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キャンプに行こう!<2>

 なるべく教官たちから遠いところに逃げるという作戦で、森の奥へと逃げ込んだジョーたちは、ようやく一段落付いて座り込んだ。

 早朝シアーズの大門前に集合してから歩き通しで山頂まで来て、今度は逃げるという状況では休むことも出来なかったから、ようやくの休憩だ。シアーズに住む者は自宅から、遠い者は寮から持ってきた弁当があるから、それを口に入れながらの話し合いになった。

 ジョーが持ってきたのは、アニーが作ったご自慢のサーモンサンドだ。おそらく一緒に家を出たリッツも同じ物を持っているだろう。しかもアンナの分と二人分だ。気を利かせてアニーが作っていたのを見た。当然のことながら、養父エヴァンスも同じ物を持って仕事に行ったはずだ。

 何だか家族だなぁと、しみじみ思っていると、もう一人のことを思い出した。

 フランツは高等政務学院が夏期休暇に入っていて、昨日は朝早くから外出していたから、弁当無しに違いない。可愛そう、これ大好物なのに。

 ちょっとだけ同情しつつ、ジョーはサンドイッチを口に放り込む。

「ん、美味しい!」

 夏期休暇に入ってから、グレイグが毎日のようにフランツを遊びに誘いに来るから、フランツも辟易しているようで、どこか静かなところへ避難したいとぼやいていた。きっとどこかに逃げたに違いない。

「で、どうする?」

 遅い昼食をとり、全員が何となく一息ついたところで、ジョーが全員に尋ねた。

「どうするって言ったって、対処しようがないわよ」

 自慢の明るい金髪を一つにまとめて質素なリボンで結んでいるヘレンが肩をすくめた。いつもの制服よりも格段に地味なこの作業着が浮いて見える。彼女は貴族のお嬢様で、制服ですらかなり地味に見えている。休日に会うと私服は豪華なものが多いのだ。きっとモスグリーンの作業服なんて着たことはなかっただろう。

 それでも彼女は精霊使いとして名を馳せ、内戦以後特権も何もないのに貴族として家名を上げるという目標のために文句を言わない。気が強くても芯の強い彼女が、ジョーは嫌いではない。そんなヘレンは姿に似合わず、最も地味な土の精霊使いだ。

 入学してから数ヶ月は、精霊使いなのに医学専攻にいて、しかもどう見ても大人びては見えないアンナに恋人がいると知って、勝手に闘志を燃やしていた。だが最近はそうでもなく、文句を言ったり嫌味を言ったりはするものの、基本的にアンナとも仲がいい。

 だいたいにおいて、アンナと長い間敵対するというのはなかなか難しいのだ。何しろアンナは誰とでも友達になろうとするのだから。

 しばらく無言で食べ続け、弁当がほぼすべて腹に収まったのを待って口を開く。

「とにかくさ、ねぐら欲しくない? 一週間でしょ?本拠地を作って、その周りで活動するってのが理想じゃない?」

 立ち上がりながらジョーが提案すると、全員が賛成してくれた。

「んで、ねぐらはどこにしよっか?」 

 この森の中で安全な場所はあるのか、それが思いつかない。全員で頭を絞り、ようやく口を開いたのはジャンだった。

「とりあえず、攻撃が一定方向からしか来ない、しのぎやすい場所を探そう。教官たちが攻撃を仕掛けてくるのなら、迎撃できる場所を確保しておいた方が安全な気がする」

 ジャンの言葉に頷く。軍学校に入ってまだ八ヶ月。森を彷徨って取り囲まれたりしたらお終いだ。それならば落ち着いて迎撃態勢をとりつつ、一週間の食料を確保した方がいいだろう。

「何処かに壁を探そう。この山の様子を見てると、崖下が壁になっているところがあるはずだ。見つかればラッキーじゃないかな」

 穏やかなジャンの提案に、全員が同意し、荷物を手に取った。

「移動だ」

 提案したジャンが先頭に立って歩き始めた。山の更に高い方向を目指して歩いて行く。壁を探すならば、当然の選択だ。高くなっている方にどん詰まりがあるに決まっている。

 それに低い方に行って日が暮れたりしたら、足下を見誤って転落するかも知れない。

 朝からの疲れで言葉も出ずに黙々と山を登っていると、ごつごつとした岩場が現れた。周りを見渡すと、木々の向こうに自然に出来たと思われる岩の割れ目があった。

「みんな、あれ!」

 ジョーが指さすと、喚起の声が上がった。おあつらえ向きの洞窟だ。洞窟の前には、狭くはあるが、一応迎撃に向く空間が出来ている。夜に火を焚いていれば、滅多なことでは奇襲を受けたりしないだろう。

 疲れを忘れて全員が岩をよじ登る。これでようやく一息着けると思うと体が軽い。

 だが洞窟に駆け寄った一同は、洞窟の中から揺れる灯りが漏れていることに気がついて立ち止まってしまった。

 誰か先客がいる。

 自然と剣術使いのジョーとジャンが剣に手を掛けて前に出た。様子を窺うなら、二人が適任だ。だがジョーの鼓動は上がりっぱなしだった。今まで剣術の稽古はしてきている物の、怪我するほどの攻撃を仕掛けると教官に宣言されたのは初めてなのだ。つまり教官たちは、真剣を抜いてかかってくると思っていい。

 今までは相手がばてたり動けなくなったりすると、次の生徒に交替すれば済んだ。時にはこてんぱんにされることもあったが、真剣を使ったことはない。

「……教官たちかな?」

 緊張してかすれる声でジャンに声を掛けると、ジャンは同じく緊張感いっぱいの顔で答えた。

「まさか……どうやって先回りするのさ」

「だよね」

 じりじりと洞窟の入り口に近寄り、左右の壁にぺたりと張り付いた。

「せいので飛び込む?」

 ジャンに尋ねられて、ジョーは唸った。

「……一般人だったらやばくない?」

「あ、そうか、どうしよう」

 剣術の腕は確かなくせに、ジャンは心底困った顔をして唸る。何せ二人とも経験が足りない。

「違ったら、ごめんなさいって平謝りするってのは?」

「それがいいね。教官だったらやばいわけだし」

「……じゃ、いく?」

「そうしよう」

 二人は大きく息を吸った。

「せいの……それ!」

 剣を抜いて二人で洞窟に飛び込む。身をかがめて剣を抜いたジョーはあっさりと剣を抜きはなったが、少々背の高いジャンは狭い洞窟の天井に剣をぶつけてよろめいた。だがすぐに体勢を整えて低く構える。

「誰かいるのか!」

「出てこい!」

 返事はなく、人の気配もない。

「誰もいない?」

 緊張した二人の声は洞窟内に響き渡ったが、そこには誰もいなかった。ホールになってからすぐに行き止まりになっているこの洞窟に隠れるところはなさそうだ。ということはこの洞窟には今、誰もいないということになる。

 ゆっくりと剣を下ろすと、鞘に収める。

「何で誰もいないんだろう」

 ジョーの隣で同じく剣を治めたジャンが首を捻っている。こんなに不思議なことはない。人はいないというのに、一段高いテーブル状の岩棚の上に置かれたランプは、まだ勢いよく燃えている。この燃え方だと、オイルが減っていないだろう。ならば少し前まで人がいた、ということになる。

 そして洞窟の片隅には布袋に入った食料が置かれていた。中を確認しても、普通の家庭で食べるものと変わりない、シアーズの物だ。

「おかしいなぁ……」

 ジョーが呟くと、入り口からのぞき込んだマークが二人を呼んだ。

「出てこいよ! 洞窟にいた人、帰ってきたぞ」

「洞窟にいた人?」

 思わず大声で聞き返すと、マークが笑った。

「そ。山菜採りに来ていたおじいさんだ」

 聞いたジョーは力が抜けた。この山はシアーズの人々がよく利用する山なのだ。そんな庶民の山に軍学校が入っているだけで、一般の人々だっている可能性があった。

「なんだぁ……教官かと思ってびびったよ」

 ため息混じりにジョーは呟いた。緊張感が一気に無くなってしまう。

「行こうぜジャン。この時間じゃそのおじいさんはここ宿泊だろ? あたしたちのねぐらには出来ないよ」

「そうだね」

「日が暮れる前にちゃんとねぐらを探さないと」

 二人でそんな会話をしながら洞窟から出ると、他の四人の仲間たちが、麦わら帽子に汗拭きのタオルを巻いた老人と世間話に興じているのが分かった。ジョーの目からは後ろ姿しか見えないが、自衛のためか老人の腰には剣がつられており、薄明るい中でも分かる金色の長い髪は三つ編みにされていた。

「ちょっとあなたも来なさいよ。おじいさんの話、面白いのよ」

 上機嫌のヘレンに呼ばれてジョーはヘレンの隣に座りかけた。だが老人の顔を偶然目にしたとたん、凍り付く。

 まさかこんなところに……本物だろうか?

 自然と剣に手をかけ、低くヘレンに命じた。

「ヘレン、離れろ」

「え?」

「マディス、ハンス、ヘレンを守って!」

「ジョー?」

「ジャンはフォローよろしく!」

 全員が困惑する中で、ジョーは剣を抜いて老人に斬りかかった。とたん老人の麦わら帽子が宙を舞い、三つ編みの金髪がふわりと動いた。

「ジョー!」

 全員がジョーの突然の行動に驚きの声を上げたが、一人平然としているのは老人だった。老人は素早く剣を抜いて、必死だったジョーの剣をいとも容易く片手で受け止めている。

「くっ!」

 力を込めて押しているはずなのに、震えるのはジョーの剣だけで、岩か巨木にでも打ち込んでいるかのように、老人の剣は微動だにしない。

 やがて老人の手が軽く閃いたかと思うと、ジョーの剣を打った。とっさに打ち返した物の、手応えはほぼ無い。簡単に受け止められている。

「君の班だったか、ジョー」

 老人はゆっくりと目を上げて微笑んだ。瞳の色は叡智の輝きに満ちた綺麗な水色だ。ジョーは息をのんだ。やっぱり本物だ。

 エドワード・バルディア。正式名エドワード四世、通称英雄王エドワード。現在の称号は大公。つまりはジョーの師匠の親友だ。

「……何故ここにいるんですか?」

「暇つぶし……さ」

 言葉が終わると同時にジョーは剣ごとはね飛ばされていた。エドワードはその年とは思えないほど身軽に身を起こし、両手で剣を構えた。隙も無駄もない完璧で綺麗な立ち姿だ。

 師匠のように攻撃的な要素を滲ませるでもなく静かだが、その威厳ある姿からにじみ出る気迫は、並大抵ではない。

 思い切り倒れ込んだジョーを守るべく、呆然としていたジャンが剣を抜いた。

「何者だ!」

「山菜狩りの老いぼれですよ」

「嘘だ!」

 叫んだジャンがじりじりと間合いを詰めるのを、エドワードは楽しそうに眺めていた。その手にある剣は、エドワードが普段愛用している王家の紋章が入った剣だ。いくら山菜採りに来た老人のふりをしていたって、見る人が見れば分かる。

 ジャンがエドワードに斬りかかったが、あっさりと交わされている。呆然としていたマディスとハンスもそれに加わるも、三人がかりでも全く歯が立たない。

 仲間たちは激しく打ち込んでいるというのに、エドワードは最小限の動きで攻撃をかわし、柔軟な動きで若者三人を翻弄する。

 相手が山菜狩りの老人だと思っている三人はムキになっているから、全く動きに協調性がない。これは駄目だ。こんな動きで、かの英雄王を仕留められる確率なんて万に一つもあり得ない。

 ジョーは深くため息をついて仲間とエドワードの打ち合いを見た。エドワードは、とても楽しそうだ。

 そういえばアンナに聞く限り、この人はものすごく楽しいこと好きだった。しかも王位を息子に譲ってからは暇をもてあましていると聞く。つまり何処かから地獄のキャンプのことを聞きつけて、無理矢理乗り込んできたに違いない。

「あの……質問です」

 立ち直ったジョーが起き上がって、おしりのホコリを叩きながら戦闘まっただ中のエドワードに尋ねる。エドワードは攻撃の手を緩めるでもなく、三人を翻弄しながらもいつもの口調で聞き返した。

「なんだね?」

「本気でかかってこられると、我々六人は全滅しますけど手加減無しですか?」

 ジョーの言葉に全員が目をむく。

「ちょっと待てよジョー、俺たちは軍学生だぞ? 何で山菜採りの老人に全滅させられるんだよ」

 マークの言葉に、ジョーはため息をついた。

「マーク、あんたさ、情報専攻だよね?」

「そうだよ」

「んじゃあさ、いち早くこの人が誰だか気がついて、全員に教えなきゃ駄目じゃん?」

「え?」

「情報収集ってさ、こまめに色々気がつかなきゃいけないでしょうよ。あんた軍学校の情報屋気取ってたよね?」

 ため息混じりに言うと、マークは少し気を悪くしたような顔で答える。

「そうだけど?」

「じゃあこれが誰か当ててよ」

「このおじいさんを?」

「そう」

 分からないといった顔でマークが小さく首を振る。

 一方戦っていた三人はじりじりと後ずさっていた。自分のペースを上手くつかまえずに四苦八苦しているのだ。間合いをとってから全員が、穏やかな笑みを浮かべていかにも好々爺といった表情で立つエドワードを凝視した。

「休憩かね?」

 穏やかに笑ったエドワードの表情は、やはり山菜採りの好々爺だ。

 ジョー以外の全員が困惑しているのが手に取るように分かる。彼らはみな、英雄王エドワードは知っているけれど、リッツの悪友であるエドワードを知らないから無理もない。

 だいたいにおいて、国王の時とクレイトン邸の自分専用揺り椅子でくつろぐときのエドワードはまるで別人だ。威厳に満ち、近づきがたいはずの英雄王が、英雄王の片割れと歌われるリッツと子供じみた喧嘩をして、リッツの頬を抓り上げている図は、どう考えても異様である。

 最初は度肝を抜かれたが、何年も繰り返されると人は自然に慣れるものである。今は玄関を開けてエドワードが立っていてもパニックに陥ることはなく、手土産が何かを推測する余裕も出来た。

 ちなみに専用の揺り椅子は、エドワードが街に出た時に気に入って注文してきた物だ。家具屋の配送員が大きな揺り椅子を抱えて入って来た時は全員が唖然としたのだが、その日に納入されると分かっていたエドワードは、平然とその場でサインをして揺り椅子を受け取り、それ以後談話室でのエドワードの特等席となった。

 ごくたまに、死んだら揺り椅子をフランツに譲ってやるなどと冗談をいい、真面目なフランツを困らせていたりする。

 そんなことをぼんやり考えていたジョーをよそに、最初にエドワードの正体に気がついたのは、貴族の娘であるヘレンだった。

「あ……剣の紋章……」

 ヘレンの呟きに、全員の視線がそこに集中する。貴族や王族は家紋の入った剣を持つことが多い。当然貴族であるヘレンの短剣にも家紋が入っているのだ。あたりまえだがエドワードの手にした剣に刻まれた紋章が何であるのか分からないものは、軍学校にはいない。

 王家の紋章を目にした瞬間に、全員が凍り付いた。

「エドワード大公陛下?」

 何故か本人ではなくジョーに答えを求めてきたヘレンに答える。

「正解。つまり一年生、ほぼ全員が王国史のレポートに書いて出した英雄王です」

 ジョーの回答を聞いた全員がぽかんとした顔でまじまじとエドワードを見つめた。エドワードが小さく息をつく。

「……ジョー。ばらさんでくれないか? 面白くないだろう?」

「面白くないって……陛下……」

「他国との戦いではあまりないが、内乱になると、このように普通の人々だと油断させておいて攻撃を仕掛けてくることはままあることだ。だからこうして山菜採りを引き受けたというのに……」

 ため息をつくと、エドワードは笑みを浮かべたまま剣を構えた。

「これでは真っ向から君たちみなを倒さねばなるまい?」

 言葉が終わるやいなや、エドワードが消えた。目を見開くと次の瞬間には目の前を刃がかすめた。

「うわっ!」

 思い切りのけぞって避けると、近くにいたハンスがギリギリで剣を受け止める。

「ジョー、大丈夫か?」

 ハンスが微かに振り返って聞く。だがエドワードは生徒の一瞬の隙も見逃さない。

「馬鹿!」

 ハンスを怒鳴りつけて剣を構えたが一瞬遅かった。目の前のハンスが、エドワードの一撃を食らって地に伏す。

「このぉぉぉぉ!」

 ジョーは身をかがめて跳躍した。師匠がよく使う技だ。仲間や他の教官を相手にするときはかなり有効だ。

「ほう」

 エドワードはそういって微笑むと、あっさりと身を翻し、ジョーが着地した瞬間を狙って打ち込んできた。やられる、と思った時、ヘレンの声が響いた。

「起きよ、地割れ!」

 足下がぐらぐらと揺れて、エドワードの足下にあった硬い岩の岩盤が陥没する。一瞬だけ体勢を崩したエドワードに隙が出来た。

 だが打ち込む余裕はなく、とっさに後ろに飛び退く。

「サンキュー、ヘレン」

 地面に両手を触れていたヘレンが、笑みを浮かべた。

「どうってことないわ。もう一撃!」

 祈りを込めてヘレンが地面を両手でたたき込むと、岩盤が再び陥没する。そのタイミングを狙ったように、エドワードに斬りかかったのはジャンだった。一瞬気配がそちらに向いたのを狙って、ジョーも飛び込んだ。

 今度こそ一撃はいりそうだ。

「貰った!」

 入ったか、思ったのはつかの間だった。

 体勢を崩したまま低い姿勢でエドワードは二人を受け止めたのだ。

「残念だったな」

 笑みを浮かべたエドワードがそういった瞬間、激しい反撃が始まった。必死で抵抗するジョーだが、押されるばかりだ。一緒に攻撃しているはずのジャンも、翻弄されている。

 だがマディスが後ろに回り込んでいた。マディスは静かに忍び寄り、剣を構えた。マディスに呼応してハンスが動く。

 だがエドワードは後方のマディスに目をやることもなく、前面のジャンをなぎ倒した。そのまま流れるような動きで、後方のマディスを打つ。気付かれていたと思わず、少々油断していたマディスの剣が宙を舞い、森の中に落ちた。

 慌てたハンスが先ほどヘレンが作ったくぼみに足を取られて転倒した。その隙をエドワードが見逃すはずもなく、ハンスがかろうじて手にしていた剣はマディス同様、森へ飛んでゆく。

「剣が!」

 焦って剣を取りに走るマディスとハンスに、エドワードが笑う。

「敵に背を向けてはいかんぞ。危険すぎだ」

 エドワードはあっさりと二人に追いついて、剣ではなく蹴りを食らわせてその場にひれ伏させた。頭から岩盤に突っ込んだ二人は完全に戦意を失って伸びている。

「さて、後四人だな」

 そこからは一方的な展開だった。必死な四人が総出で攻めるのに、エドワードは総てをひらりひらりと躱していく。驚くべき運動能力だ。ヘレンに至っては得意の精霊魔法を使う間が全くとれず、かえって足手まといになっている。剣を振り回されると、仲間がかえって危ない。

 気がつくと四人全員が息を切らせて必死で戦っているというのに、エドワードは息一つ乱すでもなく剣を構えて涼しい顔をしていた。

 確かエドワードは今年で六十七歳になるはずだ。それなのにこの運動能力……。

 あのきらびやかな歴史本に書いてあったように、実はエドワードは人間ではないのかも知れないと、疑いたくもなってくる。

「……陛下」

 息を切らせつつジョーが尋ねると、エドワードは微笑んだ。

「なんだね、ジョー」

「これって、私たちが全滅したら終了ですか?」

 そうだといわれるかと思ったのだが、エドワードは苦笑しながら首を振った。

「全滅して貰っては困る。誰が怪我人を救護所に運んでいくのかね?」

「あ……」

 そういえば救護所は山の頂上のあの広場だ。つまり怪我人が出ても何とかなるように終わらせてくれるということだろうか。

「じゃあ、どういう条件で終わりですか?」

 恐る恐る聞いたのだが、エドワードは笑って答えてくれた。

「君たちに気力が無くなった時点で終わりだ。全員が地にひれ伏して参りましたといった時点で判をやろう」

「判?」

「対戦した証明だ。キャンプが終わったところで教官に提出するらしいぞ」

「あー……なるほど」

 つまりこの判の数で成績が決まるのだろう。

「降参するかね?」

 尋ねられて、ジョーは視線を巡らせた。全員の目に気力が残っている。

「まだです!」

「そうか。では教えておこう。教官から聞いたと思うが……」

「え?」

「我々は二人で一組だ」

 エドワードの言葉が終わるのと同時に、焦げ臭い香りが微かに鼻腔に届いた。

 たき火……してない。では火事? 

 その瞬間に思い出したのは、またもやアンナの言葉だった。アンナは確かこう言っていたはずだ。

『旅路では、戦闘力を二つに分けることが結構あったのね。その場合、私とリッツはコンビで、エドさんとフランツがコンビなんだよ』と。思い出した瞬間に、ちりちりと焼けるような炎の燃える微かな音が耳に入った。

 とっさに全員に向かって叫んでいた。

「伏せろ!」

「え?」

「早く!」

 真剣なジョーの声に全員がその場に瞬間的に伏せる。その瞬間、凛とした青年の声が響き渡る。

「行け、炎の球!」

 とたんに暗がりから飛んできたのは、一メートル大の巨大な火の玉だった。回転しながら生徒たちの上を猛スピードで飛び、岩盤の洞窟にぶつかってはじけ飛んだ。

 薄暗い森の中に、激しい炎の光が燃え上がる。爆風にジョーは頭を押さえた。

「いい反応だね」

 ややしてから、先ほど精霊に命じたのと同じ声とは思えない、冷静沈着にして抑揚のない声がそういった。

「逆ハンデか……なるほど」

 そう言いながら暗がりから出てきたのは、金髪の青年だった。長めの前髪に学院に入学してからかけている銀縁眼鏡の彼は、精霊使いらしくない。見た目は争い事には全く関係のない、学生か、役人のように見える。

 だがそれも見た目の問題で、ジョーが知る精霊使いの中では、アンナ同様に最高ランクの竜を使う手練れだ。

「やっぱフランツか……」

「ああ」

「……静かなところに課題をしに行くんじゃなかったの?」

 尋ねると、おもむろにフランツは眉をしかめた。

「そのつもりだった。でも断れる?」

 フランツの言いたいことは分かった。きっとフランツは出がけにエドワードに捕まったのだ。リッツに捕まっていたならばフランツは絶対に断って、当初の目的地に向かうだろう。だが尊敬するエドワードが相手では勝手が違う。

「あ~。ご愁傷様」

 普段のフランツがよく口にする言葉を告げると、フランツは小さくため息をついた。

「本当に困る」

 渋い顔でそういったフランツに、明るくエドワードが声を掛けた。

「敵役が生徒と仲良くしている場合ではないぞ。なにしろ軍学校の成績優秀者を集めた班だ。手加減の必要も無かろう。次の生徒がここを見つけるまで、君は課題が出来る」

「……」

「早く倒せば倒すほど課題の時間が長くなる、というわけだ」

「了解……」

 フランツが両手を頭上に掲げた。

「君たちに恨みはないけど、課題のために倒れてくれ」

「乱暴だ!」

「主席、かかってるんだ。悪いけど」

 そういえば年間の主席をとれれば、リッツに出して貰った学費を半分返せると言っていた。フランツは商人の子だから借りは残しておきたくないタイプなのである。

「金のため!?」

「まあ、ひらたく言えば……」

「ひどいよっ! フランツ!」

 ジョーの叫びを気にもとめずにフランツは掲げた両手を大きく開く。するとそこに無数の火の玉が生まれた。この技が何であるか、フランツの練習風景を毎日見ているジョーは当然知っている。

「みんな逃げて! 固まっちゃ駄目だ!」

「え?」

「バラバラに散って逃げて! 固まったら終わりだ!」

 必死に叫ぶと、仲間が慌てて散開しようとしたのだが、間に合いそうにない。

「もう遅い」

 淡々と告げたフランツは、一呼吸置くと炎の精霊に命じた。

「はじけ飛べ、炎の矢!」

 頭上の炎が無数の矢となって、仲間たちに向かって素早く繰り出される。接地した瞬間、矢は激しく爆発し、黒煙を上げる。

「うわぁぁぁぁぁ!」

 六人の声にならない叫び声が、日の傾いてきた森に響く。

「炎の球!」

「うぎゃぁぁぁぁ!」

 一同は必死の形相で炎から逃げ出した。すると逃げ道に立ちはだかるのは、エドワードだ。

「向かってきてくれるなら、手間が省ける」

 剣を再びすらりと抜き放ったエドワードが、にっこりと笑った。

「いやぁぁぁぁぁ!」

「逃げるかね?」

 戦意喪失寸前になりながらも、六人は覚悟を決めてエドワードに向かっていった。

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