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王都サーキスの正門となれば、その出入りする人の数はただ一言に多い。百名に及ぶ門兵を含めた警備兵が、高くそびえる城壁上や、門の脇から目を光らせているから、怪しげな人間などは即座に取り調べられる。もちろん、本当に怪しむべき人間が目で見てそうと分かる格好はしない。
人の流れのなかに、行商人が混じっていたとして、それを異物と見るのは不可能であった。
行商人こと、ワーズ・ワスマイルは馬車一台、品物を満載して王都を悠々とあとにした。
行商に出掛ける様にみえて、品物は仲間への土産だし、砦に必要な物資だ。何よりの土産は、伯爵から得た情報である。
『近々、リシャール王子の命令で、大規模な軍事行動が旧フローリア領で予定されているそうだ』
『目的は反乱分子の殲滅か?』
『最終的にはそうなるだろう。具体的には正式に命令があるまでわからないが……』
『これは、ギゼに戻る必要があるな。万が一の準備もせねばいかんだろうし、フローリア再建派の連中に教えてやらんとな……』
『ギゼは動くのかね?』
『正直、迷ってる。ルセカーなら……もちろん、ちびじゃない方だが、あいつならどうするだろうかとか、色々考えるがな。俺には決めかねるよ』
昨夜、伯爵の前で冗談めかしく肩を竦めてみせたが、決断のときは迫っている。
器じゃねえなあ。ワーズは、春の青々しい空を、あきらめに近い心境で見上げた。
お城への道を、ルセカーの供で歩くのは久方ぶりであった。少年が元気になったというのは嬉しいことである。しかし、彼に剣術を仕込むのには、少なからず迷いがあった。そもそも、ルセカーは騎士を目指すために騎士見習いになったのだ。剣の道を避けては通れない。なのに今になって、彼に剣を持たせることに、これほどの抵抗感があるのはどうしてだろう。
道々、シースは無口だった。ルセカーの、元来の寡黙さもあって、道中ひと言も二人は交わさなかった。
いつもと同じように騎士門をくぐろうとしたシースティアの耳に、門兵が騎士長の召喚を報せた。
シースがルセカーに馬を預けて城内に入ると、先程の門兵がルセカーを手招きした。若い兵士だが、シースとルセカーよりも年は上に見える。
「なあ、シースティア様、ぼんやりしてるみたいだが、気をつけろよ?」
兵士の言葉に、ルセカーは首を傾げた。
「ソール・デレフ家はいま危ないんだろう? こういう時にあんな気の抜けた顔されると、心配になっちまう」
ルセカーは力強く頷いた。シースの従者である今の理由は、そこにある気がする。なんだか知らないけど、世話になってる家が困っているのは、見過ごせないことだ。
「旧フローリア領で演習?」
騎士長執務室での通達事項がそれだった。内容に関しては寝耳に水である。
「そうだ。部下にあたる従騎士、従者に伝達するように。準備も含めての訓練だ。ぬかりないようにな」
面食らった様子のシースティアに、騎士長は重ねて言った。
「しかし騎士長、フローリアの反乱分子を刺激しませんか? 彼らの活動は未だ根強いと聞きますが」
「王太子殿下のご下命だ。家臣団でも十分に吟味が為された。その判断だ」
「殿下の……」
―――― リシャールの……。
かれこれ十数年。リシャール王子の築き上げた実績と信頼によって、人々は知らず知らず、手放しに彼の指示に従うきらいがあった。騎士長にしても、文武にすぐれ、騎士団をまとめあげる人格もそなえた人物だが、型にはまり過ぎているのかもしれない。
脳裏に恋人の面影を浮かべたシースは、執務室を出たあとの行き先を決めていた。
馬を厩舎に預けてきたルセカーは、いつもどおりシースティアの部屋で彼女を待っていた。病み上がりの今日は、特に用を言い付けられなければ仕事がない。手持ち無沙汰のなぐさめに、ルセカーは剣を持つ想像をして、握りや構えを確かめたりした。今までは運動神経や勘に頼った我流だったが、手練れを相手にするにはあまりにも経験不足だと感じるのだ。
「ルセカー、いる?」
扉が開くが早いか、シースが呼んだ。
「なあ、剣を………」
「まだ用事が終わってないの。ルーヤの手伝いでもしておいて。いろいろ助けてもらったでしょう?」
言い終わるや、シースはそのまま廊下を歩いていく。ルセカーは戸口を出て呼び止めた。
「どこへ行くんだ?」
「リシャール殿下のところよ」
一瞬、ルセカーの脳裏は空白になって、そのあと無性に体を動かしたくなった。シースの言い付けなどは、そのイライラに流されてどこへやらだ。
「剣くらい教えてくれればいいのに」
ぶつぶつと呟きながら、持ち出した訓練用の木剣を庭で振るのであった。
リシャールの侍従に、自分のことがどう伝えられているのかは知らないが、シースティアは執務で忙しいはずの王子にすんなりと面会することができた。
侍従がさがるや否や、シースは本題を切り出した。
「旧フローリアで演習を行なうそうですね」
「うん。騎士長から聞いたのだね?」
リシャールは、執務室の机に腰を寄り掛からせると、肩にかかる長い銀髪を手櫛で掻きあげた。銀髪にくわえ、美的均衡の取れたあごの輪郭で囲われた容貌は、万人がみとめる貴公子の姿であった。
日頃の忙しさを感じさせない緩やかな口調で、彼はシースに理由を語った。
「無論、危険はある。演習がそのまま実戦に変わる可能性がね。でも、それは望むところなんだよ」
「反乱分子をいぶりだせれば良いということなの?」
「そういうこと。我が騎士団の練度は、そういう事態に十分対応できると信じている」
「それは騎士長にいってあげて。よろこぶから」
ふふっ、とシースは微笑をこぼす。
「ところで、騎士長に別の仕事を書面で回したのだが、聞いているかな」
「いいえ。どんなこと?」
「宮廷騎士に調査してもらいたい。私の直属の部下が殺された」
ただならぬ内容にシースの眉根が寄る。
「場所は、王都の城壁外。計画農作地の水車小屋で死体が発見された。見つかったのは四日前だが、連絡が途絶えたのは一週間ほど前からだ」
シースティアは記憶の中から情報と符合するものを探した。
「一週間前……ルセカーが襲われたのと同じ頃だわ」
思い当たるのはそれだけ。関連性は薄そうだ。情報は追って探さなければ事件には役立つまい。
「ルセカーというと、君の従者だね? 無事なのかい?」
「ええ、一時は危なかったけど、今は元気よ」
「すまない、気づいてあげられなくて」
シースティアをいたわる様に、リシャールはその頬に触れた。彼とて彼女の前の従者が死んだのは知っていた。
「いいの。心配掛けたくなかったから」
頬と首筋にかかる手が、とても心地よかった。
「しかし、そうとなるとこの王都に、物騒な人間が入り込んでいるということになるね」
「物騒な……人間……」
ワーズ・ワスマイル。あの怪しげな人物の名が真っ先に思い浮かぶ。すると、脳裏に符合したものが、奇妙な繋がりを思わせて怖かった。父ジョゼフすら、その糸に絡まってくるのだ。
「どうかしたのかい?」
シースティアの顔色はすぐれなかった。
「血なまぐさい話はここまでにして、お茶でも淹れさせよう」