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名残の雪<3>

 エドワードがこの世を去ってから一月後。

 王城の庭に、ユリスラ王国軍全員と、政務部の全員が集まっていた。前方中央には花に包まれた立派な馬車があり、そこにはユリスラ王国の国旗が掛けられた棺が乗せられている。

 国葬となったエドワードの棺だ。これからこの馬車と喪章を付けた隊列は、シアーズの街をゆっくりと一周して帰ってくることになる。終着点は王宮の中にある霊廟だ。

 王族と共に、リッツはその場に立っていた。国王ジェラルドを中心に、左隣に再婚した妻、右隣には、王太子グレイグ、再婚相手との間に生まれた二人の双子の内親王、十五歳のローレンとルイーズが並ぶ。 子供たちの隣に宰相を引退していたシャスタが並び、ジェラルドの妻の隣には、パトリシアが並び、その隣にリッツがいる。

 リッツは今、何の扮装もせずに、前大臣の制服に身を包み、喪章を肩から提げていた。いつもは洗いざらしの髪を、今日はきちんと撫でつけているから、隠している人間とは形の違う耳はよく目立つ。

 軍にはリッツを知っている人間が多い。軍学校の教官をしていたり、親衛隊のふりをして軍に入り浸っていたからだ。だがそんな彼らもリッツの正体を知らなかったから、そこに立つリッツを不思議な目で見ていた。

 何故リッツがそこにいるのかが、理解できていないようだった。

 そんな視線を受けつつも平然と前を向き続ける。リッツはもう扮装をすることをやめた。エドワードの遺言を実行するためには、逃げ回らずに受け止めねばならない事がある。

 それは自分が年をとらずにこうして存在しているということを、軍内外に知らしめることだった。

 そうすることで、いつの日にかこの国に何かがあった時、手を貸すことが容易になる。年をとらない守り手がいるということは、軍や王族の心に深く刻まれるはずだ。

 その時、軍と王族が敵となっているのか、味方なのか定かではないのだが、どちらにしても牽制にはなるに違いない。

 現国王のジェラルドの言葉に続き、リッツの名前が呼ばれることになっている。弔辞を読むのだ。

 朗々とした呼び出しの声が響く。

『ユリスラ王国前大臣リッツ・アルスター殿』

 リッツは悠々と目の前にある壇上に向かっていく。軍の内部がざわめいた。リッツが前大臣であることを初めて知った人々がざわめいているのだと分かった。今までこの姿で堂々と大臣を名乗ったことは、軍内部では一度もなかった。

 壇上に立ち、リッツは周りを見渡した。皆の目が初めて見る大臣の本当の姿を前に大きく見開かれているのが分かる。軽く固めた髪からは、いつもは隠している人とは違う耳がよく見えるようにしてあるのだ。

 だがリッツは人々のざわめきなど気にせずに、壇上から目の前のエドワードの棺を見つめた。

「弔辞」

 リッツはそこで言葉を切った。それからまっすぐにエドワードの棺を見つめる。

「ジェラルドやパティはちゃんと弔辞を読めって怒るだろうが、俺は俺のやり方でお前に別れを告げようと思う。

 だいたい俺には大臣なんて向いてなかったんだ。お前やパティや革命軍の連中が、どこをどう考えて俺を大臣にしたかしらねえけど、俺は英雄になりたかったわけでも、国家の重鎮になりたかったわけでもない。

 名誉も金も何もいらなかった。俺は友であるお前と一緒にいたかっただけだったんだ、エド」

 きっぱりとそういうと、場が水を打ったように静まった。リッツは口を開く。

「お前と夜遊びして、よくパティに一緒に殴られたよな。あいつ本気で殴りやがるんだ。ま、お前と違って、俺は今もたまに殴られてるけど。

 それからさ、剣術。おっかしいんだよな。王国最強を誇った俺の剣なのに、何故かお前には勝てないんだ。最初は圧倒的に俺が有利なのに、最後は何故か負けてる。

 あとチェス。お前強すぎだ。一度ぐらいは負けてくれてもよかったじゃんか。結局お前は俺に六十年で一度も勝たせてくれなかったな。勝ち逃げなんて卑怯だぞ。

 それになんでこの年になってもお前は俺の頬を抓りあげるんだ? ガキじゃねえって何度言ったら理解するんだよ、お前は。見た目はまんまだけど、俺だってちゃんとお前に会ってから六十年分年をとってるんだぜ? 嫁も貰って落ち着いちゃってるってのに、いつまで俺は十代のガキ扱いだ?」

 大きく息をついて、リッツは再び棺を見つめた。その中にエドワードがいる。リッツの目にはもう周りはよく見えていなかった。見えているのはエドワードの姿だけだった。

「なあ、エド。なんかさ、思い出すのはこんな事ばっかりだ。戦場で先頭を切って戦ってたことよりも、一緒に馬鹿やってたことばかり思い出すよ。

 王者として凛と前を向いていたお前よりも、人の悪そうな顔して、俺の頬を抓りあげて嫌味言ってた方が、俺にとってお前っぽいんだ。王座に座って命を告げるお前よりも、麦わら帽子に鍬をもってさ、太陽の下で満足げに笑ってたお前の方がお前っぽいよ。俺にとってそれがお前なんだ。それが俺の友、エドワード・バルディアなんだ」

 目を閉じればグレインで過ごした日々が思い出される。生まれて初めて自分が生きる場所を与えられた。それがエドワードの隣だった。でもエドワードは決してリッツの上に立ったりしなかった。いつも共に歩き、時には殴り合い、時には涙を流した。

 どれだけ時が流れても、あの暖かな場所を忘れる事はないだろう。それだけは分かっている。たとえば何百年と時が過ぎ、これだけ大切な思い出が霞のようにその実態を思い出せなくなっていったとしても、心の温かさだけは忘れない。

「それにしてもお前は無茶苦茶だ。最後の願いがあれって、どうなんだよ? 俺に王宮の化け物もんにでもなれってのかよ」

 ため息混じりにリッツは棺を睨んだ。

「確かに精霊族の俺の寿命は千年だ。もう二百歳近いから、あと八百年もある。お前と出会った時と今の俺なんて、たったの六歳分ぐらいしか年をとっていない。

 お前は威厳溢れる国王やって、しっかり年取って、いつまで経っても年上の顔して俺をガキ扱いしてたよな。本当は俺の方が八十六歳も年上なのにさ。その上さっさと寿命だからってくたばって、俺を置いていくんだ。ひでえ話じゃねえか。

 その上、俺に今後のユリスラを頼むなんて、むしがよすぎるってもんだろう? お前の頼みを、俺が絶対に無視できないのを知ってて、遺言なんて形で残すなんて卑怯だ。そんなのジェラルドや、グレイグが何とかしとけってことだ。

 あいつらは生まれながらにして王族だ。ユリスラの民の血税に養われて生きてんだからさ。お前や俺みたいに、畑仕事で自分の食料を稼いだこともないんだぞ。奴らがやって当然だ。自分の飯を自分で稼いでる俺に頼むな」

 きっぱりと言いきると、静まりかえった中でジェラルドが吹き出した。

「これは手厳しい」

「笑うなジェラルド、俺は本気で言ってるんだ」

「分かってるよ、リッツ」

 笑いながら、ジェラルドは仕草だけで続けるように促してきた。ちょっとむくれながらもリッツは再び前を向く。

「だけどな、これだけは約束しとくから、安心してくれ。もしも万が一にも、お前の愛したユリスラ王国という国が、何百年もの時を超えた先で、内戦の時のような状況に陥ったら、俺はお前との約束通り、国民のためにユリスラを取り戻すために力を貸す。

 お前と共にこの国の未来を拓いた事を、俺は絶対に忘れない。お前の遺言は、例え俺が王宮の怪物になろうとも、俺の命に代えても守ってやる。

 お前が望むのなら、俺は再び王家や国軍に弓を引くことも厭わない。お前が愛したこのユリスラを命のある限り見守り続ける。俺が英雄の片腕だからとかじゃない、友の願いを俺は絶対に守る。

 だからエド、お前はそっちで待ってろよ。いいか、先に消えちまったりするなよな。死者の国で八百年ぐらいは待っててくれ。そっちにはおっさんも、ギルも、フレイも、コネルも、アルバートも、他にもたくさんの仲間がいるから、暇なんてしないさ。

 それで俺がそっちに行ったら、よくやったって、ちゃんと俺を褒めろよな。

 俺は貴族どもにお前の犬だとか、下僕だとか、色々言われてたけど、やっぱお前に褒められるのが一番嬉しいんだ。だって俺は、アンナの次にお前を愛してるからさ」

 リッツは空を仰いだ。涙をこぼすのは嫌だった。この場ではちゃんと笑顔でいようと決めていたからだ。しばし黙って涙を乾かしてから、リッツは再び棺に向き直った。

「弔辞って言うか、愚痴って言うか、思い出話って言うかわかんねえけど、俺たちらしいよな。お前ももしここにいたら爆笑してんだろ? 俺たちの関係はきっと死に分かたれても変わらないんだ。

 だからさ、エド。さよならは言わない。何百年もの年月の先で、また、会おうぜ」

 そういうとリッツは静かに微笑んだ。

「……以上、弔辞終わり」

 言いたいことを全部言い切ると、何となく心の中にあったもやもやが昇華していくような気がした。

 永遠の別れではない。

 いつかまた、ここではない場所で再会するのだ。

 何事もなかったかのように自分の場所に戻ると、そのまま前を向く。あっけにとられたように王城は静まりかえっている。すると唐突に後ろから棒で殴られた。

「全くあなたは……!」

「って! 何するんだよ、パティ」

 むくれてそちらを見たとたんリッツは固まった。パトリシアはボロボロと涙をこぼしていたのだ。

「あなたらしくて、エディらしくて……本当に憎らしいわよ」

「パティ……」

「あなたたちには最後までかなわなかった。男の友情なんて、狡すぎるわ」

 肩を振るわせたパトリシアの手から、力なく杖が下ろされる。リッツはパトリシアを抱き寄せた。

「バーカ」

「……なによ」

「エドはお前をちゃんと一番愛してたよ。俺がアンナを一番に愛してるのと同じだ」

「慰めてるの?」

「本気で言ってる。ただ俺とエドはきっと、皆が望んだ英雄像としては、どちらも不完全だったんだ。お互いの存在を心の中で持ち続けることで、折れそうな弱さを支えてた。英雄と片割れとは上手く言ったもんだな。俺とエドは二人揃わないとユリスラの英雄になれなかった」

 リッツは、パトリシアを更に力を込めて抱きしめた。

「だけど忘れるなよな。俺たち二人でここまで来たんじゃねえ。ローレンがいて、シャスタがいて、おっさんたちがいて、それで……お前がいた。俺たちは二人ともお前が大好きだった」

「……リッツ」

「エドは逝っちまったけどさ、パティ。俺はお前をアンナの次に愛してるからな」

「……浮気者ね」

「何とでもいえ。エドの替わりにはならねえけど、俺がいるからな、パティ」

 パトリシアが一瞬だけ、体を硬くした。泣くのをこらえているのだと分かった。パトリシアとも長い付き合いだ。

 パトリシアはリッツから離れて微笑んだ。

「当たり前よ。あなたは、エディの足下にも及ばないわ」

「きっつー……」

「でも……ありがとう」

 パトリシアが微笑むと、アメジストの瞳から涙が零れた。そのままきびすを返して自分の場所に戻っていく。

「おう」

 リッツは真冬の空を見上げた。曇った空は今にも雪が舞い降りてきそうだ。

 リッツがエドワードとパトリシアから離れてギルバートと共に傭兵の道を歩み出した時は、雪が降っていた。そしてエドワードが死んだ日も、やはり雪が降っていた。

 雪が降る度にきっとエドワードのことを思い出す。底抜けに明るく笑っていたこと、人の悪そうな顔で何か企んでいる時のこと、そして苦悩をリッツに打ち明けた時の普通の青年の顔……。

 それはずっと心の中にありつづける。ふとしたきっかけでひらひらと心の中を舞う。

 まるで触れると儚く消える名残の雪のように。

 心に消え残る寂しさと、二度と戻らない友への痛みを胸に、リッツは空を見上げた。

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