二章 休日と、休息
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翌日は、出仕する必要のない休日であった。が、休みといってもそれはシースのことであって、ルセカーには使用人たちの手伝いなど探せば仕事はいくらでもある。ただ、早朝からシースに付き合わなくていいことを考えれば、それなりにゆっくりできた。シースも昨晩の酒のせいか、ずいぶんとのんびりしている様で、午前中はまったく姿を見なかった。
「ルセカー、いい加減起こしてやってくれ。昼食の時間にもなるのにだらしがない」
昼食の食卓で、給仕の手伝いを務めるルセカーに伯爵は言った。
自分の隣の部屋へ行き、ドアを叩く。予想どおり返事が無いので、しつこくノックしたあと、容赦なく扉を開けた。
やはり、彼女はまだ寝台のなかだ。
「起きろ」
「ルセカぁ〜、淑女の部屋に無断で入るなんて失礼よ」
気怠そうな声の抗議がシーツの中から洩れだした。ルセカーは無視して踏み入ると、窓を覆うカーテンを勢い良く開いた。と、眩しい陽光が差し込む。シースにはさぞかし強烈な光だろう。さながら吸血鬼のように彼女はうめいた。ただし発する言葉はその限りではないが。
「うぅ、二日酔い〜」
「淑女は二日酔いなんてしないと思う」
「意地悪ね」
なんとか身体を起こした彼女だったが、寝呆け眼は相変わらずだった。世に謂う麗しの宮廷騎士の姿とはとても思えない。
「ねえルセカー、私の服は?」
「いつもどおり衣装掛けにある」
「じゃ、手伝って」
彼女が言うのは着替えのことである。怠そうに立ち上がった彼女の肢体を包むものは、色気も飾り気もない夜着であったが、ルセカーはつい顔を背けた。いつもは動じない彼らしからぬ行為である。いつぞやはこういう少年らしい反応を期待して仕組んだのに、不覚ながら彼女は気づかなかった。
「べ、別に手伝いなんていらないだろ! 甲冑着込むわけじゃないんだから」
「それもそうか」 とシースは欠伸を噛み殺した。
「じゃあ、オレは先に降りるからな」
ルセカーはシースが服を脱ぎだす前に素早く扉を閉じた。
「シースティア、午後からルセカーを借りるが、構わないかね?」
シースが昼食の席に着いたところで、伯爵はそう切り出した。ルセカーに彼女を呼びにいかせたのは、娘をたしなめるほかにその事を伝える為でもあったようだ。
シースは食事の手を休めると、ちょっとだけ思案顔になった。
給仕の手伝いで、今日は後ろに控えていたルセカーが、親娘の会話に思いがけず自分の名前が出たので、ついつい二人の顔を交互に見やって成り行きを見守った。なにしろ自分のことながら、従者である身には決定権がないので、気になってしょうがない。従者とか召使いとか、そういった境遇で長く働いている人間には当たり前でも、ルセカーは旅の間、いや、生まれて物心ついてからは自分で決めて生きてきたのだ。それが思い通りになろうとなるまいと。今は従者という立場を彼なりに理解して務めているようではあったが。
「ええいいわ、別段用事はないから」
思案顔などしてはみたが、答えたとおり、することがないのは考えるまでもないことにシースは思い当ったのだった。
「そうか。ではルセカー、聞いてのとおりだから、あとで私の部屋にきてくれ」
「わ……はい」
わかった、と口のすぐそこまで出かかるのをなんとか止めて、ルセカーは従者らしく承諾した。
二人の食事のあと、厨房で自分の食事を採ると、手伝いはいらないから早くお館様の所へいきな、という料理人の忠告に従ってルセカーは伯爵の私室に出向いた。
「やあ、よくきたね」
伯爵は机の椅子からルセカーを出迎えた。机の上は使用人に触れさせないらしく、紙片が乱雑に重ねられ、あるいは散らかっている。その内の、ちょうど封をし終えた便箋が、彼の手にあった。
「君に頼みたいことというのは、この手紙なんだが。これを、ワスマイルという男の所へ届けてほしい。大事なことなので、誰にも一切喋ってはいけない……意味は分かるかな?」
ルセカーは頷いた。が、彼が理解したのは表層的な意味の上でであった。だから、彼はちょっと考えてこう訊いた。
「シースにも?」
と、伯爵ははっきり頷いた。
「シースティアにもだ」
誰にも喋ってはいけない。その言葉を重く捉えるかどうか、また人の感覚によっては、誰にも、という言葉が適用される第三者の範囲が変わる。ちょっとした内緒事をごく親しい人物に問われた時。また、秘密である、という言葉の意味を軽く受けとめた時。無意識に人は言葉の制止を破る。これは他者の秘密を持たされた人物の価値基準によって左右される判断だ。この相手になら喋ってもいいか、などと勝手に判断したり、持たされた秘密がその人物の価値観からみて些細なことか、それとも重大であるかによって、その秘密を保持するか、たやすく喋っても良いかをその人物が勝手に判断してしまう。その判断は、本当は秘密を与えられた人物がして良いものではない。秘密を与えた人間がするものである。口の軽い人とは、喋っても良いかどうかの判断基準が厳しくない人のことではなく、そうやって勝手に判断する人のことである。こういう人間は悪気もなく秘密を人に喋ってしまう。だって、彼らは自分の価値基準にしたがってちゃんと秘密を守っているのだから。
逆に口の堅い人間とは、この場合ルセカーを指すのだろう。伯爵が、指示を理解したかどうかを確認した意味を考え、少年は伯爵の判断基準を改めて尋ねたのである。
伯爵は満足気に微笑んだ。
「ルセカーに任せれば安心だ。そう、それと護身用に剣を持っていくといい。剣はシースティアに私が許可したからと伝えて一時返してもらいなさい」
伯爵は、ワスマイルという男の居場所と付け足して言った。教えられたのは王都の外にあたる。さほど遠くはない。日没には行って帰ってこれるだろう。
馬を使うことも許されたルセカーは、さっそく剣帯を腰に巻いて屋敷を発った。
選んだ馬は、伯爵家の持ち馬のうちの、気性のおとなしい葦毛の牝馬である。
格好も普段の宮廷騎士付きの従者服から、旅をしていた頃の自分の服に着替えた。伯爵から、周囲に身分を悟られぬ様にと言い添えられたからだ。
まず、王都は広い。街路の雑踏を抜け、門に達するまでに二時間近くかかる。門を出てからは、馬を飛ばせばすぐだ。
ルセカーは東門をくぐって教えられた場所をめざした。