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黎明館へようこそ!<4>

『お前にはこの国の先行きを見守って貰う試練を果たして欲しいのに』

 試練……何だか引っかかる。

 それにあの時の目つき……明らかにアンナに何かを伝えたがってた。

 アンナはもう四年近くリッツの恋人をしている。身体まで全て許し合った今、リッツはアンナに対して一切の作り事もしないし、表情を繕うこともない。無邪気で幸せそうで、くるくるとよく変わる表情は、前に聞いた内戦以前の昔のリッツを彷彿とさせる。

 だからアンナは、リッツの微かな表情の動きを捕らえることができるのだ。

 突然の凶行に及んだリッツは、それまで全く表情を崩すことも、感情を動かすこともなかった。そしてあの言葉以降も全く表情を変えなかった。

 でもあの言葉の時だけ、アンナに何かを伝えようと微かに視線をさ迷わせたのだ。

 たぶんフランツやジョーは気がつかなかっただろう。それぐらい微かな変化だった。

 アンナは一人膝を抱えて考え込んでいた。考えれば考えるだけ、あの状況は変だ。

 部屋から駆けだした四人は、ぐるりと室内を回って、リッツが動き出す三十分より前に、取り残された人を探すことを決めたのだ。そしてこの館を知り尽くしたグレイグが、見事に隠れていた五人を見つけ出したのである。五人は今、ひとまとめに天井裏の小部屋に隠れている。当然鍵も閉めさせた。

 グレイグたちが話し合う中、アンナだけが部屋の片隅に取り残されている。みんなリッツが本気でエドワードを愛していて、アンナは捨て駒だったのだと思い込んでいるから、かける言葉が見つからないらしい。

 でもアンナにはそれが好都合だった。どうしてもリッツのあの一言が引っかかる。幾度も幾度も頭の中で繰り返していると、唐突にそれが一つの言葉になった。

『試練を見守って欲しい』

 気がついた瞬間にハッとした。みんなに気がつかれないように、膝に顔を埋める。エドワードとリッツが再会したとき、その目的はジェラルドに試練を与えることだった。それを見守るために選ばれたのがリッツだったのだ。

 そしてアンナは、ある話をリッツに聞いて知っていた。グレイグがフランツに、王族としての権利をひけらかしたらしいのだ。

 その時偶然に居合わせたのはジェラルドで、ジェラルドは二人に気がつかれることなく一部始終を見た後、リッツとエドワードに相談したのだそうだ。

『グレイグの心の底は、国王の権力をどう思っているのか』と。当然そんなことをエドワードとリッツが知っているとは、当のグレイグとフランツ本人も知らないだろう。

 ベットで寝物語のように、半分うとうとしながらリッツの腕の中で聞いていたのだが、リッツの口調ではフランツが収めた話で収まっているような口調だったはずだ。

 でも……エドワードが、グレイグの気持ちをちゃんと試そうとしたとしたら、どうする? 

 内戦を国民のためにと戦ったエドワードだ、そんなグレイグの言葉をあっさりと放置して置くはずもない。

 となると、おそらく命をかけて試させるはずだ。

 胸が大きく鼓動した。

 エドワードとリッツ。

 この二人があのような結末に陥るはずなど無い事ぐらい、アンナは百も承知だ。それにリッツはアンナとエドワードに対して嘘をつけない。これも本当だ。

 だとしたらリッツの嘘はどれで、アンナに伝えたかったことはどれだろう。

 リッツが愛おしげに血にまみれたエドワードを抱き寄せ、唇を寄せる姿を思い出す。しかも幾度も繰り返していた愛しているという言葉。

 正直胸が潰れるほど辛くて、心が痛かった。やはりアンナはリッツの一番にはなれないのだろうかという、途方もない絶望感が心の中に広がった。今こうして思い起こしてみると、不自然きわまりないのだが、あの時は目の前がくらんだ。

 理由は簡単だ。リッツのエドワードを愛しているの言葉に嘘はなかったから、簡単に騙されたのだ。アンナに対して告げる愛してるの言葉と、あの愛しているは全く同じだった。そこに嘘偽りはなかった。

 リッツは普段それをエドワードに対して絶対に口にしないだけで、心の奥でちゃんと大好きを一生懸命に伝えようとしている。

 じゃあ……なんだろう。

 リッツの言葉を繰り返し辿り、ようやく一つの言葉に行き着いた。

『ジェラルドまではまだ許すよ。でも俺、グレイグを許してないよ? こいつはあの頃のお前の理想を壊す。この国を歪める。こいつはハロルドになる』

 そしてもう一つのアンナへのメッセージ。

『お前にはこの国の先行きを見守って貰う試練を果たして欲しいのに』

 顔を膝に伏せたまま、アンナは小さく吹き出してしまった。リッツの言葉は簡潔だった。

『ジェラルドの試練は見届けた。でもまだグレイグの試練を見届けてない。ユリスラの未来を歪めないように試練を与えるから、お前がそっちで見守ってくれ、アンナ』

 しかも誰にも知られないように。ということのようだ。

 全くリッツはずるい。顔に出てしまうアンナにそんなことを伝えてくるなんて。

 でも昔と違って、今のアンナはこの国の平和の重要性や、国王の役割をちゃんと心得ている。これでも軍学校三年だ。それにリッツと関係のないふりの演技は、軍学校でリッツと教官と生徒を演じて慣れている。

 不意にリッツとエドワードの二人が、いたずらを思いついた子供のようににんまりとアンナに笑いかけた顔が浮かんだ。

 なるほど、アンナではまだあの二人のように完全な共犯者にはなれないようだ。

「もう三十分経った。アンナ、大丈夫?」

 不安いっぱいな顔でジョーに覗き込まれて、アンナは小さく頷く。ジョーは本当にリッツが狂ってエドワードを斬り殺したと思っているから、ショックはアンナの比じゃないぐらい大きい。

 しかもアンナは、この事件のからくりが読めてしまった。もう何の不安もない。

「うん。大丈夫……」

 小さく呟いて笑顔を見せる。そんなアンナに痛々しいような表情を浮かべたジョーに申し訳ない。

 本当に大丈夫なんだけど、ごめんね。とは口が開けても言えない。その代わりへへっと笑った。

「エドさんに負けちゃったね、私」

「アンナ……」

「本当に大丈夫だよ。ずっと分かってたの。リッツの中にはずっとずっとエドさんがいるって」

「アンナぁ……」

 涙ぐむジョーに、またへへっと笑ってみせる。嘘をつくのはよくない。でもこれは本当だから嘘じゃない。リッツの中にずっとエドワードという存在があり、その上でアンナを愛してくれていることはずっと前から分かっている。

 エドワードが孤独なリッツを友として愛してくれなければ、リッツはきっとアンナを愛し、慈しんでくれなかった。愛情は与え合うもの。そんなことすらきっとリッツは知らずに生きていっただろうと思う。だからこうしてエドワードの愛情は今、リッツを通してアンナにも与えられている。

 でも許せる限度もあるよ、リッツ、エドさん。

「僕らは移動するけど、どうする?」

 フランツに問われて、アンナは首を振った。ここは前にリッツたちと来たときに初めて泊まらせて貰った、フランツとアンナの部屋だった。

「少しだけここにいる。一人になりたいの」

 小さく告げて膝に顔を埋めると、全員が黙った。そんなアンナの肩にグレイグの手が乗った。

「その、アンナ……」

「うん……」

「俺は、リッツを殺す。俺が死ぬことはできないから。ごめん」

「グレイグ……」

 顔を上げると、泣き笑いみたいな顔でグレイグがアンナを見ていた。

「俺、我が儘で威張るし、剣も大して強くないし、女好きだけど、それでも王太子なんだ。死なない人間が歪めた国を作ったら、国民はどこにも行けなくなる。永遠の苦痛の中に取り残されるんだ。それは絶対に駄目だと思う。俺たち人間は短い人生で、それでも狂うことだってある。国を歪めることもある。だけどお祖父様のように、精一杯ただそうとする血筋が生まれてくるから、俺たちは自浄作用を持って、常に本道を求めていけるんじゃないかな」

 そういうとグレイグは立ち上がった。

「できる限り民間人を逃がす。それで俺はリッツを倒したい。フランツとジョーにも協力して貰うことにした。二人とも……国のためにその覚悟をしてくれた。俺のためじゃなくて……国のためなんだ。俺が偉いんじゃない、国が重要だって、フランツもジョーも分かってる。俺だって本当は……分かってた。分かったから、俺自身の存在を認めて欲しくて我が儘言ってたんだ」

 大丈夫だよ、リッツ、エドさん。グレイグ、ちゃんと分かってるよ。試さなくたって大丈夫だよ。

 でもきっと二人は言うんだろう。命の危機にさらされたとき、本性を現すって。だからきっとアンナがそれを二人に告げても、二人は笑って計画を続ける。

「だからリッツみたいに国や民じゃなく、お祖父様の理想のために国をとるのは俺は許さない」

「分かった。でもごめん。ここにいさせて。リッツが殺されるのなんて……見たくないもん」

 呟くと、再び顔を膝に埋めた。静かに肩を叩いてグレイグが出て行く気配がした。それに引き続いて、全員が出て行く。全員の気配が遠のき、静かになったところでアンナは顔を上げて、前に自分のベットだった方にちょこんと座った。

 窓の外は入ってきたときと同じようにさんさんと日が照りつけている。夏の日は長い。のんびりと鳥の声をしばらく聞いていたが、やがてアンナはごろりと横になった。

 やっぱり眠い。昨夜のリッツはものすごく性急で乱暴で……。気持ちよかったからいいけど、でもちょっと疲れた。きっとアンナが眠ってから、エドワードと何らかの打ち合わせをしたのだろう。そのための乱暴さだったに違いない。

 もう眠くて仕方ない。いくら乱暴にしたって、あんな風に愛情をむき出しにしてアンナを抱くくせに、この演技は矛盾だらけだよ、リッツ。

 心の中でそう呟くと、枕に頭を載せた。

「もう……心配性なんだから、リッツとエドさん」

 小さく呟く。

「だよなぁ……心配性なんだよ、エドは」

 不意に同意されて反射的に起き上がる。そこには血まみれのリッツが立っていた。リッツはアンナのベットに腰を下ろすと、演技のままの笑みを浮かべた。

「よ、アンナ」

「リッツ」

 思わず飛びついて、リッツの首筋に腕を回す。嘘をつかれていても、何があっても、あんな風に凄惨なリッツを見てしまったら、リッツのぬくもりを確かめずにはいられない。

 よかった。ちゃんと暖かい。

 リッツごとベットに倒れ込み、血にまみれているリッツの頬に優しく口づけた。分かっちゃったよ、と伝えるために。

「……あれ、ばれてる?」

 アンナを組み敷きつつ、リッツが困惑したように呟いた。

「当たり前でしょ。ちゃんと受け取ったからね、メッセージ」

「そっか……ちゃんと伝わったか」

 安心したようにリッツがアンナを抱きしめた。

「愛してる。本気で本当に心の底から、全てを賭けても愛してるからな、アンナ。本当に本当にお前だけを愛してるからな!」

「そんなに力説しなくても、分かってるよぉ?」

「だって誤解されたら嫌だろ! お前が俺を軽蔑したり、嫌ったりしたら俺どうしたらいいんだよ」

「だから演技だって分かってたってば」

 本当はすっごく怒ったし、悲しかったけど……でもリッツの半泣きの言葉に何だか怒りも和らいでしまう。ふと部屋の入り口から誰かが吹き出すのが聞こえた。そちらへ目を遣ると、フード付きのローブを着た男が立っていた。

「だから言ったろう。アンナにヒントを与えれば一発だってな」

 その声に顔がほころびる。

「エドさん」

「やあアンナ。心配かけてすまないね」

 フードから何の怪我もないエドワードが顔を出す。やっぱり完全に演技だ。グレイグを試す気満々なのだ。

「エドさん、グレイグは大丈夫だと思いますよ」

 全く上からどいてくれないリッツを押しのけつつ、先ほどのグレイグの言葉を思い出しながら告げると、エドワードも笑った。

「まあ、大丈夫なんだろう。グレイグがフランツをそばに置く限り、あいつは本道を逸れることなんて出来ないさ」

「! じゃあ……」

「それは駄目。そうして表面を取り繕うことは誰でもできるわ」

 これもまた聞き慣れた声に目を瞠る。

「パティ様! じゃあ首謀者って……」

 呆然と呟くと、リッツとエドワードが無言でパトリシアを指さした。

「前にも言っただろう? 俺とエドが一番怖いのは……」

「そう、パティだって……」

 二人の頭にパトリシアは仲良くげんこつを落とす。痛みにもだえる二人のことなど歯牙にもかけずに、パトリシアはにっこりと微笑む。

「グレイグの我が儘、いばりんぼ、女好き、これってエディの前のハロルド国王ととても似ているのよ。エディはそれでもグレイグを認めようとしていたけど、私は駄目だった。だってグレイグを育てたのは私ですもの。私が王国を、エディの功績を、国民の平穏を無に帰する存在を育てたのだとしたら、許せないじゃない」

 パトリシアの瞳が一瞬曇った。それでアンナは理解する。パトリシアはおそらく自分が育てた人間が、愛するエドワードの築いた平穏を壊すことが許せないのだ。だから二人に頼んでこの試練を企画した。

「パティ様。私、パティ様が育てたなら、いい子だと思います。パティ様はそれを信じて、自信を持ってもいいと思います」

 ベットに押し倒されたままという奇妙な体勢だったが、真っ直ぐに見つめてそう言うと、パトリシアは一瞬顔を歪めてから、微笑んだ。

「……ありがとうアンナ。さすが育児の専門家ね」

「え、いえ……」

「でもここまで来たら付き合ってね」

「え……?」

「リッツ」

 パトリシアに命じられて、リッツはアンナをしっかりとベットに押し倒した。

「リッツ?」

「ごめんアンナ……」

 ぎゅっと抱かれて、甘く深いキスをされる。

「ん、んんっ!」

 エドワードとパトリシアも見ているのに恥ずかしい。必死でじたばたと暴れても、リッツはもちろんピクリとも動じない。

 あくまでも抵抗する気だったのに、そのうちに気持ちがよくなってしまって、アンナも力を抜いてリッツに身体を委ねる。

 このまま抱いて欲しいな……なんて思ったら駄目だよね、きっと……いや、駄目でしょう!

 自分のあまりに欲望まみれの考えに、アンナは慌てた。

 おかしい、リッツと関係を持ってから、何だかとってもいやらしい人になった気分だ。

 ようやく長いキスから解放されると、リッツが申し訳なさそうにアンナを抱く腕に力を込めた。

「……人質、ゲットっと」

 ボソッとリッツに耳元で呟かれて、自分の役割に気がついた。

「あ、あれ?」

「全部終わったら豪華牛肉フルコースだ」

「え?」

「これだけの血の出所、気にならなかったか?」

「あ……」

 なるほど、あの血は全て今日の夕食で饗される牛肉メニューだったらしい。

「愛してるよ、アンナ。本当に、本当に……」

 リッツが言葉を切ってにへらっと笑う。同時にエドワードとパティもにっこりと笑った。

「ごめん」

 三人に言われて初めて気がつく。なるほどこの三人、内戦の最強トリオだったに違いない。

「もうっ! 豪華ディナー期待してますからね!」

 アンナの言葉に、リッツは嬉しそうにまた唇を重ねた。

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