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 夜明けは何ら変わりなくやってきた。

 東の大地と別たれた朝日が邸に差し込んでいる。

 邸内では爽やかな朝らしく、白一色の布地と紋様の刺繍で飾られた食卓に、量を抑えて品数をそろえた朝食が並べられる。肉料理は控えられ、スープやサラダ、焼きたてのパンが中心だ。品は有り体だが、種類は豊富だ。

 ここ数週間、シースティアはこの食卓に一人だった。母親とは十年前に死別し、唯一の家族たる伯爵が王都を留守にしているからである。一人といっても伯爵家の食卓だ。給仕くらいは付く。ただ、ソール・デレフ家は大貴族というほどの家柄でもなく、伯爵も派手な人柄ではなかったので、客人など席の多いとき以外は、給仕は一人に任せている。

 今朝の食卓には、久しぶりにシースティア以外の人数分も用意されていた。彼女のと、伯爵の分、そして普段は別棟で使用人たちと朝食を採るはずのルセカーの分である。

「いやなに、そう固くなることはない。今朝方、旅先から帰り着いたら賊騒ぎがあったというじゃないか。事無きを得たのは、私が居ない間に従者になったばかりの少年のお陰だとも耳にしてね、会ってみたくなったというわけだよ」

 ルセカーは初対面である伯爵家の主の声も耳に届かず、ただ得体の知れぬものを見るかのように、食卓の隅々を目だけがぐるぐると見回していた。夕食だって、こんなに皿が並んだのを見たことがない。伯爵家にきてから、それまでとは比べものにならないほど食生活が豊かになったが、使用人が朝食までこうはいかない。量としてはさほど変わらないはずだが、種類の豊富さでルセカーの眼にはそう見えた。

「寝坊したのを叱るつもりで呼んだのではないのだよ。逆に礼を言いたい気持ちで招いたのだから」

「お父さま、この子は寝坊くらいで恐縮するほど礼儀正しい子じゃありません」

 父親の誤解を訂正すると、彼女は少年の額を指で弾く。豆鉄砲を食らったように面食らってルセカーは姿勢を正した。ぼさぼさ頭がひどい寝癖だ。

 落ち着いた面差しの伯爵はめずらしく破顔した。普段は穏やかに笑みこそするが、声をあげて笑うことなど滅多にない。

「さすがに、エレほど良く出来た娘もそうはおらぬか」

「あの子は……」

 その名が出た途端、シースティアは表情を翳らせて俯いた。

「…………エレは特別です」

 曇るシースを見て、伯爵も沈黙した。親子が黙ると部屋の雰囲気も沈む。ルセカーは居心地悪く感じながら二人が食事を再開するのを待った。ようやく手をつけたパンも、これでは飲み込めやしない。

「すまぬ。まだ思い出に語るには早すぎたか」

「いえ、いいのです」

 シースティアは急に明るい笑顔をつくって話題をかえた。ルセカーと出会ったときの事、特に騎士ガブレイにしてやった痛快さを楽しそうに語り、ルセカーの度胸を誉め、また彼の城での慣れない働きぶりを笑ったりなど種が尽きない。



 親娘の楽しげな朝食に交じった後、いつもどおりシースティアの身仕度を済ませてから、伯爵の見送りで王城へ出掛けた。

 出仕の身仕度の間、シースティアは笑顔を作ることをやめ、何かに堪えるように押し黙っていた。

「なあ…………聞いていいか?」

 出仕の道すがらも、シースティアは無言だった。彼女の背中に触れ難いものを感じてはいたが、ルセカーは思い切って訊くことにした。

「エレって、誰だ?」

 王城への道中で彼女は初めて口を開いた。彼女はなぜかルセカーに馬を牽かせたがらず、ルセカーの先に馬を往かせている。そして振り返りもせずルセカーに答えた。

「エレは、あなたの前の私の従者」

 彼女の背中に哀しみを感じて、これ以上は聞いてはいけないと胸の内に感じていたのに、ルセカーは自分の口から追随する言葉を塞き止めることが出来なかった。

「辞めたのか?」

「今日は随分と聞きたがりやさんね」

 驚いたことに、シースティアは笑ってルセカーを振り返った。哀しげな微笑みではあったが。

「答えたくないならいい。悪かった」

 今度はルセカーが眼を逸らす番だった。予想通りの答えが返ってくるのに罪悪を感じて。

「死んだのよ」

 冷たい表情だった。そこには涙も哀しみもなく、なにかを呪うかのような冷酷さが潜んでいるかのようだった。



 あぶくが、ふわふわと空に向かって舞った。つるりと、虹色に輝く球体の表面をぼんやり眺めながら、主人の後ろ姿を思い出す。

 泣いてたのかな。

 と、そんな物思いを、元気な甲高い声が妨げた。

「ちょっと! さっさとしてよ、仕事、片付かないじゃない」

 びっくりして振り返ると、赤毛の少女が眩しい陽射しを遮ってルセカーを見下ろしていた。手にある篭は、取り込んだ洗濯物がいっぱいに膨らませている。

「なんだか知らないけどさ、あんたが来てから、ちぃっとも仕事が減らないのよね。いい迷惑よ」

「……おまえ、誰?」

 相手の無知に鼻白んだように少女は首を引いた。顔をひきつらせているのは、当然怒りによるものだ、とさえもルセカーは気づかずに相手の沈黙をいぶか訝った。

「誰とは何よ失礼ねー!!」

 次の瞬間、彼女の手にあった洗濯物を、ルセカーは頭からかぶっていた。

「あ、た、し、は、ね! あんたの尻切れとんぼのきちんと片付いてない仕事をあちこち廻って尻拭いしている偉いお方よ!」

 ふんっ、と鼻息一つ残すと、少女はくるりと回れ右してすたすた行ってしまう。

「ま、待て」

 呆気に取られて気の抜けた声が少女を呼び止めた。少女の方は応じる様子もなかったが、しばらく行き過ぎた後で何かしら思い返したのか足を止めた。

「なによ」

 つっけんどんな口調が返ってきてルセカーは困った。思わず呼び止めたが別に用はないのだ。

「あ、おまえ女だよな」

 咄嗟とっさ、急場を凌ぐ用向きを思いついた。

「あたしのどこが男に見えるっていうのよ!!」

「ち、違う!」

 少女が握りこぶしをつくって肩を震わせたので慌ててなだめる。それから、殴られない内に言い訳も含めて続きを切り出した。

「エレって従者のこと、教えて欲しいんだ」

 城内で女性の従者はほとんど見かけることがない。数が少なければそれなりの面識もあるだろうとルセカーは考えたのだ。

 少女は急に真顔になってルセカーを見つめた。それは、一歩引いて警戒した態度のあらわれだということがルセカーには分かった。最初はだれしも他人という旅の出会いの経験が、未知の他者に対する洞察力を、少年に備えさせていた。

「あんた、いったい何者?」

「なに……って、騎士見習いだ」

 何者といわれても見ての通り、日は浅いが自分は騎士見習いの従者であるはずだ。だが少女はそんなことを言っているのではなかった。ただ事ではない表情の瞳が、少年の素性探ろうと食い入るように見つめていた。

「どうしてエレのことを知りたがるの」

 少女は質問を変えた。

「俺の前の従者で、死んだと聞いたんだ」

 ルセカーはごくりと唾を呑んだ。これが正直なところで、それ以上はない。隠すこともなく明かすと、少女に漂う緊張感が解けたのが分かった。

 ふう、と少女は息を抜く。

「なんだ、シースティア様の新しい従者ってのはあんたなの」

 少女は改めてルセカーを上から下まで観察した。こんな風に品定めされることが多くなったのは気のせいだろうか。

 少女は、緊張は解いたが警戒を緩める気はなかったようだ。それほどの事が、エレという少女の死にはあったということだろうか。例えば、ソール・デレフ邸を襲った暗殺者とのつながりとか。ルセカーは想像の翼を広げた。だが、広げる羽はまだ小さい。それ以上に思い当る節もなければ確信もない。

「ま、いいわ、教えたげる」

 少女は接して良い度合いの線引きを定めたらしく、態度を崩した。

「エレはあたしの親友で、シースティア様付きの従者だったわ。気立てが良くて可愛くて、シースティア様もエレをそれは信頼なさっていたの。でも一月前だったわ。シースティア様がお屋敷にお帰りになる途中、刺客に襲われて…………エレはシースティア様を守って殺されてしまったの…………とてもいい娘だったのに」

 心の傷に近づくにつれ、声色は沈む。ルセカーは再び罪悪感に駆られた。

「すまない。思い出させて」

 少女は不思議そうにルセカーを見つめた。

「あんた、意外と優しいね」

 少女はけろっとした表情で笑う。ルセカーは、まるで嘘泣きにだまされた気分だったがその裏の真実を想えないほど浅はかではなかった。

「その、どんな奴なんだ? ……シースティア、様、って」

 途端、ぼかっと少し小さい握りこぶしが飛んできた。シースティアとの類似点を見つけてルセカーは思った。騎士だとか騎士見習いの女は乱暴だ。

「どこの従者が主人を『奴』呼ばわりするの!」

 なっちゃあいないんだから、とかぶつぶつと呟く少女であった。

 一方でジ〜ンと痛む頭を抱えながら、シースティアを名指しで呼んだことがないのに気づいた。どう呼べばいいのだろう。やはり少女のように“様”を付けなければならないのだろうか。だとしたら最悪だ。

「シースティア様はお優しいから何も言わないだろうけど、きちんとなさいよ?」

 優しい? 少女の認識とルセカーのそれとの相違は突飛だ。

 ルセカーの頭のうえの疑問符が見えたのか、少女はまたこつんと頭を小突いた。その時気づいたのだが、少女の背はルセカーより少し高い。

「みえみえね、あんたって」

「いいから教えろよ」

 目線をやや持ち上げなければならないのがしゃくに触ったが、目で訴えるのには我慢した。

「そうね。まずは何といっても剣の腕ね。この国で一、二。五指には間違いなく入るわ。それでいて宮廷の貴婦人方も見劣りするほど美しいの。そういった事を笠に着ない素晴らしい方よ。騎士たちも尊敬してるし…………一部例外もいるけど…………。ひどいのよね、リシャール殿下との恋仲を悪く言う輩がいて」

「恋仲?」

 これには驚きだ。あんなのを恋人にしたがる男が存在するとは。まあ見てくれは認めてもいい。しかし、げんこつが飛んでくる数を差し引いて割りに合うのだろうか。

 ルセカーには解らない勘定である。

「で? 相手はなんてったっけ。殿下ってくらいだから偉い奴か?」

「あんた、いったい何処から来たの? ほんとに知らないの?」

 少女はルセカーのことをみえみえだといったが、彼女だって呆れたのがありあり判る。が、そんなことが判ってうれしいルセカーではない。倍に馬鹿にされた気分だ。

 しょうがないわね、という顔が、まるで勝ち誇って見えるから憎たらしい。

「リシャール様は、この国の王太子殿下よ。国王陛下がまだ在位にあらせられるけれど、政務を取り仕切ってるのはリシャール殿下だそうよ。知恵と美貌を兼ね備えていらして、もうぴったりのお二人なんだから」

 少々興奮気味に少女は語った。

 リシャール王子は幼少から利発で評判だったという。王家に対する民の支持が強ければ、国の嗣子は持てはやされて然るべきだろうが、王子は事実聡明であった。世に謂う神童とは彼のことで、十二でまつりごとの場に頭角を現し、十五ですでに実権を握っていた。王はそれほど老齢ではなかったがそれを容認した。凡庸で、疎むどころか逆に王子の台頭を喜んだくらいであるから、権力への執着は最高権力者としては皆無に等しいといえるだろう。国王は王子の主君ではなく、父親だったのである。




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