背中合わせの親愛<5>
それからフランツは事の始末に追われた。
その際、リッツが何故か付いてきてくれたおかげで、色々なことがスムーズに回った。
まず宰相シャスタに事の顛末を説明する際、リッツはあっさりとシャスタに人払いを頼んだのだ。当然シャスタは職権乱用だとか、横暴だと文句を言いつつも、リッツの言い分には理由があることを知っているから言われるままに人払いをした。
そこで事の顛末をフランツは正直に総て話すことが出来た。参与と補佐官がいれば、総て話すことは出来なかったのだ。それをリッツもシャスタも知っていた。
そして何故リッツがそこにいたのかも明らかになった。
リッツは一月前に、出先の街でヴァインを通じてダンからフランツが狙われ、ジョーとジャンが護衛に付いているという情報を得たのだそうだ。
心配したアンナに促され、即座にその街での仕事を終わらせてシアーズに舞い戻り、フランツを狙っている人物の特定に動いていたそうなのだ。
そして探査の末、参与とロイドの関係を突き止め、密かに尾行してフランツ襲撃の情報を仕入れて、本日秘書官室にやってきたというのだ。
「昨日来てくれれば良かったのに」
「仕方ねえだろ。あいつらは当初明日の予定でいたんだから」
何故襲撃が一日早まったのか、それは分からない。もしかしたら参与にはロイドが押さえきれなかったのかも知れない。
そのリッツの探索の結果はヴァインからの正式な書類として、証拠品提出され、フランツに対する傷害と殺人未遂の罪で参与が憲兵隊に突き出されることになった。
共犯者のロイドも医局からそのまま逮捕された。
リッツの持ってきたヴァインの書類がなかったら、参与は証拠不十分で解放されたかも知れないが、リッツの持ってきた資料には、いつどこでロイドと会ったのか、どの店でいつフランツの暗殺を持ちかけたのかまでがしっかり記されていたため、言い逃れが出来なかったのだという。
「でもなんでダンが?」
疑問をリッツにぶつけると、リッツは笑った。
「ジョーの奴がさ、半泣きで事務所を訪ねてきたことがあったんだってさ」
「……ジョーが? いつ?」
「二月ぐらい前って言ったかな? アンナに相談したいことがあるってことだったらしいが、いなかったから肩を落として帰ったらしい。その時に、ダンが気になって鎌を掛けたんだってよ」
「何を?」
「仕事きついんですか? それとも家庭の事情ですかってな。そうしたらジョーの奴、力なく笑って家庭の事情かなって答えたらしい。それでダンの奴はフランツに何かあるとピンと来て、色々調べたらしい。そこで出てきたのが最近飲んだくれてはお前の悪口を言っていたロイドだった。だが調べていく内に、このロイドとジョーが付き合ったことがあると分かった」
「ああ……」
フランツは曖昧に頷いた。二月前ならジョーが相談に行ったのは別件だ。おそらくジョーはアンナに、フランツと関係を持ってしまったことを相談したかったのだろう。
なのにそれが結果として、フランツとジョーを救うことになった。
「ダンにお礼を言っておいて」
「ああ。あいつ甘いもの好きだぞ」
「……今度届ける」
ため息をつきながらフランツは王城の工務部に向かう。今度はフランツが勢い余って破壊してしまった壁の貼り替え作業を依頼しに行かねばならない。
これは当然犯人側に請求されるのだが、とりあえず王城の入り口が焼け焦げていたのでは、支障がある。直して貰わなければ。
「で、実のところ、お前とジョーの間で何があったんだ」
リッツに聞かれて足が止まった。
「本当は違うって、お前の顔に書いてあるぞ」
「……よく僕の考えまで読めるね」
「長い付き合いだからな。十二年だし」
「そうだね」
「それにお前は、エドよりも分かり易い」
「……そう」
長い廊下を歩きながら、フランツは呟いた。
「リッツ」
「ん?」
「ちょっとリッツの気持ちが分かったよ」
「……?」
「無くしてから気がつくのはきついね」
「フランツ?」
「僕はきっと……ジョーを好きなんだと思う」
小さくそう呟くと、リッツは当然のように頷いた。
「好きなんだろ。そんなこと、とっくの昔から俺もアンナも気がついてるぞ」
「……は?」
「他人は近づくな、寄るな、触るな、っておまえが、仲間以外に近くに寄せるのも、肩を叩かれたり手を合わせたり出来るのもジョーだけじゃねえか。ジョーがお前の耳元で囁いても、お前は動じずに普通にそれを受け止めてる。あんなに近くに他人がいるのにだぞ?」
「あ……」
そういえばそうだ。他人にそんなことをされたら、怖気が走る。でもジョーなら全然大丈夫だ。
「いつから?」
「そうだなぁ……。最初はジョーを避けてたのに、旅が終わってからのお前は、普通にジョーと触れ合ってたぞ? アンナの代わりにジョーもたまにお前の肩を揉んでただろ?」
書類仕事が多くて肩こりがひどいフランツをアンナがマッサージしていてくれたのだが、そういえばアンナがいなくなってからは時折、ジョーが冗談交じりにアンナの真似をしたりしながら揉んでくれていた。
ジョーのマッサージはそんなに上手くはなかったのだが、それでもジョーの目の前で、心地よくてうとうとすることもあったぐらいだ。よく考えると、それはフランツからしてみれば、特殊以外の何者でもなかった。
「アンナもフランツがジョーと仲良しになって良かったってほっとしてたしな」
「そう……だっけ?」
「そうさ。だから俺たちは安心してクレイトン邸を出たんだぜ? アンナはいつかお前とジョーが結婚して、可愛い子供をもうけるのを心待ちにしてるしな」
「結婚!?」
「あいつの中にはそんなプランがぎっしりだぞ? まあ当人たちの気持ちをまるっと無視してるのは承知の上だから、俺以外にいわねえけど」
「勝手に決めないで欲しい……」
額を押さえると、リッツが笑った。
「ま、いいじゃねえか。お前がジョーを好きだって自覚したなら、それはそれで。たらしのジョーがどう思ってんのかはしらねえけど、一歩前進だろう?」
「何が?」
「お前も人を愛せるって、分かっただろ?」
リッツに言われて、目を閉じた。
そうだ。もう人間嫌いで誰も愛せない、愛と欲望は別だから歪んでいるといえない。
ジョーを引き留めたいと心から思っている。
機会があるならもう一度彼女を抱いて、欲望と愛情が一体になるのか、それを知りたい。
もし一体になるのなら、フランツは初めて人を愛せる気がした。
でも……
「駄目だ。ジョーにベイル中尉と幸せになれって言ったんだ」
「あ~……」
「ジョーにとって彼は特別だろ? それを分かってたから……」
あんなことを言わなければ良かった
「お前……馬鹿だな」
「その時は気がついてなかったんだ。だから言ったじゃないか、リッツの気持ちが分かるって。アンナに振られて落ち込んでた時のリッツの気持ちがさ」
「分からなくてもいいんだよ、そんなもん」
リッツは複雑なため息をついて頭を掻いた。
「……ったくもう。お前までこの道に来るなっての」
リッツの言葉には友人のフランツを思いやる優しさが込められていた。リッツは不器用なフランツを心配してくれているのだ。リッツがフランツをだいたい読めるように、フランツもこれだけ長い付き合いのリッツの考えを読むことが、最近は出来るようになってきた。
だから心配をこれ以上させたくなくて口を開く。
「とにかく今は仕事をする。リッツは陛下と会ってきたら? 久しぶりだろ」
「そうだな。エドの顔みとくか。今日の事件の話もしてやろう。大公の公務も引退して、暇もてあましてるだろうし」
そうしてリッツと別れてからフランツは本日の仕事をこなし、自分の書類まで総てまとめて帰宅することになった。
気がつくともうかなり遅くて、誰も残っていないだろう時間だった。秘書官たちは自分の分の書類を総てこなして既に帰宅しているから秘書官室にはフランツ一人だけだ。
もうジョーたちも帰っただろうかと一人無言で仕事の片付けをしていた時、アンナとジョーとリッツの三人が宰相秘書官室まで迎えに来てくれた。
ジョーの傷の手当てはすぐにすんだが、流れた血の量が多かったから輸血をして貰っていたのだという。輸血はまず合う血液のタイプを、血を混ぜ合わせて決めていくから時間がかかるのだ。
都合のいいことにジョーとリッツの血液があったから、リッツは大きな注射にたっぷりの血液を採られ、それを長い時間を掛けてゆっくりとジョーに戻したのだそうだ。それでも目眩が収まらないからしばらく寝ていたのだという。
おかげでジョーはすっかり回復して、いつも通りの明るい表情をしている。その上で『師匠の血を貰ったから、もう少し強くなるかも知れない』と豪語している。転んでもただでは起きない人だ。
人通りが少なくなった道を、のんびりと歩く。
「あ~あ。私がいたら、傷跡なんかのこんなかったのになぁ」
幾度めかのため息をつかれて、ジョーはアンナの肩を叩いた。
「いいんだって。戦闘職種だよ? いつも傷だらけなんだから」
「でもけっこう目立つもん。フランツ、焼きすぎ」
「それでも最小限」
「そうだけど……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、リッツとアンナ、ジョーとフランツの四人で無事にクレイトン邸に帰り着いた。
「ただいまーっ!」
ジョーが元気に言って中に入る。アンナも中に入りかけて、声を上げた。玄関ホールはフランツが荷造りした大量の本で埋め尽くされているのだ。
「何この本の山?」
うずたかく積まれた本に手を触れながら、アンナが不思議そうにフランツを見た。
「どうするのこれ? 売るの?」
「違う。引っ越すんだ」
「誰が?」
「……僕が」
フランツの言葉に、アンナが目を見開いた。
「何で?」
「一人暮らしをするから」
「だからなんで?」
「もうすぐ三十に手の届く男が、いつまでも居候しているわけにはいかないだろう」
「ジョーは納得してるの?」
ジョーをまっすぐに見てアンナがフランツではなくジョーに聞いた。ジョーは俯いて頷く。
「うん。仕方ないかなぁって……」
「だってジョー!」
「言わないでアンナ。ちゃんと自分で話すから……だから……」
言葉に詰まったジョーが笑顔を見せた。無理している顔なのはフランツも分かっている。
分かっているが、フランツには何がどう無理をしているのか分からない。ジョーもこの決断に納得していると思っているからだ。
「とりあえず飯喰おうよ。昼も抜いちゃったし、私お腹空いちゃった」
「でも……」
「お願いアンナ。ちゃんと話すから」
「ジョー……大丈夫なの?」
食い下がるアンナの肩にリッツが手を置いて、優しく数回叩いた。リッツはこの状況とジョーの態度から何かを察したらしい。
「俺も腹減った。久しぶりに『陽気な海男亭』のディナーコース喰いてえな」
アンナは小さく息を吐いてからリッツを見上げる。
「帰ろうって事?」
「おう。お前と二人きりで飯喰いたい」
「でも……」
「不満か? じゃあ、飯の前にお前を喰ってもいいぞ。そうするか?」
「馬鹿!」
アンナ頬を赤くしてリッツを睨み付けてから、しばらくして力が抜けたようにため息をついた。リッツが強固に主張していると言うことには、何かあるのだと知っているからだ。
この二人も出会ってから十二年一緒にいる。それだけ長い間一緒にいれば、だいたいお互いの事は分かっている。
「師匠食べてかないの?」
ジョーがリッツを見上げると、リッツはアンナの腰を抱いて笑った。
「おう。今日はお前らだけで飯を食えよ。そんでちゃんと話せよな。お互いに言いたいことが募ってるんだろ?」
リッツの目がこちらを向いた。出て行くなら言いたいことを言えと言っているのだと分かった。
出て行くのに心を残していっても仕方ないことぐらい、フランツだって分かっている。だからちゃんと伝えて、気持ちにけりを付けてから出て行かなくてはならない。
これから一人で暮らすのだから、一人で過ごす長い夜を後悔にさいなまれたくはなかった。
あの時言えば、あの時もう少し話をしておけばという気持ちは心にずっと悔いを残す。
フランツは自らの師であるオルフェと話をしなかったサラディオの時代を、旅に出てからどれだけ悔いたことか知れない。
今度はジョーを相手に悔いを残すのではあまりに成長がないというものだ。
「フランツはないだろうけど……」
ジョーが俯きながらこちらを見た。小さく息をついてフランツはリッツを見る。
「確かにそうだね。悪いけどアンナ、僕らだけにしてくれるかな」
言い切るとアンナの目がまっすぐにこちらを見た。見透かされそうな瞳を、それでもまっすぐに見返すと、アンナは大人びた笑顔で頷いた。
「フランツもちゃんと考えてるならいいよ」
「ありがとう」
「じゃ、帰ろうリッツ。高い方のコース食べちゃお」
「おっ、贅沢だな!」
二人が楽しげに笑い合った。出会った時からこの二人はいつもこうだ。笑顔で信頼し合って、どんなことがあっても乗り越えてはお互いに更に強い絆で結ばれていく。
そんな二人にずっと憧れていた。そんな風に完全に信頼し合える伴侶と出会えた二人が、羨ましかった。
だが今の状況は悪い。
とっくに食事を終えていたアニーに温め直して貰った食事を黙ったまま黙々と食べ、二人で並んで皿を洗ってから、交替で冷たいシャワーを浴びて汗を流す。
今日の騒動で汗と埃まみれで、気持ちが悪かったのだ。天気が良かったおかげか、ボイラーが入っていなくてもシャワーの水は屋上タンクで温められているから少し暖かい。
いつものように寝るだけという状態で談話室に二人で座ったのだが、何だか妙に落ち着かない。何しろ談話室には、所狭しとフランツの本が積まれているのだ。おかげで窓さえ開けられない。
あの日から一月、二人で談話室にくつろぐことがなかったから、こうしてここは本に占拠された居心地の悪い空間になってしまっている。
風が通らないだけではなく、埃っぽくて鼻がむずむずするぐらいだ。ここの収まりきれなかった本が、玄関ホールに溢れている有様なのである。
「あのさ、フランツ」
ずっと黙ったままいたジョーが口を開いた。
「何?」
「フランツの部屋、行かない? 今はあの部屋が一番綺麗かも」
微かに震える声に気がついた。ジョーが何を考えているか、今のフランツには分からない。でもジョーが言うならそうしたいと正直に思う。
「いいよ」
頷いてフランツは席を立った。黙ったまま二人でフランツの部屋に行くと、フランツはあの日の朝のように、古い椅子に腰掛けた。ジョーは座るところを探して、結局フランツのベットに座る。
本がないだけで部屋はかなり殺風景だ。次の陽の曜日には引っ越すことにしていたから、部屋にあるのはベットと、今の季節の服、官僚の制服、そして読みかけの数冊の本ぐらいだ。
それ以外はみな荷造りをして、階下に下ろしてしまっている。
「広かったんだね、この部屋」
ジョーが静かに部屋の中を見回した。癖のある髪がふわりと動く。柔らかそうだな、とふと考えてしまい、首を振る。
考えても詮無きことだ。その代わりに言葉が流れ出した。
「ああ。基本的には君の部屋と同じ作りだよ。この屋敷が出来た時には、ゲストルームとして使われてた部屋だからね」
「そっか」
「初めてこの屋敷に入った時には、この部屋も君の部屋も、蜘蛛の巣とホコリに覆われていて、息をするのも苦しいぐらいだった。暖炉を使おうにも屋根に上って蓋を取り払わないといけなくて苦労した」
「うん。アンナに聞いてる」
「そう」
「アンナがアニーに乗っ取られた時、フランツ、パニックになったんだってね。幽霊みたいに目に見えなくて手に負えない奴は苦手だって叫んだんだって、師匠が言ってた」
「……今も嫌いだ」
「アニーは平気なのに?」
「アニーはいい。慣れた。でも闇の精霊は苦手だ。集まって吹きだまると、幽霊まで一緒に団子になる。気持ち悪くてどうしても受け入れられない。もう二度と出会いたくない」
「あはは。私も出会いたくないなぁ、そんなの」
ジョーが笑い、それから俯いた。
「今日はずいぶんしゃべるね、フランツ」
「……そう?」
「うん」
沈黙が降りてきた。フランツは小さく息をつく。話があるなら先に話して欲しい。フランツの思いはあまりに自分勝手すぎるから、話をしたらジョーを怒らせて席を立たせてしまいそうで嫌だ。ジョーの話が聞けなくなってしまう。
「ジョー、君から話してくれる?」
静かに切り出すと、ジョーが身震いした。
「僕も話があるけど、後がいい。君の話を聞きたい」
「ずるいよ、フランツ」
「かもしれない。でもジョーから話して欲しい」
まっすぐに柔らかなブラウンの瞳を見つめると、ジョーは俯いてしまった。だが決意したように顔を上げた。
「抱いて欲しいの」
思わぬ言葉に固まった。身動きできないフランツをどう見たのか、ジョーは膝に置いていた手をギュッと握りしめる。
「フランツにとって私が他人だって言うのは身にしみて分かってる。振られて酔っ払って荒れてを繰り返してフランツに迷惑を掛けてきたし、酔ってフランツとやっちゃったし。だからもうフランツが私に呆れて出て行きたいのも分かってるんだ」
ジョーが呻くようにそういった。
「だけどもう一回だけしたいよ。だって……」
ジョーが唇を噛みしめてから、決意したかのように口を開いた
「分かっちゃったんだ。フランツが私の『この人』だったって。手遅れだって分かってるけど、でも言っとかないと後悔する。それでもう一回だけ抱いてくれれば、それをちゃんと覚えておくから。酒に酔って記憶が飛び飛びの一回だけしか記憶に残らないなんてやだよ」
そう言うとジョーが顔を上げた。涙だけじゃなくて鼻まで垂れてひどい顔だ。でも不思議と嫌だとも汚いとも思わなかった。
「前にフランツ、『この人』って何だって聞いたよね?」
「ああ」
「分かったんだ。『この人』ってね、私を好きになってくれる人じゃなくて、私が好きになった人だったの。だからいくら好きだっていってくれる人を好きになっても、『この人』と出会えなかったんだよ。だって私が本当に好きな人は、私を好きだって絶対にいってくれない人なんだからさ」
それは好きだと言われるよりも、格段に心が痛む告白だった。ジョーはフランツを好きでいてくれたのだ。しかも無意識に。
だけどフランツが好きになってくれることはないと堅く思い込んで、自分の気持ちを自分でも分からないところに封印し、他の男の中にそれを探した。
見つかるわけのない『フランツ』の愛情を他の男たちの中に探していたのだ。
言葉を失うフランツの目の前でジョーは涙をぬぐい、鼻をすすった。
「フランツは、愛情と欲望を別々に出来るって言ってたじゃん。欲望でいいから抱いて欲しいな。フランツから愛情を貰えるなんて最初から思ってないよ。だけどちゃんとフランツが私の探してた『この人』だって……私の好きな人だって伝えとかないと、私、後悔するなぁって思ってさ。フランツにとっての私は所詮他人かも知れないけど、私にとってはフランツは他人じゃないよ。大切な大切な家族で、大好きな人だよ」
そういうと鼻水を豪快にすすってから、へへっとジョーが笑った。涙をこぼしているくせにいつもの照れくさそうな笑みだった。
「フランツとは何でも話してきたもんね。ここ一ヶ月で私が悩んでたこともみんな話して、すっきりしたよ。これで抱いてくれたらすっきり送り出すよ。何なら抱いてくれたお礼に引っ越し手伝うし」
へらへらと笑うジョーの笑みの裏に、切ない思いが透けて見えて辛かった。だが同時に嬉しかった。やはりフランツとジョーは似たもの同士だったのかも知れない。
コインで言えば裏と表。背中を合わせたままお互いにもたれかかって、何も言わずに同じ思いを共有している。
幼い頃から愛情を与えられてこなかったから、お互いに愛情がどういうもので、どうしたら得られるのかさっぱり分からずに、遠回りばかりして見当違いの方向に手を伸ばしてしまっていた。
掛けていた銀縁眼鏡をサイドテーブルにおいて立ち上がり、目を見開くジョーを無言のままベットに押し倒す。
「え、え?」
唐突な行動にジョーが慌てふためくが、気にせずにジョーに口づけた。驚いて目を見開いたジョーも、やがて目を閉じておずおずとフランツの首筋に腕を回して来た。長いこと一緒に住んでいたのに、キスをしたことすら初めてだ。
唇を放して、フランツはジョーに囁く。
「僕も言いたいことがあった」
「な……に?」
「あれ、取り消せないかな?」
「何を?」
「他人だから別の道を歩みたいって言う言葉」
一度出て行くと決意して告げたことなのに、取り消すなんて情けない。だがこれが本心だ。
「どういうこと……?」
「君をベイル中尉にはやらない」
「え?」
ジョーがまじまじとフランツを見つめた。
「君は僕の大切な家族で、大切なたった一人の人だ。君が僕の前に倒れた時、君が一番大切だと初めて気がついた」
信じられないといった顔で目を見開いたジョーの瞳が、再びみるみる潤んでくる。
「他人だなんて言ってごめん。僕はもう、君を他人だなんて思えない」
「フランツ……」
「君と一緒にいたい」
ようやく正直な気持ちを伝えると、ジョーの目からどっと涙が溢れた。
「私もだよ。私もずっと一緒にいたいよ。今まで通りのフランツでもいいの、本ばっかり読んでて、愚痴を聞くのも適当で、でも本当に悩んでる時は本を読む手を止めて聞いてくれるフランツがいい」
「ジョー」
「私をすぐに馬鹿にしたり、からかったら本気で腹を立てるフランツがいい。喧嘩をしてもちゃんと仲直りできて、何でも言い合えるフランツがいい!」
「僕もだ。だらしなくていい加減で、酔っ払うと大口開けて馬鹿みたいにお腹出して床に寝こけて、でもちゃんと僕の言葉を受け止めてくれる君がいい」
そういうとジョーが吹き出した。
「私、ひどい女じゃん」
「僕もひどい。でもこれが僕だ」
「うん。これが私」
二人で吐息がかかるほど近くに顔を寄せる。ジョーが嬉しそうに笑った。
「その無表情も嫌いじゃないよ」
「……僕は嫌いだ」
「いいじゃん。もしかしたらそのうち魔法が解けるかも」
「魔法?」
「悪いガマガエルに掛けられた笑わない魔法」
ガマガエル……フランツの父ヴィル・ルシナのことだ。リッツやフランツはそう称している。当然それはジョーも知っていた。
そしてフランツの無表情が、父親への憎しみで作られてしまったことも。
「お姫様の愛で解けるんだよ、きっと」
「自分を姫扱い?」
「うわ、今告白した女に嫌そうにいう?」
「遠慮はしないつもりだから」
「あ、そう……」
ジョーがため息をついて顔を背ける。そのジョーの顔をこちらに向けてキスをしてから囁いた。
「僕は君を好きだって言わないから」
「え?」
「好きだと言われると好きだと思うんだよね?」
「……今まではね」
「それならいわない」
「何で!?」
「好きだって言うと、君の気持ちが冷めそうだ。だから死ぬまで好きだって言わない」
「ええっどうして! 言ってよ!」
「嫌だ。君と離れるつもりは無い。だけど君が一番大切だっていっておく」
「フランツ……」
ジョーの体を強く抱きしめて耳元に囁く。
「今まで欲望と愛情が一つにならなかったけど、君となら二つを一緒に出来そうだ。だから……いいかな?」
ジョーは嬉しそうに微笑んだ。
「いいに決まってるよ。私も欲しいもん」
「ありがとう」
「あ、そうだ。フランツが好きって言わないなら、私が代わりに何百回も何千回も好きだって言ってやるんだからね。何なら世界中に向かって宣言してやってもいいぐらい!」
ジョーは満面の笑みを浮かべて、両手を広げた。
「私は、フランツのことが、大大大だ~い好きですよ~ってね! 何なら今から窓開けて……」
「……それは勘弁」
二人は目を見交わして、唇を重ねた。




