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背中合わせの親愛<1>

本編最終章のフランツのフルネームはフランツ・c・ルシナ。

じゃあ、Cって?

そんな謎(?)が解ける不器用な2人の恋愛話です。

少女漫画の王道の朝チュンもの?

 何でこんな事になってるんだろう。

 無言のままフランツは深々とため息をついた。

 書棚で部屋の総てが覆い尽くされた部屋の唯一風が通る一角に置かれたベットの上で、フランツは途方に暮れていた。

 隣には裸のまま酒臭い息を吐き、馬鹿みたいに大口を開けて寝こける、ジョーの姿がある。ふわふわと癖の付いた長い茶色の髪が、寝息を吐く度に微かに揺れている。

 同じ家に住んでいてよく間違いが起こらないなと、知り合いからは常に突っ込まれ、その度に二人揃って『誰がこいつと!』と言い続けていたのに、同居十年目にしてこのざまだ。

 フランツ本人からしても、こんな風になるつもりは全くなくて、まさにこの状況は青天の霹靂である。

 黙ったままベッドサイドに置かれていた銀縁眼鏡を掛け、ベットから抜け出して自分の服をかき集めて身につける。普段の寝間着に戻ったところで、ようやくほっとして昨夜の出来事を思い出した。

 昨夜、ジョーはベロベロに酔っ払った状態で帰宅した。

 またも男に振られたのである。

 いや振ったのだったか、ジョーの話は帰宅した時点で既に要領を得ていなかった。

 昔の男の子にしか見えなかった頃と比べると、今のジョーはかなりの美人だ。軍服を着て帯剣していても、一つに結われた髪と、少し気の強そうな顔はかなり華がある。

 その上さばけた性格だから、軍内部でも人気が高いのだそうだ。剣の腕前も女ながら王国軍で十指に入るといわれる実力の持ち主で、ジョーにかなう人など軍にそうそういない。身近でいい勝負に持ち込めるのは軍学校同期のジャンだけだ。

 当然運動が決定的に苦手なフランツは、官僚となってかなりたつから、剣など扱えない。精霊を使うために、毎日精神集中と鍛錬は欠かさないが、体を使うことはもっぱら苦手としている。

 そんな完全無欠に見えるジョーだが、一つだけ弱点がある。

 それは惚れっぽい事である。

 元々孤児で親兄弟すらおらず、アンナに拾われた時には娼館の娼婦の細々した手伝いをしたり、怪しげな客引きを手伝ったり、酔っ払いの財布から金を抜き取ったりと、まともな生活をしていなかったため、ジョーはリッツ同様、こらえきれないほど人恋しくなる時があるのだ。

 そんな彼女が最初に付き合ったのは、同期のジャンだった。軍学校を卒業してから半年は続いたから、ジョーにしてはかなり長く持った方だっただろう。

 だがお互い何となく別れてしまったそうだ。それなのに友人としての付き合いは続いていて、付き合っていた時よりもむしろ親密だろう。

 それからは坂を転がるように、色々な男性と付き合っているのだが、そのどれもが三ヶ月以上続かない。ひどい時には二週間という時もある。ジョーが振ることもあれば、振られることもあるようだ。原因は本人にも分からないらしい。

 でも振る時は決まって『あ、この人じゃないや』と突然我に返るのだそうだ。

 だがそれでも悲しいし、切ないらしい。勝手なものだ。その度にジョーは酒を飲んで自宅で荒れる。最初は飲み屋で荒れていたらしいのだが、そうなると翌日知らない男のところで目を覚ましてびっくり、ということが度重なったらしい。

 最近は振られる度に、大酒を飲んで帰ってくるジョーに付き合うのは、フランツの役目になっている。付き合うと言っても、飲んだくれてベロベロになりながら愚痴っているジョーの横で、黙って本を読みながら酒を飲んでいるだけだ。

 ジョーにとってフランツは男ではなく、家にいる体のいい愚痴聞き係なのだ。

 そんな彼女の恋愛遍歴は、フランツの知るだけでも四年の間に一四人。いくら何でもこれはどうなんだ、とフランツは思うのだが、ジョー曰く『好きだと言われたら、好きかもと思ってしまう』らしい。そうなると付き合うことになり、また必ず三ヶ月以内に泣いてベロベロに酔っ払う羽目になる。

 中には悪い男もいて、そんなジョーの癖を知っていて罠にはめられそうになることもあるのだが、そんな男に引っかかることは希なようだ。何しろジョーの周りには意外とジョーを見守っている仲間が多いのだ。

 その中の一番は、最初の男ジャンである。彼もジョーと同じく特別遊撃隊に属しており、ジョーと常に立場を対等としている。

 そして王国軍情報部のマーク。彼も同期で、やはりジョーと数ヶ月だけ付き合ったことがあるようだが、手に負えずに別れたという。

 この二人とジョーの絆はかなり強く、別れた後もその女を守ろうとする二人の気持ちはフランツには想像もつかない。女友達がヘレンやアンナを含んでも少ないジョーにとってはこの二人は大切な友達なのである。

 だからフランツとしては愚痴はこの二人に言って欲しいのだが、この二人と一緒に飲んでいたら、どちらかとよりを戻したくなりそうで怖いらしい。

 それならそれでいいじゃないかとフランツは思うのだが、ジョーは『また別れることになるだけだから嫌』なのだそうだ。ジョーにとってこの二人は大切だが『この人』ではないらしい。

 全く持って、ジョーの気持ちはさっぱり分からない。

 そんなジョーの周りにいて、ジョーと全く関係を持っていない男は三人いる。一人が王太子グレイグで、もう一人がフランツ、そして究極の愛妻家と化したジョーの師匠リッツだった。グレイグは暇さえあればフランツのところに遊びに来て、ジョーも交えて酒を酌み交わし大騒ぎをして帰る。

 数年前に再婚したジェラルド王に双子の姉妹が生まれて、この姉妹を目の中に入れても痛くないほどに可愛がっているグレイグなのだが、それでもこの年では、新婚の親のいる王宮には帰りにくいようだった。

 グレイグは単に女好きで、いつも数人の女性と遊んでいる。本人曰く『英雄色を好む』らしいが、英雄になるつもりなら、もう少し勉学にいそしんで貰いたいものだ。

 だがグレイグもクレイトン邸に来る時に女を連れてくることは絶対に無い。グレイグにとっても王太子としてではなく、一人の青年としていられるクレイトン邸は大切なのだ。

 そんなグレイグはジョーにも少しは気があるらしく、モーションを掛けては、軽くいなされている。ジョーにとって仲間意識のあるグレイグではあるが、王太子はやはり世界が違いすぎて、恐れ多すぎるようだ。

 フランツは窓を開けて風を通してから、自室に置かれている古い書斎椅子に腰を下ろした。

 クレイトン邸は、今とても静かだ。窓を開けても何の声も気配も感じられない。昔はリッツとアンナの二人が一緒に住んでいて、何かと騒がしかったのだが、現在この邸宅に住んでいるのは、ジョーとフランツとエヴァンスとアニーの四人だけだった。

 その上、年老いたエヴァンスが寝込むことが多いため常に静かだ。

 そんなクレイトン邸だから、賑やかなグレイグの訪問は嬉しいことだ。

 それから数ヶ月に一度ぐらい、アルスター夫妻が遊びに来る。彼らはヴァインの仕事でユリスラ各地を飛び回っているせいで、昔のようにしょっちゅうここに来ることはなくなってしまった。

 毎日のように一緒にいたアンナがいないことを、口には出さないがジョーは寂しがっている。もしアンナが今も一緒に暮らしていたら、これほど男に溺れることもないんじゃないかと、フランツは少し思っている。

 フランツは静かな生活が好きだが、ジョーは寂しいのかも知れない。

 ごくたまにフランツは、この家にいていいのだろうかと疑問に思う。元々この家はエドワードが所有していて、リッツが幽霊退治を条件に貰い受けた物だ。だが亜人種を巡る旅に出る際、所有権をエヴァンスに返している。

 でも旅から帰ってくると、エヴァンスは当然のようにこの家の家長としてリッツを受け入れ、フランツもこの家に住むようになった。

 でも今、リッツはいない。この家の所有権は再びエヴァンスに戻っているのだ。つまりこの家は後々エヴァンスの養女であるジョーの物になる。そうなるとフランツの存在は、ジョーの家の居候だ。

 恋多き女であるジョーもいつか『この人』に巡り会うだろう。その時フランツは邪魔な存在だ。

 そもそも今クレイトン邸にいる時点で、妙な存在であることに変わりはない。誰とも血の繋がりはないし、家族のように暮らしていてもフランツは法的にも家族ではないのだ。

 ベットでまだ爆睡しているジョーに目をやり、床に落ちていたジョーの服を拾い集める。短いスカートに、自慢の胸を強調する挑発的な服、そしてレースの下着たち。サラディオのハーレムでは幾度も目にした勝負の意味合いがかかった服たちだ。ジョーも昨夜は別れるつもりで出かけたわけではなかったろう。

 ため息混じりに軽く畳んで、枕元においてやる。こんな事になると、やはりもうそろそろ潮時だなと思うのだ。

 一官僚として王政に関わることになって五年。会計監査室での仕事ぶりを見込まれて、一応実力で宰相秘書官室に配属され、『王太子の腰巾着』扱いされて白い目で見られつつも、実力で見返して室長にまで上り詰めた。

 今は秘書官室に信頼できる部下を多く抱えている。それだけでも仕事が好きなフランツにとっては幸福だ。

 更に上り詰めるなら、宰相補佐官、宰相参与、宰相だが、フランツにはあまり出世したいという欲がない。どちらかと言えば、影で支配しているヴァインの運営に全力で取り組みたいところだ。

 だがまだまだヴァインには金がかかるし、現在は雇った側に払ってしまうと運営サイドに給料が出なくなるギリギリの状況だ。もし仕事を辞めてそちらにかかり切りになると生活が出来なくなるから、軌道に乗るまで二足のわらじは覚悟の上だ。

 それでも給料は教官だった時のリッツの二倍以上貰っているから、一人暮らしをしても十分おつりが来る勘定だ。もともとフランツは贅沢嗜好がないから、貯金も出来るだろう。

 ため息をつきつつ窓の外を眺めていると、鳥が飛び立っていくのが見えた。

 それを見てふと思う。こうなったからには、引っ越しの準備を進めなくてはならない。出て行くのにはいいきっかけだろう。

 もしフランツとジョーの間がこじれたら、ジョーは追い詰められる。何しろフランツは同居人だ。仕事場も王城だし、家も同じでは逃げ場がない。それでは、ジョーの方が参ってしまうだろう。そうなる前に出て行く必要がある。

 フランツがいなくなれば、ジャンなりマークなりをこの家に住まわせて思う存分愚痴ることも出来るだろうし、この二人のうちどちらかが『この人』だったという事もあるかも知れない。

 フランツは一呼吸付いてから、読みかけの本を広げた。フランツにとって女性との情事は大して関心もないし、子供の頃からハーレムで育ったせいで慣れっこだから、相手がジョーだとしてもこれぐらいで心乱れることはない。

 ジョーにとっては所詮振られた相手の当て馬だろうから、ジョーも気にしないだろう。

 フランツは分厚い本に挟まれた革のしおりを引き抜いてテーブルに置くと、いつものように普通の読書時間に没頭していく。

 今日は陽の日でフランツたち官僚はみな休みだ。ジョーは休みが不規則だが、あれだけ酔って帰ってきたのだから仕事のはずがない。

 しばらく没頭していたフランツは、ジョーの声にならない悲鳴で顔を上げた。

 裸のジョーが、髪を振り乱して周りを見渡している。そういえばジョーはこの部屋に入ったことがなかったから、ここがどこだか分からないのかも知れない。

「おはよう、ジョー。眠れた?」

 本から目を上げてしおりを挟むと、フランツは本を閉じた。

「ふ、フランツ?」

 裏返った声でジョーがこちらを振り向く。

「そう」

「……じゃあここって……フランツの部屋?」

「そう。君の部屋、隣」

 パニックに陥ったジョーは、髪をかきむしった。必死になって昨晩のことを思い出そうとしているのだろう。何だかそんな仕草が妙にリッツに似ていてフランツは小さく息をつく。師弟は似るんだろうか。

 やがてジョーは放心したようにフランツを振り返った。

「フランツ……」

「何?」

「……抱いた……よね?」

 恐る恐る聞かれて、軽く肩をすくめる。

「抱いたよ」

「じゃあ……夢じゃなかったんだ……」

「そうだろうね」

 いいながら手にしていた本をサイドテーブルに戻す。

「な、な、なんで冷静なの!?」

「僕も聞きたいな。何で君が焦ってるんだ?」

「へ?」

「君にとっては日常だろう? これを繰り返して後悔したから自宅で飲んでた。違う?」

「ううっ……」

「僕も昨日はちょっと腹立たしい出来事があって、酒を飲み過ぎた。だから売り言葉に買い言葉になったのは悪かった」

 フランツはため息混じりで椅子にもたれかかって、緩やかに膝の上で手を組んだ。

「でも酔った上のことだし、お互いに他意もない。これは事故みたいなものだろう?」

「……そうだね」

 昨夜、へべれけで帰ってきたジョーに付き合わされていつものように飲んでいたフランツだったのだが、酒の量が普段とは全く違っていた。

 実はジョーが帰ってきた時には、フランツもかなり飲んでいたのだ。

 宰相が留守なのをいいことに、帰り際ギリギリまで仕事場で宰相参与に、間違いなく仕上げた書類を『ここの表現が気にくわない』だの、『この文字が汚い』だのと嫌がらせを受け、相当な時間ロスをさせられた。

 そんなくだらない人間に付き合わなければいけなかった事に腹が立って、寝る前の習慣で本を読みながらもついつい酒量が増していた。

 そこにジョーが帰宅し、更に酒を飲むことになってしまったのだ。

 それでもいつもの通りだったなら、それで済んだだろう。だがジョーが今回振られたか振ったかした相手は、フランツと同じく官僚だったのだ。だからジョーはフランツ相手に『官僚なんて……』と愚痴どころか攻撃を仕掛けてきたのである。

 ただでさえその官僚の上司に腹を立てていたフランツだったのに、ジョーに『所詮、フランツも官僚だもんね、体を切っても赤い血なんて流れてないででしょ? 冷血なブリキの兵隊みたいなもんだよね~』

 と嫌味要素たっぷりで言われて、思わずその喧嘩を買ってしまったのがまずかった。ついうっかり『軍人みたいに頭の中まで筋肉で出来ていないんでね』と言ってしまったのである。

 そうなると二人とも元来負けず嫌いである。口げんかではどうしても譲れない。おまけに酒に酔っているから、論点がまとまらずにどんどんずれていった。

 その結果としてジョーが何らかのはずみから『ブリキの兵隊じゃ、恋も恋愛も出来ないでしょうね。悔しかったら私を抱いてみたら? ま、冷血官僚には無理よねぇ~』とワインをラッパ飲みしながらいいだし、酔っていて後には引けないフランツは『部屋に来る勇気があるならくれば?』と手にしていたグラスをテーブルに叩きつけ、小馬鹿にしていってしまったのだ。

 当然負けず嫌いのジョーはその場で立ち上がって『行ってやる! 逃げないでよね!』と言ったのである。

 その結論はこの今朝のベットの状態、ということになる。

「フランツ、あの……その……」

 ジョーが何かを言いよどんでいる。謝りたいに違いないけれど、今度のことはフランツも同罪だから謝られても困る。

「昨夜は何もなかった。それでいい」

「いいの?」

「ああ。誰にでも間違いはある」

 そういうとフランツは再び本を開いた。もうこれ以上は何も言わなくてもいいという意思表示だ。謝らなくてもいいから、何もなかったことにしなさいと、無言で伝える。

「仕事は?」

「あ……遅番だ。今何時?」

「十時過ぎ」

「ヤバイ、遅刻する」

 ジョーは跳ね起きると、慌てて服を探す。一瞬目をやると、ジョーの見事なプロポーションが目に入った。

 ちらりと昨晩のことを思い出す。

 ベットでのジョーは、いつものジョーとは違って悪くはなかった。夢中で縋り付いてくるジョーが、愛おしくも感じたぐらいだ。そう思った瞬間に小さく息をついて首を振った。

 考えても詮無いことだ。所詮事故なのだから。

「あっれ~」

 きょろきょろと足下を探すジョーに、フランツは短く声を掛けた。

「枕元」

「え? あ、畳んでくれたんだ」

 急いで下着を身につけるジョーにため息をついた。

「部屋、隣なんだからそのままでもいいんじゃない?」

「あ、そっか。どうせまた着替えるし」

 そういうとジョーは着替えを胸に抱えた。

「では、失礼しました。宰相秘書官室長殿」

 空いた手で見事な敬礼をされる。確かにジョーは王国軍屈指の剣士だが、この状況であれば冗談だとしてもくだらなすぎる。

「遅刻」

 低く告げると、ジョーは慌てて扉の外に飛び出した。

「はいは~い。失礼しました」

 扉が閉じられると、フランツは盛大にため息をついた。

「……恥じらいがなさ過ぎる……」


 この一夜がフランツの運命を変えるのだが、それはまだ本人も分かっていない。

 季節は王国歴一五八四年三月。まだ風も冷たい季節のことだった。 

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