あの日、あの夜<8>
「あ」
「あら」
買い物に来ていたアンナは、偶然アマリアにあった。二月ぐらいぶりになるだろうか。季節はもうすぐ春の終わり、街はこれから訪れる夏への期待感に満ちていた。
リッツは別行動中でいない。ここで待ち合わせをしているが、今はアンナは一人きりだ。
「こんにちはアンナ。元気?」
旧知の仲のようにアマリアに微笑みかけられて、アンナも穏やかに微笑み返した。
「はい。元気です。アマリアさんも元気そうですね」
「ええありがとう」
微笑んだアマリアは、アンナの顔をじっと見つめた。
「幸せそうね。あの人とうまくいってるの?」
「はい。おかげさまで」
初めて会った時、同じ場所でアンナはアマリアに嫉妬して、リッツとの会話を盗み聞きしてしまい、路地でリッツに強姦されかかった。だけどたった二ヶ月前だというのに、それはもう、ずっと昔の事みたいに遠い。
初めてリッツに抱かれた夜から、アンナは週に一度リッツと夜を過ごすようになった。さすがに二回目はお互いにまた緊張してぎこちなかったけれど、回数を重ねるうちに、ごく自然に愛し合えるようになった。
痛くて熱を出したのははじめの一度だけで、それ以後はびっくりするほど心地のいい、幸せな時間を過ごしている。昔、一緒に夜を過ごすというのは、お酒を飲んでお話しできるぐらい大人になることだと思い込んでいた自分が、可愛かったなと思う。リッツと一緒に過ごす時間は、とっても暖かくて、何にも代え難いぐらいに幸せだ。
「あの人も元気?」
「はい。とっても」
もしあの日ここで彼女と会わなかったら、リッツはまだアマリアと体を重ね、アンナと微妙な距離をとっていたのだろう。それを思うと不思議な気がする。辛くて苦しい二週間だったけど、穏やかで幸せな時間を迎えるために必要な二週間だったのだ。
「すっかりあの人の妻の顔ね」
「はい」
「否定しないのね」
「はい。だってリッツは、私のものですから」
自然と口をついてその言葉がこぼれた。
「もう二度と娼館にはお邪魔しないと思います」
きっぱりとそう告げると、アマリアが笑った。
「あら、たいした自信ね。私の体は魅力的よ?」
「かもしれないですね。私、小さいし」
言葉ではそう言いつつ、アンナはにっこりと笑う。
「だけどリッツの心の中には、私しかいませんから。あの人、甘えっ子だから、私じゃないと面倒見切れないですよ」
まっすぐにアマリアを見つめて宣言する。
リッツは私のもの、もう誰にも渡さないし触れさせない。思いを込めてアマリアを見つめる。やがてアマリアは静かに微笑んだ。
「私、不実な男が好きなのよ」
「え?」
「抱かれてても何を考えているのか分からなくて、自分がただの性欲のはけ口にすぎないって実感させられちゃう冷たい男の目を、私の方に向けるのが好きなの。私の前でリッツはそういう男だったわ」
「……そう、ですか」
アンナを抱くときのリッツは、いつも途中からアンナに夢中になって我を忘れてしまうような熱い男だ。二人の女の間でリッツにこんなに温度差があるとは思わなかった。
「だからね、私の家に情けない顔で転がり込んできた時から、あなたの元に返さないとって思ってたのよ。だってもう私の望む男じゃないもの」
「アマリアさん……」
アマリアは少しだけ寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「私あなたが好きよ。そのまっすぐで決して折れないその瞳の強さが好き。だから幸せになってくれてほっとしてる」
アマリアはそういうとアンナに手を差し出した。
「さよなら。別の出会い方をしていたら、友達になれてたかもね」
アンナはその手を握った。
「なりましょうよ、友達」
「え?」
「なれますよ。友達に」
「……あなたね。自分の男の元愛人となんで友達になるのよ。考えてみなさい、敵同士じゃないの」
「もう敵じゃありません」
「あのねぇ……」
アマリアはため息をついた。でもアンナは本気でアマリアと友達になりたかった。
「もし私がリッツを好きだっていったらどうするのよ。あなたは私の好きな男を奪った張本人になるのよ?」
「それはそうですけど。でもアマリアさん、リッツが好きって感じがしない」
「え?」
「リッツが好きなんじゃなくて、リッツに近い寂しさを抱えてる気がして放っておけないんです。アマリアさんが情けないリッツを放っておけなかったように」
断言するとアマリアは目を見開き、それからふんわりと笑った。
「参ったわ。まさかこんなに年下の女の子に見透かされるなんて」
そういうとアマリアは綺麗な黒髪を掻き上げた。
「どうして分かったの?」
「私、リッツをずっと見てましたから。リッツは孤独を性欲とぬくもりで埋めようとしてたけど、結局埋まらなかった」
「なるほど。……確かに私とリッツは似ているわね」
そういうとアマリアはクスクスと笑った。
「何かおかしいですか?」
「ええ。私もリッツもそういうあなただから好きになっちゃうのね。いいわ、友達になりましょう」
「本当に?」
「ええ。アマリアと呼んで。敬語もよしてね」
アマリアが再び手を差し伸べてくれた。アンナはその手をギュッと握りしめる。
「はい!」
その時、リッツが帰ってきた。
「うげ、アマリア」
思い切り身をひいたリッツに、アンナは微笑みかけた。
「あ、リッツお帰り~。いまね、アマリアとお友達になったの」
「……お前ね……」
リッツは額を押さえてため息をついた。
「断っていいんだぞ、アマリア」
「あら、あなたが決めること?」
「え?」
「私もアンナが好きなの。残念でした」
リッツが愕然とした顔でアマリアを見て、それからアンナを見た。
「何だよ、知らないうちに妙な友情築いて」
「へへん。リッツには内緒だよ」
「まったくお前は」
リッツが苦笑いしつつ、アンナを後ろから抱きしめた。リッツの胸にもたれかかって腕に触れながらリッツを見上げる。
「それにね、プロのアマリアに色々聞くんだ~」
「……何を?」
「もっとリッツを喜ばせる方法とか。だって、いつも私だけ気持ちよくて悪いんだもん。楽しみにしててよね、リッツ」
「ば、馬鹿か!」
顔を赤くしてリッツが叫んだ。
「何で? だって一緒に気持ちいい方が嬉しいよ?」
「だぁ! 俺はいいって十分に気持ちいいから! じゃなくて!」
「嬉しくない?」
「嬉しいとか嬉しくないとか……っつうか真っ昼間の市場でお前は何を言い出すんだ!」
「えへへへ。だってアマリアに友達になって貰って嬉しかったんだもん」
「あのなぁ!」
耳まで真っ赤なリッツに、アマリアが吹き出した。
「クールな遊び人台無しね! こんな男だとは思わなかったわ」
「俺は元々こんな男だ」
リッツが赤い顔のままつっけんどんに言うと、アマリアが笑いながらアンナを見つめた。
「本当に、あなたたちが幸せで良かったわ」
「ありがとうございます」
「お昼は自宅にいるから、何かあったら遊びにいらっしゃい。場所は分かるわね?」
「はい。あの前は押しかけてごめんなさい」
「いいのよ。リッツが悪いんだから」
「そうですよね!」
「……ごめん」
リッツが謝った。でもアマリアはリッツに目なんて向けない。
「敬語はよす約束よ? アンナ」
「はい……うん!」
「じゃあね」
アマリアはひらひらと手を振って、颯爽と歩き去っていく。その後ろ姿を見てアンナはやはりアマリアはリッツと似ていると実感した。
きっとアマリアにはありのままのアマリアを受け入れてくれる人がいる。その人が現れるまで、見ていたい。リッツとアンナの危うい状態を、影でずっと支えていてくれた人だから。
アンナは笑顔で振り返った。そこには赤い顔をしつつも、あの頃の暗い影がほとんど見えなくなったリッツがいる。アンナと一緒にいることでリッツは少しづつ強くなっていく。もう一人ではないのだと信じられることが、振り向けば手を差し伸べてくれる人がいると安心できることが、彼を強くしていく。
心の脆い部分が少しづつ埋まって、一人の男としてしなやかに強く地に足を着けて歩き出そうとしていく。それがアンナにはとても嬉しい。
「リ~ッツ」
「ん?」
「家に帰ろ」
「ああ」
アンナがリッツの手を取ると、リッツの指が迷うことなくアンナの指に絡み、お互いの手がしっかりと結びあう。お互いに遠慮があったときには、恥ずかしがってリッツは手を繋ぐことすらしてくれなかったのに、今はこうして迷いなく手を取り合うことが出来る。
これからもずっと、二人でこうして手を取り合っていけたなら、きっとずっと幸せに歩いて行けるに違いない。そう思うと嬉しくて、思わず笑みがこぼれてしまった。
「どうした?」
「ん。なんでもない」
アンナは最愛の男に、最高の笑顔で微笑んだ。
ええっと、こんな話でした(^^;)
これ以後、アンナは少女ではなく、女として描いています。なので純粋無垢な女の子ではなくなってしまって済みません(誰に謝ってるんだろう……)
ええっと、次はまたまた問題作。完全に勢いで面白がって書いたお話です。
ちょいシリアスながらも腐要素満載のお話。
苦手な方はまるっとスルーしてください。