると思ってコーヒーを入れてた」

「オレの思い悩んだ日々の話をしてる最中にか」


ちょうど出来上がったので、男の分も入れて差し出した。

まさか自分の分もあると思わなかったのか一瞬躊躇したようだったが、男はミルクも砂糖も入れず一口飲んだ。


「うまい…」


男の答えに満足すると、私もカップを口に運んだ。


「…そういえば久しぶりだ。何かを口に入れて、美味しいって思ったの」


揺らめくコーヒーに目を落としながら囁いた男の声は、静かな室内によく響いた。


「ならあなた、勿体ないことをしてたのね。その期間」

「さっきの聞いてただろう。そんな余裕も無いほど追い詰められてたんだ」

「だから勿体ないって言ってんの。下らない事でうじうじ悩んでるんだったら美味しいものでも食べに行きなさいっての」


鼓膜を震わす破壊音が鳴る。

コーヒーカップが叩きつけられ見るも無惨な姿で破片が散乱していた。


「てめえに何が分かる!!」


本気で怒りを露にし、声を荒げる男を見た。


「知らないよ、あなたの事なんて」

「まじで殺されてえのか…?」

「何?同情してあなたの気持ちを理解したフリをすればいいの?そんなの何の意味もないし、そもそも他人の気持を細部まで知ることなんて絶対に無理なんだよ」


言葉に詰まっているようだが、相変わらず射殺さんばかりの目で睨んでくる。

私はそれを黙って受け入れた。


「だから勿体ないって言ってるんだよ。自暴自棄になっている間、あなたはそこで何かできたんじゃないの?」


割れたカップから零れ出たコーヒーが、ポタリポタリと床を汚していた。


「なに先輩とやらに一言言われたくらいで大切にしてきた夢を放っておいてんのさ。あなたが努力を積んだ月日より勝る言葉だったの?違うでしょう。あなたが頑張った苦労はあなたにしか分からない。先輩とやらはあなたのほんの僅な一部分しか見てないんだよ。そんな奴が言った言葉に惑わされないで。自分のことは自分にしか分からない。だったら自分を信じてやるしかないでしょう」


私が話している中、男は間抜けな顔をして聞いていた。はん、バカ面が。

しかし段々と表情を引き締め、真剣な眼差しで私を見返してきた。

その瞳に確かな光が宿ったのを私は見逃さなかった。


「時間を無駄にしてんじゃないよ。逃げるなんて誰にだってできるんだから。見た目がカッコイイなら中身もかっこよくなってみせてみろってんだ。苦しいところから這い上がって、誰にも文句言わせないようにしてやれ」


私はふんっと鼻を鳴らして言い終わる。

ああ、すっきりした。私の貴重な時間を奪ったんだ。これくらい言われたからって文句は言わせないよ。


「…お前……まじで変な奴だな…」


男は小さな声で言った。台詞に反して穏やかに微笑んでいた。


「こんな売り上げ悪い店に強盗に入るあなた程じゃないよ」

「ははっ、そうだな」


さっきまでの荒くれ者の強盗犯はどこへ行ったのか。

可笑しそうに笑う男に私はちょっと引きぎみだ。


「……ありがとう…」

「何が。私は何も見ちゃいないし、聞いてもいない。今日はちょっと独り言が多くて、店終いが遅くなっただけ」

「…ああ、そうだったな。でも、ありがとう」


それでも感謝の気持ちを口にする男が嫌になる。私はただ早く帰宅できない苛立ちを男に八つ当たりしただけだ。


「オレ、やっぱ俳優になりたいんだ」

「そうでしょうね」

「だからまた頑張ってみるよ。今度は自分を信じて」

「頑張れ。そして当たって砕けてしまえ」


さらりと言えば、男はまたあの表情をした。


「てめえ自身はオレのこと微塵も信じてねえだろう!」

「当たり前」

「くそっ!最後の最後に投げやりになんなよ!」


苛々と男はバックの中の金をレジに戻している。

案外律儀なのね。


「じゃあまた諦めるの?」


私の言葉に男は一旦手を止めた。だが憮然とした表情のままお金を戻す作業を再開する。


「しねえよ。言ったろ、今度は自分を信じるって。そんくらいの言葉で心折れてる場合じゃねえっての」


んで、てめえにも文句言わせねえくらい大物になって帰ってきてやる。

どこか清々しい面持ちで言う男の姿を見て、私の顔の筋肉が緩んだ。男は私の様子に気付くと、目を見開いて食い入るように見つめてきた。


「お前…笑えたんだな…」


失礼な。昔から何考えてるんだか分からないとよく言われるが、れっきとした人間だ。

化け物を見たように言わないで欲しい。


呆れて店閉めをしようと体を翻そうとしたが、視界の先が思いもよらぬものへ変わる。

天井だ。そして男の顔が上から私を覗くように見ていた。


腰に痛みが走る。

私は今、あの男によってカウンターに縫い付けられていた。


「……何これ」

「オレもう金は要らない」

「…片付けてくれたしね。で、何これ」

「あんたが欲しくなった。だからちょーだい」


男は私に体を押し付けてくる。知りたくないことを服を通して伝えてきた。


「ば、ばかなの!?ちょっ、擦り付けてこないでよっ!」

「うわ、やっべこれ。すげー興奮する」


そう言って私との距離を余裕なく縮めてきた。


「強盗犯は強盗犯らしく何か盗んでかなきゃな」


私の叫びは口を塞がれたことによって言葉になることはなかった。


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