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背中合わせの親愛<2>

「はぁ~」

 特別遊撃隊の自分のデスクで、ジョーは突っ伏してため息をついた。仕事の合間の休み時間である。

 よりにもよって酔っ払ってフランツと夜を過ごしてしまってから、一月が経とうとしている。

 フランツは当日の朝の宣言通り、ジョーと関係したことをただの事故で無かったこととしているようだが、ジョーは冷静になればなるほどあの夜のことが忘れられなくなってしまっている。

 目が覚めた時はぼんやりだった夜の記憶が目が覚めるほどはっきりしてきて、所々は酔っていて飛んでいるものの、ほぼ全体を思い出した時からちょっと気持ちがおかしい。

 幻だったかも知れないけれど、ジョーはフランツの笑みを見たような気がする。それはとても魅力的だったような気もするのだ。

 不意に書類で頭を叩かれて飛び上がる。

「いたっ! 何すんだよ!」

 体を起こすと犯人はジャンだった。

「何をぼんやりしてるの?」

「何って……べっつに~」

「ふ~ん。俺はまた、鉄面皮の秘書官室長の事でも考えているのかと思ったけど?」

「ううっ……」

「なにしろ、君に泣きつかれてからずっと、室長殿の話ばかりするもんね」

「……そんなにしてるかな?」

「俺が覚えている限り、そればかりだね」

 言いながらジャンは隣の席に座った。

「だってさぁ……」

「聞いたよ。抱かれた時に『この人』だって、思っちゃったんでしょ?」

「……そうなんだよなぁ……でも相手が悪すぎだよ。それに酔ってたしさ」

「もう一度誘って、やってみたら? ハッキリするよ」

「出来るわけねえだろ!」

 思わず怒鳴って立ち上がり、デスクにいた全員の視線を受けて小さくなって座り込む。

 ジャンの言葉は正論だ。確かにもう一度触れ合ったらもっとよく分かるかも知れない。でも違う。フランツはジョーにとって大切な同居人なのだ。だからいつもみたいに好きになって別れて、なんてことが簡単にできる相手じゃない。

 一緒の家で暮らし始めて十二年。考えてみれば記憶の片隅にはいつも本を片手にその場にいるフランツの姿がある。学生時代も、仕事が決まった時も、振られて帰ってきた時も、フランツはいつも談話室の指定席に座って、寝そべりながら本を読んでいた。

 そこにいるのが当たり前で、いないとおかしくて、少し不安になる。

 それがフランツという存在だった。

 昔はそんなフランツが怖くて、何を考えているか分からなくて、いつもアンナに『フランツは怒ってる?』と聞いていたような気がするが、今はかなりの確率で予測が出来るようになっていた。

 お互いが空気のような存在、というのが今までの二人に一番当てはまる言葉かも知れない。

 それなのに酔って関係を持った時、なんだ、こんなに近くに『この人』はいたんだなぁ、と夢見心地にさせられてしまった。

 今までの男たちの中で一番女に慣れていなくて、たどたどしい手つきで触れられたのに、自分でも驚くぐらいものすごく気持ちが良くて、途中からフランツに夢中になってしまったのだ。自分でも制御できないぐらいに乱れてしまったのを思い出すと、頬が熱くなる。

 そんな状況だったのに、当の本人は『事故だから昨夜は何もなかった』と、至って涼しい顔で言うのである。

 少しでもジョーの事を気にしてくれていないかと顔色を窺ってみたのだが、フランツは完全にいつも通りで本気でどうでもいいこととして、ジョーのことを処理して、頭の中の引き出しに完全にかたづけたようだった。

 翌日もその翌日も、フランツはいつものように談話室で難しそうな厚い本を読み、帰ってきたジョーにもいつもと全く同じように接した。

 完全に過去の話になってしまっていることが、妙に納得いかなくてうろうろしてしまうと、フランツは面倒くさげにため息をついて自室に戻ってしまう。

 最近はフランツが降りてこなくて自室にいることが多くなってしまった。どうもしつこくうろうろしすぎたらしい。

 だからなんだかここ数日、フランツと気まずくて顔も合わせづらく、口をきかない日が増えている。

 自分の気持ちとフランツの態度のギャップにどうしたらいいのか分からなくなって、アンナの家を訪ねてみたのだが、留守役のダンがいただけだった。アンナはリッツと二人、何処かの街に新しくヴァインの支部を開くべく出張中だという。帰宅予定は不明だ。

 思い詰めたジョーは迷ったあげくにジャンに相談したのだ。

「でも残念だなぁ。俺も結構頑張ってたと思うんだけど、『この人』にならなかったのにね」

「別に頑張ったとか、頑張らないの話じゃないし」

「まあねぇ。運命ばかりはどうにもならないよ」

 ジャンの一言にどきりとした。

 運命って、あるんだろうか?

 あるとしたら運命の先に誰がいるんだろう。誰かちゃんといるんだろうか?

 運命の先が外れくじだったら……どうしよう。

 ずっとこのまま惚れては別れて、惚れては別れてを繰り返すだけだったらどうしよう。

「クレイトン中尉」

 不意に上司に呼ばれて飛び上がった。

「はっ!」

「来なさい、君に仕事がある」

「はい? 私一人に、ですか?」

「そうだ。それからベイル中尉も来なさい」

「はい」

 隣のジャンが立ち上がった。ジャンのフルネームは、ジャン・ベイルである。

 ジョーは首をかしげた。

 特別遊撃隊は、だいたいチームで活動する。結成されてからまだ四年のこの部隊は、王国軍査察部と双璧を成す、探査組織である。

 今まで査察部の仕事があまりにも多岐にわたってしまっていたため、一部の仕事をこちらに回し、その上で自治領区の見聞という重要任務を任されているのだ。

 だからチーム事に、半年に一度、街道をたどって自治領区への見聞に出かける。途中の村にもくまなく立ち寄り、大きな問題が起きていないかを見守ると決まっているのだ。

 自治領区で問題が起きても国家の中枢部では気がつかない場合が多い。それを放置していると、自治領主および王国軍防衛部と領民の間に大きなすれ違いが出来、それが後々大きな事件の火種になることもある。

 そもそも内乱が起きた原因がそこにあったそうだ。貴族と民衆の間のずれがひどくなりすぎた自治領区が存在しており、そこが火種となって村の焼き討ちがおき、それが内戦の発端となったことを、ジョーは当事者だったリッツとエドワードから聞いて知っている。

 そんな事件が起こらないよう、国家的に監視するために結成されたのが特別遊撃隊だ。だから特別遊撃隊の創始者は、提案者でもある前大臣のリッツ・アルスターなのだ。

 当然ながら捨て置けない悪事があった場合は、領主に是正を促す権限も有している。今はまだ一度も無いが、領主があまりにひどく、是正を促すも聞き入れら得ない場合は、武力を持って制圧する権利をも有している。

 だがその権利を行使するためには査察部と同様、大臣、宰相、国王のうち二人分の許可がいる。つまり査察部は主に軍内部の不正と王族や国家中枢部を担当し、特別遊撃隊が軍外部を担当するのだ。

 査察部から引き継いだのは、領主が手に負えない事案を処理するという部分だった。

 だが特別遊撃隊が特別な権力を持ち、行く先々で傍若無人な振る舞いをしないために、各自治領区に存在する王都防衛部には遊撃隊を見守り、報告する義務が生じている。彼らからすれば面倒くさがられる存在だ。

 だからもしもの事を配慮して、特別遊撃隊結成の際には、軍内部の各部署から、実力者のみが選び出された。中央軍、海軍、防衛部、近衛兵、憲兵隊、査察部まで色々である。軍学校出身者で特別遊撃隊に選ばれたのは、ジョーとジャンの二人のみだった。

 そしてこの新設の部隊を率いているのは、ケニー・フォート少将である。ケニーはいずれ査察部総監になるだろうといわれた逸材だったのだが、リッツと出会ってしまってから道が微妙にずれ初め、結局こうして未だにリッツが考案した軍再編策に巻き込まれているのだから気の毒な人だ。

 嘘か本当か知らないが、リッツによるとかなりやる気で引き受けたらしかった。

 リッツたちがいた当初は、ごくたまに家に立ち寄ったケニーだったが、リッツとアンナのいない今、もうそれもない。

 ケニーは現在、奥の執務室で仕事中だろう。

 それはともかく、今は仕事優先である。

「何でしょう?」

 二人で上官の前に立つと、上官が真面目にジョーを見た。

「護衛の任務だ」

「護衛?」

「我々が、ですか?」

「そうだ。といっても主に護衛は君の任務となる」

 上官が見たのはジョーだった。

「はい」

「では小官は何をすればいいのでしょうか?」

 尋ねたジャンに、上官が頷く。

「うむ。犯人捜しをして欲しい」

「犯人捜し!?」

「そうだ。事件が王城で起きているだけにやっかいでね。査察部や憲兵隊を呼ぶと大事になってしまうが、軍学校上がりで女性の君なら、犯人にあまり警戒心を与えないと思ってね」

「はぁ」

 ジョーの実力を知らない人は、だいたいジョーが女だと言うだけで軽く見る。確かにその作戦は有効かも知れないけれど、何だか腑に落ちない。それでも命令は命令だ。

「ベイル中尉は、護衛対象とクレイトン中尉を離れて監視してくれ。犯人が何かを仕掛けてきたら即逮捕しろ。我々には逮捕権がある」

「はっ! ところで護衛対象は誰でしょう? クレイトン中尉を指定するのなら、女性でしょうか?」

 ジャンがのんびりした口調で尋ねると、上官が苦笑した。

「残念ながら男性だ。だがクレイトン中尉にこれ以上適任な相手はおるまい」

 その口調に嫌な予感がした。だが仕事だ。聞かないわけにはいかない。

「誰でしょうか?」

「君もよく知っているだろう? あの鉄面皮の宰相秘書官室長、フランツ・ルシナ氏だ」

「げ……」

 思わず呻く。今一番避けたい名前だ。

「確か君たちは一緒に暮らしているんだったな?」

「あ~、はい。養父が下宿屋をしているので」

 一応ジョーとアンナの軍学校入学の時から、名目上そういうことになっている。そうでもなければクレイトン邸に、アンナ、フランツ、リッツが一緒に住んでいたことの意味が通らないのだ。

「だから家にいる時も安心だな。休日もルシナ氏に合わせてとりたまえ」

 穏やかにそういった上官だが、それはもう決定事項で命令だった。

「了解しました」

 敬礼を返してからふと気がつく。

「あの、護衛って……何かあったんですか?」

 尋ねると、上官が頷いた。

「一月ほど前から氏に対する嫌がらせが始まったらしい。最初は手紙にカミソリが貼り付けられていて、手を切ったらしい」

「……あ……」

 思い当たることがある。フランツが手に包帯を巻いていて、本を捲りづらそうにしていたことがあったのだ。聞くとなんでもないとあしらわれたのだが。

「それから秘書官室の階段に、細い紐が張られていて、階段から落ちかけたらしい。偶然後ろにいた軍の人間が受け止めたから大事なかったが、紐は氏が来る時に合わせて誰かが引いていたらしい」

 それは冗談では済まされない。階段から落ちて打ち所が悪かったら死んでしまう。フランツは軍人ではなく官僚だ。運動神経が鈍いこともジョーは知っている。

「それから……」

「まだあるんですか!?」

「ああ。中庭を散策中、屋上から投げ落とされた煉瓦に危うく頭を割られるところだったらしい。氏本人は護衛はいらない、大丈夫だの一点張りらしいが、宰相閣下が心配してこの特別遊撃隊に依頼をしてきたというわけだ」 

「そんな……フランツ、何も言ってなかったのに」

 思わず名前を呟いてからハッとして黙る。上官は心得ているように聞かなかったことにしてくれた。

「では本日今から任務についてくれ」

「了解!」

 返事をして支度を調えてジャンと二人、軍の隊舎から官僚たちの政務部へ向かう。向かいながらジョーはハッと気がついた。

「ジャン、どうしよう。今フランツと気まずくなってるんだけど」

「俺に言われてもどうしようもないよ」

「一番一緒にいたらヤバイ人と、寝る時以外ずっと一緒にいろって……どれだけ拷問よ?」

「ま、苦しみが愛を築くっていうし、真実見極めてきたら?」

「ううっ……他人事だからって気楽にいって……」

「他人事さ。決定的に駄目になったら俺のところにもどっといで。俺はいつでもウエルカム」

 そういうとジャンが得意げに笑って親指を立てた。冗談に紛れているが、ジャンが本気で言ってくれているのが分かって、申し訳ないようなありがたいような気分になった。

 『この人』がジャンだったら本当に楽だったろうな、と今更ながらに思った。

 何となく無言で歩き、王城内の政務部へ足を踏み入れた。

 軍部と同じぐらいの広さを誇る政務部は、軍よりも慌ただしいところだ。軍は戦争が起こらない限り実務に困ることはないのだが、政務部は常に予算から土木計画、食料関係、医療関係なとの実際問題を抱えて、書類を作ったり、視察をしたりと忙しいのである。

 その中で頂点にいるのは宰相である。宰相の忙しさは筆舌にしがたいらしい。そんな宰相を補佐するのが宰相参与であり、二人の宰相補佐官だ。そしてその下で縁の下の力持ちとして様々な書類処理と連絡事項、企画草案などを捌いているのが宰相秘書官室である。そこの室長がフランツだ。

 仕事内容の大変さは知っているけれど、ジョーには全く出来ない分野だと思っているし、近づきたくもない。師匠のリッツもそうだが、基本剣術使いに書類好きはいない。

 幾度も尋ねたことがあるから、迷い無く秘書室にたどり着いたジョーとジャンは、その扉をノックした。

 出てきたのは、フランツよりも少し若く、ジョーより数個年上の秘書官だった。確かディケンズ秘書官だ。

 彼はフランツ直属の部下で、王城内でたまに出くわすと言い合いになるフランツとジョーの有名な喧嘩漫才を楽しげに眺めては、ジョーの方に『大変ですねぇ、同居人がああだと』と余計なことを言ってくる奴だ。

「あ、中尉。久しぶりだね」

「特別遊撃隊より命じられて来ました。ルシナ室長は御在室でしょうか」

 余計なおしゃべりに持ち込まれる前に先手を打って敬礼すると、ディケンズは笑った。

「室長は今奥にいる。少し待つかい?」

 奥というのは宰相室だ。ならば待つしかない。

「では待たせて頂きます」

「どうぞ」

 ジャンと二人案内されたのは、秘書官室内にある応接室だった。様々な部署からの問題が持ち込まれるため、秘書官室の応接室は小さくいくつかに区切られていて、二人が座ったのはそのうちの一つだ。

 お茶を出してくれたディケンズは、そのまま仕事に戻るのかと思ったのだが、何故かジョーとジャンの前に腰を下ろした。

「よかったね中尉」

「何がでしょう?」

「室長、引っ越すんでしょ? これで君も家の中で清々していられるんじゃない?」

「え?」

 そんなことは初耳だ。

「知らないの? 変だな。室長は家探しに毎日奔走してるよ。本が多くて官舎には住めないらしくてさ」

 呆然としているジョーに変わって、穏やかにジャンが口を開く。

「詳しいんですね秘書官。ルシナ室長は無口で有名なのに」

「そりゃあ分かるよ。家探しをするために、毎日すごい勢いで書類を仕上げてさっさと帰っちゃうんだからさ。それなのに間違いが一個もない上、明日の予定まできっちり記して帰るんだから、嫌になるよ。しかも総務が持ってくる私的な資料は全部一戸建て住宅の資料だよ? これで推測できなかったら、宰相秘書官は務まらないさ」

「なるほど。さすがですねディケンズ秘書官」

「褒めたって何も出ないよ」

「質問ついでにもう一つよろしいでしょうか?」

「うん。聞いて聞いて」

「最近ルシナ室長が命を狙われているのをご存じですか?」

 ジャンの言葉に、ジョーはようやく我に返る。そうだ仕事できているのだ、ぼんやりとフランツの引っ越しについて考えを巡らせている場合じゃない。ジョーもディケンズを見るとディケンズが黙り、周りを気にするように声を潜めた。

「うん。護衛を付けようかなんて、補佐官が言ってたよ。だけどどうしてそれを? 秘書官室だけの内密事項なんだけど」

「僕ら二人がその護衛です」

「ああ、なるほどねぇ~」

 深々と納得したようにディケンズが頷いた。

「それで実際のところ、どうなんです?」

 ジャンの質問にディケンズが難しい顔で腕を組んだ。

「ひどいと思うよ。手紙にカミソリっていう古典的手段から始まって、次は秘書官室出口の廊下にワックス塗り込められてんの」

「え!?」

 それは初耳だ。

「室長ってさ、運動神経がこう……あまりいい方じゃないから、見事に転ぶんだよね。まあ、普段かわいげが無いから、そういう人間的なところがあるとちょっとほっとするんだけど、でも危ないよ」

 運動神経の鈍さはジョーもよく知っている。それでもフランツはリッツやアンナたちと旅をしたおかげでかなりましになった方だというのだから、昔はどれだけひどかったのか想像も付かない。

「それから、階段に紐、屋上から煉瓦、落とし穴、動物狩りの罠……あ、この間は弓で撃たれてたっけ」

「それってほとんど暗殺じゃないですか!」

「そうなんだよ。当たらなかったから良かったけど」

 ディケンズはため息をついた。

「最近どんどん危険になってきてる。もう冗談じゃすまされない」

 真剣な表情のディケンズにジャンが尋ねる。

「心当たりは無いんですか?」

「ん~。ルシナ室長って、秘書室以外には敵が多いんだよね。僕ら秘書官室ってさ、宰相に繋ぐ立場だろ? だから通らなかった案を僕等のせいにされることもあるんだ。そんなの全くの逆恨みなのにさ」

「ああ……なるほど」

「ひでえなぁ」

 二人が同時に呟くと、ディケンズは再び多大なため息をついた。

「なのに室長は矢面に立って、苦情を申し立てに来た人みんなをきっぱり冷たくあしらっちゃうわけだよ。だから鉄面皮なんて呼ばれるわけだ。だけど秘書官室の人間からすれば、そういう苦情を部下に押しつけずに自分で聞いて返す室長は尊敬に値する。だってさ、参与や補佐官の中には、彼らに来た苦情まで、みんな部下の室長に押しつけて知らん顔してる奴もいるんだよ。ま、そういう人は宰相閣下に早々見抜かれて配置換えされちゃうけどね」

「つまり、命を狙っているのは、そのあしらわれた人たちじゃないかと、秘書官は思うのですね?」

「そう。あと左遷になった参与とか補佐官ね。彼らはほとんど秘書官室上がりじゃないんだよね。室長と同じく政務学院卒で、その上の大学院に行っていて最初から上司として入ってくることも多いんだ。だからちゃんと仕事こなせない人もいるんだよ」

「あー、そういうのフランツ嫌だよなぁ……」

 思わずそう言ってしまって口をつぐむ。フランツにまた公私が分けられていないと怒られる。だがディケンズは気にせずに苦笑した。

「そうなんだよね。室長ってああいう人だから、上司に対しても容赦ないわけ。仕事に妥協しないからさ」

「なるほど……」

 だから心当たりが多すぎるのか。

「まあ、室長が狙われるんならそんなところかなって思ってるよ。犯人は政務部に自由に入ってきて、色々してきてるから、外部の人間じゃないだろうし」

「……そうですね」

「室長ももう少し、笑うとか愛想良くすれば、敵が減るだろうに……」

「仕事は終わったのか、ディケンズ秘書官」

 唐突に掛けられた冷たい男の声に、ディケンズは飛び上がった。

「はっ! 今すぐ取りかかります」

「土木部の書類がまだ上がってない。東南部河川整備の件は今週末までに出すこと」

「はい!」

 慌てふためいて仕事場に戻っていくディケンズに視線も向けずに、ジョーとジャンの正面に男が座る。今まで話題になっていたフランツだ。

 前髪を総て固めたオールバックのフランツは銀縁眼鏡の中から鋭い視線を向ける。

 仕事中のフランツは、普段とは違って怖いぐらいの切れ者だ。普段はだらだらしている印象しかないのだが、本を読みながら酒を飲んでいる時の数十倍恐ろしい。

「クレイトン中尉、ベイル中尉、用件は?」

 フランツがきつい視線を向けたのはジャンだった。だがジャンはそんなフランツにひるみもせずに至って普通に立ち上がって敬礼した。慌ててジョーも立ち上がって敬礼する。

「ベイル、クレイトン両名、特別遊撃隊よりルシナ室長の護衛の任務で参りました」

 だがフランツは至って素っ気なく答える。

「いらない」

「と申されましても、宰相閣下からのご命令なので護衛に付かせて頂きます」

「けっこうだ」

「ですが宰相閣下からの命令ですので、室長が断られようと勝手に護衛に付かせて頂きます」

 全く引かないジャンに、フランツはため息をつく。

「分かった。勝手にしてくれればいい。だが邪魔はしないでくれ」

「了解しました」

 敬礼をしたジャンがジョーを軽くつついた。

「ジョー、聞きたいことあるんだろ」

 声を潜めることもなく平然とそういったジャンに、ジョーは顔を上げてフランツを見つめる。

「引っ越すの、フランツ」

「私的な話には答えられない」

「私のせいで出て行くの?」

「だから私的な話は……」

「だってフランツ、最近部屋にこもりっぱなしじゃん! 話したくても話せないでしょ!」

 思わず大声を出してしまった。

「私のせいで出て行くなんて申し訳なさすぎだろ!だってあの家に元々住んでたのは、フランツの方で、私の方が後から来たんだよ? なのになんでフランツが出てくのさ!」

「中尉」

「何も無かったことにしようとか言って、気にしてんのフランツじゃん!」

「クレイトン中尉」

「何だよ冷静ぶって! 邪魔なら私に出てけって言えばいいだろ! どうせあの家の財務管理してんのもフランツだしさ! 私を追い出すのなんて法的にも金銭的にも簡単だろう!? そんで好きなだけ家を本だらけにすればいいさ!」

「……怒鳴り散らさないでくれ、ジョー」

 ため息混じりにフランツがジョーのファーストネームを呼んだ。

「怒鳴らせる原因を作ってんのはフランツだろ!」

「分かった。相談しなかった僕も悪かった」

「じゃあやめるね?」

「やめない。僕は引っ越す事に決めてる」

「なんで!?」

「あそこはクレイトン家の所有物で、君が次期クレイトン家当主だからだ。君はエヴァンスさんとアニーのためにも、もうそろそろ身を固めるべきだと僕は思う」

「身を固める……?」

「ああ。いつまでもあんな暮らしをするのは君のためにも良くない。だが僕があの家にいれば君にも遠慮が出る。僕がいなければベイル中尉のような伴侶を見つけられるだろうし」

 フランツの言葉に妙な棘が混じる。

「君もわざわざ本を読むしかしない僕を相手に、飲んだくれることもなくなるだろう?」

 思わずジョーはふらついた。やはり男と別れる度に酒を飲んで荒れるジョーが迷惑だったのだ。そうじゃないかなと思っていたが、フランツが嫌な顔をしないから大丈夫なのだと思い込んでいたジョーが馬鹿だった。

 その上今度は売り言葉に買い言葉で、フランツと寝てしまったのだから、フランツだって堪忍袋の緒が切れるはずだ。

「お言葉ですがルシナ室長」

 ジャンが手を上げた。

「何だい?」

「俺が相手では、ジョーは全然くつろげませんよ。俺、基本的にジョーを狙ってますから」

「ジャン!」

「正直なところ室長がジョーのところから出て行くなら、諸手を挙げて大賛成です。ルシナ室長は目の上のたんこぶだなぁって思ってましたし」

「では問題ないな。後は君に任せる」

「ちょっとちょっとフランツ! 口出さないでくれよジャン! こじれるだろ!」

 慌てたジョーが思わず言うと、ジャンが突然姿勢を正して敬礼した。

「ですが我々には室長の安全をお守りする義務があります。我々が犯人を逮捕するまでの一月の間は引っ越しなど状況を変えることを避けて頂きたい。今でしたらクレイトン中尉に室長の身辺を守らせることが出来ますので」

「言っていることが逆だ」

 フランツが軽く額を押さえた。

「室長の好きな公私を分けております。つまり引っ越しをせずにあそこに残って頂いた方が、我々特別遊撃隊二名の任務に差し付けが出ませんし、宰相閣下の命に背くことにもなりません。どうぞ引っ越しはおやめ頂きますよう要請いたします」

 意味が分からず戸惑うジョーに変わって、フランツがため息をついた。

「つまり君は、公的な理由を付けて僕をあの家に引き留めるのか?」

「はい。一月ぐらいで犯人を逮捕するよう努力しますので、我慢ください。その間は家に帰って、思う存分同居人と話し合ってはいかがですか? まあこれは私的なことですから俺の口を挟むところではありません」

「ジョーを狙っているのだろう?」

「はい」

「……妙な男だな君は」

「お褒めにあずかり光栄です」

「褒めてない」

 フランツは渋い顔で眉をひそめた。ジョーは安堵した。フランツの表情はよく見慣れたリッツを相手にしている時のような普段の顔だったからだ。

「ではベイル、クレイトン両名は、本日よりルシナ室長の護衛をいたします。ご迷惑とは思いますがよろしくお願いいたします」

 フランツに見事な敬礼をして、ジャンはジョーを見た。ジョーもフランツに敬礼をする。

「小官は部屋の外におりますので、お呼びください。室長の来客が見えた時には、総てにクレイトン中尉が同席します。よろしいですね」

「閣下の命ならば仕方ない」

「それでは。失礼します」

 そのまますたすたと歩いて行くジャンの後を付いて、ジョーも部屋をでようとして、ふと振り返ると、フランツがため息をついて椅子の背に手を突いたのが分かった。そんなにジョーの存在が疲れるんだろうか。引き留めたらフランツは疲れるのだろうか。

「ジョー、君は中」

「あ、うん」

 促されてジョーはジャンを見送り、ため息混じりにフランツの背後に立った。 

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