キャンプに行こう!<1>
本編5巻に登場した、ジョセフィン・クレイトン視点の物語です。あの主役四人組をはたから見たらこんな感じ?
王国暦一五七五年八月上旬、夏のシアーズは暑い。
海が近いから、風は湿気を含んでいて蒸し暑く感じる。これでぱーっと海にでも遊びに行ければ気分は全然違うだろうけれど、今いる場所はさわやかさとは無縁な山道である。
この山の丘陵は長く険しい。ユリスラ王国中央平野を横切り、王都シアーズの西側を通って王城の裏山となり海へと突き出す山は、王国東部と中部を断絶している状態になっている。東部へは海ルートで入るか、北部地域まで出てから回るしかない状態だ。
山へ入るだけなら王城から回ればすぐなのだが、この山の山頂を目指すとなると少々勝手が違う。シアーズの街を出て旅人の街道を数キロ北上し、登山口に入らなくてはならないのである。
街が近く、山菜採りやキノコとりなど人々に愛される山なのだが、頂上へと向かう登山道が整備されているのは一カ所のみで、この登山道を通って頂上までいく一般人はあまりいない。裾野が広い山なので、頂上に出るまでかなりのルートを歩く羽目になり、頂上まで登れば山で夜を明かすことが必至だからだ。
そんな山を、まだ若い学生の一団が、大荷物を背負って上っていた。
「あぢ~」
軽い休憩を取りつつ、ジョーの口から幾度目になるか分からない言葉が垂れ流される。呻きながら見上げた空は、森の木々が覆い被さっていて遠い。せめて風が強く吹いてくれれば、少しでもましだろうに。
学校から支給されたモスグリーンの作業着の胸元を大きく開けて風を入れていると、上から一発げんこつを食らった。
「いって~っ!」
「……お前な。ほぼ男子学生ばっかのところで何やってるんだ」
ため息混じりにそう言ったのは、学校では教官であり、私的には師匠であるリッツだった。学校でアルスター教官をしている時のリッツは、普段のリッツよりも格段におじさんくさく、説教が多い。
「へ? 何が?」
首をかしげながら周りを見渡すと、男子生徒がみな顔を背けた。どうやら自分の手元を見ると、かなり危険な部分までボタンを外して仰いでいた。これは確かに良くないかも知れない。
でも暑いもんは暑い。
「別にいいじゃん。暑いのに男子女子の差はないし」
開き直ると、近くにいた男子生徒をつかまえる。
「だろ? な?」
「……鏡見てから行って欲しいよ、ジョー」
「ん? 鏡ぃ?」
わけの分からない切り返しに再び首をかしげると、剣術においてジョーの次席のジャンがくすりと笑った。
「マークは美人だって褒めてるんだよ」
「またまた。からかうなよ、ジャン」
「しかも胸でかいし」
穏やかなジャンに言われて、ジョーは不機嫌になった。
「……剣を振るうのに邪魔でしょうがないんだよな、これ。アンナと変わってやりたいよ」
後半は独り言のように小さく呟いたのだが、リッツには聞こえたらしくため息混じりにどつかれた。リッツもアンナが胸を小さいのを少し気にして、ジョーに分けて貰いたいとこぼしていたのを知っているのだ。
「つまりジョー、数少ない女子学生の中でも美人の部類だから、男の目線に気を遣ってくれよ……とマークは言いたいんだろ?」
「気を遣うって何だよ。男子は暑かったら脱いでいいのにあたしは駄目なんて不公平だ!」
ジョーが大声で主張すると、その場にいた男子全員が突っ伏し、数人の女子が苦笑した。王国一の剣士を目指すジョーにとっては、女性である事が一種のハンデになっている。でも王国一強いとされている英雄王の片腕を師匠に持っているからには、そんなことで最強を諦めるわけにはいかないのだ。
「軍学校は男女、身分の差別なくプロフェッショナルを育成するんだろ? だったら男女平等でいいじゃん」
平然とそう言ってのけると、ジャンがわざとらしいため息をついた。
「男女平等と、ジョーのやってること、意味違うんじゃない?」
「うっさい。男のくせにぐだぐだ言うな」
「おっと、こっちの方が男女差別だ」
ジャンがお手上げというようにわざとらしく両手を挙げると、みんながクスクスと笑った。クラスの違うジャンとジョーのこのやりとりは、剣術の授業でいつも繰り返される光景で、彼らには慣れっこなのだ。
ここにいる少年少女たちはみんな、王国軍特別士官学校の生徒たちである。
王国軍特別士官学校は、王国軍士官学校とは少し違った組織である。王国軍士官学校は十五歳以上が四年間学び、少尉の地位を手に入れてから軍へ籍を置く学校である。士官学校は完全に軍人として生きるための組織である。学ぶ内容もその事に特化していて、卒業して軍に入る頃には、基礎戦略・戦術理論・剣術・軍備などを身につけたスペシャリストになっている。
一般募集で軍に入った軍人よりも出世が早く、高い地位にたてる傾向がある。だが問題点がある。
それは一般募集で入った軍人が多い憲兵隊と相容れない立場になる者が多いことだ。憲兵隊で一兵卒として仕事をしてきた者は、退職するまでで大佐になっていれば大出世なのだ。そして一番の問題点はこの国が現在どことも戦争をしておらず、常に戦いの現場を踏んでいるのは彼らだけということだ。
実際ウォルター卿事件の際、手際よく動いたのは憲兵隊と、国王・大臣・宰相の特別期間である査察部だけだったのだ。このことを教訓に実験的組織として作り上げられたのが、特別士官学校……通称軍学校である。
軍学校も一五歳からスタートすることに変わりはない。ただシステムと構成が全く異なるのだ。
軍学校の大きな特徴は、総合教育である。少数精鋭を育てるという名目で試験的に始まったこの学校の一期生は全部で七十名である。このうちの十名が軍医を目指す医学専攻部の生徒たちで、もう十名が情報収集部、五人が精霊使いだ。残りの四十五名が士官学校と同じく戦略・戦術・剣術・補給・工作を学ぶ。
その中で女子はたったの十人しかいない。
一年生のうちは、これらのクラス分けが成されておらず、ざっくりと半々に分けられた教室で一日の大半を全員まとめて過ごす。一日に一度は自分の専門分野の授業があるのだが、それ以外はカリキュラムが一緒だ。
だから戦闘職種のクラスに入ったのに、医学の授業を受ける必要もあるし、精霊使いになるはずなのに戦略を学んでいたりする。当然ながら医学専攻も例外なく剣術を習う。
ジョーと同じクラスにはアンナがいて、小柄な彼女は剣を振り回すよりも剣に振り回されている。鎌や鍬、鋤を扱うのは大丈夫だが、剣はどうも使えないとアンナはいつもため息をついていて、教官をしている時は特別扱いできないリッツが、いつもハラハラしているのが手に取るように分かる。
恋人が最強の剣士なのに、ものすごいギャップだ。そんなアンナは医学専攻部のはずなのに、一番成績がいいのが精霊魔法だというのが笑える。精霊使いは貴重だから、精霊使いのクラスに入って欲しいと要請を受けることが多いそうだが、彼女の医者への夢は強固だ。
そんなアンナを含む医学専攻部は、この行軍に参加していない。医学専攻部は一日先に山を登っているはずだった。何故一日早いのかはまだ知らされていない。
しばらくして時間を見ていたリッツが、全員に声を掛けた。
「さ、あと少しだ。頑張れ」
「はい」
全員が返事をして重い腰を上げた。山の山頂が見えるところまで来ているのだから、あと一踏ん張りだ。
黙々と上り続けること一時間後。ようやく頂点にたどり着いた。ぽっかりと木々が途切れて広場のようになったところに、帆布で出来たテントがいくつか建てられている。その周りを先に行った医学専攻部の生徒たちがうろうろしていた。
なるほど、このために先に行ったのかと納得して、立派なテントを眺めていると、偶然アンナが出てきた。ジョーや他の生徒と同じくモスグリーンの作業服を着て、コートのように白衣をその上にまとっている。髪はアップにしてとめていて、姿だけならちゃんとした軍医のようだが、見た目が可愛らしすぎて、仮装しているようにしか見えない。
思わず吹き出しかけると、アンナが何故か少し申し訳なさそうな顔をしてジョーから視線を逸らした。
あの顔……何か隠してるな。と思ったけれど、今のジョーは集団行動の真っ最中だ。勝手に親友の元へ駆け寄ることも出来ない。仕方ない、後で何を考えていたか聞こう。
視線を巡らせると広場の中心にはアルトマン校長が立っていて、その前には大量の荷物が置かれている。後ろを歩いてきたジャンとマークを振り返ると、二人も異様な荷物の多さに首をかしげた。一体何が始まるというのだろう。
全員がアルトマンの前に揃うと、アルトマンは自慢の口ひげを手でゆっくりとしごきながら一同を見渡した。先に来ていた教官が全員を集めて整列させる。疲れたとか、休みたいという時間もない。
「一年生諸君。はるばる山頂までご苦労だった」
いつも通りのおおらかな物言いに全員がほっと息をついたのだが、アルトマンは髭を伸ばしながら口元に笑みを浮かべた。
「それにしても今日は絶好のキャンプ日和だとおもわんかね、諸君」
「キャンプ~!?」
思わずジョーが声を上げると、目があったアルトマンがにっこりと微笑んだ。
「そう、キャンプだ。おあつらえ向きに、ここしばらくは天気が良さそうではないか。こんな夏の日はキャンプをするのにこれ以上適した日はない」
意味が分からず生徒たちは動揺する。ジョーも動揺する一人だ。思わずリッツを見ると、リッツは人の悪そうな顔をして、アルトマンの隣に並んだ。リッツは剣術の主任教官だ。それ以外に剣術と実戦では三人の教官がいる。精霊使いの教官は一人、そして軍医が二人。それ以外の人材は士官学校と共通していて、授業のカリキュラムによって教官が士官学校からやってくる。実験段階である軍学校は、一学年三百人、総生徒数千二百人という巨大な士官学校の敷地の一部に建てられているに過ぎない。
だがこの場にいるのは純粋な軍学校の教官たちのみである。
「少佐」
アルトマンが呼ぶと、姿勢を正してリッツが答えた。
「はっ!」
「説明してやりたまえ」
「了解しました」
この二人、プライベートではどちらかと言えばリッツの方が尊大だ。元々二人が知り合ったとき、リッツは大臣で、アルトマンは部下だった。ジェラルド王が王太子時代に指揮を執り、それをリッツが補佐した事件で出会っているため、階級上は元帥であるリッツの方が格段に偉かったのだ。
でも旅が終わって戻ってきたリッツに与えられた階級は少佐。そしてアルトマンはウォルター侯爵事件で二つ階級を上げた。ジェラルドの補佐をし、少数精鋭で王太子を守ったことが評価されての昇進だと表向きは言われているのだが、その実、大臣であったリッツから王へと昇進を願い出た結果が反映しているらしい。
その後も地道に事件を取り締まり、隣国に出向いて麻薬組織の壊滅をさせたこと、王宮の地下に進入した盗賊集団を逮捕したことなどで昇進を重ねて、ついに現在は大佐である。このどちらの事件にもリッツやアンナ、フランツが関わっているのだが、その事は一部の人間にしか知られていない。
ともあれアルトマンはたたき上げの憲兵隊員だ。たたき上げとしては最高の階級に至ったといえる。でもリッツによると、この軍学校が試験的ではなく本格運営されるようになれば、もうひとつぐらい昇進するのではないかとのことだった。
ぼんやりしていたら、後ろから背筋をつーっと撫でられた。
「ひぇ~」
思わず妙な声を出してしまい、リッツに睨まれた。慌てて黙り、後ろを睨むとそこにはジャンの顔がある。考え込んでいたジョーを我に返らせたようだが、もっと違った方法で気付かせて欲しい。まったくもって、こいつは……デリカシーというものに欠けている。
「では説明するぞ。よく聞いとけよ」
全員を見渡しながら、リッツが楽しげな、というより何かいたずらを考えついた悪ガキのような笑みを口元に浮かべた。
「これからここで一週間のキャンプを行う」
リッツの言葉の意味が分かった瞬間に血の気が引いた。生徒たちがざわめく。この山登りが訓練であるということは知っていたが、まさか一週間かかるキャンプだとは思っていなかった。呆然とする彼らに、リッツは遠慮無く説明を続けていく。
「医学専攻部を除いた六十名を六人ずつ十のチームに分ける。実戦部が四人、もしくは五人、情報部一名、精霊使いはいるチームといないチームがある。チームごとの荷物はここに用意してある」
リッツが指さしたのは、先ほどから気になっていたあの大量の荷物だった。よく見ると確かに十に分けられておかれていた。
「全員で助け合って一週間山の中で生き延びろ。最低限の食料は、荷物の中に人数分、日数分、本当に最低限だ。水も最低限用意してあるが、無くなったら自分たちで探して確保しろ。この山の中に二カ所の泉がある」
それはあまりにサバイバルな訓練だ。食べ物飲み物を自分で確保するなんて、シアーズ育ちの生徒たちには厳しくないだろうか。かくいうジョーだって、街中で生きていくすべはあるが、こんな山の中で生きていくすべはない。
ため息をつくと、親友はどう思っているのだろうと医学専攻部のテントへ目をやった。親友の姿は見えなかったが、立派なテントが夏の光に光って見える。ジョーはふと疑問を感じた。山で生き残るための訓練に、何故こんなに立派な治療所が必要なのだろう。
「以上、質問は?」
そう言い切るとリッツが周りを見渡した。おずおずと生徒の一人が手を上げた。
「何だ?」
「あの……教官が補佐に付いてくれるんですか?」
不安そうにそう尋ねた生徒に、リッツは笑った。
「付くわけ無いだろ。付いたら訓練にならない。他には?」
「はい!」
ジョーも手を上げる。
「ジョー」
「はい! 何で立派な救護施設を作ってるんですか?」
「鋭い。そこを説明しておかないとフェアじゃないな」
そう言いながらリッツは再び口元を緩めた。何だかすごく楽しそうだ。嫌な予感がする。
「一週間山に入って生き延びることぐらい、誰にだって出来る。だがお前たちはみな王国軍特別士官学校の生徒だ。なので戦闘訓練も兼ねて行う」
「戦闘訓練!?」
「そうだ。荷物には一応薬草も毒消し草もあるが、大怪我を負ったら救護所まで来ること。医学専攻部の面々が、軍医たちと共に面倒を見てくれる」
「じゃあ……大怪我する予定があるっていうことですね?」
「その通りだ」
生徒の中から声が上がった。ジョーも開いた口が塞がらない。一週間生き延びるのも大変なのに、戦闘訓練ってなんだ。考えも付かない。
ざわめく生徒たちを咳払い一つで治めたリッツは、全員をゆっくりと見渡した。
「お前たちはこれから一週間生き延びて貰う。その間、この山の中には敵が潜んでいると思えばいい。敵は我々教官と、君たちの知らないゲストで構成されている。教官もゲストも必ず二人一組。これを忘れるな。お前たちは俺たちの三倍の六人だが、死ぬ気でかかってこないと死ぬかもしれないぞ」
嫌な予感が当たった。この山の中で生き延びるために努力をしながら、襲ってくる教官を迎撃しなければならないのだ。
「さてグループ分けを発表する。名前を呼ばれたら、端の荷物から順に集合だ」
そういったリッツが、他の教官に目を向けると、他の教官たちがリストを取り出して読み上げ始めた。名前を呼ばれた方にあたふたとみんな集まっていく。ほんの数分で、チーム分けが済み、全員がチームメイトと顔を合わせて荷物を取り囲んでいた。
ジョーは同じチームになった面々を見て、首をかしげる。他のメンバーも同様だ。
「……このチーム分け、あってるのかなぁ……」
剣術主席のジョー、次席のジャン、精霊使いのヘレン、情報部のマーク、この四人はいずれもそれぞれの分野のトップクラスの実力者だ。それに実戦部からマディスとハンスが加わっている。どう考えてみても、他のチームと違ってレベルが高すぎだ。全員が顔を見合わせて困惑していると、リッツがチームに近寄ってきた。
「何か疑問があるのか?」
「ええっと、教官、他のチームと比べてさ……成績優秀者多くねえかな?」
ジョーが尋ねると、リッツは楽しげに笑った。
「逆ハンデさ。このチームには、特別に敵を多めに当てる。だから真の才能を発揮してくれ」
「ええ~っ!」
「何事も経験。ま、期待値が高いと思っとけば、悪くねえだろ?」
「嫌です!」
六人で同時に抗議の声を上げたのだが、リッツは意に関せずといった顔で笑う。周りの生徒たちは同情的な顔をしているけれど、内心はこのチームにならなくてほっとしているのだろう。
成績優秀者とはいえ、軍学校に上がってたかだか八ヶ月の生徒に、いったい何をさせるというのだろう。恨めしくリッツを見ていたのだが、突き刺さるような視線を物ともせずに、リッツは平然と全員に向けて説明をしている。
「では装備を確認し、荷物の分担をしたチームから散開。我々がいつ敵として仕掛けるのかは分からないからな。食料を探すもよし、寝床を確保するもよし、俺たちに先制攻撃を仕掛けて来るもよし。とにかく生きるすべを身につけるんだ。いいな。返事は?」
「はいっ!」
「よし。七日目の三時に再びここへ集合だ。それまでキャンプを楽しむように。以上」
満足げにリッツがアルトマンの隣に並び、生徒たちの様子を眺めている。
ずらりと並ぶ教官を前に、先制攻撃を仕掛けようなどと言う生徒は当然おらず、とりあえず体力がある順に重い荷物を持ち、ジョーは仲間と共に登山道を離れて森へと足を踏み入れた。