ある日、ある夜<1>
本編から二年半後のリッツとアンナのシリアス恋愛物です。
恋人ごっこをしていた二人だったけれど、リッツはそれに限界を感じていて、ある夜を境に二人の関係が壊れてしまい……。
元々同人誌版では、R18に近い感じに書かれていた物を、そういうシーンをまるっと抜き、直接的な部分を間接的に置き換え、R指定なし版にしました。
でもちょっとそういうシーンはありますので、ギャグ以外にエッチなシーンがあるのは嫌な方は避けてください。
出窓に座って外を眺めながら、煙草をふかす。部屋に吹き込む柔らかな風は春の甘い香りを乗せつつもまだ冷たく、何も身につけていない体を冷やしていく。その冷たさは、冬がまだ完全に過ぎ去っていないことを伝えているようだ。
春まだ遠し。まるで自分のようだ。
煙草を持った手で軽く頭を掻く。我に返ってはいけない。ここで我に返ると自己嫌悪に陥ってしまう。
「ねぇ、何をしてるのよ」
乱れたベットの中から、気怠げに黒髪の女性が甘い声を掛けてくる。
「ん、ちょっと一服」
女性に視線を向けることもせずにそう告げて煙草を口にくわえる。そういえば煙草は体に悪いからやめろと言われていたな、と恋人を思い出しかけて小さく首を振る。今思い出してどうするのだ。こんな場所に来て、彼女を裏切っているというのに。
薄い掛布だけしか置かれていないベットの上の女性は、見事な裸身を起こして、不満げに口を尖らせた。
「ねぇ、休憩が長くない? それとももう終わり?」
「終わりにして欲しいのか?」
ゆっくりと女に向き直って、唇に微かな笑みを浮かべて尋ねると、女は小さくため息をついた。
「意地悪ね」
「そんなことないさ」
「あなたっていつもそう。冷静すぎて、抱かれてても私を見てないの知ってるわ」
「そうか?」
「本当に、不実な男」
「不実ねぇ」
とぼけながら深く吸い込んだ煙を、窓の外に向かってため息混じりにはき出す。
「そんなの最初から分かってるだろ」
「そうね」
不実なのはここ数十年変わっていない。誠実だと女性に言われたことなど、今まで一度もなかった。実際に今、恋人を裏切っているのも事実だ。でも彼女を傷つけないために、こうしてどこかで性欲を発散させなければ、とてもじゃないが普通ではいられない。
片思いを一年半、恋人になってから二年半。足して四年。彼女と一緒にいる時間は今まで通り幸せなのに、自分を抑え続けることが少し重荷になり始めている。
彼女に触れたくて、彼女を抱きたくて、限界に近くて……。
いっそ彼女を抱いてしまおうかと何度思った事か知れない。人の半分の年齢で年をとるとして、実年齢三十五歳の彼女は十七歳。シアーズではあまりないが、北東部や農村部では結婚している娘も多い年齢だ。ならばもういいのではないだろうか。
でもそのたびに暖かく信頼しきったような笑顔を向けられ、動くことが出来なくなる。華奢な彼女を壊してしまいそうで、怖くて触れられない。それに何も知らない彼女を襲ったりすればどうなることか、考えるのも恐ろしかった。
あの笑顔を失ってしまったら、立ち直れない。
生きてはいけない。
呼吸ができなくなるほど、痛いほどに、そんなことよく分かっている。
そして一年前から再び再開してしまった娼館通いの癖。しかもそれは毎回、彼女が一緒にすごそうと、部屋に泊まりに来てくれる前日に儀式のように繰り返されるようになっていた。
前日に娼館でなじみの女と体を重ねる。そうすれば、翌日彼女と一緒に過ごしても、彼女と同じベットで眠っても、何とか理性で持ちこたえることが出来る。
これが完全な裏切り行為であることなど、百も承知だ。でも恋人ごっこを好きな女とするのは、正直やっぱりきつい。
「ねぇ、リッツ?」
呼ばれて我に返る。
「ああ。悪い待たせちまって」
ため息が女にばれないように煙を吸い込むと、窓の外に向かって吐き出す。夜の闇に紫煙が吸い込まれていくのを見届けてから、リッツは煙草をもみ消した。
何が一番いいのか、どうすればこれからもずっと彼女と幸せに暮らしていけるのか。それを考えれば考えるほど、どうしようもないどん詰まりにぶち当たり続けている。
今の状態が一番悪い。それは分かっている。つきあい始めたばかりの頃は、これでもかというぐらいに甘えられたし、常に彼女を腕に抱いてしまうような状態だった。なのに最近は彼女を意識しすぎて、触れることさえ躊躇うようになってきてしまった。そのたびに彼女は不思議そうな顔をするが、いつも適当に誤魔化してばかりいる。
勘のいい彼女のことだ。そろそろリッツの裏切りに気がつくかも知れない。でも他にどうしたらいいのか分からない。悩んでも悩んでも、その答えが出ないのだ。
窓をわざとゆっくりと閉めて、ベットで待つ女を振り返った。豊かな黒髪、大きく柔らかな胸、くびれた腰、形のいい尻。傭兵時代に好んだ女の典型だ。
シアーズに三十五年ぶりに帰ってきた時から、この娼館でなじみにしている女で、リッツがふらりと顔を出すと、他の客を断ってまで相手をしてくれるいい女だ。しばらくの禁欲生活を経て再びリッツはこの女の元に舞い戻ってしまっている。世間一般的に彼女を愛人というのかも知れない。
「あなたって、本当に何を考えているか分からない男ね」
「そんなことないさ。今はお前のことを考えてるぜ。アマリア」
「嘘ばっかり」
嘘だ。恋人のことばかり考えてる。これが彼女だったら、今目の前にいるのが、最愛の恋人アンナだったらなと。
アマリアはリッツに恋人がいることを知っている。そしてその恋人に手を出すことが出来ずくすぶっていることも知っている。前にうっかり一度だけ、ベットで名前を間違えたことがあるからだ。
適当に誤魔化したが、この娼館で女王と呼ばれる彼女は誤魔化されずに、それでも欺されたふりをして笑ってくれた。そこが気楽なのだ。
軽くすねたように横を向くアマリアの元に歩み寄り、ベットに腰を下ろして柔らかな女の太ももをシーツ越しにゆっくりと撫でる。
「ではお相手を務めさせていただきましょうか……女王様?」
おどけてそういったリッツの首筋に、アマリアの腕が絡みついた。