旅路の果てに<4>
シアーズの夏は暑い。特に八月は暑い。時折吹く潮風は涼しいのだが、湿気を含んでいてべたつく感じだ。この時期にはアンナは髪をアップにまとめている。
リッツが旅に出てから、もうすぐ一年になる。リッツがもうすぐ帰ってくる。そう思うと最近は元気に勉強や日常生活をこなせるようになってきた。リッツがいなくなった最初の半年は辛かったけれど、今はあの頃に比べると格段楽だ。
指折り数えてリッツの帰る日を待ち、カレンダーに印をつける。少しずつそれが減っていくのが嬉しくて仕方ない。
でもただ待っているだけではいけない。そう自分を戒めて、アンナは今まで以上に勉学に励んでいた。
今年も軍学校ではキャンプがあったのだが四年目である一期生は、下級生と戦う役を任せられて、例年にはない大怪我続出のキャンプになってしまった。おかげで医学専攻部は大忙しだった。
アンナに課された毎年の使命は、治療に決して治癒魔法を使わないことだったから、本当の意味での治療に大忙しだった。キャンプが終わる頃には、麻酔薬をしみこませたガーゼで局部麻酔をかけて、針で縫うのがかなり上手くなった。ギャアギャア騒ぐ生徒を縫った後に、背中をパチンと叩いて『はい、終わり!』と告げるところなど、本物の軍医のようだと言われたりもした。
軍医長は刺繍が得意なアンナの筋がいいと褒めてくれたのだが、刺繍と怪我を縫うことはかなり違うとアンナは思う。それでもアンナは自分の手が人を治すことができることに、自信を持ち始めていた。
治癒魔法なら一瞬で治せる怪我も、こうして治療してみると大変なのがよく分かる。だけどアンナの治癒魔法には限界があることもよく分かっていた。例えばリッツが前に死にかけたあの怪我。
肋骨骨折と、その骨によって突き破られた肺の出血、呼吸困難。これはアンナの治癒能力の限界を超える。あの場合に治癒魔法が出来ることは、血を止め、傷をふさぐことだけなのである。
治癒魔法はもともと体の中の水を利用して発動する。だから血液に関係する治癒は得意なのだが、完全に折れてつなぎ合わせなくてはならない骨折や、血で溢れた肺を治癒することは困難だ。もしアンナしかあの場にいなかったならリッツは死んでいたし、もし生き残ったとしても、起き上がることが出来ない体になっていただろう。
死にかけたリッツを助けたのは、軍医長だった。
軍医長は、意識のないリッツの胸を開け、切除した肺から手早く血を抜いてアンナに肺の傷をふさぐように命じた。アンナは軍医長に言われるままに治癒能力を使った。骨折を繋ぎあわせて元の位置に戻したところでも治癒魔法を使って骨をつなげた。そして軍医長が縫い合わせた胸を、治癒魔法で完全にふさいだ。
その間ずっと心臓が強く鼓動を続けていてくれたおかげで、リッツは命を繋いだのだ。
その後もアンナは全力でリッツの体に耳を傾けた。傷口はアンナの治癒魔法で塞がったけれど、体の中はまだボロボロで、アンナに出来ることはずっと体の中を考えながら、肺に力を送り続けることと、リッツの意識が戻るように祈ることだけだったのだ。
軍医長だけでも、アンナだけでもリッツを生かすことは出来なかったのだ。でも医療を完全に自分のものにすれば、きっとアンナはあの状態のリッツを救うことが出来るようになる。
そうなれば沢山の人を救えるのかも知れないし、リッツと共に生きる中で、どんなことになってもリッツを救えるのだという自信も出てきた。
そんな大忙しの日々の中、一緒に学んでいる教養課程の時間が終わってすぐにジョーとヘレンがやってきた。
「アンナ! ダンスパーティってどうよ?」
唐突にジョーに言われて首をかしげた。
「え? 何のこと?」
「年末にさ、軍学校でダンスパーティをしないかって考えてんの!」
「なんで?」
「だってもう卒業だよ?」
「あ……そうだよね」
今年いっぱいで楽しかった学生生活も終わりを告げてしまう。アンナはその後に軍医局に所属してあちこちの病院と提携する研修医を務めなくてはならないし、ジョーやヘレンは正式にユリスラ軍所属となる。四年間一緒に過ごしてきた仲間は皆、バラバラになってしまうのだ。
「で、卒業と言ったらダンスパーティっしょ!」
「そうなの?」
アンナにはダンスパーティというもの自体がピンとこない。いったい何をしに集まるのか、ダンスって何なのか全く見当が付いていないのだ。そんなアンナに業を煮やしたのか、ヘレンがジョーとアンナの間に割って入った。
「セシリア記念女学院のダンスパーティぐらい、アンナも知ってるでしょう?」
「? 知らないよぉ?」
「あーもう! このおとぼけ娘!」
そういうと、金の髪を掻き上げて、ヘレンが説明してくれた。セシリア記念女学院のダンスパーティとは、中流家庭から上流家庭までの子女が通うセシリア女学院の名物で、卒業式の後に盛大に行われるダンスパーティなのだそうだ。生徒はみな意中の男性をパーティに誘い、男女一組で参加する。それが結婚相手探しにも繋がるというのだから恐れ入る。
その華やかさにあこがれて、今では色々な学校で卒業式後にダンスパーティが開かれるようになったらしい。
「士官学校にもあるのよ? 軍学校にもあっていいじゃない! 私たち一期生が動かないと伝統は作れないのよ! 作らないこと、伝統!」
「うん。いいと思うよ」
ヘレンのあまりの力説にアンナは思わず頷く。でも問題点にもすぐに気がついてしまった。
「ええっとぉ……軍学校って、男子ばっかりだよね? 女子は私たちをふくめて一期生十人だけだよ?」
ヘレンとジョーががっくりとうなだれた。
「あれ? 私悪いこと言った?」
思わず二人を凝視すると、二人が盛大にため息をついた。
「そこなのよぉ~。そこが問題で教官の許可が下りないのよ」
「だいたいにおいて男女の比率悪すぎない!?」
「軍学校だから普通だよ?」
アンナが一応突っ込んだが、自分たちの妄想に突入してしまった二人には聞こえない。
「せっかくこの青春の時代に学生時代を過ごすっての言うのに、ダンスパーティも無しだなんて、切なすぎだろ!」
「そうですわ。青春の花、ダンスパーティ! きらびやかに輝くシャンデリア、楽団の奏でる音楽、そしてすてきな殿方。これが乙女の理想でしょう!?」
二人の力説に、アンナは首をかしげた。
「そうなのかなぁ……」
「そうなの!」
二人同時に断言されて、アンナは困った。
「じゃあさ、セシリア女学院と反対に、男子が女子を誘ってくるって事にしたらどうなのかな?」
「それも提案したけどさ」
「うちの男どもは実務に忙しすぎてほとんど彼女無しなんだよね」
「あ~。そうだよねぇ……」
軍学校は他の学校よりも格段に厳しい。寮に通っている子たちにとっては、寮と学校を往復するだけが学生生活といった子も少なくないのだ。
「じゃあじゃあ、生徒の家族もみんな呼んで、謝恩会みたいのは?」
「家族をよぶ~?」
今度は二人同時の文句だ。
「アンナ、あなた自分の家族に恋人といちゃいちゃしてるとこ見られても恥ずかしくないの?」
「え?」
言われてリッツとべたべたしているところに、養父がいるのを想像してしまった。
「あ、かなり恥ずかしいかも」
「でしょう? だからあくまでもダンスパーティがいいの!」
「う~ん……」
アンナは唸るしかない。この状況を脱する手立てがアンナには全く思いつかないのだ。こんな時はリッツならどうするかなと考えて、ふと、あのいい加減なはったりを思い出す。
「リッ……じゃない、私の恋人ならね。きっと男子が女子を連れてくる案に賛成だと思うな。もし彼がここにいたら、女性の一人二人口説き落とせない男が、軍の荒波を渡っていけるかとか、軍人たるもの、女性をエスコートしてなんぼだろとか、そんなことを言うと思うんだ」
「あ~。なるほど」
アンナの恋人が誰かを知っているジョーは深々と頷いた。
「アンナの恋人って……本当にあなたからは想像できないわね。一度お目にかかりたいわ」
ヘレンがあきれたように言った。当然だけれど、ヘレンは一年生の間一日に一度はその恋人と顔を合わせていたし、剣術の授業でボロボロにされていたのだが、それは口に出来ない。
「どうしてもダンスパーティをやりたいなら、それで押しまくるしかないんじゃないかな。それから、教官たちよりもアルトマン校長に直接談判した方が話の通りが早いと思うよ」
アルトマンもなんだかんだ言ってリッツの仲間の一人でのりがいい。ならばこの話に乗る可能性が一番高いのは、アルトマンだろう。
「そっか! そうだよね! よし、もう一度チャレンジするぜ、ヘレン!」
「分かったわ! 今度こそ勝利を勝ち取りましょう!」
二人が力を込めて宣言した。
「えっと、あの……頑張ってね?」
思わずそう投げかけると、ジョーが耳元に囁いた。
「もうすぐ師匠が帰ってくるから、一緒に踊れるね、アンナ」
「ええっ!?」
「卒業したら、もう師匠はアンナの教官じゃないだろ? 一緒に踊ればいいじゃん。みんなびっくりするよ?」
思わず一緒に踊るのを想像したアンナは顔が熱くなるのを感じて頬を押さえた。
「でもぉ、いいのかなぁ~」
そんなアンナの両側から、ジョーとヘレンが腕を取った。
「さ、いこいこ」
「え? え?」
「校長室はこっちよ」
「ちょっと待ってよぉ」
アンナは二人に引きずられながら、校長室に連れて行かれることになった。
こうして二人とその他女子たちの熱い熱い要望により、卒業ダンスパーティが決定したのだった。