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背中合わせの親愛<6>

 いつもの習慣で目が覚めたフランツは、ベットに身を起こした。隣ではジョーが幸せそうに眠っている。ふわふわの髪が呼吸をする度に揺れるのを、前は眺めていただけだったが、そっと触れてみる。

 柔らかい。もつれた髪を解くように優しく髪を撫でると、ジョーが微かに身動きをした。でも起きる様子はまるでない。

 ベットから出てしまえばこのぬくもりを味わえなくなるのが惜しくて、ついフランツはベットに潜り込んだ。仕事をするようになってから、二度寝は厳禁で一度も遅刻したことはない。それどころか最後に職場に行ったこともない。

 ちらりと、休んでしまおうかと言う誘惑が頭をかすめる。今日だけは、このままぬくもりに触れていたい。

 そもそもロビーを精霊魔法でぶっ飛ばしてしまったフランツに、宰相秘書官室長の席がまだあるのだろうか。

 無職になったらどうしよう。とりあえずヴァインで働くしかないだろうな。ジョーに食べさせて貰うわけにも行かないし。大丈夫だ。昔に比べれば多少使えるようにはなっているし、ヴァインにいても何とかなるだろう。

 今後の不安に軽く額を押さえたが、幸せそうなジョーを見ていると、何だか総てがどうでもいいような気がしてきた。リッツじゃないけど、なるようになるだろう。

 ジョーの顔にそっと顔を寄せて額をくっつける。ジョーが起きていたら出来ないような甘えた仕草だ。だが何故かとても心地いい。ジョーの吐息を感じながらフランツは目を閉じた。

 性欲と愛情を一つにするのは、フランツには最初難しかった。何よりもそれをしようとすると、父親の顔が浮かび、初恋の相手で父に奪われた歌姫を思い出してしまう。

 フランツのことを想いながら、コンスタンツェをフランツと自分の娘だと思い込んで狂気の中で命を落とした歌姫を思い出すと、感情を性欲から切り離してしまいたくなる。

 そうしなければ歌姫を死に追いやった自分は、人を愛する事を許されないと、息苦しくなるのだ。

 欲望だけなら人を愛する事にならない。だからそちらに逃げたくなる。

 でもジョーが感情を切り離しそうになるフランツを何度も引き戻した。幾度も『ちゃんと私を愛して』と頬を包まれては息苦しさから我に返った。

 もしかしたら父親のように、女を飾りか何かのごとく手に入れては飽きて捨て、また無理矢理に我がものとする血が流れているかも知れないと恐れるフランツに、『大丈夫、フランツは優しいよ』と言ってくれた。

 その言葉と優しさにどれだけ救われただろう。

 とっくに解き放たれていると思っていた。父親の呪縛はもう無いと思っていた。コンスタンツェに謝れたあの時に、歌姫への呪縛は解かれたような気がしていた。

 でもこんなにわだかまっていたとは、自分でも全く気がついていなかった。

 ふとタシュクルで出会ったカマラを思い出す。

 あなたの悲しみはあなた自身が癒すもので、私は決してあなたに救われることはない。

 彼女は死に瀕してもそう言って微笑んだ。

 その通りだった。フランツの中の悲しみは癒えていなかった。

 でも他人を受け入れなかった心が、他人だったジョーを大切な人として受け入れることで、自身の中に硬く凝り固まっていた悲しみの塊が少しずつ溶けて、癒されていく。

 悲しみは自分自身が癒すもの……確かにそうだ。こうして自分から手を伸ばさなければ、自分自身を癒すことなんて出来はしなかったのだ。 

 女を抱けるけど愛せない、愛する事など許されない。そんなフランツの思い込みを、ジョーは優しく少しずつ溶かしていった。

 ジョーは人を愛せないのではと思っていたフランツに、幾度となく『大丈夫、愛せるから』と言葉ではなく笑顔で告げてくれた。

 いつの間にかフランツの心の中から愛する事への恐怖が少しずつ解け落ちてゆき、いつしか目の前のジョーを本気で愛して夢中で触れていた。たどたどしいフランツの愛撫にも、ジョーは幸せそうに目を閉じてくれる。

 ジョーが愛おしかった。

 絶対に幸せにしようと、心から思った。

 その時初めて父親の呪縛から解放されたのだ。

 ルシナ家の人間だけど、もういいのだ。もう自由なんだ。もう一人の男として歩いているのだから、ルシナ家の呪縛に苦しむ必要なんて無いのだと。

 そして同時に歌姫も、優しい思い出に変わっていく。彼女がいなければフランツはもっと辛い思いをした。ハーレムの中で彼女は、唯一の暖かな思い出だった。

 彼女に殉じて人を愛せないのではなく、あの頃の彼女を、フランツを愛してくれていた歌姫を、狂気で死んでしまった歌姫をそのまま丸ごと自分の中に受け入れて愛せばいい。

 もういなくなってしまった彼女だけど、フランツの胸の中に暖かな思い出としてずっと生き続ける。

 そうすることで、フランツは自分も愛せるようになりそうだ。

 ふと吐息を感じて目を開いた。目の前でぼんやりとブラウンの瞳が開かれる。

「ん……おはようフランツ」

 ジョーが目をこすった。

「おはようジョー。今日の仕事は?」

「ん……フランツ番」

「何それ」

「護衛だからフランツ次第」

「昨日護衛の任務は解かれたと思うけど?」

 そういうとジョーは困ったように頭を掻いた。君はリッツか、と突っ込みたくもなる。本当に似なくていいところまでよく似た師弟だ。

「あ~。でもまだ遊撃隊に顔出してないし」

「適当だね」

「うん。フランツが仕事行くなら一緒に行く。行かないなら……もう一回しよー?」

 昨日は幾度となく体を重ねたのに、まだ甘い声でそう言って微笑んだジョーに、ため息をつく。

 フランツは遊んでいる暇がない。昨日の午後の仕事は溜めたままだし、今日も机には書類が山積みになっているし、苦情も押し寄せてくるだろう。

 今後自分の席がどうなるかちょっと分からないが、でも今ある仕事は完璧に片付けたい。

 宰相秘書官室長として、守るべき事は守り通す。

 これがフランツの選んだ道だ。

「……僕は仕事」

「残念」

 うへへと、ジョーは嬉しそうに笑う。

「困った人だ、君は」

 ため息混じりに言ったフランツだったが、ジョーに手を伸ばしてしまった。ジョーの頬に優しく触れながらキスをして、それからジョーを見つめる。

「帰ってきてからならいいよ」

「あ、意外に好きだな?」

「あのね……」

 ため息をついたものの、肩をすくめてしまう。

「ま、意外とね」

 そう言って立ち上がると、ジョーがフランツの腕を強く引いた。筋肉質な軍人に引かれると、ひ弱な官僚はよろめく。

「何?」

「……笑ってる」

「誰が?」

「フランツが。今苦笑したよね?」

 言われても分からない。

「そうだった?」

「そうだよ!」

「……君が言うならそうだろうね」

「そうだろうねって、私にとっては事件だよ!」

「事件って大げさな」

「大げさじゃないよ! だって初めて会ってから十年以上笑った顔なんて見てないんだよ!」

「そうだね。僕も笑った記憶がない」

 そういうと何かがこみ上げてきて、フッと笑みがこぼれた。

「そうか……僕は……笑えるんだな」

 笑ったのを最後に覚えているのはいつだったろう。確かフランツの母が死ぬ前だったように記憶をしているから、二十年以上は前の話になる。その頃はまだ何も知らず幸せでいられた。だけど今は総てを知ってもなお、笑えている。

 今、幸せなのだな、自分は。そう自覚した。

「フランツ……?」

 恐る恐るといった顔をしてこちらをのぞき込むジョーをみて、フランツは苦笑した。笑っているのを心配されるのもおかしなものだ。

「仕事、遅れるよ」

「あ、うん」

 ぼんやりとしているジョーに構わず、フランツは身支度を調える。

 少し時間を過ぎてしまった。朝食は抜くしかないようだ。就業時間に間に合わなくなってしまう。

 支度を調えてジョーを振り返ると、未だに裸でぼんやりとベットに座っている。

 柔らかな癖っ毛が豊かな胸に流れ落ちて綺麗な影を作り、なめらかな曲線の腰も、鍛え上げられてよく締まった筋肉質の体も美しい。

 明るいところできちんと見ると、ジョーは整った美人だ。

「フランツ」

「何?」

「あちこちで笑わないでよね」

「……?」

「ライバル増える。笑ってたら、すごく美形なんだもん」

 妙なヤキモチだ。

「僕は僕で変わらないと思うけど?」

「でも……」

「笑えるのは君の前だからだ。君がいないところでは今まで通りだよ」

「ふ、フランツ、照れるってば」

 ジョーが真っ赤な顔でフランツを見つめる。

「じゃ、仕事いってくるから」

「へ?」

「君も遅れないようにね」

「ちょ、待って! 私も行く!」

「急いでるんだけど」

「私も急ぐって! あっれ~、下着どこだぁ~?」

 慌てて飛び起き裸で右往左往するジョーを見て、フランツは額を押さえてため息をついた。

「だから、恥じらいがなさ過ぎる」 

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