背中合わせの親愛<7>
冬の夜は長い。
フランツは談話室の指定席で半分寝そべりながら、のんびりと本のページを捲っていた。
もう夜中だから明かりは最低限しか付けていない。でも暖炉の明かりがあるから暗くはなかった。弱くはあるが、暖炉はずっと付いていたからほんのりと部屋の中は暖かい。
ジョーとの関係が同居人から恋人同士に変わってから、もう半年が経っている。
ロビーを炎の球で破壊すると言う暴挙に出たフランツだったのだが、なんと自己防衛であったから罰せられなかった。おかげで今もそのまま宰相秘書官室長の肩書きを拝命している。
この裏には、前国王エドワードと、前大臣リッツ、現宰相シャスタの尽力が大きい。またまた三人に借りを作ってしまった。返せないほど大きな借りだ。
フランツはいつもの自分の指定席で、軽く伸びをした。二人では広いぐらいの談話室は、今日も綺麗に整えられている。
半年前まで山と積まれていた本はもうここにはない。エヴァンスのすすめでフランツは大量の本と共にリッツが使っていた二間続きの部屋に引っ越したのだ。
リッツがいた時分は、作り付けの大きな書斎の本棚はほぼ空で、蜘蛛の巣が張っている状態だった。しかも年代物の飾り棚には酒が数本並んでいるだけという有様だったのだ。
アニーとエヴァンスとジョーとフランツ、それから手の空いていたアンナにリッツの六人総動員してフランツの本を書斎に治めた。
するとそこにはどっしりとした書斎机と、三方の壁を囲む本棚、窓から差し込む明るい日差しで仕事のしやすそうな立派な書斎ができあがった。
余った本はリッツとアンナが使っていた寝室に、フランツの部屋の本棚を運び入れて収められた。
この寝室の前の持ち主であるリッツは、全く本を読む人ではなかったから、寝室は本当にくつろぐだけの場所として作られていた。
ベット以外にも心地のいいソファーや、暖かなラグマットが引かれた一角がある。その一角を片付けて、新たに本棚を備え付けたのだ。寝室といえどもかなり広いから、まだまだ本棚を置く場所がありそうだ。
すっかり空になったフランツの部屋は、今は壁紙を貼り直して本で窪んだ床を直し、本来の客室として使っている。ジョーの部屋も近々同じように客室に作り替えられる予定だ。
ジョーは今、フランツと同じ部屋で寝起きしている。元々この寝室のベットはかなり大きいから、二人でいるのに都合がいい。
ジョーの寝相は悪いから、フランツの部屋のシングルベッドでは、いつもフランツが隅に追いやられる状態で辛かったのだ。
ジョーが『フランツと一緒の部屋で暮らす』と決めてから引っ越し終わるまでに、二時間もかからなかった。
ジョーはフランツと違って持ち物が少ないから、さっさと荷物をまとめて部屋に来て、提供されたフランツの部屋のクローゼットに荷物を詰めただけであっさりと引っ越しが完了してしまったのである。
それにジョーは仕事柄出張が多い。特別遊撃隊はチーム事に年に数回、数ヶ月自治領区を視察して回る。ひどい時には年の半分いないこともある。だから一人部屋を持っていても、寝に帰るぐらいで無駄になっていたのだ。
アニー曰く、フランツと二人で使った方が掃除の手間も省けていいらしい。
そんなジョーも今回は、少し遠くの自治領区に出かけていた。
最初はフランツに会えなくて寂しいとだだをこねていたくせに、出張の日が近づいて来ると『エドワード陛下と師匠の故郷かぁ……』などとフランツそっちのけでうっとりしているのだから、都合がいい奴である。
先ほどドタバタと音がしていたから帰ってきたようだが、まだこちらに顔を出していない。そのうち来るだろうと本を読み続けていたら、扉が開いてジョーが飛び込んできた。
「たっだいま~」
「おかえり」
本から目を上げると、シャワーを浴びて濡れた髪のままのジョーがフランツの元に走り寄ってきて、フランツの椅子に乗って膝に頭を乗せてきた。猫のようにフランツの太ももに、頬をすりつけてくる。
こうなると本など読める状態じゃない。
しおりを挟んで本をサイドテーブルに置くと、待っていたかのように、フランツの首筋に抱きついてきた。
「おかえりのキスして。うんと深いの……」
「上手くないけど?」
「いい。フランツにして欲しい」
短期でも長期でも、出張から帰ってきた日はいつもこうだ。
いつも通りに腰を抱いて深く唇を重ねると、ギュッと抱きしめられて息が詰まる。王国十指に入る剣士に本気で抱きつかれると、官僚はいつも死にかける。こんな時フランツは、半ば本気で体を鍛えようと思うのである。
「待っててくれたんだ。遅い時間だから寝てるかと思った」
「今日帰ってくるっていってたから。先に寝てたらベットで君に首を絞められる」
「忘れてよ……あれは事故だってば」
この間の夏、軍学校恒例のキャンプに助っ人としてかり出されていたジョーが、深夜に帰宅して、寝ているフランツに力一杯抱きついたから、フランツは本気で首を絞められて失神したのだ。
あの時は本気で死ぬかと思った。あれ以来彼女が帰ってくる日は起きていることにした。
「それでどうだった、グレイン」
「もう、最高! ちゃんと前に聞いたあの大樹にも行ってみたよ。ここが伝説始まりの地かって、むちゃくちゃ感動!」
「君は陛下とリッツのファンだからね」
「ファンじゃなくて、憧れの的だよ。だって格好いいじゃん!」
「……そうだね」
一緒に旅をしないで彼らの子供の喧嘩を見なければ、憧れの的になったかも知れないが、フランツにとってはどちらも仲間だ。今更憧れも何も無い。
それにリッツの情けなさ炸裂の様子も見守ってきたから、リッツはフランツにとって仲間で友人に過ぎない。
だが同じようにその姿を見ても、師匠リッツを尊敬できるジョーはある意味すごいと思う。
「それに話に聞いた麦畑も見たよ! 今も空のブルーと地の黄金はそのままだった。もう最高に綺麗で、思わず剣を振り回して、ジャンと師匠ごっこをしちゃったよ!」
「あ、そう」
リッツごっこって何だ……? というか、それに付き合うジャンもお人好しだ。
「それから自治領主のモーガンさんにも会ったよ。パトリシア様の弟なのに、全然似てないね。年が二十歳近くも離れているからかな。穏やかでジェラルド陛下に似た感じのイメージだった」
「ふうん」
「豊かだったよ、グレイン。あの自治領区が王国の交易を支える要なんだね」
「そう。王国一の穀倉地帯だ。馬の産出も多いから、軍の要でもあるよ。前に通ったけどいいところだった。また行きたいね」
「じゃあ、いつか一緒に行こう!」
「……行ければ」
「行ければね!」
特別遊撃隊と宰相秘書官が一緒にグレインに行くことなんてあるのだろうか?
疑問に思いながらも頷くと、目を伏せたジョーの指が服の上からゆっくりとフランツの体をたどり始めた。ジョーの顔を見ると、じっとフランツをねだるように見つめている。
これもまた出張から帰ってきたジョーのパターンだ。かなりの寂しがりのジョーは、フランツと数日離れていただけで、こうしてところ構わずフランツの体温を欲しがる。
「ここで?」
「だめ?」
「……そのつもりでシャワー浴びてきたね?」
「うん!」
全く悪びれずに言い切られると、ため息をつくしかない。それに今回の出張は三ヶ月と長かった。フランツだってジョーに触れたかった。
「……まあ、いいか」
「そうこなくっちゃ!」
楽しげにジョーが満面の笑みを浮かべる。そんなジョーと口づけを交わしながら椅子から二人で滑り降りると、暖炉の前にあるラグの上で抱き合った。
安堵と幸せの吐息がジョーの口から漏れる。
長くて三ヶ月で男と別れることを繰り返してきたジョーも、フランツとつきあい始めてから、既に六ヶ月が経とうしていた。酒に酔ってうっかりと彼女を抱いてしまった夜から数えると、八ヶ月になる。
でもお互いに全く飽きたり、離れたいと思った事など無い。それどころか触れれば触れるほど欲しくなってしまう。
ジョーと触れ合いたくても上手く誘えないフランツにとって、こうして積極的に求めてきてくれるジョーの存在はありがたい。
「ジョー」
服の上から優しく触れながら囁くと、ジョーがうっとりと瞳を細めながらフランツを見た。
「ん……」
「行く時、具合悪かったけど、大丈夫?」
「気持ち悪いの……?」
「そう」
「うん。一月ぐらい胸がむかついてたけど、今は全然平気」
「ならいいけど」
食欲もないし、幾度か吐いたりしていたから、フランツは今回の出張にジョーを行かせるのが少し不安だったのだ。
こっそりとジャンにジョーの体調を打ち明け、気に掛けて貰ってはいたのだが、それでも不安は募のっていた。
フランツにとってジョーは、誰よりも大切なたった一人の人なのだ。
少し安心しながらジョーの服の前を開けて、豊かな乳房に顔を埋める。柔らかくて暖かくて心地いい。ジョーも甘い吐息を漏らしてされるがままになっている。
指をそっと脇腹に滑らせると、あの時の傷口に触れた。結局あの傷は完全に治らなくて、少し跡が残ってしまった。
でもジョーはこの傷のおかげでフランツが手に入ったと、あれからホクホクして語ったのだから、まったくもって現金だ。
だがそんな現金なところも、可愛いと思ってしまう自分がいる。ジョーに関してだけはフランツは甘い。
だが仕事で特別遊撃隊と関わる時は、相変わらずフランツは厳しいし、ジョーも食ってかかる。仕事場では今でも以前同様に言い合いをしていたりするのだ。
公私混同は絶対にしない。それはフランツの信念だ。自分の信念を曲げていい事など、何もない。
傷から再び柔らかな胸に手を移動させた時、手に触れた妙な違和感に手を止める。
「ジョー」
「あん、もう、今日はずいぶんじらすなぁ……」
「……太った?」
尋ねると、ジョーは、がばっと跳ね起きた。
「やっぱ気がついた?」
「気がつくよ。どうしたの、このお腹は」
フランツは上着を脱がせてジョーの腹を見つめた。いつもは筋肉に覆われた腹が、ぽっこりと丸く膨らんでいるのだ。
「あははは。いやぁ、気持ち悪いの収まったら、今度は御飯が美味しくてさぁ」
「……そういう腹とは違うと思うけど……?」
「だってさぁ、最近剣をつるしているベルトがきついんだよ。しかも何だか胸もきつくて。これ以上太ったら、軍服変えないとならなくなっちゃうよ」
ぶつぶつと文句を言うジョーを無視して、大きな腹をゆっくりと優しくさする。何だかちょっと硬い。間違いなく脂肪じゃない。
それから大きくなったという胸を真面目に軽く揉んでみる。ジョーが甘く声を上げたけれど、フランツは真剣にため息をついた。
「何か張ってる感じだ。お腹といい胸といい、普通じゃない。病院に行った方がいい」
「ええ~? 太ったから病院~?」
「そう。このお腹、脂肪じゃない。そんなに柔らかくないしね。もしも何かあったら大変だ」
「心配性だなフランツは。大丈夫だってば」
「それならアンナに見て貰おう。ちょうどシアーズにいる」
「え~」
口を尖らせて抗議するジョーを、フランツはじっと見据えた。
「軍人は健康管理も仕事の内」
「……官僚なのに口うるさいなあ」
「宰相秘書官室長の仕事の半分は小言だよ」
「ううっ嫌だなぁ病院。大丈夫だと思うけど……」
「駄目。明日は陽の日だから僕も一緒にアンナのところに行く」
「でも……」
「行く約束をしないと、抱かない」
切り札を切ると、フランツのぬくもりが欲しくて仕方ないジョーが、悔しそうにフランツを睨んだ。
「それは卑怯だフランツ」
「卑怯? 僕は大事な人を失いたくないだけだ」
その一言でジョーは黙った。
「……そう言われたら行くしかないじゃん」
「分かった?」
「分かった。分かりました。行きますよ」
「それならいい」
「じゃあ今日はちゃんとしてくれないと許さないよ。満足するまで離れてやらないんだから」
上半身裸なのにむくれてあぐらを掻くジョーを抱き寄せた。
「分かってる。僕だって君に会いたかった」
唇を重ねて、フランツはゆっくりと優しく気遣いながらジョーをラグの上に押し倒した。
『陽気な海男亭』二階のマイヤース事務所の居住スペースで、白衣を身につけたアンナが二人に向かっていた。リッツは慣れた手つきでコーヒーを入れてくれている。
先ほどジョーの姿を一目見るなり、アンナは男性入室厳禁を宣言してジョーを寝室に連れて行ってしまった。しばらくして出てきた時には、ジョーはすっかり困惑していて、アンナは反対に納得した顔をしていた。
そしてフランツも呼んで二人並んで座らされているのだ。
「ええっとぉ、結論から言うけど……」
そういうとアンナは、にっこりと微笑んだ。
「おめでとう! 二人とも!」
「はい?」
「今妊娠五ヶ月から六ヶ月くらいだと思うから、あと四ヶ月か五ヶ月で、お父さんとお母さんです」
いわれた言葉の意味が掴めない。
「誰が?」
「だから、ジョーとフランツだよ」
フランツは言葉を失った。同様にジョーも言葉を失っている。
「あれ? 嬉しくないの?」
アンナが首を捻った。
「性行為したら子供が出来ます。それ常識だよね?私とリッツに子供が出来ないのは特別なんだよ?」
アンナの言葉は分かっているけど、頭が真っ白で言葉が素通りしていく。すると目の前にコーヒーを置いたリッツが呆れたようにため息をついた。
「お前ら、何の計画性もなく、避妊もせずにしまくったな」
その言葉で我に返る。そういえばそんなこと考えても見なかった。
「僕は……浮かれてたんだ、きっと」
呟くと全員の目が、一斉にこちらに向いた。
「浮かれすぎてて……避妊なんて考えなかった」
そういえば、共働きなのだから、そのぐらい考えてしかるべきだった。
「フランツ……」
ジョーが恐る恐る尋ねてくる。
「何?」
「……浮かれてたの? いつ?」
「え……? 君と付き合いだしてからずっと」
正直に答えたのに、何故か全員が不審そうにこちらを見た。
「浮かれて見えないし……」
全員に言われても困る。顔に出ないのは昔からだ。
「ま、それはともかく、仕事はどうするんだ? 給料は? ちゃんと養えるのか?」
至極まっとうなリッツの一言に、フランツは考え込んだ。宰相秘書官室長はかなりの高給だ。家族を養うには十分な額を毎月貰っている。
「……大丈夫。僕の給料で十分に養える」
「そりゃあよかった。お前はどうするつもりだ、ジョー」
師匠であるリッツに振られて、ジョーは困惑した。
「わ、私?」
「おう。軍の仕事、続けるのか? それとも家庭に入るのか?」
「私は、私、どうしよう! 家事できない! 剣が使えなかったら他に取り柄無い!」
軽いパニックに陥ったジョーになんといったらいいのか分からず、フランツも狼狽える。
「いや、そういうことじゃなくて……」
リッツが慌てて否定するが、ジョーは既にパニックだ。だがこの状況をまるっと治めたのは、現在ヴァインの実力者たる、アンナだった。
「やめなくてもいいよ、ジョー。リッツが言いたいのは、二人とも仕事を続けるための、対策をちゃんと立てられるかってことだよね?」
「……ああ。養育係を雇わねえとならないし、コック、メイドも必要だ。それを全部雇えるだけの対策はしとけよって事さ」
リッツの言葉に、フランツは安堵の息を漏らす。
「大丈夫。僕は結構な高給取りなんだ」
「なら解決だな。あとはその腹でジョーがどうするかって話だ」
リッツの視線はジョーの少々出てきた腹に向けられていた。でもそれをあっさりとアンナが解決する。
「さっき子宮口を見せて貰ったけど、しっかりしてる。安定期に入ってしばらく経ってるみたいだから、剣を振り回しても大丈夫だよ。でもお腹に一撃を受けたりしないでね。もしそうなったら、すぐに私のところに来ること」
「じゃあ……」
「うん。陣痛来るまでは仕事していいんじゃない?赤ちゃんは私が取り上げてあげるから安心してね。これから色々教えていくから覚えること」
「アンナ……お医者さんみたい」
「医者だってば。その代わり、毎月診察に行くよ。さっきみたいに子宮口を調べて、それから赤ちゃんの心臓の音をこれで聞くからね」
そういうとアンナは聴診器を見せた。
「あと馬に乗るのはどうかと思うな。安定期だけど危険かも」
「……アンナ。私、三ヶ月前から昨日まで、馬に乗ってグレインに行ってたけど……?」
ジョーの告白に、アンナが目を丸くした。
「わぁ……よく無事だったね、ジョーも赤ちゃんも。そんなことしちゃったら、普通は大出血して親子共々死んじゃうのに」
聞いているフランツの方が血の気が引いた。目の前に、血まみれで倒れたあの日のジョーの姿が浮かぶ。そんな光景をもう一度見るなんて、絶対に耐えられない。
「駄目だ、ジョー。馬には乗らないで。出来れば剣もやめて……」
「仕事無くなるだろフランツ!」
「仕事より君だろ。あと、子供だよ」
フランツが狼狽えながらいうと、リッツが再びため息をついた。
「つうか、先に籍入れろ。子供が生まれたらどっちかの私生児にする気か?」
「あ……」
「式とかそういうのは生まれてからでも出来る。だけど籍は入れとかねえと、その子がシアーズの住民として登録できない」
「そうか、そうだね」
頷くとフランツは頭の中で書類の情報をかき集めた。
確か自分の籍はエドワードに紛失したことにして再発行して貰ったから手元にある。ジョーの籍は養父のエヴァンスのところにある。
それを政務部の……いや、シアーズの役所に……。政務部と軍務部にも……ん? 秘書官室?
混乱していると、アンナが言った。
「その前に、結婚するって決めたの?」
「え……?」
「結婚って仕方ないからするもんじゃないでしょ?お互いの気持ちは確認したの?」
「あ……」
そんなこと頭から完全に抜けていた。子供が出来たと言う衝撃から、何もかもが抜けてしまっている。
「結婚しない、子供は育てられないっていうなら、私の子にしちゃうよ? だってもう堕ろせないぐらい成長してるよ。私子供出来ないんだもん。くれるんなら貰うけど?」
あの笑顔は半ば本気だ。思わずフランツはジョーの手をとった。
「結婚する」
「ふ、フランツ……?」
「結婚してくれるね、ジョー」
気持ちを確認すると言うよりも、結婚することを確認した。元々お互いに本当の家族になりたかったのだから、結婚して当たり前という頭がフランツにはある。
「フランツ……いいの?」
ジョーが不安そうに見上げてきた。
「何が?」
「私と結婚していいの? 男遍歴ひどいし、だらしないし、乱暴だし……」
「分かってるけどいい。君以外は考えられない」
「ふ、フランツ~」
ジョーが目を潤ませた。
「それで、結婚してくれるね、ジョー?」
再び確認すると、ジョーがボロボロと涙をこぼしながら頷いた。
「当たり前だよ!」
それならば問題ない。
「僕が婿養子でクレイトンの姓に入る。仕事ではルシナ姓で通すけどそれでいい?」
「そんなのはいいよ。フランツの思うとおりにして」
「ありがとう」
フランツは真っ直ぐにアンナを見つめた。
「子供も出来る限り頑張って育てる。僕たちの子だ。アンナにはあげられない」
「残念。子供欲しかったのになぁ」
アンナがクスクス笑った。
「ねえリッツ?」
「……まあな。でも俺、おまえと二人っきりの方が好きだけどな。甘え放題だ」
「もう、そういうことばっかりいうんだから」
アンナはそういうと、白衣を脱いでハンガーに掛けた。
「でもアンナ……私子供育てられないかも知れない……。親の存在を覚えていないのに、どうやって子供を育てるのか分からないよ……」
不安そうに声を震わせるジョーの手をフランツは強く握りしめた。
それはフランツも同じ事だ。二人とも親に愛情を掛けられた覚えがない。子供に愛情を掛けて育てられる自信がないのだ。
リッツがアンナを見ると、アンナは微笑んだ。
「大丈夫。私が出来る限りサポートしてあげるから。仕事も出来るようにね」
「アンナ!」
「私、元は孤児院の世話役だよ? プロフェッショナルだから」
「ありがとうアンナ!」
ジョーが安心してポロポロ涙をこぼす。フランツはそんなジョーが愛おしかった。
彼女はあんなに深くフランツを思いやってフランツの心のわだかまりを溶かしてくれた人だ。ちゃんと人を愛せる人だ。
だから子供をちゃんと愛せるに決まっている。
あと四ヶ月か五ヶ月で親になる。信じられないが本当のことなのだ。まさか自分が親になるなんて、夢にも思っていなかった。
でもジョーが妻ならそれでも嬉しい。
「ジョー」
「何?」
「子供の頃、僕らには家族がいなかったけど、今はエヴァンスさんがいてアニーがいて、それから君がいて、僕がいて、四人家族になった。今度は僕たちの子供が生まれて、五人家族になる」
「うん」
「僕らが親に幸せにして貰えなかった分、僕らはこの子を愛そう。家族で慈しみ合えるように頑張ろう」
「……うん」
涙ぐんだジョーがもたれてきて、フランツはジョーの肩を抱いた。
「とりあえず僕は体を鍛えるかな……」
小声で呟いたのに、ジョーが吹き出した。
「私に襲われても気を失わないように?」
「……そうだね」
本当は子供を抱き上げるために何だが、まあそれはそれでいい。フランツとジョーを穏やかに見守っていたアンナが、くるりとリッツの方を向いた。
「だからリッツ、私、来年一年はヴァインの仕事お休みね!」
「とばっちりは俺に来るのか!?」
「うん! 私の大好きなリッツだもん、一人でも仕事をばしばしこなして、きっとヴァインを大きくしてくれるよね?」
「ううっ……そう言われたら頷くしかねえだろ」
リッツが苦悩の表情を浮かべながら呻く。でもアンナはそんなリッツを意にも介さない。
「あ、それから、赤ちゃんが生まれたら私、クレイトン邸に住むから」
「へ?」
「リッツしばらく一人暮らしだね」
「ええっ!?」
「客室、空いてるんだよね?」
「空いてるよ。嬉しい! またアンナと住めるんだ」
はしゃいだジョーにアンナがにっこりと微笑むと、再び彼女最愛の夫に向き直った。
「寂しくなったら来るんだよ? ちゃんと泊めてあげるから」
「そんなのありか……?」
「ありだよ。でも仕事あるから住んじゃ駄目。依頼人が来るの、この事務所だもん」
「ひでえよアンナ。旦那よりも友達の赤ちゃんを取るのかよ……」
「親友と仲間の赤ちゃん」
「同じじゃねえか!」
リッツがむくれる。でもアンナは平然とした顔で宣言した。
「大丈夫だよ。赤ちゃんは一年だけ一緒にいるだけだもん。その後はちゃんと使用人の人を雇えば、仕事面では全然大丈夫。あ、アニーがいるなら、養育係の乳母さんを雇えばいいかな?」
さすがは専門家だ。てきぱきと今後のスケジュールを固めていく。
「俺が寂しい! 一年は長い!」
「大丈夫。リッツとはまだ何百年もいるんだから」
そう言うとアンナはリッツに歩み寄って、背伸びをしてキスをした。
「分かった。分かりました」
大きくため息をついて、リッツがうなだれた。
「……また一人暮らしかぁ……」
「リッツなら、絶対に大丈夫! 私が保証するよ」
さすがに結婚して五年も経つと、アンナも貫禄たっぷりの妻になっている。
「大好きよ、リッツ」
「……俺も。だから早く帰ってきてくれよな……」
「うん!」
この時にはまだ、四年もの長きにわたった別居生活になってしまうとは、思いも寄らない二人なのだった。
王国歴一五八五年春。フランツ・C・ルシナとジョセフィン・クレイトンの元に男児が生まれ、エドワード・クレイトンと命名される。
その後夫婦は一五八七年にシャスタ・クレイトン、一五九二年にアルスター・L・クレイトンと三人の息子に恵まれる。
彼ら三人も将来のユリスラを背負って立つ存在になるのだが、それはまだまだ先の物語である。




