あの日、あの夜<4>
リッツが帰ってこない。
アンナは一人、リッツの部屋のベットに寝転がって考え込んでいた。リッツが出て行って明日で一週間になる。学校の勉強はさんざんで、毎日のように軍医長に怒られていた。人の命を預かる医術の現場でこんなにぼんやりしていてはいけないと思うのだが、気がつくと同じ敷地内に教官としているはずのリッツを探している。
でもリッツの姿を見かけることは一度もなかった。たぶんリッツの方が避けているのだろうし、アンナも正直いうとリッツを探しながらも、リッツに会う勇気がなかった。
それなのに習性というのは怖いもので、リッツがいないと分かっているのにリッツの部屋にいつも通りに枕を抱えてやってきてしまったのだ。
大きくため息をつくと、アンナはリッツの枕をぎゅっと抱きしめた。今日はジョーも出かけていて帰ってきていない。友達と飲みに行くと言っていたから、おそらく夜中になるだろう。
「寂しいよぉ……」
誰も聞いていないから、正直な気持ちを呟く。
「ちゃんといて、ちゃんとギュッとしてくれなきゃ駄目だよリッツ。ちゃんとあの甘くて低い声で愛してるって言ってくれないと、寂しいよ……」
いつもの優しい笑みと、キスを思い出すと胸が締め付けられる。愛を囁かれる甘い声を思い出すだけで切なさに息が詰まる。
それなのに一週間前リッツにされたことを思い出すと、震えるほど怖くなってしまう。大きなリッツに壁に押しつけられて動けなかった。服を脱がされた時も、唇と舌を這わされた時も、大きな手で胸を揉まれた時も、首を振るだけで身動きすら出来なかったし、声も出なかった。
リッツは何故アンナに対してあんな事をしたのか、リッツの口からまだ聞いていない。
怖かった。もう嫌だと思った。そのはずなのに、何故か、またリッツに触れて欲しくてたまらない自分がいる。心だけじゃなく体のどこかに、それを望んでいる自分が確かにいて、その自分は怖いぐらいにリッツを欲しがっている。
相反する感情にアンナは混乱しつつ頭から布団をかぶった。少し息苦しくても、何だかほっとする。
困惑しながらも何も手に付かず、でもリッツがいないと寂しくて。会って一度話をしたい。でもどこにいるか分からないし、恋人であることを秘密にしている学校で、もし会えたとしても話なんて出来るはずがない。
一体リッツはどこにいるのだろう。
ベットの中でじっとしていると、いつもの間にかうとうとしていたようだった。ここ一週間夜もろくに眠れていないのだから当然だ。だがアンナはドアがそっと開けられる微かな音で目を覚ました。
もしかしてリッツだろうかと、鼓動が跳ね上がった。それと同時にあの恐怖を思い出して身を固くする。じっと動かないまま布団の隙間を少しだけ開けて様子を窺うと、そっと部屋に入ってくる人影が目に入った。
その人影は小さい。リッツではない。
じっと見つめていると、人影はアンナのことに気がつかないように、そっとリッツのデスクに近寄って、引き出しを開けた。暗くて中が見えなかったようで、遠慮がちに少しだけカーテンを開いた。月明かりが室内に流れ込んできて、その人影が誰だか分かる。
ジョーだった。ジョーはリッツの引き出しを熱心に探し回り、小さな封印を取り出している。あれはリッツの大臣の封印だ。正式な書類を送るときに使うもので、指輪型をしたそれには大臣のリッツの銘が彫られているはずだ。
ようやくそれを見つけたジョーは、また足音を忍ばせて部屋を出て行く。アンナはジョーをよく知っているが、こっそりとリッツの封印を盗み出すようなことをしない子だ。ならばジョーはリッツに頼まれて封印を取りに来たと考えられないだろうか。
そう思った瞬間、アンナは決意した。ジョーを着けていけば、きっとリッツの居所が分かる。
リッツの部屋に置かれている自分の服をてきぱきと身につけ、髪を結う。それから窓に近寄り玄関を見つめた。寝る前に持ち込んだ水差しの水に精霊魔法を掛けて、小さな水竜を呼び出してジョーが出てくるのを待つ。
「来た……」
呟くとアンナは水竜に命じた。
「ジョーの後をつけて。私もすぐに追いかけるから、水滴を垂らしていって」
水竜は小さく吠えた。こうして相手を尾行する方法はリッツが考案したもので、軍学校の剣術、戦略部の地獄のキャンプで頻繁に使われている。当然術者はアンナで、それを利用して生徒を狩るのはリッツだ。それがまさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
ジョーが視界から消えたのを確認して、アンナは追跡を始めた。
真夜中の住宅街は静まり返ってい怖いぐらいだったけれど、街に出ると驚くことに人がまだ歩いていた。とはいえ昼間に比べるとかなり人は少ないから、点々と続く水のしずくを見落とさずに済んだ。
横道を曲がり、いくつかの路地を抜け、気がつくとアンナは建物の前に立っていた。ごく一般的な四階建ての古い集合住宅だ。
その中を水滴をたよりに進んでいくと、微かに開いた扉の前にたどり着いた。扉の中からは、人の声が聞こえる。その声には確かに聞き覚えがあった。ジョーとそして、リッツの声だった。
躊躇わずに扉を開け放つと、思わぬ力で扉が反対の壁に叩きつけられる。そのまま気にせずにアンナはずかずかと家の中に入り込んだ。リッツがいたらとにかく話をしなければいけない。でも逃げられたら困ると焦っていたのだ。
部屋に入ると、思わぬ光景にアンナは固まった。
乱れたベットには裸のまま気怠そうに煙草を吸うリッツと、アマリアの姿があったのだ。そのベットの横にある椅子にジョーが足を組んで座っている。
アンナに気がつくと、その部屋にいた三人は完全に固まった。
頭の中が真っ白になってしまった。リッツはいったい、何をしてるんだろう。何でアマリアと一緒に裸でいるのだろう。なんでジョーはこの光景を見ても平然としているのだろう。
何故……リッツの隣にいるのがアンナじゃないんだろう。
「アンナ……」
呼ばれてゆっくりと視線を巡らせると、声を発したのはリッツだった。
「何でここに……」
我に返ったアンナは、一瞬弾かれたように部屋を出て行きかけたが、かろうじて踏みとどまった。ここで逃げたら、本当にリッツがいなくなる。聞かなければならないことがある。
「アンナ、その……」
「質問するのは私」
いいわけをしようとするリッツの言葉を遮って、アンナはリッツを見据えた。
「はい」
リッツは煙草を消して、ベットの中でまっすぐにアンナを見つめて座り直す。
「リッツは子供が欲しいの?」
正直な質問だったはずなのだが、何故かリッツが分からないといった表情で困惑する。
「子供?」
「男の人が女の人を抱くのって、子供を作るためでしょう?」
「え……?」
リッツの目がみるみる見開かれていく。リッツが口を開く前にアンナは怖かった質問を投げかけた。
「リッツは子供が欲しくて、でも私は子供が出来ないって知ってるから、アマリアさんと性行為をするの?」
愕然とした顔でリッツはアンナの名を呼んだ。でもその顔はアンナ自身が流した涙で歪んでいる。駄目だ。もう涙がこらえられない。
「アンナ」
「子供が出来ない私は、用済みなの?」
「そんなこと……!」
「リッツ、子供好きだもんね。やっぱり私じゃ駄目だったんだ」
気がつくとぽろぽろ涙がこぼれていた。
「だったら告白したり、結婚の約束したり、ずっと一緒にいるって言わないで欲しかったよ。私、アーティー置いて、あの庭を出ちゃったんだよ」
リッツが髪の毛から作られたアンナでも、一人の女性として愛してくれると言ったから、アンナはリッツの手を取った。寂しそうなアーティーを、神の庭においてきた。
「リッツがいたから、ずっと愛してくれるって言ってくれたからこっちに残ったのに……」
「違う! 誤解だアンナ!」
「じゃあなんでアマリアさんと、そんなことをしてるの!」
アンナが睨み付けて叫ぶと、リッツが唇を噛みしめた。言い逃れできない状況に、誤魔化すことも出来ないのだろう。
「私にあんな事をしたのは……腹いせ?」
「違う」
「結婚しても子供が出来ない私への怒り? それとも苛立ち?」
「違う」
「愛してるって言う今までの言葉は……全部嘘?」
震える声で尋ねた瞬間に、リッツがベットから飛び降りてアンナに手を伸ばした。
「嘘なわけねえだろ! 俺はお前を……」
伸ばされた手を払って、アンナはリッツに微笑みかけた。
「リッツ、私とは終わりだっていったじゃない」
「そういう意味じゃなかったんだ……」
「また難しい意味を作ってる。リッツ、スイエンにいた時と変わらないね」
タシュクルからスイエンへ来る旅の途中も、こうやって難しく色々考えていたリッツを思い出す。あの時もすれ違って苦しかった。今もまた苦しい。一緒にいれば幸せだったはずなのに、なんでこんなに苦しいんだろう。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
「ごめん。本当に誤解なんだ」
「裏切ってることに変わりはないよ?」
まっすぐに見つめて告げると、リッツは動きを止めた。伸ばされ掛けた指が力なく下ろされる。
「ごめん」
リッツが俯いて唇を噛む。
「ごめん、アンナ」
「愛してたのになぁ……」
ぐずっと鼻水をすする。アマリアの前で情けない顔をしたくない。絶対にそれだけは嫌だ。アンナの中で激しい嫉妬が渦巻いている。このままここにいたら、アマリアを罵倒してしまいそうで怖い。
悪いのはリッツと、正直に何も聞けず、様子のおかしいリッツに気付かないふりをしてきたアンナなのだ。ちゃんと聞きだしていれば……どうしてそんなに切ない顔をしているのか、気がついた時にちゃんと聞けばよかった。
なのに罪なんてない、リッツの愛人アマリアを悪し様に言ってしまいそうで、それが嫌だった。子供みたいにだだをこねたくない。
いまになってタシュクルで出会ったカマラの気持ちが分かる。裏切られたら、殺してしまいたいぐらいの思いって本当にあるのかも知れない。
もしいまリッツを殺してしまえば自分のものになると言われたら、アンナはリッツを手に掛けるだろうか?
小さく首を振る。アンナにはそんなこと出来ない。
だってまだ、いっぱい、いっぱい、リッツが好きだから。
大好きで、息も出来ないぐらいに切なくて、嫉妬と欲望で胸が焦がれている。
こんなにリッツが欲しいのに。それなのに……。
「ずっとずっと、愛してたのになぁ……」
せめて最後ぐらい、いい女の顔をさせて欲しい。涙が止まらないけれど、せめて綺麗な顔で出て行きたい。アンナはやっとの事で笑みを浮かべた。
「今まで私を好きでいてくれてありがとう」
「アンナ……?」
「さよなら、リッツ」
くるりとリッツに背を向けて、アンナは部屋を出た。リッツが呼び止めたような気がしたけれど、耳に入らない。胸が痛くて、苦しくて、息をするのが辛いぐらい切なくて。
どうやって階段を下りたのか、どうやって大通りに戻ったのか分からないけれど、気がついたら大通りを歩いている。至る所に灯されている明かりが、きらきらと輝いていた。周りの景色が妙に幻想的だなぁと思ったら、涙で霞んでいるみたいだ。
「アンナ!」
肩を叩かれて振り向くと、息を切らせて駆け寄ってきたジョーだった。
「ジョー……」
小さく名前を呼ぶと、ジョーが深く頭を下げた。
「アンナ、ごめん! 私最初から師匠のいる場所知ってた」
顔を上げないままジョーは動かない。
「そうだったんだ」
「本当にごめん。でもさ、アンナ……あの……私からも説明させて」
「なんの? リッツのいいわけを持ってきたの?」
涙が止まらないのに、感情が壊れてしまったみたいに言葉についてこない。ぼんやりと涙でくもった目でジョーを見つめる。ジョーが少しだけ顔を上げてアンナを見てから、顔を歪めてこくりと頷いた。
「そうだけど……違うよ。このままじゃアンナと師匠が駄目になっちゃう。そんなの私、嫌だよ。お願い、私に説明と言い訳する時間をくれない?」
「そんなの聞いても……」
「お願いします!」
ジョーがそう言って道路に手を突いて座り込んで、アンナに向かって懇願した。
「ジョー……やだ、立ってよ」
思わずアンナもジョーのところに座り込むと、俯いたジョーの瞳からぽろぽろと涙がこぼれているのが分かった。
「私だって黙ってるの苦しかったよ。どうにかならないかってずっと考えてて、でもどうしようもならなくて……」
鼻水を垂らしてジョーがアンナを見つめる。
「師匠は死ぬほどアンナを愛してるんだ。なのに愛し方を間違えまくってる。アンナも師匠を愛しているのに、勘違いしてる。このまま何十年も何百年もお互いにひとりぼっちで過ごすの?」
「ジョー……」
「私には師匠の気持ちが分かるよ。こんな私を愛してくれるわけないって、ずっと生きてきたのは私も同じだもん」
ジョーは唇を噛んだ。そういえばジョーとリッツは似たもの師弟だ。二人とも自分が好きではない。だから人から愛されると言うことがよく分からないのだ。
「大事な人が手に入ったら、怖くなっちゃうのも分かるよ。失いたくないから臆病になっちゃうのも分かる。だけど、やっぱり師匠は間違ってるんだ。このままじゃ駄目だよ!」
絞り出すようにジョーがそういった。アンナにはジョーの言う理屈がまだ少し分からない。大切だから臆病になるのに、何故それがアマリアと一緒にいることになるのだろう。言葉も無いアンナに、ジョーが必死で言葉を続ける。
「私、アンナが大好き。孤児でスリの私が軍学校で勉強できるのも、あの時アンナが私を助けてくれたからだもん。勉強は駄目だけど、剣技で校内一になれているのは師匠のおかげだもん。師匠も大好きだよ。大好きな二人が二人とも不幸になるなんて、そんなの私、認めない!」
俯きながらそういったジョーの地面に付いた拳は、両手ともギュッと握りしめられていた。そこにぽたぽたと涙がこぼれている。
「ジョー」
「私は二人の状況を真ん中で見てたから、ちゃんと話せると思う。どこでどうボタンを掛け間違えたのか、話してあげられる。もしそれを聞いてもアンナが師匠を許せないなら、私も諦める。でも納得してくれるなら、もう一度師匠と話してほしい」
そう一息に言うと、ジョーは顔を上げた。鼻水と涙でひどい顔だ。
「私はアンナと師匠が二人とも大好きなの! 二人に幸せになって貰いたいの! それっていけない!?私の我が儘!?」
アンナの目からも涙がこぼれた。いけないわけなんて無い。親友がこんなに強く思ってくれているのならば、もしかしたらそこに何かあるのかも知れない。
それを知ってなおアンナがリッツを許せたのならば、まだ道があるかも知れない。
許せないかも知れないけれど……。
「うちに帰ろう。明日、お休みだからちゃんと聞かせて、ジョー」
「アンナ……ありがとう!」
「ありがとうは私が言うんだよ。ごめんねジョー」
ジョーの話を聞いてから決断を下しても遅くないだろう。リッツとアンナには沢山時間がある。
お互いの愛情が無ければ生きられないほどの、永遠にも似た長い時間が。
◇
「さ、出て行ってちょうだい」
アンナが飛び出し、後を追うようにジョーが出て行っても動けず、裸で立ち尽くしていると、あっさりと背中越しのアマリアがそういった。
「……でていけって……」
「服はそこ、荷物はそこ。当面の宿代がないならあげる」
「ちょっと待ってくれよ。宿舎の許可が下りるまでって……」
慌てて言うと、アマリアは今まで以上に冷たい目でリッツを睨んだ。
「それでジョーに奥の手を取りに行かせてこうなったんでしょう。だいたい許可が下りないのって、手が回されてるって事じゃない」
「……ああ」
「それなら奥の手は通じないと考えた方が利口よ。英雄王の片腕さん」
「その立場は忘れるっていったろ」
「忘れられないわよ。どう考えても軍の上層部があなたの宿舎入りをはねのけてるんだもの」
「ううっ……」
その通りだった。あまりに申請が通らないから業を煮やして、大臣の印を使ってやろうかと思ったのだが、こうなるとアマリアの言葉が正しい。おそらくエドワードが関わっているだろう。乗り込んでこないところを見ると、事情は知らないのかも知れないが。
「それにね、私あなたの子を産む気はないわよ」
「俺だって、子供を作りたくて女を抱いた事なんて一度もない」
「でもあの子はそう思い込んでるじゃない」
「……そうだな」
リッツは髪をかきむしった。まさかそっち方面に誤解を受けているとは思わなかった。
愛おしすぎて気持ちが暴走してしまって起こした強姦沙汰が、子供が出来ない腹いせをしたと思われるなんて、どうしたらいいのか全く分からない。
それにアンナに神の庭を出たことを後悔させてしまうなんて……最悪だ。
本当に最悪な男だ。
「さ、分かったら出て行って」
「ちょっと待って、もう少しだけ!」
リッツには行く場所がない。
「駄目。私、あの子の味方になることにしたわ」
「へ?」
「素敵な子。あなたには勿体ない子よ。ここにいたらあの子を苦しめる。だから出て行って」
「何で急に……」
「私も女だからよ。あの子、リッツを許さないって言いながら、自分を責めてるのよ。分からないの?」
「……あ」
アンナはリッツを一度も悪し様に言わなかった。強姦した上に、愛人の元に逃げたリッツを罵倒して当然なのに、それさえもしなかった。ただただ、愛せないなら、初めから愛していると言わないで欲しいと言い続けていたのだ。
心から信頼し、愛していた男に裏切られても尚、人を責めたりしないアンナの不器用さに、いいようもない申し訳なさがこみ上げてくる。
「女にあんな惨めな思いさせるなんて、あなた男として最低よ。本気で惚れた女をちゃんと包み込めない男なんて甲斐性無しもいいところだわ」
アンナは子供が出来ない自分をリッツが愛せないと思い込んでいる。
そんなことはない、そんなこと百も承知だし、そんなことなど関係なく彼女を愛している。愛しているから抱きたくて、愛しているからあの行為に及んでしまった。
そんなリッツの欲望が、違う意味で彼女を苦しめている。アンナを傷つけ、華奢な彼女を壊してしまうのではと、アンナと関係を持つことを極力避けてきた。でも今の状況はそれ以上に悪いのでは無かろうか。
何よりもアンナの心に、大きな傷をつけてしまっている。体の傷は時が経てば消えるが、心の傷はちゃんと埋めなければ埋まらない。
それは子供の頃から、心を傷つけられてきたリッツ自身がよく知っている。
しばらく考え込んでから、リッツはアマリアを振り返った。
「アマリア、一つ聞いてもいいか?」
「ええいいわよ」
「俺はアンナにきちんと、愛しているから抱かせてくれって言うべきだった?」
「でしょうね」
「強姦しかけた後でも、愛しているからお前と性行為をしたいって、言えば良かったのか?」
「そうだと思うわ」
「……それが持つ、生殖行為以外の意味を分からない奴でも?」
アンナは何も知らなかった。抱くことが子供を作る意味しかないと思っていたのだ。そんな彼女にもそれが通じたろうか。だがあっさりとアマリアはいう。
「説明すればいいじゃない。愛し合っていれば、心だけじゃなく体も欲しくなるって。だから抱きたいんだって」
正論だった。
「でも関係を強要することにならねえかな」
「いいえ。ならないわ。説明して分かれば女はきちんと男を許すのよ。だって仕方ないもの。男と女がこの世に生まれたときからずっと、女の方が大人で、いつまでも子供な男を許してあげてきたんだもの。男は結局、女の手のひらでころころ転がってるの」
リッツは言葉に詰まった。世間知らずで子供っぽいアンナは、いつもリッツを支え甘えさせてくれた。その包まれる幸福感にリッツはいつも救われていたし、彼女に甘えっぱなしでいた。
そんなときのアンナは確かに大人だった。リッツはアンナの手のひらで転がされているのが心地よかった。結局子供で、甘えて、最悪の道を選んでしまったのはリッツだった。
「もしさ」
「なに?」
「もしそうしてたら今頃俺は……アンナを抱けてたのかな」
「たぶんね。逃げ出した時点であなたは負けてた」
「負け……」
「ちゃんと向き合ったら? 欲望も感情も弱音も怯えも。全部向き合いなさいよ。逃げてるだけじゃ、いい男にはなれないわよ」
「だよなぁ……」
「まさか物語の主人公にまでなれるような身分の方にこんな説教するとは思わなかったわ」
「だからそれは忘れてくれって」
大きなため息が漏れた。アンナはいつまでも子供じゃなかった。医術を学ぶ医学生だ。だったら当然、妊娠出産に付いても学ぶだろう。
実際、昔のアンナは『子供は仲のいい夫婦に女神様が授けてくださいます』といっていたのだが、今のアンナはきちんと子供を作るすべを知っている。
ただアンナは医学書から得た知識しかないから、性行為=子供を作るとしか考えていないのだ。そのせいでとんでもない誤解を招いてしまった。
子供なんていらないんだ。アンナが一生そばにいてくれれば、俺の人生はそれで満たされている。だからアンナ、お前が欲しい。抱かせてくれないか?
もう一度向き合って、その足下で許しを請うて言わねばならない。
「さ、分かったら出て行って。私これ以上あの子に嫌われたくないわ。私だって子供を作りたいぐらい甲斐性のある男を見つけたいもの。あなたは邪魔よ」
毅然とそう告げたアマリアに、リッツは小さくため息をついて頷いた。
「……世話になって悪かった」
「ええ。ホント、大変だったわ」
アマリアがベットでくるりと背を向ける。リッツは黙ったまま服を着て、荷物をまとめる。行く当ては無い。だけどもう逃げても仕方ない。
これはもう……殴られに行って、どうしたらいいかアドバイスを貰おう。
「じゃあな、アマリア」
「さよなら。もう娼館に舞い戻らなければいいわね」
「はは。そう願ってるよ」
アマリアの家を出たリッツは小さく一つ息をつくと、王宮へと向かって歩き出した。