キャンプに行こう!<3>
エドワードとフランツの前に膝を付いて負けを認め、他のねぐらを探し始めてからも、悲壮な時間は続いた。遭遇するのは軍学校の教官と王国軍兵士だ。兵士はみな若く、彼らの新人研修を兼ねているようだった。軍学校で人を雇うよりも、二つの研修をいっぺんに行った方が合理的なのだろう。
ありがたいことに、ジョーたちの班は救護係にお世話になるほどの怪我を負わなかった。どうやら逆ハンデは本当らしい。
エドワードとフランツのコンビに逆ハンデの意味を聞いて、ジョーは納得した。学生たちはみな、エドワードとフランツを知らない。だから彼らが何を仕掛けてくるのか、どんな技を使うのか知ることは出来ないのだ。だからエドワードたちは、彼らに対して手加減をし攻撃をある程度限定して行わなければならない。
だがジョーは二人を知っている。エドワードの実力も、フランツの技まで知っているのだ。だから戦略が立てられるし、対処のしようがある。だからこそジョーに対してエドワードとフランツは手加減できない。ここで手を抜いたら不公平になってしまうからだ。
つまりこの班は、ジョーが特別ゲストを知っていて、その彼らを見ながら対策を打てるというラッキーな班なのだ。だからこそ不公平を無くすために、全力でかかってきたゲストを、全力で受け止めねばならない。そのために選び出された六人なのだ。
「つまりはジョーがいるから厳しいのか……」
マークはそう言ってため息をついたが、ジャンは満足げに笑った。
「厳しいの上等だよ。僕は好きだね、そういうの」
剣術次席のジャンは、人の良さそうな顔に嬉しそうな笑みを浮かべる。ジャンはびっくりするほどその攻撃性が顔に出ない。おっとりとして穏やかで、そのくせ本気で立ち会うと驚くほど攻撃的だ。
全身から攻撃的なジョーとは対照的で、主席、次席で実力が他の生徒たちとはぬきんでる二人を教官たちは凸凹コンビ扱いしているのだ。
結局他にねぐらに適した場所は見つからず、森の中で眠れぬ夜を過ごして一日目が過ぎ、教官たちの襲撃と、王国軍若手の襲撃にくたびれ果てて、見張り以外の時は夢も見ずに熟睡して二日目が過ぎた。
ひもじさに苛立ち、喧嘩しながらも初めて鹿を狩って何とか火をおこして食した三日目。このサバイバルに何とか生き残れるんじゃないかと希望が出てきたのは、森の小さな泉の近くにちょうどいい隠れ家を見つけた四日目以降だった。
そこからは全員少し気が楽になり、食事の支度をしたり、泉の水で水浴びをしたりとサバイバル生活を楽しむ余裕が出てきた。
最初は汚れのほとんど無かったモスグリーンの作業服は、気がつくとボロボロになっていた。山ごもりをする前ならこうなった作業服はすぐにゴミ箱行きだったが、このサバイバルの中では別に気にならない。
そして五日が過ぎ、六日が過ぎた。
「すげえなぁ……判がもう十七枚だぞ」
マークがしみじみと判の捺されたカードを見つめて呟いた。一日二回の狩りと、一日二回か三回の襲撃。思えば森にこもってからものすごくタフになったような気がする。現にジョーとジャンのコンビは、最初に洞窟をのぞき込んだときのような、みっともないほどの緊張感を感じなくなっていた。
敵が現れれば、冷静にその数を把握し、剣術専攻の四人で的確に受け持ち場所に別れて彼らを追い詰めた。少し離れてヘレンがバックアップし、足下から敵を突き崩す。マークはその間に、彼らを頭上から見張って、弱点を探り出すという体勢だ。
最初の敵がエドワード&フランツコンビという最強の組み合わせだったから、それ以降の敵と当たるのに余裕が出来た。それが大きかっただろう。
現に教官たちには勝てないが、王国軍の若手と対戦した場合、八割に勝つことが出来るようになった。何しろあちらは二人、こちらは六人だ。
こちらが勝っても負けても、彼らは判を捺したカードをくれる。その代わりに、ジョーたちは兵士が差し出した白紙のカードにサインをして返すのである。これによって相手も対戦数が報告できる仕組みらしい。
そして最終日。
今日の三時に頂上にたどり着けば、ようやくシアーズに帰れる。朝から六人の心が弾んでいる。当然ジョーも嬉しくて仕方ない。
帰ったら、まずシャワーを浴びて、それから暖かい食事をアニーに出して貰って、それからアンナと二人でキャンプのことを話し合おう。きっと救護所のアンナも大忙しだろうから、二人で大変だったキャンプの愚痴を言い合おう。それで明日からの休みに、美味しいケーキを食べに行くのだ。
気持ちも軽く、ジョーたちは身支度を調える。一週間の間ねぐらにしていた泉のそばの広場から、荷物を持って立ち上がった。今朝はまだ襲撃がない。もしかしたら、ここからのんびりと気配に気をつけて行けば、襲撃に遭わずに頂上に着くかも知れない。
「この時間から最大限に気を配っていこう。終了と同時に駆け込んで、終了!」
「おおーっ!」
ジョーの提案に、全員が賛成した。帰れるとなると俄然元気がわいてきた。でももしもこの浮ついた状況で襲撃を受けたら、こてんぱんに伸されるだろう。それが分かっていても、浮かれた気分は止められない。目の前にちらつくのは、虫のいない暖かいベット、生臭くない美味しい食事、そして懐かしい家族の顔。
「やっと帰れるのね……」
自慢の金髪ももつれ、白い頬が擦り傷だらけになってしまったヘレンがため息混じりに呟いた。ヘレンでさえも擦り傷だらけなのだから、先陣を切って剣を振り回していたジョーは更にひどいだろう。キャンプ前にちゃんと髪を短くしておいて大正解だった。もし長かったらうっとうしくてたまらなかったに違いない。
普段はほんのり薄化粧をしているヘレンだが、今は化粧なんてとっくに無くなっている。なのに何故かこの方が美人に見えるのだから、化粧ってやっぱり難しい。
「早くお父様とお母様にお会いしたいわ。理不尽すぎるキャンプを愚痴ってやるから。それから料理長のスペシャルスイーツをおなかいっぱいに頂きたいわね……」
どうやら思うことはジョーと一緒のようである。
男連中は別の感慨があるらしい。特にマークは自分の情報収集能力の低さに、かなり落ち込んでいて、帰ってからどう強化するべきかを思い悩んでいる。原因はもちろんエドワードとフランツだ。
ジャンはいつも通りにこにこと楽しげにしているから何を考えているのか分からない。もしかしたら本当に嬉しくて笑っているのかも知れないし、ただ単に疲れているだけかも知れない。ハンスは蚊に刺されてボロボロで、とにかく虫がいないところに行きたいとこぼし、マディスは、腹一杯飯が喰いたい呪文のように呟いている。
緊張の糸が緩むと、こんなにも人間はもろい。今まではじっと黙って耐えていたというのに、帰れると思うだけで文句が口を突いて出てしまうのだ。
荷物を担ぎ、のんびりと最後の散策の気分で頂上に向かって歩く。細い獣道は待ち伏せの可能性があるから歩くのを避け、草むらの中をなるべく静かに移動していった。
鳥の声と、時折遠くで聞こえる動物の声、そして時折聞こえる軍学校生の阿鼻叫喚の声を聞きながらも、六人はただ黙々と歩き続ける。口を開くと教官か若手兵士に気がつかれそうで嫌だった。もう後数時間で終了なのだから、このまま平穏に時を過ごしたい。
頂上近くに来たら、昨日狩りをして捕らえた鹿肉のミディアムソテーを食べて時間になるまで寝転がって見つからないよう声を潜めて待てばいい。三時になれば総てから解放される。
太陽はちょうど真上に来て、木漏れ日の隙間からきらきらと光を落とす。もうすぐお昼だ。となれば後三時間。今日も暑くなりそうだが、森の中は吹き抜ける風が涼しい。
不意に枯れ枝を踏む誰かの足音を聞いて、ジョーは後ろを振り返った。一週間ですっかり慣れた仲間がさっと身をかがめる。息を凝らしていると、草むらの中をのんびりと歩いてくる人影があった。モスグリーンの作業着、その上には丈の長い白衣をコートのように羽織った小さな人影だ。
髪の色は赤く、長い髪は一つにまとめられて上に結い上げられ、後頭部でバレッタに止められている。人影は六人が隠れている目の前でぴたりと足を止めた。
「ジョー」
名前を呼ばれてジョーは相手を凝視する。
「……こんなところで何してるの、アンナ?」
ジョーが声を掛けると、後ろの仲間が草むらから顔を出す。
「アンナなの?」
「お、アンナだ」
「アンナ、久しぶり!」
ここにいる面々のほとんどはアンナのクラスメイトでもある。
「みんな久しぶり」
アンナは笑顔で全員を見渡した。
「一度も救護所にこなかったね。みんな大怪我しなかった?」
「大怪我はね。かすり傷は数えられないほどだよ」
ジョーも笑顔で答える。
「そっかぁ……」
アンナは深く頷くと、少し俯いてから顔を上げた。
「じゃあ、私が最初って事になっちゃうかも」
「え?」
困惑しているジョーの前で、アンナは白衣を静かに払い、腰に差していた輝く何かをとりだした。それは頂点に宝玉のはまった白銀の杖だった。それに気がついた瞬間にジョーは仲間に叫ぶ。
「ヤバイ! 逃げろ!」
「ええっ!」
驚きながらもさすがに一週間で慣れた仲間は一斉に駆けだした。そんな六人の後ろでアンナの声が聞こえる。
「みんな、ごめん! 発動せよ、水の結界!」
アンナの声と同時に、仲間が逃げた方角に水が噴き出した。
「うわぁぁぁぁぁ!」
まともに水をかぶったマークが叫ぶ。噴き出した水はそこを中心として四方に走り出す。
「なんだよこれ!」
「アンナの最近の研究のたまもの!」
慌てふためいている仲間の足下を水がするすると走り、彼らを追い越していった。その水は大きな円を描いて空間に広がった。精霊の力を使った水の力よりも速く走ることなど、人間には到底不可能だから、全員が逃げきれずに水の結界に捕まってしまう。
やがて完成した水の結界は、六人を閉じ込めた。逃げだそうと結界の外へ向かうと、激しい水にはじけ飛ばされるように押しとどめられて、外には出られない。水の力はかなり強くて激しい水しぶきは、棍棒のごとき堅さで殴りつけてくるから、かなりの痛みを伴う。
「ちょっと! 何のつもりなの!?」
アンナと同じく精霊使いのヘレンが結界の中で腕を組んで抗議の声を上げた。結界の外に立っているアンナが申し訳なさそうに笑う。
「ごめんね。思ったより救護所が忙しくないから、先生たちのお手伝いをしてって頼まれちゃって」
「何で!?」
「医学専攻で、成績に一番問題がないからだって」
そういえばアンナは医学専攻部の主席だ。世間知らずで常識無しのアンナなのだが、勉強にはもっぱら強い。それに生まれ育った教会でも医学に近いことをやってせいか、医学や専門知識を吸収するスピードが半端ではない。
もっぱら体を動かすことを得意とし、書類を作ることが苦手なリッツは、そんなアンナを尊敬してやまないそうだ。ジョーも師匠リッツと同じ気持ちだ。何しろアンナは勉強が好きなのである。
そんなアンナだけど、リッツとは逆に、剣術や体術など、戦うことには全く向いていない。
フランツはこの二人を称して『割れ鍋に綴じ蓋』といっている。二人をセットにしておけばどんな時もたいてい上手く片付くのだそうだ。
それはさておき、先生の手伝いを言えば、このキャンプではたった一つしかない。それは生徒を襲撃することだ。
「私たちを結界に閉じ込めて、どうするの?」
結界の中から尋ねると、アンナは申し訳なさそうに再び笑った。
「う~ん、頑張ってね、としかいいようがないなぁ」
「そんな無茶な」
「ごめんね。何だかね、予想以上にこの班が強過ぎちゃったみたいなんだ」
「そんなの割り振りした教官たちのミスじゃん」
ジョーが口を尖らせて文句を言うと、アンナとは反対側から枯れ枝を踏む音が聞こえてきた。嫌な予感が背筋を這い上る。
「そうだ。俺たち教官のミスだな。だから少しお前らを鍛えてやろうかと思ってさ」
「あ、あ、あ、アルスター教官!」
ジョー以外の全員が、悲鳴に近い声を上げた。ジョーは額を押さえる。アンナが出てきたから、こうなるだろう事は予知できた。何しろエドワートとフランツがコンビでいたのだから、アンナとリッツの割れ鍋綴じ蓋コンビがいないわけがない。
「やっぱこう来たか……」
「何か言ったか。ジョー?」
「いいえ何も」
「ならいいけどな。アンナ、サンキュー。剣術の成績まけてやるからな」
「はい!」
本当は恋人コンビが、ジョーにとっては白々しいやりとりをして微笑み会う。
「さてと……」
ため息混じりに呟いたリッツは、意を決したように結界の中に飛び込んできた。激しい水に叩きつけられ、相当な痛みを味わったはずなのに、何の表情も変えずにあっさりと結界の中に侵入してくるリッツに、六人全員が言いしれぬ恐怖を感じて青ざめる。
「痛くないのかよ、教官」
師匠とは決して呼ぶなといわれているからそう聞くと、リッツは胸を張った。
「水の精霊はさんざん食らってきた。もういい加減慣れた」
「……あ、そう」
そういえばリッツは、幾度となくアンナに水の精霊をぶつけられてひどい目に遭わされていると言っていた。この結界がくぐれるほど慣れるって、どれだけの目にあっているのだろう。
「じゃあ大剣で道開けばいいんじゃないですか?」
剣を構えながらジャンがいつもの笑顔で聞くと、ずぶ濡れの髪を軽く掻き上げてリッツは余裕の表情を浮かべた。
「そんなことして結界を傷つけたら、そこからお前ら逃げるだろ?」
「……確かに、チャンスは逃しませんね」
どこまで本気か分からないジャンが頷く。リッツとジャンはジョーにとっては何考えているか分からない二人だ。だがアンナから聞く普段のリッツの事を考えると、リッツの方が裏表はあるのだろう。
そんなことを考えていたジョーだったが、ため息をついてリッツに向き合った。
「教官、質問です」
「何だ?」
「つまり私たちは、この水の檻の中で、無制限の追いかけっこ、もしくは無制限の剣術試合を一対六で続けるってことですか?」
ジョーの言葉に血の気が引いた仲間たちがまじまじと目を見交わしている。
「その通りだ」
救いのないリッツの言葉に、全員が青ざめた。
「安心しろ。あそこにアンナがいる。あいつは治癒能力の使い手だから、大怪我を負っても死にはしない。な、アンナ?」
「はい、教官」
アンナが従順な生徒のように、にっこりとリッツに微笑み返した。この場で二人が恋人同士で、実はリッツの方が立場が弱いと知っているのは、ジョーだけだ。学校での二人は上手に公私を分けていて、教官と生徒のふりを上手くこなしている。
いつもジョーは二人には感心してしまう。嘘をつくことを嫌うアンナだが、リッツに上手く言いくるめられているらしい。なんだかんだいったって、この二人のコンビはやはり最強だ。
「さ、だべってる時間も惜しいな。まだ他の奴らもチェックしたいし」
そういうとリッツは大剣を抜きはなった。長さは一五〇センチ近く、重さが十キロ以上あるという、リッツにしか扱えない幅広の大剣だ。
リッツですらもこの剣を自在に操るために、寝る前の数十分に剣を振るっていることを、ジョーはよく知っている。そんなリッツの稽古を運良く目撃し、終わるまでに下に降りることが出来れば寝る前の稽古をつけて貰えることもあるのだ。
ジョーは毎朝、朝食前のほんの短い時間、師であるリッツと戦うのだが、まだこの大剣を抜かれたことはない。リッツがジョーと戦うときに扱うのは、夜遊びに持ち歩く安物の剣だ。
つまりまだジョーは、大剣で相手をするほどでもないと思われているのだ。なのに大剣を抜いているということは……六人をこてんぱんにしてやるという意思表示だ。
内戦時のリッツは普通の剣の使い手で、アクロバティックな動きを持ち味にしていたと聞いた。だがそれでは殺しすぎるから、傭兵時代にこの大剣で相手を威嚇するすべを覚えたのだという。
それでもアクロバティックな動きは健在だ。本気で戦えば、リッツは大剣を得物に相当な動きと攻撃をするとフランツに聞いたことがある。旅をしていたとき、そんな姿を幾度かみたそうだ。
ジョーは覚悟を決めて剣を抜いた。マディス、ハンスももうとっくに剣を抜いていた。マークも観念したように剣を抜き、ヘレンは一歩下がって地面に跪いた。土の精霊を使うために、地面に手を付く。
「準備万端か? じゃ、始めよう」
そういった瞬間、リッツの姿が視界から消えた。
周りを見渡して探すよりも、マティスか隣で吹っ飛ぶのが先だった。
「マディス!」
叫んだジョーが気配を感じた瞬間に剣を繰り出すと、重たい手応えがあった。
「ぐっ……」
「よく気がついたな」
近くからリッツの声が聞こえた。届くかと体と剣を捻って振り抜くと、目の前からはその姿が消えている。
「え?」
どこにいるのか確認する前に、後ろから蹴り飛ばされて地面に倒れていた。
「いってぇ~」
ひっくり返って呻いていると、既にリッツの姿は近くには無く、ジャンとマーク二人に斬りかかっていた。背中合わせの二人を横から無理矢理に引き離してジャンを剣の柄で振り飛ばし、空いた手でマークを殴り飛ばした。
「……剣、使ってねえじゃん」
よろりと起き上がりながら、ジョーは呻く。生徒はみんな剣を抜いているというのに、剣を抜いている教官とその剣を合わせることすら出来ない。こうなれば、どうしても剣を合わせてやろうと闘志が燃えてきた。
リッツの動きが速すぎて精霊魔法をかけられず狼狽えるヘレンの隣に駆け寄る。
「ヘレン! 結界の中全部へこませて!」
「ぜ、全部? みんな巻き添えになるわよ!?」
「いい。一矢報いらないと、納得いかないじゃん!」
断言すると、ヘレンは厳しい顔で頷いた。
「確かにそうね。私たちにもプライドがあるわ!」
言い切ると同時にヘレンが地面に手を突いた。
「土の精霊よ、地を吸い込め! 蟻地獄!」
ヘレンが叫んだ瞬間、地面が揺れ、リッツの足下が音を立てて窪んでいく。当然土の精霊に不慣れなリッツがよろめく。今まで冷静だった結界の外のアンナも叫んだ。
「リッ……教官! 結界破られます!」
「ちっ……」
小さく舌打ちしたリッツが、沈む地面の中心でヘレンとジョーを見上げた。まだ術の途中であるヘレンに危害を加えさせられないが、これ以外にチャンスはない。
ジョーはまっすぐにリッツに向かって剣を構えた。蟻地獄に巻き込まれるように転がる仲間の姿を確認しながら、ジョーは捨て身の攻撃に出たのだ。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
雄叫びを上げるとジョーは、何の考えもなくがむしゃらに窪んだ中心に向かって駆けだした。普段以上の加速で師であるリッツに迫る。
これなら一矢報いる事が出来るか?
必要以上に付いた加速に足が空回りしそうだが、必死でこらえてそのままの勢いでリッツに突っ込んだ。
剣と剣がぶつかり合って、火花が散る。
「捕らえたぁ!」
剣をじりじり押しながら、ジョーは師匠リッツを睨み付ける。
「みんなしっかり囲め! せめて一撃でも当ててやるぞ!」
ジョーの必死の叫びに、転がっていた生徒たちが亡霊のようにゆらりと立ち上がった。
ほんの三メートルの狭いすり鉢状の最も底に教官リッツ。その周りの少し高いところに剣術専攻の四人と、情報のマークが剣を構えて取り囲む。
「……なるほどな」
呟いたリッツがジョーをはね飛ばし、剣を鞘に収めた。
「教官、降参?」
傷だらけのジャンが尋ねると、リッツは軽く笑いながら、背負った大剣を止めている肩がけのベルトを外した。鞘付きの大剣がリッツの手に握られる。
「降参、するのはどっちだ?」
不敵な笑いを浮かべてリッツが鞘付きの剣を構えた。その瞬間、ジョーは自分が墓穴を掘ったことに気がついた。
リッツが大剣を鞘付きで構える時……。それは相手を殺さずに、完全に動けなくする時だ。
「やばい……」
この大剣には抜けなくなる仕組みが施されていることを、ジョーはアンナに聞いて知っている。
つまりリッツは、本気で一気にこの五人をこの場に沈める気なのだ。
気がついたジョーはつばを飲み込んだ。だがここで引くわけにはいかない。
「いくよ!」
短く告げると、仲間も真剣な表情で頷いた。
「おう!」
そして五人は、目の前のリッツに一斉に突っ込んだ。不敵な笑みを浮かべてリッツの目が光ったような気がした。
☆ ☆ ☆
目が覚めると、目の前にアンナの顔があった。
「あ、気がついた?」
「アンナ……?」
「うん。よかったぁ。全員に治癒魔法かけといたからね」
にっこりと微笑むアンナの顔を見て、自分が何をしているのか分からなかったジョーは一瞬にして思い出した。
「みんなは?」
「うん。まだ気絶中」
「何があったの?」
斬りかかったところまでは覚えているが、その次の瞬間から記憶がない。
「う~んとね……私もよく分かんないんだけど、リッツが一回転して元の位置に戻ったら、みんながバタバタバタって倒れたんだ」
「……へぇ……」
つまり一瞬にして気絶したと言うことになるようだ。そういえば妙に脇腹が痛い。そこに一撃を食らったのだろう。
「ヘレンは?」
「うん。精霊魔法で立ち向かおうとしたけど、返り討ちでみぞおちに一撃だったよ。そこに寝てる」
指さされた方を見ると、ヘレンが気絶していた。
「うわぁ……全滅かぁ」
「全滅だね」
「くっそー、かなわないや」
大きくため息をついて、ジョーはあぐらを掻いて頬杖をつく。
「師匠は?」
「うん。後の生徒は一人で十分だから、介護しろって私だけおいていったよ」
「そりゃそうか。恋人に任せとけば安心だもんね」
「えへへへ。それは学校では禁句だよ?」
「分かってるよ。分かってるけど、何だかすっごく理不尽な気分。陛下とフランツでも反則だって思ったけど、師匠とアンナだもん、恋人コンビ最強じゃん。そりゃないよ」
「ごめんね」
謝っているのに嬉しそうに微笑んでいるアンナに、ジョーはため息をついた。
「褒めてないからね」
「分かってるよぉ。でもリッツと一緒で最強って言われると嬉しいもん」
「……はいはい」
思い切り惚気ているアンナにため息をつくと、気配を感じてジョーは振り返った。軍の若手兵士がいる。なのにこちらには戦力がない。
「アンナ!」
逃げるように声を掛けた瞬間、若手兵士に気がついたアンナが、こともなげに白銀の杖を抜いて掲げた。舞うように交差する両手の間から無数の水の球が生まれた。
「当たって、水の矢!」
とたんに水が、すさまじい速度でアンナの手から飛び出した。小さいはずの水の球が若手兵士二人に勢いよく飛び込み、兵士たちをよろめかせ、悲鳴を上げさせる。フランツに教わったこれもまた実戦向きの技で、当たると半端ではないぐらい痛い。
前にこの技の練習段階で的になったことがあるが、小さくても勢いさえあれば水が痛いことを初めて知った。アンナに水の球をぶつけられたことがあるジョーは、水が大きい方が痛いと思い込んでいたから全く想像外だったのだ。
「ええっと、もっとかな?」
軽い口調でそう言いながら、アンナが水の球を繰り出す。大きさの大小、そして速度が違う水の矢に、若手兵士たちはなすすべもない。おそらく精霊使いとの戦闘をしたことがないのだろう。
やがて若手兵士たちは、ぐったりとしながら降参した。差し出された紙にサインをし、代わりに判を押したカードを貰ったアンナは、にっこりと微笑んだ。
「はい。私が持っててもしょうがないからあげるね。水の結界のお詫び」
「……ありがとう」
この状況で襲われたら、また気絶するところだったから助かった。
「じゃあ、救護所に戻るね!」
アンナは笑顔で手を振ると、迷い無く山の頂上に向けて歩き出した。フランツは方向音痴だけど、アンナは山育ちで森で迷うことはあまりないそうだ。その代わり、街中ではアンナはよく道に迷う。太陽の位置が確認できないから分からなくなるらしい。
それにしてもアンナの実力は半端じゃない。出会った頃は自分で大きさの調節さえ出来なかったのに、今は水を自分の手足のように自在に操っている。旅から帰って話してくれたのだが、曲芸団で水の球を自在に操ることを覚えたのだという。
それにしたってこの落ち着きよう。さすがは実年齢三十三歳だ。これが年の功という物かも知れない。
アンナの姿が見えなくなってから、ため息混じりにカードをしまおうとまとめたカードを取り出す。そういえばリッツ&アンナコンビからカードを貰うの忘れていたな、とぼんやり考えていたが、カードを手にして驚いた。
「あ……」
一番上に新しいカードが挟まっていた。教官の判入りではなく、ただ単に『済』とかかれ、走り書きなのに綺麗な字で『リッツ・アルスター』のサインが入っている。きっと気絶しているジョーの鞄に、アンナがそっと忍ばせておいてくれたのだろう。
やっぱり実戦ではかなわない。師匠リッツにも親友アンナにも。
「……はぁ……」
ため息をつくと、ジョーは時計を見た。
もうすぐ三時だ。一時間以上気絶していたらしい。
「アンナの年上の恋人って、教官なんだね」
ふと声を掛けられて飛び上がった。
「ジャン?」
「そ。聞こえたよ」
半身を起こしたジャンがいつものように温厚な笑みを浮かべている。アンナに恋人がいるのは有名なのだが、それが誰だかみんな知らないのだ。相手がリッツだと知られてしまえば、面倒なことになってしまうだろう。何しろ教官と生徒だ。
「アンナが可愛い人なのってのろけてたから、まさか教官とは夢にも思わなかったよ。教官はどう見たって可愛くない。怖い人っていうなら分かるけど」
「あー、うー、まー」
「その割にアンナは剣術に弱いね」
「人には向き不向きがあるからね」
「あれだけ精霊を使えて、医術の成績もトップだから、剣術ぐらい下手じゃないと可愛げ無いよ」
ジャンは笑顔で辛辣なことを言う。いつもながら、ジャンには全く悪気はないし嫌味もないから、いつもみんな正直にジャンの言葉に納得している。
「あのさぁ……ジャン」
「そんなに心配そうな顔しなくても、ちゃんと黙ってるよ」
そういったジャンが、森の木々から落ちてくる木漏れ日を見上げて呟いた。
「教官、ああいう趣味なんだね。意外だったよ」
「……あはははは。言わないでやってくれよ。あたしが殺されちゃうから」
「心がけるよ。でも想像つかないなぁ」
「あはは。似合いの二人なんだけどね」
いつもアンナにすり寄るリッツを見ているだけに、それしか言えない。普段のリッツとアンナを見ていると、リッツはがたいはでかいけれど、完全にアンナに懐いている巨大な飼犬だ。
スラム育ちで、いかがわしい場所でも小遣いを稼いでいたジョーは、アンナとこうなる前のリッツの行動を知っている。本当のリッツはたぶん女性に対して狼だ。当然、後腐れがない程度の玄人相手に。
でも最愛のアンナの前ではその牙は上手に隠しきっている。
木漏れ日を見ていたジャンが、不意にくるりと顔をジョーに向けてきた。
「で、ジョー。口止め料何だけど……」
「うっ、休み明けの食堂で、肉料理のメインを一つ」
「そんなに気張らなくてもいいよ。とりあえず落ち着いたらうちの班全員で打ち上げってどうかな?」
「いいねぇ~。そこで何か一品おごるってのは?」
「それはいいね」
朗らかに頷いたジャンが、ごろりと転がった。
「時間になったらみんなを起こしてゴールでいいね?」
「いいんじゃん?」
「じゃあ休憩。お疲れ様」
「お疲れ」
倒れ込んだジャンに倣って、ジョーも再び草むらの中に倒れこんだ。