旅路の果てに<5>
秋も深まる十一月。ユリスラ王国シアーズにほど近いのどかな農村地帯は、冬の準備に大忙しだった。リッツは広大な牧草地のど真ん中で大きく伸びをする。ここいらの牧草を全部刈り取って干し草にしなければ、牛の冬の食料が無くなってしまう。
「お~い、兄ちゃん、休憩するかい?」
「しま~す」
ぼさぼさの髪にひげ面のリッツは、笑みを浮かべて農民に手を振った。
「う~ん、平和だ」
シュジュンで予定されていた大規模戦闘は、かなり小規模に終わってしまった。湾に乗り込もうとしていた船はみな、ゼウムの精霊使い部隊が集められた軍事施設から攻撃を受けて完膚無きまでに破壊し尽くされ、内陸からの部隊は呼応する部隊の無いままに半ば敗走するようにシュジュンに落ち延びたのだ。
思う存分暴れられると思って集まっていたのに、予想外の小規模戦闘に、シュジュンでくさる傭兵たちの中にあってロベールはただ一人、何らかの決意を秘めて前を向き続けていた。だがロベールはシュジュンで何も言ってはこず、相変わらず一人で座っていた。
そんな中でリッツは戦場のくだらなさに、飽き飽きしたといった表情で部下たちと接し、そしてこっそりと総てを副長のレナードに打ち明けた。
自分が亜人種であること、ユリスラで英雄視されている存在であること、大陸間ネットワークの立ち上げ、そして故郷に婚約者がいて待っていることも総てだ。
レナードは古い傭兵だ。彼はギルバートの伝説を知っていたし、リッツがギルバードの後継者であることも心得ている、たった一人の男なのだ。
総てを聞いたレナードは微笑みを浮かべて、新たな目的のために戦場を捨てる覚悟のリッツに祝福を送ってくれた。
正直レナードが送ってくれることにリッツは心からほっとした。長年共に戦場を渡り歩いてきたレナードだから、分かってくれるだろう事ぐらい察していたが、本当に許されるのは大きく違う。
だが後継者としての大剣を彼は固辞した。レナードはそれにふさわしい男が別にいるというのである。それが誰なのか尋ねても、レナードは微笑を浮かべたまま、答えてはくれなかった。
大剣を託すために来たはずなのに、渡す相手が見つからない。傭兵から足を洗うという当初の目的はレナードによって達成されたが、この大剣をどうするべきなのか、リッツは考えあぐねていた。
それから数日後、リッツはスイエンへと向かう船に乗った。消化不良でシュジュンに残る傭兵が多い中で、船はいつもにまして空いている。その中にロベールの姿があった。
シュジュンではずっとリッツを避けていたロベールだったが、船に乗ってからおずおずとリッツの元にやってきて、内乱の話と亜人種の話を聞きたがった。リッツはそんなロベールに内乱の話と、リッツや仲間たちがたどった亜人種を巡る旅の話をした。亜人種とは何か、亜人種との共存とは何か。それを詳しく話して聞かせた。
詳しく話すのにはずいぶんと長い時間がかかった。だがロベールはただ黙ってずっとその話を聞き続けた。彼は本気で戦争を止める手立てをリッツの話の中から導き出そうとしていたのだ。
でもリッツは真実を隠した。それは闇の一族が何故、暗殺や謀略に手を出すのかと言うところだ。闇の一族は、科学の進歩を妨害することでこの大陸を守っている。そして彼らの上には世界の均衡を守り、この大陸を守る神がいる。彼が大陸のために戦争を作り出している。だがそれを話すことは、オルフェを裏切ることになる。
総て話し終わったのは、船がスイエンの港につく直前だった。
「いいか、ロベール。俺の話は全部お前の心の中にしまっとけ。絶対口にするなよ」
「はい」
「で、お前はこれを聞いてどうしたいんだ?」
リッツが問いかけると、ロベールは初めて微笑んだ。
「やはり戦争を終わらせたいです。だからこれから俺は上り詰めますよ。歯を食いしばって、どんなことにも耐えて、それで上り詰めて見せます。そして人間と闇の一族の架け橋を作り上げて見せます」
その笑顔には決して折れることのない決意が輝いていた。その輝きは、エドワードの、そしてアンナの不屈の心に似ていて、少し眩しい。
彼は本当にやるべき事を見つけたのだ。父親の過去の呪縛、そして探さねばならなかった人物との出会い。総てを達成した彼は初めて自由に歩む道を自分の足で歩み始めた。
それは茨の道になるだろう。
だが彼は目的のために生き抜くに違いない。
「本気か?」
「本気です」
「そうか」
「はい。取りますよ、頂点」
ロベールは笑顔で頷いた。それは確固たる決意に満ちた笑顔だった。
「生きろよ。ロベール」
心からリッツはそう願った。こういう男がいてくれないと、世界は面白くない。戦争を終わらせて世界を変える。世間はそれを聞いて馬鹿なことを、と笑うだろう。
だが世界を変えられる力を持つ人は確かに存在している。人はそれを、成し遂げられた瞬間に初めて知るのだ。
「俺はこの先何百年も生きてお前のやることを、遠くから見ていてやる」
「あなたも。大陸間ネットワーク、楽しみにしてます。俺が生きているうちに、タルニエンにも伸ばしてください」
「ああ。努力する」
船を下りた二人は、固く握手をしてお互いに背を向けた。
だがリッツは唐突に気がついたのだ。ロベールが何故この船に乗ったのか、そしてどうしてリッツに話を聞きに来たのかを。きっとこれはレナードの差し金だ。
ならばレナードも気がついたのだ。ロベールが世界を変える可能性を持っている男だと言うことに。長年戦場にいると、ごくたまに命の輝きが他とは違う人間を目の当たりにする。レナードも戦場経験が長い。その彼がロベールの中に命の輝きを見たのだろう。
そして気がついたのだ。自分よりギルバートの大剣を持つのにふさわしい男の存在に。
「ロベール!」
振り返ってリッツが呼ぶと、ロベールが振り返った。そのロベールに向けて大剣を放る。
「隊長?」
大剣を受け取ったロベールが困惑したようにリッツを見た。
「お前の剣をよこせ」
「え?」
「それはお前にやる」
ロベールの目が驚きで最大限に見開かれた。ロベールは当然この大剣が、リッツ・アルスターという傭兵隊長の象徴であることを知っているのだ。
「大事なものですよね?」
大剣を両手で支えてロベールが戸惑ったように問いかけた。
「いいんだ。お前にやりたくなった。俺とレナードから、お前へのプレゼントだ」
ここにもフランツやアンナと同じように、総ての人種が共に自由に生きられる事を考え始めた人間がいる。彼が頂点を目指すならば、きっと彼は戦場を平穏の地へと導くことが出来るだろう。苦労は多く、道は険しいに違いない。だが信じて進むならきっと彼の前に道が開けるはずだ。
「俺じゃなくて、お前が持つのにふさわしいんだ。これは天下を取る者がもつ剣だからな」
明るく言い切ると、ロベールは手の甲でそっと涙をぬぐった。きっと亜人種であるリッツの強い思いを受け取ってくれたのだろう。
「泣いてんじゃねえぞ!」
「隊長……」
「世界を変えろ、ロベール」
笑顔でリッツがそう言って片手を上げると、ロベールは迷い無い笑顔で笑った。
「はい!」
そしてロベールは自分の剣をリッツに向かって放った。リッツがそれを受け取ると、ロベールはリッツに頭を下げた。
「お元気で、アルスター大臣閣下」
「お前もな」
そしてその日からリッツの得物は大剣ではなく、ロベールの剣になった。少々軽いものの、大剣に近い形状だからそんなに苦ではない。
大変なのは大剣を扱うことになるロベールだろう。だが世界を変えるつもりなら、きっと大剣を見事に使いこなすようになるだろう。
世界を変えるかも知れない男に大剣を託したと知れば、ギルバートも墓の下できっと満足げに笑うだろう。
ロベールと別れ、リッツがチウジーから時計を受け取ったのは九月も終わりだった。もうこの時点で約束の日を一月近く過ぎている。
そのままユリスラ行きの船に乗ったのだが、リッツは傭兵として血に汚れた手のままでアンナの前に立つことを躊躇した。
結婚を申し込むには懐が温かいからちょうどいいし、少しでも早く彼女に会いたい。だがこの金とこの手で彼女に結婚を申し込むことが躊躇われる。
シアーズに着いたのは十月の終わりだったが、リッツはひげ面に伸び放題の頭のまま、シアーズで一頭の馬を買ってそのままシアーズを離れ、働き手がいなくて困っているという情報を聞きつけた近くの農場に転がり込んだ。
それから半月、リッツは延々と牧草の刈り取りにいそしんでいる。ここで冬まで働いて、何とかアンナに結婚を申し込むための指輪を買う金を作りたかった。彼女にはやはり人殺しではなく、人を生かすための仕事で稼いだ金で買った指輪をあげたかった。
それにこうして地に足を着けて暮らしていれば、血のにおいが薄れるような気がしたのだ。もう傭兵からは足を洗った。もう二度と傭兵として戦場に赴くことはないだろう。
だからこそ傭兵隊長リッツ・アルスターをこの土の中に捨てて、一人の男としてアンナの元に戻りたい。
十二月に入り、雪がちらつくことに牧草の刈り取り作業は終了した。一月半分の給料と肉体労働の手当、そして冬物野菜を貰ったリッツは、ようやくアンナの待つシアーズへと馬を走らせた。




