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 王都のそばには、カルンという川が流れている。かつては大河と呼ばれ、このサーキス王国の沃土は遥か昔、その大河の底にあった。平野部には大河の名残である川岸が、崖として川の上流と下流に向かって走っているが、それは現在の川岸から平均で五十キーブも離れた場所のことである。かつての河幅がそれほどのものだという証拠だ。

 ワスマイルという男は、カルン川から王都に向かって引かれた水路の途上にある水車小屋にいるという話だった。

 城門の外は、芽吹いた緑が鮮やかであり、また畑には豊かな土が実りを期待させるかのように黒くふくよかである。

 ルセカーの視線は水路を追って道を探した。それらしい道は一本しかなかったのですぐにそれと判る。

 時間には余裕がありそうだったので急ぐことはしなかったが、まもなくめざす水車小屋は見えた。逆に早く来すぎたかと心配した。

 小屋の外見を一望して、ひと気は感じられなかった。

 水車は、刈り入れた穀物を製粉するための動力として使われる。周囲の畑が土ばかりで黒ければ、水車にも当分出番はないということだ。

 小屋の周りに転がる桶や脱穀のための農具は砂埃を被っていて、ひと気のなさは確かだ。

 唯一、黒い畑の地平線でぽつんと、農夫がくわを振るっているのが見える。

 ルセカーは小屋の戸を慎重に押した。薄板の戸はがたがたと、今にも蝶番ちょうつがいが外れそうな音をたてて開く。

 はっ、とルセカーは息を呑んだ。中で溜まっていた空気が、外気に混じって血の臭いを運んだのだ。

 次の瞬間、ルセカーは脳裏に何かを閃かせて後ろへ転がった。

 直後、元いた場所に、突き出した剣ごと屋根の梁から男が降り下りてきた。野性じみた五感か、あるいは六感か。辛くもルセカーは剣の餌食になることを免れた。

 だが、危機はまだ過ぎ去ってはいない。

 でんぐりがえったせいで逆さに被ってしまった愛用のずたぼろマントを背中の方へ跳ねのけると、すかさず剣を抜く。

 こういう事態ときのための帯剣か……!

 ルセカーは自分の油断に舌打ちした。生命の危険が無い訳ではない事を予測するべきだった。王都の危険無い暮らしは、そういったものへの心構えを緩めさせてしまっていたらしい。

「誰だ、おまえ!」

 ルセカーが素早く誰何する。問答無用で斬り殺されては溜まらない。

 男の身形は傭兵か何かだ。少なくとも人間を殺害することに躊躇の無い種類である事は容易くれる。だが、そういった人間とて無差別に人を殺すわけではない。利がなければ不要にそれは行なわない。そして利とは、大抵が金で量られるものだ。それが得られる為の条件がそろった上でなくば、無理を押してまで相手はこちらを殺そうとはしないだろう。

「おまえこそ誰だ、小僧」

 男の問いに、ルセカーはしばし沈黙して考えた。少なくとも、男は相手を選んで殺してくれるらしい。

「ルセカー、使いで来た」

誰の(・・)使いだ」

「その前にそっちも名乗れよ」

 今度は男が沈黙した。その間、互いの挙動を封じ合うように眼を逸らさない。

「俺はある人物に宛てた手紙を預かってきた。だから、あんたの名前を知りたい」

 ルセカーは悩んだ上で藪をつついた。出てきたのは……。

 男が動いた。剣を横に滑らせてルセカーの胴を狙う。心臓を掴まれたかの様にルセカーの呼吸が止まった。生死を分ける刹那、殺意の剣をくぐる。次の瞬きでルセカーの剣は男の懐に飛び込んでその胸を貫いていた。

 詰まった気肺を解きほどき、呼吸を再開する。息が荒い。

 人を殺したのは初めてだ。だが罪の意識は湧いてこなかった。やらなければ自分が殺されていたと、自己正当化することもしなかった。自分の身体能力ならば、男の胸を貫く事は可能だろうと思っていた。しかし、それによってもたらされる結果を考えた上で、それが実行できたかは微妙だ。実行することに躊躇はなかったが、夢中であればこそだった。その結果に罪悪を感じてはいないものの。

「いやあ、お見事だ坊主」

 心臓が跳ね上がった。無防備な背中を晒していることに、これほどの恐怖を覚えたことはない。生死の遣り取りにおいて、それがどれほど危険かをたったいま知ったからだ。

 ルセカーは振り向きざまに剣を叩きつけた。それが、何気なくかざされた棒切れに、いとも容易く遮られてしまったことにルセカーは声もなく驚いた。

「落ち着けよ」

 低い声の髭面が、刃を受けとめた棒切れ、くわを手にして見下ろしていた。

「俺はワスマイル、ワーズ・ワスマイルだ」

「あ……」

 途端に、膝の力が抜けた。がっくりと腰が地に落ちる。

「急ですまんが場所を変えるぞ」

 ワーズ・ワスマイルはルセカーの腕を引っ張り上げた。


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