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 ルセカーが目覚めた昼下がりの邸は、とても静かだった。前に寝込んだときも同じだったから解る。使用人たちも、ひととおりの仕事を追えてめいめいに過ごしているのだ。

 体調はすっかり良くなっていた。もちろん、あちこち痛むけれど、活発な少年の体を妨げるものではなかった。

 寝台を抜け出し、部屋を出る。従者としてあてがわれた、シースティアの寝室の小さな隣室であるが、そこは伯爵の部屋にも近い。

 窓からいっぱいに日の差し込む廊下は、無人で人の気配はなかった。

 そっと廊下を歩きだす。

「やあ」

 と、予期せぬ声にルセカーの心臓は跳ね上がった。

「具合はどうかね」

 ソール・デレフ伯爵が、ちょうど差し込んでいる日差しのような朗らかな笑顔でそこに立っていた。まったく気配を感じなかったというのに。

 そういえば、伯爵はデレフ子爵であった頃、騎士として戦場に立ったこともあるのだと、古株の使用人から聞いたことがある。実は相当の強者なのではないかとルセカーの頭の中で思考はめぐった。

「体調がよければ、中庭で一緒にお茶にしないかね。部屋で寝てばかりでは、気持ちが澱むだろう」

 断る理由を探す前に、ルセカーの首はたてに動いていた。



 白いテーブルに白いカップ。クレアが穏やかな表情で注ぐお茶から湯気が昇った。

 一礼して辞去するクレアを見送ると、ルセカーは伯爵に勧められるまま、カップを口に運ぶ。

 その表情をみて伯爵は笑った。

「苦いかね? 砂糖を存分に入れたまえ」

 伯爵は砂糖の入れ物をルセカーの前に置いた。

「苦味の旨さは慣れだと私は思うのだよ。砂糖の量を少しずつ減らして、次第に茶の味を直接知っていく。苦味のなかに、旨さを探せるようになる」

 そんな日が来るのだろうかと、ルセカーは即座に疑った。

「人生も、この齢に至って、そうしたものではないかと思うようになったよ」

 そう言って、伯爵は何も足さないお茶に口をつけた。

「この家を頻繁に刺客が狙っている」

 ひとくち。ゆっくりと味わってカップを皿に下ろした伯爵が発した言葉だ。

「君も身をもって体験してしまったし、エレの事も耳に入っていることだろう」

 ルセカーのお茶も、あまり減っていなかった。砂糖で苦味は消したけれど、熱いお茶は勢いよく飲めなかった。熱さ以上に、エレの話題を暢気にお茶を飲みながら聞いてはいられない。

「ルセカー、君に頼みがある」

 伯爵の目は穏やかに、しかしとても真剣だ。

「あの子を守ってくれ」

 それは当然だ。でもルセカーは安易に頷かなかった。拒むつもりはないが、伯爵の真意はより深いところにあると、肌で感じ取ったからだ。

「何が敵で、何が味方かわからない状況であっても、君だけは、あの子の絶対の味方であって欲しい」

 何が敵で、何が味方か……だが、そういう口ぶりの伯爵には……。

「何が敵か、知っているように聞こえる」

 静かに少年を見つめたあと、伯爵は微笑した。

「例えば、あの子が君を敵と見なして、命を奪おうとしても、君は真実あの子の味方でいて欲しい」

 とんでもない仮定の話に、ルセカーは一段ずつ踏まえてきた会話の階段をがくんと踏み外した。

 伯爵は少年が心の態勢を立て直すのを待つように、お茶で口を湿らせる。

「本来、それは親の役目なのだがね」

 沈黙を、お茶に混ぜる砂糖のように空気に溶かしながら、伯爵は言葉を継いだ。

「新しきルセカー、どうか娘を守って欲しい」

 少年の瞳を静かな瞳で見つめて、ソール・デレフ伯ジョゼフは言った。ルセカーは、胸の中で伯爵の言葉が反響しながら跳ね返るばかりで、うまい返答が思い浮かばなかった。なにか、言葉を返してあげなければいけない。それも今この場で。強烈にそんな想いに駆られるのに、何も出て来ない。

 伯爵はルセカーの様子に微笑むと、その言葉を残したまま席を立った。ルセカーは座ったまま、伯爵の心情を考えつづけた。わからなかった。

 最後に、すっかり冷え切ったお茶を一息に飲み干す。

 砂糖で甘いはずなのに、どこか渋味が消えなかった。





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