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旅路の果てに<9>

 軍学校に復帰して八ヶ月、今まで生きてきた一五〇年以上の時間の中では感じたことがないぐらい穏やかに時間が流れている。

 今年の軍学校キャンプも無事に終わった。一期生の時は色々と人手が足りずに工夫したものだったが、卒業生や在校の最上級生に敵役を頼むことで、徐々にスムーズに回り始めている。このまま軍学校を維持していけるだけのノウハウも整いつつあると、アルトマンも満足げだ。

「今回も忙しかったぁ」

 医学専攻部の軍医助手として一緒に参加していたアンナが、大きな医療用リュックを背負いながらも軽々と歩きながら呟いた。

「怪我人多かったもんな」

「多いよ。だって教官たちと違って、四年生は加減が上手くないんだもん」

「まあな。でもまあ、殺さずに捕らえる練習にもなるし、王国軍としてはいい鍛錬になるんだぞ」

「分かってるけど……」

「禁じ手の治癒魔法を使うほどの重傷者は出なかっただろ?」

「うん」

 アンナは優れた治癒魔法の使い手ながら、キャンプでは相変わらずそれを使うことを禁じられている。医学専攻の生徒たちが治癒魔法を見て医術を学ぶ意欲を無くす可能性を考慮してのことであるが、アンナの実力を上げるのにも当然役に立っている。

 のんびりと話しながら歩いて行く二人を、残って片付けをしていた最上級生たちが挨拶しながら追い抜いていく。何気なく見送っていくと、最後に医学専攻の生徒たちが降りてきた。

「マイヤース先輩、お疲れ様でした」

 声を掛けられてアンナは、軽く敬礼を返しながら微笑む。

「アルスターだってば」

「あ、そうでした。アルスター先輩、お疲れ様でした」

「お疲れ様。気をつけてね」

「あ、アルスター教官も」

「……俺はついでか」

 リッツは苦笑した。結婚して姓が変わったアンナは、間違われる度に律儀に訂正している。それを見ているリッツの方がどことなくくすぐったく、恥ずかしい。しばらく黙ったまま森の空気を味わって登山道を降りていると、不意にアンナに尋ねられた。

「今日は教官たちと飲む約束とかしてないよね?」

「してないぞ。家に帰ってのんびりしたいし、お前ともやりたいし」

「もう! またそんなことばっかり言うんだから!」

「冗談だって。それに飲みに行く時間ねえだろ? まだ引っ越しの荷物が家中に散乱してるんだから」

「そういえばそうだねぇ」

 アンナが幸せそうにクスクスと笑う。

 リッツの仕事が夏休みに入ってすぐに、二人はクレイトン邸から引っ越しをした。アンナには夏休みがないから、アンナの休みに合わせて二人で馬車を借りて荷物を運んだのである。

 何しろ引っ越し先は新築で家具が何も無い状態だったから、クレイトン邸で使わなくなった物を色々貰って持ってきたのである。といっても総てバラバラにしないと運べなかったから、組み上がっている物は何も無かった。そのせいで最初の一日は、旅路でしていたように毛布にくるまって床に直接寝る羽目になった。

 それでも生まれて初めての自分の家に、リッツもアンナも満足した。籍も入れて正式に夫婦になっているのにクレイトン邸に居候していた状態だったから、二人の家を手に入れたのが本当に嬉しい。

 その翌日からはアンナは仕事に行き、リッツは一人、一生懸命家具の組み立てに取り組むことになった。だがキャンプの準備やキャンプ当日も挟んだから、家の中はさっぱり片付けが終わらない。一見すると散らかった物置だ。

 組み上がったのはベットとダイニングセット、そして最低限のものを入れるクローゼットだけだ。食器棚も食器もまだ未開封だが、一階がレストランだから何かと助けて貰っている。

 そんなわけだから食べることと寝ることだけは何とかなるようになっているが、その他の家具は作りかけだったり梱包したままだったりと、さっぱり進んでいない。

 だが明日から二週間ほどアンナも休みを取っているから、二人で協力してこの二週間で何とかしようと決めていたのである。

 二人が引っ越したのは、港湾地区と住宅街の境目で港湾地区側、スラム街にも近い場所のレストランの二階だ。

 レストランの名は『陽気な海男亭』という。シアーズに来たばかりの頃、リッツが風邪に倒れてアンナがクリームシチューを買いに来て大変な目にあった、あの『陽気な海男亭』である。

 料理の腕の良さに客が徐々に増え一般の顧客も増えたことから、店主は思いきって酒場ではなくもう少し一般の顧客が気安い場所にレストランを開く決意をしたのだ。

 その話を聞いたリッツは、この店の上に普通の住宅を作って貰えないかと交渉をした。傭兵隊長として得た資金が丸々残っていたから、追加資金としてそれを手渡したのである。

 その結果、広くて綺麗なレストランの二階に、中央の廊下を挟んで二件の住宅が出来た。一つはもちろん『陽気な海男亭』店主夫婦が暮らしているが、もう片方はリッツとアンナの新居になったのだ。

 一般の住宅にしては広くて贅沢な住宅の三分の一を、リッツは大陸間ネットワークの事務所にすることを決めた。とりあえず今はそれに向けての資金集めをしなければならない。

「あのね、リッツ」

「なんだ?」

「パティ様にキャンプが終わったら、王宮に来て欲しいって言われてるの」

「パティに?」

 意外な名前に首をかしげる。第一期生しかいなかった頃から三年間だけエドワードにはキャンプの手伝いをして貰っていたのだが、現在は手伝って貰っていない。何しろ学院を卒業したフランツが就職してしまったため相方がいないのである。だからエドワードにキャンプの話を聞きたいと呼び出されるなら分かるが、パトリシアにというのが理解できない。

「疲れたから明日ってのは無しか?」

「……うん。駄目かなぁ?」

 何故だか少し心配そうにアンナがいった。何だか少しぴんと来る。これはアンナが何かをリッツに隠している時にする表情だ。ということはパトリシアがリッツに内緒で何かを企んでいるのかも知れない。それをアンナはいえずにいるのだろう。

 ならば仕方ない。

「いいさ。どうせ暇だしな。飯くらい出るんだろ?」

「うん!」

 とたんに嬉しそうにアンナが笑う。よく分からないがアンナが嬉しそうならそれでいい。

 山を下りてそのまま王宮に向かうと、リッツはその場でエドワードの侍従長オコナーに、身柄を確保されてしまった。

「捕まえましたぞ、閣下!」

「なっ……オコナー?」

「ささ、こちらでございます」

「何が!?」

 困惑しているリッツの横で、アンナが手を振った。

「じゃあリッツ、後でね~」

「何で? アンナ?」

 困惑したまま侍従長とリッツの正体を知っている数少ない侍従たちに取り囲まれてリッツはずるずると運ばれていく。運ばれていった先は、王宮内にある式典会場の王族控え室だった。ここに来たのはエドワードの即位の時と、ジェラルドの即位の時の二回だけだ。後ろ手に大きな扉が閉められて、リッツは完全に部屋に放り込まれてしまった。

「なんなんだよ! 誰か説明しろ!」

 リッツが思わず怒鳴ると、部屋の中にいた人影がゆっくりと立ち上がった。床に付くぐらい長いローブに長く垂らした金の髪に水色の瞳。王族の正装をしたエドワードだった。

「エド! お前なんでそんな格好してるんだよ!」

「式典には正装がつきものだろう?」

「は?」

 困惑して立ち尽くすと、壁にもたれて立っていた男がため息をついた。

「僕だって我慢してる。リッツも支度すれば」

 フランツだ。エドワードと共に金の髪をしているが、こちらは仕事と同じくきっちりと固められている。そして服は前に正装した時にエドワードから貰ったジェラルドのお下がりだ。銀縁眼鏡の奥の青い目はまっすぐにリッツを見据えていた。

「何が……どうして? いや、何が起きてる?」

「どうしてって、めでたい時じゃないか!」

 明るく聞き覚えのある声が掛けられて、リッツは仰天した。

「親父!」

「そうだよ! 僕の可愛いリッツ」

「やめろ! 気持ち悪い! ってなんでここにいるんだよ!」

「ん~? 招待されたから」

「はぁ!?」

 大混乱しているリッツに、椅子が差し出された。

「さ、どうぞ閣下」

「どうぞって……」

「フランツ様、アルスター様、どうぞ、お外のお席に。今から支度にかかりますので」

 オコナーのてきぱきした言葉に、カールは手を振って出て行き、フランツもため息をついて出て行く。どうやら二人は今までエドワードと話をしていたようだったのだが、何を話していたのかさっぱり分からない。

「座ったらどうだ、リッツ」

 エドワードに促されて、ため息をつきながらリッツは椅子に腰を下ろした。 

「支度ってなんだ?」

 すかさず侍従たちがリッツを取り囲んだ。だがリッツは彼らを見据えて動きを牽制してからエドワードをじっと見据える。

「……説明してくれるよな、エド」

「ああ。説明しよう。今日はお前の結婚式だ」

 あっさり断言されて、一瞬意味が分からず数回目をしばたいてからようやく意味を掴んだ。

「俺の?」

「そう、それからアンナのということになる」

「当人の俺たちに内緒でか?」

「俺たちではない。お前に内緒で、だな」

「じゃあ……」

「そうだ。アンナは当然知っているし、事前の準備を手伝ってもいる。招待状を書いて送ったのもアンナだ」

「な……」

 全然気がつかなかった。そういえば八月に入ってからやけにアンナの残業が多かったような気がするが、これがその原因だったらしい。

「なんでだよ。俺がちゃんと金を貯めて式を挙げるって……」

「お前が金を貯めるのはいつだ」

「ううっ……」

 痛いところを突かれて呻いた。今回の引っ越しで実は貯金はゼロになってしまったのだ。もう一度最初から貯め直さねばならないと、半ば覚悟を決めて稼ごうとしていたのである。

 なにせ二人の結婚式なのだから、両親を呼びたいというのがアンナたっての希望なのである。つまりリッツの両親とアンナの養父、三人分のシアーズまでの旅費をまず確保しなければならない。それですら今はギリギリだ。

 それにアンナもリッツも知り合いが多いから、パーティをしなければと考えていた。ひっそりやるといっても、軍の人間だって多いし、アンナの学校の友人から、世話になった人々までいれると数は結構多い。

 クレイトン邸を出ているからクレイトン邸で、というわけにも行かないだろう。ならばそれなりの料理ともてなしをお願いできるレストランを確保しなければならない。それもエドワードやパトリシアが来ても黙っていてくれるような、良識ある店をだ。

 金額を軽く見積もっても、リッツの給料から出せるものではない。短くても数年はかかりそうだと、アンナに告げてあったのである。

「パティが、アンナに話を聞いてしびれを切らしてな。お前が金を貯めるまで待ったら、ドレスが着られないぐらい年老いてしまうとさ」

「……どれだけ俺の信用がないんだよ」

「胸に手を当てて考えてみれば分かるだろう?」

「……」

 確かにパトリシアに信用されるようなことは何一つしていない気がする。

「だからって俺に内緒で俺の結婚式をすることはねえだろう?」

「話せばお前は拒否するだろう? 迷惑掛けたく無いだ、自分でやるだとごねるだろうが」

「そ、それは……」

 その通りだ。リッツの反論パターンなど、とっくの昔からエドワードに読まれ切っている。

「だからお前が山にこもっている間に準備したのだろう?」

「……それでどうしても今日じゃなきゃ駄目だったんだな」

「その通りだ」

 なるほど、アンナのあの表情の意味が分かった。リッツが断ればこの話が流れてみんなに迷惑がかかってしまう。

「んで?」

「ああ。せっかくだからパティからお前とアンナに結婚式をプレゼントしたいということになったんだ」

「プレゼント?」

「そうだ」

「俺なんかプレゼントされるようないいことしたか? 感謝される覚えはねえんだけど?」

 パトリシアとは喧嘩ばかりしていたし、感謝されるようなことは何も無いはずだ。だがエドワードは穏やかに笑った。

「プレゼントなんて、したい側が勝手にするものだろう?」

「まぁ、そうだけど……」

「だがまあ、感謝というとその通りかもしれん」

「だから、パティに感謝される覚えはねえって」

 どれだけ考えてみても、どうしても答えが見つからない。するとエドワードが微笑を浮かべて腕を組んだ。

「忘れているな、リッツ。お前は俺とパティに一度も礼をさせてくれなかった」

「何が?」

「共に王国を救ってくれた礼をだ」

 リッツはまっすぐにエドワードを見つめた。エドワードは穏やかに笑いながら見つめ返している。

「お前はさっさと国を出て行ってしまったからな。正直なところ、俺たちはずっとお前に報いることが出来ていないと思っていた。久しぶりに帰ってきたお前には、兄の事やジェラルドの護衛、暗殺事件で再び借りを作った。そろそろまとめて返させて貰ってもいい頃だろう?」

「エド……」

 そんなことをいわれると、不安になる。エドワードが何だか死んでしまいそうで怖い。頼むからリッツの前で、思い残すことはないようなことをいわないで欲しい。思い残すことがあって死ねないなら、リッツにはその方が何倍かましだ。

 そんなリッツの気持ちを読み取ったのか、エドワードは苦笑して話を変えた。

「アンナにも先に礼をな。不出来な弟を引き受けて貰う礼だ。たぶん彼女は苦労する」

「……ひでえな。もうあいつに迷惑はかけねえよ」

「さんざん泣かせておいて何を言っている」

「そうだな」

 エドワードの顔を見ると、穏やかな中に真剣な表情があった。リッツはため息をつく。リッツの方がエドワードに大量の借りがある。

 何よりもエドワードはリッツを生かしてくれた。だから今の幸福があるのだ。それ以上の恩があるだろうか。だがここでごねるのはエドワードとパトリシアに対して申し訳なすぎる。

 ピンと張り詰めた空気の中で、リッツは大きく息を吐いて髪をかき回した。

「しゃあねぇか。アンナをあまり待たせたら可哀想だしな。ありがたく好意を受け取るよ」

「またお前は、金を貯められないのに偉そうにいうものだな」

 からかい口調に戻ったエドワードに、リッツはむくれる。

「しょうがねえじゃんか。意外と引っ越しにも金かかるんだよ」

「お前の計画性が無いからだ」

「どうせ無計画だよ」

 むくれるリッツを無視してエドワードがオコナーに合図を送ると、侍従たちが一斉に髭をあたったり髪を整えたりと動き出す。彼らに身を任せながらリッツはため息をついた。

 やっぱり永遠にエドワードには頭が上がらない。

 だからずっと、元気でいてくれなくては困る。

 時間を掛けて礼服にまで着替えさせられたリッツは、胸に小さな花のコサージュを付けられて立ち上がった。

「エド」

「何だ?」

「ありがとう。パティにも、そう伝えてくれ」

「お前が自分で言え」

「え~?」

「文句があるか?」

「うう。ないけどさ」

 仕方ない、嫌味の十倍返しぐらいにされそうだが、後日感謝を伝えに来よう。リッツは小さく息をつくと、外の様子を窺っているエドワードに小さく声を掛けた。

「エド、あのさ……」

「まだ何かあるのか?」

「まだ人生の後始末とか始めないでくれよ。なんかそういうの俺は嫌だ」

 リッツにはアンナがいる。この先一人になることは絶対に無い。それは分かっているが、エドワードやパトリシアを亡くすことは、まだまだ考えたくない。もっともっと長生きして貰って、よぼよぼになった二人にしかられたり、からかわれていたりしたい。

「……馬鹿が。俺はまだ死なないさ」

 勢いよく背中を叩かれて呻く。

「いってぇ~」

「ほら行け」

 エドワードに指さされて、リッツは前を向いた。先ほど入ってきたのとは逆の大きな扉が開かれる。

 暗闇の満ちた芝の庭にずらりと続く燭台に照らされた岩畳の道がある。その先にはこの国を守護する光の精霊王の神殿があった。教会の前には祭壇があり、そこに光の神官であるエヴァンスが立っている。そしてその隣にアンナの養父アントンがいた。そして教会から続く石畳に沿うように、見慣れた顔が並んでいた。

 教会の近くにはジェラルド。グレイグの姿が、その隣には珍しく正装をしたシャスタの姿がある。

 シャスタの隣で控えめに立っているのは、こういう場には滅多に顔を出さないシャスタの妻サリーだった。サリーは内乱の初め、ティルスの焼き討ちで腹から左下半身に火傷を負い、少し足が不自由なのである。リッツは内乱前からサリーと面識があり、年に幾度か会いに行っていたのだが、まさかここに来てくれるとは思わず嬉しいような照れくさいようなそんな気分になった。

 その隣にはアルトマン、ケニーの姿もある。

 みなリッツの正体が、前大臣であり、英雄の片腕だったと知っている面々だ。アンナの軍学校の友人は一人もいないから、後日アンナのためにパーティを開いてやらなくてはならないだろう。そのぐらいの金ならある。

 エドワードに言われるままに石畳を歩く。グレイグの隣にはフランツがいて、フランツの隣にはジョーがいた。そしてそこにカールと、シエラの姿がある。

「母さん……」

「リッツ、おめでとう」

 親ばか丸出しで笑顔全開のシエラに、思わずのけぞった。

「もう、リッツったら、ちゃんとアンナをお嫁さんに出来たじゃない!」

「か、母さん、ちょっと」

「母さんもダーリンも、とっても心配したのよ? リッツってばイジイジしてばっかりだったんだもの! だけどよかったわぁ、本当に! でもちょっと寂しいわ。私の小さな可愛いリッちゃんが結婚しちゃうんだもの」

「やめてくれって、母さん! もう小さくねえだろ!」

「私にとってはずっと小さなリッちゃんよ」

「母さん!」

 思いもよらぬ攻撃に思わず叫ぶと、周りから爆笑が起きた。この感じだとシエラはこの調子でここにいる面々に挨拶して回ったに違いない。歳をとる速度が極端に遅い一族だから、見た目ではリッツとシエラの年の差は十歳ぐらいのものなのだ。それなのにこうして小さな子供扱いされるとは、恥ずかしさここに極まれりだ。

 でもそう思う反面、少し安心した。シエラはいま、闇の一族としてここに立っている。人間だと誤魔化すために、化粧をしたりもしていない。仲間たちはみな、シエラが闇の一族で、リッツの血に半分闇の血が流れていると知っているのに平然と笑っているのだ。

 そんなことに安心して、少し肩の力が抜けた。今までそれは、ごく一部の仲間だけの秘密だったのだ。でも信頼で絆を結べば、結局人種ではないのだということを実感できた。

 大陸間ネットワークの理念として、人種の差別を撤廃するとあるが、それは組織の中で絆を作ることで可能になるかもしれない。

 大陸ネットワークの創始者であるフランツをみると、フランツは肩をすくめた。きっとリッツのこの気持ちは伝わっていないから、後日伝えてやろう。

 大陸間ネットワークは、きっと成功する。願いは叶うと。

 恥ずかしさに赤くなりながらもエヴァンスの前で立ち止まると、すぐ後ろにいたエドワードが列の一番先頭に並んだ。石畳を挟んで向かいが空いているということは、そこにパトリシアが来るのだろう。

 アンナはどこだろうと周りを見渡していると、リッツが出てきた隣の部屋の扉がゆっくりと開いた。そこから堂々とした足取りでパトリシアが出てきて、ゆったりと後ろに向かって手を差し伸べた。

 パトリシアの手のひらの上に、白い手袋に包まれた手がのせられる。

 参列者の中からため息が漏れた。

 真っ白なドレスに、パステルカラーの花束を手にしたアンナが、静かな足取りで部屋から姿を見せたのだ。

「アンナ……」

 吐息混じりにリッツは呟いた。

 自慢の髪は一つにまとめられ、手にした花束と同じ花に彩られている。頭には輝くティアラが乗せられていた。普段はほとんど化粧ををしないアンナなのだが綺麗に化粧を施されていて、揺らめく燭台の炎に照らされた表情は少し恥ずかしげだ。

 アンナもリッツを見つけて、一瞬目を見開いてから頬を染めて微笑んだ。その微笑みが、本当に綺麗だ。筆舌にしがたいとはこういうことを言うのだろうか。

 どんな言葉もアンナを語るに足りない。

 呆然としているリッツをよそに、パトリシアに手を引かれてこちらに向かってアンナが歩いてくる。

 夏らしく両肩の出たドレスは、アンナが歩く度に柔らかなさざ波のように揺れ、ティアラは明かりを反射してきらきらと輝く。子供の頃に見たおとぎ話の中のお姫様は、こんな風だったな、とぼんやり思い出した。

 夢のような時間に、リッツは動けなかった。固まりつつもアンナから目が離せない。

 やがてアンナはリッツの横に並んで、リッツを見上げた。大きなエメラルドの瞳がきらきらと輝き、薄い唇は淡いピンクに染まっている。頬はバラ色だ。

「リッツ」

 呼ばれて我に返る。

「な、なんだ?」

 緊張で声が裏返る。

「あの……怒ってない?」

「へ?」

 何を聞かれているのか分からなくなって聞き返す。

「何が?」

「内緒にしてたこと」

「あ、ああ」

 アンナがあまりに綺麗すぎてすっかり頭から飛んでいた。

「怒ってない」

「よかったぁ……」

 安堵のため息を漏らしたアンナが、胸に抱いたブーケをきゅっと抱きしめる。

「リッツ、私どうかな? 変じゃないかな? お化粧とかこんなにしっかりしたの初めてだし、それにドレスこんなに長いのも初めてで」

 本当に不安そうにそういったアンナに、リッツは微笑みかけた。

「大丈夫さ」

「本当?」

「本当に綺麗だ。何だか夢見てるみてえだ」

 リッツがいうとアンナは真っ赤に頬を染めた。

「ありがと、リッツ。リッツも格好いいよ。お話の中の王子様みたい」

 図らずもおなじことを考えていたアンナに、思わず吹き出す。

「ばーか」

「照れてる。可愛い」

「お前ね……」

 リッツも照れくさくて頬を掻く。

「そろそろ初めてもいいかな?」

 目の前に立っていたエヴァンスに尋ねられて我に返った。そういえばこの場には沢山の人がいるのだ。二人でいちゃいちゃしている場合ではない。

「はい」

 アンナが笑顔で頷くと、リッツを見上げた。リッツも頷く。

「では二人とも、我がユリスラの守護する光の精霊王の御前に跪きなさい」

 いわれるままに、跪き頭を垂れる。

 エヴァンスの祈りと共に、聖水が振りまかれる。その小瓶に見覚えがあった。あれはシーデナを流れる清流からカールが作り出す聖水だ。リッツとアンナが出会うきっかけになった、あの聖水だった。

 あの時のアンナを思い出す。リッツがヴィシヌの教会の扉を叩いた時、開けてくれたのはアンナだった。アンナは今までみたことがないような大きなリッツを、ぽかんとした顔で眺めていたが、腹を減らしていると知るとにっこりと笑ったのだ。

 あの時の顔と今の顔、嬉しそうに笑っている時の顔は全く変わらない。

 やがてエヴァンスが神官たちによって歌われる、祝福の歌を朗々と歌い始めた。隣にいたアントンもその歌を唱和する。静かな夜の庭に、二人の歌声が荘厳な響きを持って広がっていく。

「リッツ」

 小声で囁かれて隣を見ると、アンナがこちらを見ていた。

「ねえリッツ、もうアーティーは寝たのかな?」

 アンナの言葉で思い出す。光の精霊王はフランツの師匠で、アンナを作り出した生みの親だ。つまり二人の幸福を今、彼に祈っていることになるのだ。

 神の庭を出てから、五年経つ。彼がどうしているのかを知るすべは、もうリッツたちにはない。

「どうだろうな」

「もし起きていたら見てるかな?」

「起きて無くても見るさ。アークが動く絵にして取っとくだろうよ。なにせ可愛い娘の晴れ姿なんだから」

「……そうだといいなぁ」

 アンナは呟いた。一人寂しく長い眠りにつく彼に、アンナは自分が幸福であることをきちんと報告したいのだ。

 リッツに寄り添うようにと作られた生命だけれど、自分で決めて、自分で選び取った幸福を、きちんと命を与えてくれた彼に見せたいのだ。

 そして幸せな結末を見たいと願った彼をも、幸福にしてあげたいのだろう。

 その気持ちが分かるから、明るく微笑んでみせる。

「そうに決まってるさ。案外教会の入り口当たりに、宝玉が仕込んであって、今頃神の庭でお前の姿を見ながら号泣してるかも知れないぞ」

「そうだったらいいね」

「絶対にそうだ。何なら聞きに行ってもいい」

 リッツがそういうと、アンナは目を見開いた。リッツはアンナに軽くウインクした。

「百年後にサラディオに行こう。大陸間ネットワークが出来てたら、情報を集めておいて、あの家が建ったらオルフェさんに会いに行けばいい」

「……リッツ」

「それで結婚式をちゃんと見たか確認しようぜ。オルフェさんが見てれば俺の勝ち。見てなかったら、ちゃんとドレス取っておいてお前が着てみせればいい」

「リッツ……」

「もし会えなかったら二百年後にサラディオに会いに行こう。大丈夫だ、百年ごとに起きてくるって言ってたから必ず会える」

 断言すると、アンナが涙をぬぐった。

「そっかぁ、会えるんだ」

「ああ。俺たちが会いに行こう。その時にはもういないフランツのことも、ちゃんと報告しよう。あいつが何を成したのかをさ」

「うん」

「俺たちならそれが出来るんだ。だからずっと一緒に幸せになろう。この先もずっと一緒にいような」

「うん」

 微笑んだアンナの瞳からこぼれそうな涙にそっと口づけてから、そのまま唇を塞ぐと、思い切り頭を叩かれた。

「いって~っ」

 叩かれた方を見ると、精霊魔法用の杖を持っているパトリシアだった。どうやら杖で叩かれたらしい。

「何するんだよ、パティ」

「仲がいいのはいいけど、こんな時ぐらいありがたい祈りを聞きなさい」

「……ごもっとも」

「ごめんなさい」

 二人で頭を下げると、正面を向く。エヴァンスが笑った。

「君たちには今必要なのは、精霊王の守護ではなくてお互いの存在らしい」

 そういうとエヴァンスは聖杖を掲げた。

「我らユリスラの民を守護する光の精霊王よ。汝の民たるリッツ・アルスターと、アンナ・マイヤースの元に、光のご守護を与え給え。汝の御心にて、今日ここに結ばれる二人の上に永遠の幸福が訪れますよう、その輝く御腕にて守り給え」

 エヴァンスの声が響く。

「精霊王の御前にて結ばれた二人に、永遠の祝福が授かった。よってここに二人を永久に結ばれし夫婦と認め、それを宣言する」

 たち上がるように促されて立ち上がった二人に、エヴァンスが微笑みかけた。

「おめでとう。ここに君たちは正式に夫婦となった」

 周りから温かな拍手が起こる。照れくさい気持ちになりながらも、お互いに見つめ合った。

 人間の永遠はたかだか百年かも知れない。でも二人の永遠は何百年も続く。その長い時間の間、ずっとお互いに愛情を与えあい続ければ、きっと幸せは永遠となるのだ。

「アンナ」

「うん?」

 顔を上げたアンナを抱きしめてキスをして、そのまま抱き上げた。

「俺を幸せにしてくれよな」

「もう! そういう時は幸せにするよっていうんでしょ!」

「そうだったっけ?」

 とぼけるとアンナは軽くリッツをこづいた。暖かな笑い声が庭に満ちる。

「で、俺腹へってんだけど、飯とかどうすんの?」

 明るく訊くと、エドワードが呆れたようにため息をついた。

「ここでそれを聞くのか?」

「だってよ、キャンプ帰りなんだぜ? 腹だって減るさ。な、アンナ」

「うん」

「仕方ない奴だ。では移動しようとするか」

 エドワードの一言で、控えていた侍従たちがぞろぞろと一同の案内をし始める。何もかもが用意周到だ。全員が歩き出すのを見守りながら、リッツは動かずにいた。

 ふと振り返ったエドワードがそんなリッツに気がついて、足を止める人々を静かに室内へと導いていく。

 やがて静かに燭台の燃える芝の中庭には、リッツとアンナ二人だけが残された。

「行かないの、リッツ?」

 腕に抱かれたまま不思議そうに尋ねたアンナを、リッツは強く抱きしめた。

「リッツ?」

「アンナ……」

「どうしたの、リッツ」

 長い長い旅をしてきた。

 ずっと孤独に耐え、生きる意味を模索してもがいていた。

 ようやく見つけた居場所も、自分が歳をとらないという現実の前に恐怖し、逃げ出してしまった。

 居場所が見つからず、死にたいとさえ思って戦場に死に場所を求めたこともあった。

 なのにいつの間にか、ここに居場所が出来ていた。

 ずっとそばにいるといってくれるアンナがいて初めて、一人生き残る孤独に怯えずに周りを見ることが出来た。ここには、強い絆で結ばれている居場所があった。

 少しづつ変わっていくし、失うものも多くなっていくだろう。

 でもアンナがいる。

 彼女は今日の幸せを決して忘れないだろう。だから記憶を失いそうになったら、二人でこの日のことを思いだそう。

 今ここに、こんなに暖かい居場所があったことを、光の一族でも闇の一族でも関係なく、一人の人間として受け入れてくれる沢山の仲間たちがいたと言うことを、どれだけの時が経っても忘れず、二人で思いだそう。

 もう孤独に怯えて一人膝を抱える夜は二度と訪れないと信じて、前を向いて歩こう。

「俺、生きてるんだな」

「リッツ……」

「死なないで良かった。お前に会えて良かった」

 アンナは腕に抱き上げられたまま、ギュッとリッツの首筋に抱きついてくれた。

「生きてるよ。これからもずっと生きていくんだよ。一緒に」

「ああ」

 リッツが頷くとアンナは笑った。

「さ、みんなのところに行こう?」

「そうだな」

 リッツがそっとアンナを下ろすと、アンナは出会った頃から変わらない、陽光が煌めくように輝くそのエメラルドの瞳で、やさしく慈愛に満ちた微笑みを浮かべながらリッツを見つめた。

 アンナの姿に、生きる未来を初めて思い描く事が出来る。

 未来は、あった。

 リッツの前にも。

 だから歩けばいいのだ。道は決して途切れていない。

「行こう」

「ああ」

 リッツはアンナの華奢で柔らかな手を取った。 

こうして二人は幸せに暮らしました。めでたしめでたし。

……で終わりそうで終わらないこのシリーズ(笑)

この次は、『呑気な冒険者たちシリーズ完結記念本』収録の『アニバーサリー』の改訂版です。出会って十周年の記念の日、馬車にひかれたアンナは、丁度十年分の記憶を失っていて……。

お楽しみに~(^^)/

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