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旅路の果てに<8>

 リッツはベッドサイドの椅子に腰を下ろしてコーヒーを飲んでいた。

 部屋の中は昨日からずっと暖炉に火が入れっぱなしで暖かいから、リッツもコーヒーを取りに行く時にラフな服を羽織っただけだ。

 サイドテーブルには、アニーが作ったブランチ用のサンドイッチと、暖炉にかければ暖かくできる鉄瓶に入ったコーヒーが置かれている。総てリッツがアンナのために持ってきた物だ。

 アンナはといえば、ベットの中でまだ寝息を立てている。ここ数日ちゃんと眠れていなかったのに、昨晩もお互いの空白と寂しさを埋めるべく、寝る間も惜しんで愛し合ってしまったから、完全に疲れ切って全く目覚める気配がないのである。

 しみじみとアンナの寝顔を眺める。いつもは先に起きて支度しているから、こうして寝顔をじっくり見られることは滅多にない。もう一時間以上こうしてアンナを眺めているが、飽きる事などまるでない。

 閉じている目にかかるまつげは意外に長くて、薄いまぶたに落とす影が呼吸に合わせて小さく揺れている。

 微かに開いた唇は、少し色っぽい。今にも自分の名前を呼ばれそうでどきどきする。アンナに事の最中に甘い声で名前を呼ばれると、おかしくなるほど心地がいいのだ。いつものアンナが色っぽさとは対極にいるのに、そういう時のアンナは怖いぐらいに色っぽくて綺麗だ。

 そのギャップに、リッツはいつも夢中にさせられてしまう。これが意識的にやっているのではなく、全くの無意識だと言うから驚く。

 微かに寝返りを打ったアンナの肩が掛布から覗いた。吸い付くようにきめ細かな肌の感触とその白さが綺麗で、ずっと見ていたいが寒そうだからそっと掛布をかけた。

 それから静かに立ち上がって、床に脱ぎ散らされたままになっている服を拾い集めて、軍服とドレスは丁寧にクローゼットに掛け、下着は洗濯かごに放り込む。

 普段はアンナがやってくれるから、こうしてアンナの世話を焼くなんて初めてで、それが何故だか嬉しくて仕方ない。これも幸せという奴だろうな、と、静かな時間を噛みしめた。

 再び座ってアンナを眺めていると、アンナが微かに身動きをしてから体を起こした。さらりと掛布がはだけて、昨夜リッツが残した幾つもの赤い跡のある白い裸体が露わになる。その体にかかった赤い髪は、絹糸の様に光を反射して白い肩に緩やかに流れ落ちた。

 綺麗だなぁと思わず見とれた。

 そういえば胸が大きくなったと自慢していたが、昨日は夢中でよく分からなかった。でもこうして明るい光の中でみると、片手に収まってしまうほどだった乳房が、本当にふんわりと柔らかそうに丸みを帯びて膨らんでいる。

 体つきも一年前よりも一段と女性らしくなっていて、ウエストのラインも綺麗だ。そういえば出会った時と今を比べれば、ずいぶん身長も伸びている。昔はアンナのつむじばかり見ていた気がするが、今はもう少しアンナの顔を見られるようになった。

 それに出会った時と比べたら、この美しさはどうだろう。こんなに綺麗になるなんて、あの頃は夢にも思わなかった。

「ん……おはよぉ……」

 寝ぼけ眼のアンナが、小さく伸びをしながら言った。このあたりは出会った時とそんなに変わらない。

「おはよう、アンナ」

 目をこすっているアンナが、リッツの服装に気がついた。

「あれ? 起きてたの?」

「おう。腹減ってさ。お前も喰うか?」

 リッツがサンドイッチの皿を指さすと、アンナは嬉しそうに笑みを浮かべて手を伸ばす。その手にアンナの好きなタマゴサンドをのせてやった。それからコーヒーを温め直すために立ち上がって暖炉に向かう。

「わーい。アニーのサンドイッチだ。しかも軽い朝食用のハムサンドと、タマゴサンドだよぉ。これ美味しいよねぇ」

 ベットの上にちょこんと座ってアンナが嬉しそうにサンドイッチを食べている。そういえばパーティでろくにものを食べないまま帰ってきて今に至るわけだから、まともな食事は前日の昼以来だ。よく人間腹時計のアンナがもったものだ。

 そのせいで自分の格好なんてすっかり忘れて、サンドイッチを無心にほおばっているところが可愛い。

「はい、コーヒー」

「ありがとう! 喉渇いてたんだぁ」

「だろうと思ったよ」

 あれだけ愛し合ったのだから当たり前だ。だからコーヒーはぬるめだし、アニーに頼んで薄めに作って貰った。コーヒーを飲み干したアンナにもういっぱい入れてやってから、リッツは元の椅子に座ると、食事しているアンナをじっくりと眺める。

 無防備で、しかも食事のことしか考えていない気楽なところが、リッツは大好きなのだ。完全にリッツを信頼しきっているこの姿に、ものすごく癒される。

「どうしたの?」

 あらかたの食事を終えたアンナが、不思議そうにリッツを見る。

「ん? 無防備で可愛いなぁと思ってさ。そういうとこも好きなんだよなぁ」

「何が?」

「俺が見てるのに警戒心も何にもなく、裸で飯を喰ってるとこ」

「!」

 リッツの一言で我に返ったアンナは慌てて掛布をかぶった。

「先に言ってよ!」

「なんでだよ」

「だって、恥ずかしいもん!」

「そうか? 俺は楽しかったけど」

「楽しくないよ! って、あれ? 今何時?」

「もう昼回るとこ」

「ええっ! そんなに寝ちゃった?」

「ああ。よ~く寝てた」

 おかげで楽しく観察できて幸せだった。

「そっかぁ……起きないとね……」

 残念そうにアンナが呟く。残念な気持ちはリッツも同じだ。だから今日はあえてクレイトン邸の中で暮らしていることを無視させて貰おう。今日一日ぐらいは、アンナのことだけを考えて、アンナのことだけを見て、アンナに触れていたい。

「別に起きなくてもいいぞ。今日ぐらいはこうして一緒にいるってのもいいだろ?」

 さりげなくそういうと、アンナは少しだけ頬を染めた。アンナも離れがたい気持ちでいてくれたのがよく分かった。

「いいのかなぁ」

「いいんだ。一年以上離れていた恋人同士が、お互いの愛を確かめ合うのを誰か止めるか?」

「とめないね。少なくともこの家の家族は」

「だろ?」

「でも夕食は……?」

「さすがに夕食は下で食おう。俺も昨日帰ってきたくせにずっとこもりっぱなしはまずいだろうし」

 言いながらもリッツはベットに上がり、着ていたシャツを脱ぎ捨てる。そろそろ我慢も限界だ。アンナが欲しくてたまらない。コーヒーを飲んでいたアンナが、そっとカップをサイドテーブルに置いた。

「いいよな?」

「うん」

 カーテンから漏れる光の中で、頬を染めるアンナは綺麗だった。抱き寄せてアンナにキスをしようとして思い出した。

 今日、まさに今言うべきことがあった。

「ちょっと待ってくれ」

 そういうとリッツはベットを降りて、サイドテーブルにおいてあったベルベットの小箱を取った。

「? なあに」

 首をかしげるアンナの前で、リッツは床に跪く。

「え?」

 目を丸くしてリッツを見つめるアンナを見つめ返した。

「アンナ。これを受け取って欲しいんだ。傭兵で稼いだ金でこれを買うのは違う気がして、帰ってくるのが遅れちまったんだけど、ちゃんと俺が農作業で稼いで買ったんだ」

 何だか妙な言い方になったが、思った以上に緊張してしまう。黙ったまま見つめるアンナの前で、リッツは小箱を開いた。

「わぁ……綺麗……」

 アンナが感激したように呟く。そこには指輪が一つあった。アンナの杖と同じ白銀で出来た植物を模した台座に、小さな緑の宝石で出来た可憐な小花があしらわれている。でもそれは日常生活で着けていたとしても、全く邪魔にならない大きさだ。

「この花、エメラルドで出来てるんだ。お前の瞳と同じだなってずっと思ってた」

「素敵だね」

 アンナが微笑んだ。そんなアンナにリッツは頭を下げた。

「アンナ。五年近くも待たせてごめん」

「なあに、突然?」

「あの……だから……」

「リッツ?」

「俺と結婚して欲しい」

 意を決してそう告げたのに、アンナは黙ってしまった。不安になってきて顔を上げると、アンナは本気で困った顔をしている。

「駄目か?」

「ううん。そうじゃない。でも私、まだ医者になってない」

 アンナは学校を卒業したとはいえ、これから数年研修医をこなさなくては医者の資格が得られないのである。でもリッツは総ての決意が固まった今、彼女に申し込みたかった。

「いいんだ」

「いいの?」

「ああ。だってお前は俺と違って、間違いなく目的を達せられる。俺は信じてるからな」

「リッツ……」

「例え俺と結婚して一緒に暮らしても、それでお前が夢をかなえられなくなることなんて絶対無いだろ?」

「うん」

「それにその……俺は今お前と式を挙げる金がないから、お前が研修医をしてる間、一生懸命、金貯めるよ。だけど……今日、お前と一緒になりたい」

 アンナを見つめながらそういうと、アンナは瞳に涙をにじませながらも、ふわりと微笑んでくれた。

「じゃあもう一回やり直してもいい?」

「へ?」

 聞き返すと、アンナは微笑んだ。

「だって、今の状況じゃ答えにくいよ。だからもう一度、言って貰ってもいい?」

 アンナの穏やかな言葉にリッツは再び勇気を結集して、更に真剣に、潤んだアンナの瞳を見つめる。今度は言葉がするりと出てきた。

「絶対に幸せにするから、俺と結婚してください」

 アンナの目からこらえきれずに涙がこぼれた。

「はい。よろこんで」

「本当にいいか? 俺でも」

「うん。こんな素敵な人、誰にも渡したくないもん」

「アンナ……」

 言葉に詰まるリッツに、アンナはそっと手を差し出してくれた。

「リッツ」

 呼ばれて我に返ったリッツは、小箱から指輪を取り出して恐る恐るアンナの薬指にはめる。何故だか手が震えて上手くいかない。

「あれ、変だな……」

「落ち着いて、リッツ」

「あ、入った」

 少しもたつきはしたが、指輪は無事にアンナの薬指に収まった。アンナのサイズはちゃんとパトリシアに聞いていたから、ぴったりだ。

 まだ二人にはちゃんと二人で住む場所もないし、式を挙げるお金もない。アンナは研修医だし、リッツはまた教官に戻らなければならない。

 でもこの指輪が二人の立場を、婚約者から夫婦に変えてくれた。

 アンナが大切そうに指にはめた指輪を撫でた。それからまだ涙を浮かべたまま、照れくさそうに頬を染めて言った。

「式はまだ先だけど、もう、今からリッツの奥さんでいいのかな?」

「いい。俺も今からお前の夫ってことで」

 口に出すと、何だか妙に照れくさくて恥ずかしい。でもくすぐったいけれど、どうしようもないほど嬉しかった。

「それから籍の方は、ちょっと確認しとくな。俺、そもそも特別自治区の人間だし」

「あ、そうだね。でも大臣だからユリスラにあると思うけど?」

「そりゃそうか。そういや、ユリスラの通行証を持ってるな」

「エドさんに聞いてみれば分かるよ」

「そうだな。お前のは俺が持ってる。お前と婚約した時にアントン神官から預かった」

「そうだったんだぁ……知らなかったなぁ」

「シアーズの役場に出せばいいんだよな? 俺たちが住むの、シアーズだろうし」

「そうだね」

 そんな世間的な話も、夫婦になるんだと思うと妙にくすぐったい。

「本当に夫婦になるんだねぇ……」

 アンナが感慨深く、でも幸せそうに呟いた。

「そうだな、っと!」

 照れ隠しにリッツはベットに飛び乗って、そのままの勢いでアンナを押し倒した。小柄アンナは抵抗もせずにあっさりとベットに押しつけられる。

「覚悟しとけよアンナ。一生離さねえからな」

「リッツこそ。浮気したりしたら、絶対に許さないんだからね!」

「しねえよ。俺が抱きたいのはお前だけだ」

「よかったぁ、私もリッツだけだもん」

 そして二人で笑い合って、それからお互いを慈しむようにしっかりと抱き合い、愛しさを込めて唇を重ね合った。

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