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「シース……シース」
その声で、シースティアは昨夜の回想から無理やり現実に引き戻された。騎乗する彼女の横を歩くルセカーを、彼女は見下ろした。
「ルセカー、無駄口は禁止よ。ほかの者の気が緩んでいても、あなたは新入りも新入りなんだから」
暢気な行軍は列こそ乱さないものの、サーキスの領内を歩くうちにすっかり遠足気分だ。
一部の事情を知る宮廷騎士たちはさすがにだらけはしなかったが、目的地までは気を張る必要もなしと、兵や部下を叱ることもない。
だが昨日の苛立ちを引きずったシースは、ルセカーに寛容でいられなかった。
「今日の野営地に着いたら、剣を教えてくれ」
またなの、といつもの彼女であれば、溜息まじりにあしらうところだ。今日の彼女は、ルセカーの腰にある剣を横目に見た。
他の従者たちは、簡素な槍と短剣を身につけているが、ルセカーの腰には短剣ではなく、いつもはシースが預かっているあの剣が提げられている。
「だめよ。言うことがきけないのなら帰りなさい」
にべもない言葉に、ルセカーは黙るしかない。
野営地に到着し設営の手伝いが終わると、ルセカーは一人抜け出して剣を振ることを、この演習での日課として自分に課すことにした。
翌日から、きわめて事務的なやり取りでしか、シースティアと会話をしなくなった。
もともと寡黙なルセカーにとって、それは苦痛ではなかったが、以前の様にそれが自然とも感じられなかった。
そしてまた野営地に着き、言いつけた用を片付けたルセカーが、いつの間にかいなくなることをシースティアも気づいていたが、憤りはなかった。やることを済ませたならば、それでいい。少年を見ると、あの疑念がどうしても頭の中で黒々と渦を巻いて嫌だった。
設営した陣地から離れた物陰を見繕ってルセカーは剣を抜くと、素振りを始めた。
本当のルセカーから剣を受け取って以来、そう何度も使うことがなかった。しかしこうしてたった数日、何百と振っただけで腕や肩、背中から腰まで剣を振るうということに体が馴染んでくるのが分かる。
剣の重さに慣れて、ぶれることなく思った筋どおりに刃が空を断ち切る。
今ならあのガブレイにだって負けない、いや勝てないまでもあそこまで一方的ではないはずだ。
「なっちゃおらんな」
脳裏に描いた人物の声に、ルセカーは驚いた。
片方の腰に手をあてて少年の素振りをしばらく観察していた節がある。そして、もう片方の手には、なぜか木剣が二本あった。
カラン、と木剣を地面に放り投げ、自分の剣を抜くと、ガブレイは自分の剣を抜いて構えた。次に上段に構え、踏み込みとともに振り下ろす。岩をも割るかのごとく、ごう、と音をたてて、その騎士の剣は空気を断ち切った。
明らかにルセカーの剣とは違った。ルセカーの剣は、道具がただ人を殺す。決して技が相手を倒す訳ではないのだ。
ガブレイは顎でルセカーに促がした。
ルセカーはよくわからないまま、ガブレイを真似て剣を振り下ろす。
ガブレイのそれとはまったく違った。猿真似だ。もう一度、もういちど! ルセカーはむきになって繰り返し始めた。
ガブレイが、再び剣を上段に構える。さっきと同じ構えだ。ルセカーはぴたりと素振りをやめ、息を止めて見守った。そしてガブレイがもう一度だけ一連の動作を繰り返した。やはり、ルセカーとは違う風が舞った。
ルセカーは、脳裏に焼き付けた動きが消えてしまわないうちに、反復を始めた。
いったいどのくらい、それに熱中していただろう。二本の木剣を残して、いつのまにかガブレイの姿はなくなっていた。
慌てて野営地に帰ると、とっくに夕飯の炊き出しは終わっていて、シースティアからは飯抜きが言い渡された。幸い、空腹よりも興奮が勝り、興奮が収まると疲労による睡魔が勝って、ルセカーは翌朝までぐっすり眠ったのだった。