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貴族たちの憂鬱<4>

「ごめんくださ~い」

 大扉の中を覗き込みながら、アンナが城の中に声をかけている。これだけの大きな扉だから、開くのか疑問だったが、そんな疑問はあっさり払拭されてしまった。扉はリッツの手によって、なんの抵抗もなく開いたのである。

 フランツの目には、真っ暗な城内が恐ろしい世界の入り口のように見えた。立ち尽くし、一歩足を進めることを躊躇っていたら、後ろからあっさりと押し込まれてしまった。

 振り返るとエドワードだ。エドワードは楽しげに笑みを浮かべながらフランツを見ている。

 最近分かってきた。エドワードは心を許してきた仲間たちには、かなり人が悪い。いざとなればやはり頼りになるけれど、いざとなるまではこうしてからかわれなければならないのは、フランツとしては困る。

 だがそんなエドワードが唯一からかわないのは、アンナだ。アンナはみんな本気にしてしまうから、どうやらエドワードでもおいそれとからかえないらしい。

 フランツはため息をついた。リッツはその最強な二人に囲まれて、よく疲れないなと思うのだ。フランツだってエドワードとアンナは好きだ。大切な仲間だと思っている。

 だが四六時中一緒にいると、体力をものすごく消耗してしまう。ジョーによると、フランツは仲間たちといる時かなり素に近くて感情をぶつけているから疲れているんじゃないかとのことだった。

 でも感情を出しているというのに、別にジョーが談話室でソファーにひっくり返って飲んだくれていても疲れないのは不思議だ。

 つきあい始めて二人の関係はがらりと変わった……わけではなかった。

 確かに甘えたがりのジョーに、かなり高い頻度で誘われてしまう状況にあるし、ベットを一緒にしてからは、押し倒されることも多い。押し倒したことは最初の一度きりなのが情けない限りではある。

 でもそれ以外は、お互いのプライベートな時間を大切にしている。

 フランツがどうしても読みきりたい本があると言えば、ジョーは少しだけごねてから、酒を持ち出して一人フランツに話しかけながら酒を飲んでいる。フランツが聞いていなくても全く気にしない。

 そしてジョーが始末書や、報告書を持ち込んで頭を悩ませている時には、フランツは静かに自分の席で酒を飲みつつ本のページを捲る。ジョーが泣きついてくると、書類を作るアドバイスをするといった感じだ。

 不思議なくらいその関係が安定していて、まるで昔からこうしてジョーと一緒にいたようだ。

 アンナとリッツの、あの怒濤のような恋愛模様を間近で何年にもわたってみてきたフランツにとって、今の自分がいかに幸福かを噛みしめずにはいられない。

 だが今は幸福とは対極にいる。

「わぁ……埃だらけだね」

 アンナの声で我に返った。いつの間にか現実逃避していたようだ。人間、一番嫌なときには、一番幸せなことを思い出して、不幸から逃れようとするのかも知れない。

「どうしたフランツ、ボーッとして」

 不思議そうにこちらを見るリッツに、曖昧に誤魔化す。

「あ、いや、別に」

 まさか幽霊が怖いから、恋人のことを考えて現実逃避してましたなんていえない。

「そっか?」

「ああ。フォーサイス参与を捜そう」

 フォーサイスには恩がある。彼は今参与を務めているが、補佐官時代はいろいろ世話になっていた。宰相補佐官は最初二名制だった。補佐官二名、参与一名、宰相という構成だったのである。

 だがフォーサイス以外の補佐官は皆、フランツの存在が気に喰わぬとフランツに対してひどい扱いをし、仕事に真剣に取り組まなかったため、次々に他部署に飛ばされていった。

 それを繰り返す意味のなさに、シャスタがうんざりして、補佐官をフォーサイス一人に固定したのである。だが参与は相変わらずで、フランツを苦しめた。

 最初から参与として来る人間たちは、皆プライドが高く、人々に頭を下げられ慣れている。でもフランツは実力のない人間を敬うことなど決してない。それが彼らの気に触ったらしいのだ。

 結局、数ヶ月前のフランツ襲撃事件後、シャスタは参与、補佐官は、宰相秘書官室を経由した実力者しか取らないと宣言し、長い間一人で補佐官を務めてきたフォーサイスが、参与へと昇進したかたちになった。なのにフランツのような若造が、フォーサイスを差し置いて突然宰相なんてあり得ない。当然のことながら政務部内で問題になるだろうし、グレイグの親友という立場上、いろいろと面倒なこともあるだろう。

 それより何よりフランツが憂うのは、自分にそれだけの実力がないということだ。フォーサイスの有能な仕事ぶりを見ているとつくづくそう思う。

 フォーサイスの私生活が、オルフェ並みにめちゃくちゃなのは、この際置いておいたとしても、彼以外宰相の適任者はいないのだ。

 それにフォーサイスは個人的にも金持ちで、シアーズの高級住宅街に屋敷を持っているし、使用人も沢山いる。めちゃくちゃな生活をしても許される立場なのである。

 だからこそ、フランツはこうして無理を押してここまでやってきたのだ。

 本来なら参与と秘書官室長がいない状況は考えられない。だがフォーサイスの事を何も知らない人々に任せることは出来ず、シャスタと相談した上苦渋の決断として、こうしてフランツが自ら探索にやってきている。

 今頃、宰相秘書官室長代理のディケンズは、泣きながら仕事をこなしているだろう。申し訳ないが仕方ない。

「どこから探すの? やっぱり一階から?」

 アンナが無邪気にそういった。その明るい声に応えたのは、この屋敷に攻め込んだことのあるエドワードだった。

「この屋敷は全部で五十部屋ぐらいあるが?」

「ごじゅ……」

「隠し部屋や地下牢もあるはずだ。四人一緒に見ていたら、日が暮れるぞ」

「そうですよねぇ」

 アンナは頷きながらリッツを見た。リッツの背には大きな荷物が背負われている。それは完全にここへ泊まるために様々な荷物に他ならない。

 そう。見つけられなければ、この屋敷に泊まることになる。つまり怪しげなこの屋敷で夜を過ごすことになるのだ。

 ……幽霊屋敷かもしれないのに。

 フランツは、クレイトン邸の恐怖の一夜を思い出して首を振った。嫌すぎる。

「屋敷の図面はここにある」

 エドワードが自分の懐から、古ぼけた図面を取り出した。

「前にこの城を攻めたとき、隠し部屋を探すために細かく実寸した平面図だ。あれからここに住んだ者はいないのだから、かなり正確だろう」

 エドワードがつかつかと壁際に寄せられていたテーブルに向かい、うずたかく降り積もった埃を軽く払って平面図を広げた。

 リッツとアンナと共に、平面図を覗き込む。

「……広い……」

 館は基本的に中庭を四方で囲んだ作りになっていた。つまり廊下をぐるりと廻ると、屋敷を一周できるのである。その廊下の角にはそれぞれに塔があり、上に上れるようになっているらしい。

「この塔の上だが、人を幽閉できるかもしれん。四つの塔総ての上に、見張り台と小部屋があるからな」

 言いながらエドワードが指で塔の場所を叩く。

「一つ目の候補というところだ」

 ちらりとエドワードの横顔を見て、フランツはため息をついた。叡智に満ちた水色の瞳、そして口元に浮かぶ自信に満ちた微かな笑み。英雄王の軍勢は、今のエドワードのように、こうして指揮されていたのだろう。

 だが今ここにいるのは、エドワードも含めてたった四人だ。それが不思議だった。

「塔は後がいいだろう。何者かが潜んでいた場合、四人で上に上がって閉じ込められてしまっては元も子もない。半分見張りで半分捜索しなければな」

「じゃあ、やっぱ最初は一階から見るって事だよな?上から見てったら、下に逃げられてお終いだし」

 リッツが平面図上に指を滑らせた。一階部分には使用人の部屋と、キッチン全般、そして今いる玄関ロビーは、巨大なダンスホールになるらしい。

 広そうな応接室、百人は入るんじゃないかという、広い食堂があった。図書館があるのもこの階だ。

 そして正面と後方の丁度中央には階段がついている。各階に階段は二つある計算になる。この階段を利用して上に上れるだろう。

「二人一組で、左右に別れて見て回るのはどうだ?それなら真ん中で落ち合えるし、そこから階段で上に行ける」

「それが早そうだな」

 目の前で二人の英雄があっさりと今後の行動を決めていく。フランツは不思議なものを見るような気分でそれを眺めた。

 いつも二人は息をするぐらい自然にお互いの行動を読み取り、最も効率がいいように動く。抓り上げられていたり、子供の喧嘩をしている二人と救国の英雄のイメージが上手く重ならない時の方が多いが、こうしているとやはりこの二人は内戦の英雄なのだなと感じる。

「で、チーム分けだな」

 リッツは言いながら腕を組んだ。

「……俺と……」

 アンナというのだろうと思ったのに、リッツは意外な決断を下した。

「フランツ。エドとアンナでどうだ?」

「……意外だね」

 思わず眉を寄せて口に出してしまった。今までなら迷い無くリッツとアンナ、エドワードとフランツというコンビだからだ。

「まぁ、たまにはいいだろ」

 リッツが微かに視線を泳がせる。そんなリッツの態度に思い当たるところがあった。

 そういえばエドワードは数ヶ月前に目眩で倒れている。もしエドワードとフランツのコンビでエドワードに何かあったら、フランツはエドワードを救えない。でもアンナなら救える。

「ほぅ。確かに意外だな」

 エドワードは分かっていてリッツを見た。リッツは決まり悪そうに視線を逸らす。

「私が倒れると心配してるのか?」

「……違うって。ほら、フランツは幽霊に弱いじゃんか。だから抱えて逃げられる俺がいた方が……」

 しどろもどろだが、確かに一理ある。フランツだってエドワードが心配だ。どちらかと言えばアンナと一緒にいて貰えると安心だ。

「僕も賛成。幽霊に僕は歯が立たない」

 自信を持って言い切ると、三人が吹き出した。

「歯が立たないんじゃなくて、怖くて立ち向かえないの間違いだよね?」

「……そういうわけじゃ……」

 言葉を濁したのだが、ため息混じりにエドワードが頷いた。

「分かった。ではその通りにしよう。ごねてもしかたないしな」

 肩をすくめて笑うと、エドワードは平面図を懐に戻してアンナを促した。

「行こうか、アンナ」

「はい、エドさん!」

 振り返らず歩いて行くエドワードの後ろを、アンナが小走りに駆けていく。その姿を見送っていたリッツが、大きくため息をついた。

「……あの二人で、大丈夫だよな?」

 そんなこと聞かれても困る。リッツが決めたことなのだから。

「アンナはヴァイン。陛下はベテランだ」

「まあ。そうだな。それにいち早く屋敷を廻って再会すればいいし」

 いいながらリッツが伸びをした。大きな荷物は置いたまま、リッツはエドワードとアンナが消えた反対側に向かって歩き出してしまう。何者もいなかったなら、全員で正面の階段から一気に下りてしまえばこの荷物の元に付く。それならおいていった方が妥当なのだろう。

 フランツは慌てて後を追った。廊下はすさまじく埃をかぶっている。歩く度に埃が舞い上がって苦しいが、文句も言っていられない。依頼人はフランツなのだから。

 フランツたちが来たこちら側は、使用人スペースだったらしい。散らばったままの台所用品、今にも盛りつけられそうに重ねられた皿。そして鍋には黒っぽいものが下の方にこびりついている。

 もしかしたら、エドワードたちが攻めて来た時、鍋の中身をそのままにして逃げたのかも知れない。キッチンから出て、使用人が使っていたであろう小部屋を調べる。人が入りそうなところはみなチェックをしていった。

 だが一階の部屋には、誰もいなかったし、人がいた形跡もなかった。ただ色々な物が散乱したそのままの姿で埃をかぶっている様子が、不気味で仕方がない。

 ぐるりと廻ってエドワードとアンナと再会したけれど、そちらも同じような感じらしかった。総ての部屋が、乱れた状態のまま放置されているのである。エドワードに聞いた話のままだとしたら、この家の中で総ての家財道具が、戦闘の混乱のまま時を止めたのだろう。

 二階と三階はこの屋敷の主たちが暮らしていた部屋が数多くあった。この階は一階とは違って、豪華だったろう家財道具は、皆無くなっていた。おそらく内戦後、何者かが侵入し、売り払ったのだろう。

 だが残された家具もあった。古びて黒ずんだ大量の血の跡が残されている家具は、皆そのままそこにあったのである。おそらく買い手が付く当てがないからだろう。

 これにはフランツも血の気が引いた。エドワードがさんざん脅かしたように、幽霊の存在を考えて身震いする。

 幸い窓の外はまだ明るい。幽霊が歩く時間ではない。血塗られたカーペットや家具を避けながらも、人が隠れそうな場所を探したが、フォーサイスの姿はどこにもない。

 外から見ると巨大だったこの屋敷だが、全部で五階建てと、地下室であることが分かった。細々としていたのは一階だけで、二階と三階は大きくて贅沢に天井が高い、館の主の居住スペース、四階と五階は落ち着いたホテルのような作りになっていた。総て客室なのかも知れない。

 四階と五階は、総ての部屋に立派なバスルームが着いていたが、蛇口を捻っても何も出なかった。

 ここもクレイトン邸と同じように、屋根の上の乗せられたタンクから水が送られる仕組みだろう。だから使用人がいなくなり、水を誰も汲み上げなくなった場合、水は出なくなる。

 時間は瞬く間に過ぎ去り、夕日がすっかり落ちた頃、一階から五階までの探索は無事に終わった。

 これだけの部屋がありながら、フォーサイスはどこにもいない。フランツはため息をつく。フォーサイスには生きていて貰わねば困る。まだ宰相になるには早すぎる。

 このまま更なる多忙に押し込まれたりしたら、ヴァインに目を配れなくなる。せめてヴァインが軌道に乗り、自分で自分の財布を暖められるようになれねば存在自体が瓦解してしまう。

 最初に入って来たホールに戻り、リッツが抱えてきた野宿セットを広げる。室内で申し訳がないが、手持ちの小さな鉢のようなものに炭を放り込んで火をおこして、リッツが暖かいコーヒーを入れてくれた。

 暖かさと苦さに、ホッとした。黙ったままコーヒーをすすっていると、アンナが隣でぼんやりとコーヒーを混ぜている。コーヒーを混ぜている棒は、牛乳を甘く煮詰めて乾燥させた棒状の砂糖で、折ってコーヒーに入れると溶けて甘くなる。

「やっぱり塔か地下だよね……」

 ほんのりとミルク色になったコーヒーをすすりながら、アンナが呟いた。視線の先では、リッツがパンを切り分け、スモークチキンを乗せている。野宿の食事は、リッツといつの間にか決まっているのだ。何しろアンナは時間がかかるし、フランツは適当すぎる。

 最近のアンナは、アニーの猛特訓のお陰で格段に料理の手順がよくなったとは聞いている。だが二人がクレイトン邸を出て以後、あまりアンナの手料理を食べることがないから、本当かは分からない。

 ぼんやりとランプの明かりを見ていると、不意にサラのことを思い出した。

 サラはもうフランツの元にいない。フランツが政務官を志し、精霊魔法を人前で使うことが無くなってから、サラを手放したのだ。

 シアーズに戻って一年ほど経った頃だろうか。フォルヌ王国ロシューズ特別自治区で知り合った、マルグリット曲芸団が、エドワードの許可証を携えてシアーズにやってきたのである。

 当然仲間たちと共に会いに行ったわけだが、その際、次の興行場所がロシューズであると聞いて、フランツはサラをマルグリットに預けたのだ。

 今サラはロシューズのマグマの中で暮らしているだろう。それとも彼らが聖なる火として絶やさずに灯し続けている、あの紅火石の炎の中にいるかも知れない。

 だから、フランツはサラを手放して以来、火竜を使ったことがない。必要なかったし、火竜を使えないかも知れない自分を認めるのも怖かった。

「フランツ? 調子でも悪いの?」

 アンナに尋ねられて、自分がぼんやりとランプを見つめ続けていたことに気がついた。

「ああ。ごめん。サラを思い出してた」

「サラちゃんかぁ……」

 アンナも眼を細める。ロシューズにサラを送るとき、一番寂しがったのはアンナだった。

「元気かなぁ」

「たぶん。火の国にいるし」

「そうだよねぇ……」

 何だか四人でいると、あの頃のことばかり思い出す。まだ旅を終えて、十年しか経っていないのに。「十年か……」

 思わずフランツは呟いていた。大陸を旅していた、あの熱く、激しく、楽しい時間は、もう十年も前のことになる。まだこんなにリアルに思い出せるというのに。

「十年だな」

 いつの間にか全員分のパンを作り終えたリッツが、全員の前に皿にのせられたパンを置きながら頷いていた。

「色々あったけど、あっという間だったね」

 アンナもパンを受け取りながらしみじみと呟く。

「リッツと別れそうになったり、結婚したり、お医者さんになったり。大変だったけど、楽しかった。あの時やっぱりこっちの世界を選んで正解だったって、素直に思えるんだ」

 アンナの言葉にフランツも頷く。色々あって大変だったけど、楽しかった。フランツも同じ気持ちだ。

「私にとって、この十年は飛ぶようだったぞ」

 静かにコーヒーを飲みながら、エドワードが話し出した。

「王でいた三十五年より、幸福な時間だった」

 ぱちりと炎がはぜた。誰も口を開けず、エドワードを見つめてしまう。

「やはり私は王の器ではないと実感した十年だった。王でいるよりも、こうしてお前たちといる方が格段に楽しいからな。あれほど王位に固執していた兄上たちには申し訳ないがな」

「エド……」

 今まで聞いたことがないような不安な声で、リッツがエドワードの名を呼んだ。炎に揺らめいているからか、リッツの顔が今にも泣き出しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「やはり私に似合う職業は、冒険者だったと思わないか、リッツ?」

「まぁな。お前の夢って、本当はそうだったもんな」

 自分が作ったパンにリッツがかじりついた。最近エドワードは、妙に静かに自分を語る。その状況にリッツではなくても心配にはなった。やはり倒れたことが影響しているのだろうか。

 何となく全員が黙り込み、オープンサンドに口を付けた。リッツが旅先でよく作るメニューで、官僚をやっている今となっては懐かしい味だ。

 黙ったままパンを食べていると、突然低い音と共に振動と揺れを感じた。

「な、何?」

 焦るフランツをよそに、リッツがオープンサンドを皿に戻して床に耳を付ける。

「床から聞こえる……」

「……やはり地下か」

 エドワードがリッツに答えたときだった。突然上の方からガラスが割れる音が響いたのだ。そちらを振り仰ぐと、高い天井に吊られた大きなシャンデリアが、ゆらゆらと揺れている。

「シャンデリアが……」

 フランツがそう口にした瞬間、エドワードに突き飛ばされて転がっていた。アンナも同じようにリッツに突き飛ばされて転がる。

 その瞬間だった。今まで四人が座っていた場所に、巨大なシャンデリアが、真っ逆さまに落下してきたのだ。

 シャンデリアは床に落ち、激しい音を立てながら砕け散った。積もっていた埃が舞い上がり、空間が真っ白に被われてしまう。

「リッツ!」

「陛下!」

 アンナと同時に叫ぶと、埃の向こうから返事があった。

「俺たちは生きてるぞ」

「大丈夫だ」

 二人はフランツとアンナをそれぞれ突き飛ばして、自分たちは反対側に飛んだらしい。

 フランツは胸をなで下ろした。二人に死なれたら、大変なことになってしまう。

 巨大なシャンデリアが落ちたホールは、ガラスでいっぱいになってしまった。踏み越えるのも危険な状態だ。リッツたちとの間に大回りしなければ、ならない危険な壁が出来ているのと変わりない。

 無事な二人の姿にホッとしたのもつかの間、フランツは二人の後ろにある怖い光景を見てしまった。

 誰もいないはずだった階段の上から、何かがガシャンと重い音を立てて降りてくるのだ。

「誰か来る!」

 指をさすと、四人のともしていた微かなランプの明かりに、人影が浮かび上がった。その異様な出で立ちにフランツは息をのんだ。

 鎧だった。昔使われていた骨董品のようだ。

「よ、よ、鎧……」

 声が震えてしまう。だが焦ったのはフランツだけで、三人は三人とも、既に武器を手に立ち上がっている。

「おいでなすったか。それにしても古い鎧だぜ。そんなんでやり合うのかよ」

 リッツがせせら笑うが、鎧は歩みを止めない。まるで意志なんてないみたいにただこちらに向かって歩いてくる。

 竦むフランツを尻目に、リッツは剣を抜いて鎧へと走った。その動きは昔と寸分違うことなく素早い。

 あっという間に、鎧へと間を詰め、鎧の銅に剣を叩きつける。鎧は激しい音を立てて窪んだ。

 リッツの剣は、諸刃ではない。片方の刃を潰してあるのだ。アンナと殺さないと言う約束をしたリッツが誂えた特別製である。

 だが鎧は一瞬たりとも足を止めたりしなかった。リッツにあれだけの攻撃を食らったら、普通は倒れ込むはずだ。

 だが鎧は歩き続けた。代わりに動きを止めたのは、リッツの方だった。

「おいエド」

「何だ?」

「あの感触が現実ならな、あの鎧……空だ」

「何?」

 鎧がゆっくりと斧を振り上げる。リッツは鎧の斧を軽く避けて、再び横腹に剣を叩きつけた。

 次の瞬間、鎧の上半身が、ものすごい勢いで飛んでいき、床に転がって派手な音を立てた。

「……な?」

 リッツが青ざめて、下半身だけとなった鎧を指さす。

「空だよな?」

 その言葉の意味に気がついて、フランツの全身からあっという間に血の気が引いた。

「じゃあどうして鎧が動いてたんだよ!」

 思わず壊れたシャンデリア越しにリッツに食ってかかると、リッツは肩をすくめた。

「そりゃあお前……幽霊の仕業だろう?」

「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊?」

 思い切りすくみ上がったフランツの視線の先で、下半身だけの鎧が静かに歩き出した。

「鎧、歩いてるよ!」

 アンナが杖を片手に叫んだ。あっと思ったときには、アンナの水の球が鎧に向かって炸裂していた。下半身だけの鎧は、重たい音を立てて転がり、派手な甲高い悲鳴を上げた。

「……え?」

 水の球を放ったアンナがそのままの姿勢で固まった。その悲鳴は、大人の声ではなかったからだ。

「子供……なの?」

 呆然と呟くアンナだったが、エドワードとリッツは、既に転倒している鎧の元に駆け寄っていた。鎧は足をばたつかせて悲鳴を上げ続けている。

「……空だと言わなかったか、リッツ」

「上半身は空だっただろうよ」

「なるほど、小さくて上半身はがら空きだったと言うことか」

 足だけが必死に動いている鎧の無様な姿を見ていたリッツとエドワードだったが、やがてため息混じりにリッツが鎧から人を引っ張り出した。

「どこから入り込んだんだ、悪ガキ」

 リッツに引きずり出された小さな体は、リッツにつり上げられるような形でぶら下がっている。尖った耳、もじゃもじゃな赤毛、そして鋭い爪をして固い毛に被われた足の裏……。

「……ガキじゃねえな……」

 リッツがぼそりと呟く。フランツも、その姿が何であるかに気がついた。リッツにつまみ上げられているのは、ゼウムにしか住んでいない小鬼族なのだ。

「……小鬼族が、何故ここに?」

 エドワードが呻く。その声に反応して、小鬼族は暴れ出した。

「おい、暴れるなって!」

「離せ! 離せ!」

 小鬼族は甲高い声で叫ぶ。ゼウムの訛りがある大陸共通語だった。優れた運動能力を持つ小鬼族は、掴まれているリッツの腕に、体の反動を使って飛びかかった。

「おい、こらっ!」

 小鬼族は一瞬の隙を突かれたリッツの腕に、思い切り噛みつく。堪らず小鬼族を振り払ったリッツから逃れ、小鬼族は階段に駆け寄った。

「ちょっと待て! お前はここに住んでいるのか?」

 噛まれた手を押さえるリッツに変わって、エドワードが小鬼族に怒鳴った。小鬼族は階段の手前で足を止める。

「俺、ここ、住んでる。ハモンドの手伝い、してる」

「……ハモンド? ハモンド・バーンスタインか?」

「そう。ハモンド、俺の主人」

 小鬼族は横に裂けたような大きな口でにんまりと笑った。

「馬鹿な……」

 エドワードが呻く。

「ハモンド・バーンスタインは……死んだだろう?」

 その言葉が意味するとこをを想像して、フランツは動けなくなった。つまりこの小鬼族は死者の手伝いをしていると言うことになる。

「ハモンドいる。ハモンド、生きてる!」

 怒ったように小鬼族は地団駄を踏んだ。

「出てけ、人間。ハモンドの邪魔、許さない!」

「待て。人を探している。フォーサイスという男だ。彼を見つけたら出て行く」

 リッツが腕を押さえながら言うと、小鬼族はいきり立ち、牙を剥いた。

「そんな奴、知らない!」

 明らかに知っている態度だ。フランツは気力を振り絞って小鬼族に呼びかけた。

「頼む。フォーサイス参与を返してくれ。彼がいないと困るんだ」

 フランツが。

 だが小鬼族は更に怒って地団駄を踏む。

「知らないっ、知らないっ、知らないっ!」

「絶対知ってるはずだ!」

「知らないっ!」

 小鬼族は子供のように全身で拒絶している。

「頼むから、返してくれ」

 フランツが本気で頼むと、小鬼族は焼き切れたように甲高い拒絶の声を上げた。とたんに床がぐらぐらと揺れ始める。

「帰らないなら、殺す! 人間、殺す!」

 半ば小躍りしているように、小鬼族は階段を駆け上り、踊り場で叫んだ。立てないほどの揺れにフランツは床に膝をついた。隣ではアンナが膝をついている。

「地震?」

 フランツが床に這いつくばりながら呟くと、アンナが周りを見渡して答えた。 

「違う。屋敷だけ揺れてる。外の木は揺れてないもん!」

「じゃあ、あの小鬼族が?」

「多分そうだよ!」

 何とかあの小鬼族を止めなければ、そう思ったときだった。突然リッツとエドワードが立っていた床がパカッと地下に向かって開いたのだ。

「床が!」

「危ない!」

 フランツとアンナが同時に叫んだ時には既に手遅れだった。この揺れに膝をついていたエドワードとリッツが、地下への割れ目に滑り落ちていったのだ。

 悲鳴を上げる間もなく、リッツとエドワードの姿は目の前から消えた。シャンデリアの破片も、皆その中に一緒に飲み込まれていく。

「リッツ! エドさん!」

 揺れはいっそう激しくなり、上から埃や、様々な飾りが落ちてきて、フランツは頭を守って床に突っ伏した。このまま屋敷が崩れてしまうのではないかと思うと、恐怖で動けない。

 始まったときと同じように、揺れは唐突に収まった。恐る恐る顔を上げると、階段にいた小鬼族の姿は既に無い。そしてシャンデリアの破片も、一つもなかった。

 フランツの隣にいたアンナが、呆然と目の前を見て座っている。顔を上げたフランツに気がついたようで、アンナはゆっくりとぎこちない動きでフランツを見た。

「……リッツとエドさん……落ちちゃった」

 でも二人の前には、既に床へと通じる穴はない。完全に閉じてしまっていたのだ。

 アンナが先ほど開いていた場所へ這っていき、床を叩く。その動作を幾度も繰り返してから、アンナは半分泣きそうな顔でフランツを見上げた。

「駄目。空洞があるのは分かるけど、どうやったら開くのか分からないよ」

「……そうだね」

「どうしよう。とりあえず、地下に降りてみる?」

 アンナが鼻をすすって立ち上がった。昔ならパニックに陥って泣くだろうアンナだったが、今のアンナは涙をこらえて、次の手段を考えられるようになっていた。呆然としていてどうしたらいいのか、思考が止まっているのは、フランツの方だ。

「そうしよう。地下の階段は……」

 フランツは言葉に出しながら、エドワードが広げていた平面図を思い出してみる。

「ここと対面になってる建物の、裏側に階段部分にあるはずだ」

 フランツは仕事柄、書類を一発で暗記することが得意になっているのだ。それがこんな場所で役に立つとは思わなかった。

「すぐに行こう。二人は絶対に無事でいるから」

 アンナがスカートにまとわりついた埃を勢いよく払う。あれだけの状況であっても、二人の無事を確信しているアンナに、フランツは目を見張る。

「よく言い切れるね」

 思わずそう口をついて出てしまった。どうしても最悪の状況を考えてしまうフランツは、アンナのように確信できない。

「言い切るの! 悪いことを考えて口に出したら、そうなっちゃうでしょ?」

 向こうを見るアンナの顔は見えない。でもアンナ得意の空元気であることは分かった。

「リッツとエドさんは絶対に生きてる。大丈夫ったら、大丈夫なの」

 アンナは自分に言い聞かせるように言葉を口にした。アンナも不安なのだ。それでも信じて進もうとする。昔も今もそれが羨ましい。

「僕も、信じる」

「フランツ」

「行こう。アンナ」

「うん」

 頷いたアンナは、ランプを手に取った。これから暗くなる。しかも行くのは地下だ。ランプがなければ何も見えない。

 旅をしていた時でいう、年少組二人になってしまったのは心細い。だがあの二人よりも永遠に年少組である二人だが、それでも年と経験は重ねている。二人でも何とかなる。

 そう確信しながら、フランツは前に進む。アンナも俯くことなく前に進んでいる。

 フランツが覚えていたとおり、地下への階段は対面の廊下の中央にあった。階段の降り口に立ってランプを掲げても、地下は暗く何も見えない。

 それでも行くしかない

「フランツ、あのね」

 階段を下りかけた時、アンナに呼びかけられて足を止めた。

「何?」

「もしね……もしもだよ? リッツとエドさんに何かあって、敵に追い詰められるようなことがあったら、私が命を賭けてもフランツを逃がすから、シアーズまで帰るんだよ?」

「え……?」

 思いも寄らない言葉に、フランツは戸惑う。

「どういうこと?」

「フランツには、国の未来がかかってるし、ジョーもいるでしょ? だから逃げて欲しいの。それでシアーズから遊撃隊か査察団を派遣してくれるよう、お願いしてね。リッツとエドさんがいると分かったら動いてくれるから」

 フランツは眉をひそめた。

「僕にだけ逃げろって事?」

「……うん」

 アンナは静かに頷いた。

「フランツの方が軍に話の通りが早いし」

 フランツは、妙に淡々と話すアンナの肩に手をかけた。

「それならアンナ、一緒に逃げればいいじゃないか」

「私は逃げられないよ。リッツとエドさんを置いていけないもん」

 アンナが唇を噛みしめている。解せない態度にフランツは無意識にアンナを問い詰めていた。

「だいたい、アンナらしくないだろ。リッツと陛下が死んでいることを前提にするなんて」

「ごめん」

 アンナが俯いた。

「信じれば信じたようになるっていっただろ? なのにどうして?」

「だって考えれば考えるほど怖くなって……」

「怖く?」

「もしリッツに何かあったらどうしようって」

 アンナはそういうと、鼻をすすり上げた。

「アンナ……」

「みんな、私がいなきゃリッツは駄目だって言うけど、私だってリッツがいなきゃ、生きていけないんだよ」

 フランツは胸を突かれた。

「私はヴァインで、今は依頼の最中でしょ。だからしっかりしないとって思うけど、それでももしもの事を考えると怖くて堪らなくなるの」

 そうだった。昔のアンナは、リッツに何かあると、パニックに陥っていたのだ。ヴァインとして活動していて落ち着いてしまっているから大丈夫なのかと思っていたけど、実は内心パニック状態だったのだ。

「アンナ。僕は依頼人だけど仲間だから、冷静じゃなくていい。昔みたいに分かり易いアンナでいて」

「フランツ」

「前みたいに、リッツが穴に落ちちゃった! 死んじゃったらどうしようって、騒げばいい。一応僕も進歩しているから、一緒にパニックにならないと思う」

 口で言うほどの自信はない。特に幽霊が出てきたらもう駄目だけれど、それでも昔よりも、格段に進歩しているはずだ。

「僕は逃げない。四人一緒にここから出る。そのための方法を考えて行動しよう」

 断言すると、アンナが鼻をすすって顔を上げた。

「フランツ、成長したねぇ……。何だか嬉しい」

 やはりアンナから見ると、フランツは弟みたいなものなのか、思い切り上から見られている。でも仲間にならそう見られても全然構わない。

「リッツやアンナに鍛えられたからね」

「そうかなぁ……?」

「ああ。さあ、行こう。二人は無事だと思う。あの二人が殺しても死ぬわけ無い」

「そうだね」

 アンナは目頭をギュッと押さえて上を向いた。ほんの一瞬でアンナは笑顔を見せる。

「ごめんフランツ。変なこと言っちゃった」

「いいよ。行こう」

 フランツとアンナははランプを掲げながら、地下へと足を踏み入れた。 

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