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 病気をしたとき、まわりの人間が優しくしてくれた経験は、たいていの人間が持っているもので、母親が誰か分からないルセカーにも覚えがあった。

 流行りの病気で熱を出した時がそうだ。一週間寝たきりで、トリスや娼館の女たちが、献身的に世話をしてくれた。

 使用人である今、そんな扱いを願ってなどいなかった身に、思いがけず気を遣ってくれる人たちがいて、ルセカーは少し困惑した。

 意識が戻って、ソール・デレフ邸に戻るまでのあいだ、面倒を見てくれたのは口喧嘩の相手だったルーヤだった。

 目は覚めたものの、身体はまったくといっていいほど動かず、そのままルーヤたちの宿舎を使うことになった。

「ほら、食事よ」

 シチューをすくったスプーンが、ルセカーの口元に差し出されると、ルセカーは無言で口をひらき、ルーヤはスプーンを突っこむ。

「なんか、気味悪いな、お前に優しくされると」

「動けないくせに口だけは減らないわね」

 ルーヤは口をへの字にして呟いた。そういう態度とると食べさせてあげないわよ? と、言ってはみても、やはり動けないルセカーの具合は見ていて辛そうで、ルーヤは甲斐甲斐しく世話を焼いた。

 三日ほどたって、ルセカーの回復の度合いをみてソール・デレフ邸に戻すことになった。

 屋敷に戻るときは、まだふらつく身体をシースティアが手ずから支えてくれた。

 迎えの馬車は車内に寝床をしつらえてあり、旅のさなかに土のうえを寝床にしていたルセカーにはたいそうな贅沢に感じられた。

 枕を背にして、すこし身を起こしたルセカーは、足元の毛布の裾をなおすシースをぼんやり見つめた。まだ熱っぽくて、論理的な思考はなされていなかったのだけれど、熱の具合いを確かめるシースの手のひらに触れられて、胸のうちがさざめくのはわかった。

「熱でつらい?」

 寝着のしたで、身体が汗ばむのを感じる。ルセカーは小さく首を振って眼を閉じた。

 ………トリスみたいだ………。

「なにか言った?……」

 シースは聞き返したが、ルセカーから返ってくるのは安心した寝息の音だけだった。



 ルセカーが病床にあるあいだ、シースは一人で出仕することになる。屋敷の寝台の上でルセカーは気を揉んだ。

 朝きちんと起きて、遅刻などしないだろうか。彼女は出掛ける前、帰ったとき、必ず顔を見せる。だが明日は? ちゃんと無事にシースは帰ってくるだろうか。暗殺者は、いつか必ず彼女を狙う。そうに違いない。そんな心配をして、彼女の帰りが遅いと自分の世話をしてくれる侍女に、それとなくシースの所在を訊いてしまう。あくまでそれとなく、だけれども、それがルセカーの急性心配症から発しているのは見え透いていた。

「シースティア様のことを心配しているのね」

 ルセカーと年の近い、クレアというその侍女は、そういって微笑んだ。

「べ、べつに………当たり前だろ、俺、いちおうシースの従者なんだから」

「うん。ありがとう、シースティア様のことを心配してくれて。私たちも、とても心配しているの」 クレアは、ルセカーがたいらげた夕食を片付ける手をとめて言った。「こうして悪いことが続くと、とても不安だから……」



 宮廷騎士シースティア・ラ・ソールには、顔が利く馴染みの店がいくつかあった。

 それらは、彼女の仕事の役に立ったし、個人的にその店を利用することもあった。

「いらっしゃい」

 老人の落ち着いた声が彼女を出迎えた。小柄で、人のよさそうな老人だ。頭髪は禿上がっていない代わりに真っ白だ。人柄が店の雰囲気にあらわれているようで、綺麗に整頓された店は老人の丁寧な仕事を思わせる。

 壁にしつらえた棚には、道具類やちょっとした薬品類が並べられていて、一見なんの店かは検討がつきかねる装いだが、無論シースには勝手が知れていた。

「やあシースティア、仕事かね」

「いえ、仕事ではないんだけれど、個人的に調べてほしいものがあるの」

「ほう」

 老人は興味深げに、しわに引っ掛かったような眼鏡を掛けなおした。

 シースは老人の興味を得たのを確認して、手にしていた棒状の包みを広げた。中から出てきたのは剣だ。長剣にしてはやや小振りだが肉厚があり、存在感が強い剣である。それはまさに、彼女が彼女の従者から預かった剣であった。

「ほほう、これはたいしたものだ」

 シースから剣を受け取った老人は、両手で鋼の身を掲げて見入った。

 柄から伸びる刃は手元で鈎状に拡がって幅広になり、切っ先に向かって緩やかに細り、腕ほど長さで剣先へ曲線を描いて絞られていた。柄飾りは、鈎状になった刃の付け根に対応して拡がった細工がなされているが、これは柄飾りと刃の間に相手の剣を絡めとって砕くという実用的な用途が与えられているようだ。

「これは、良い剣じゃな」

 老人は一言で誉めた。シースは老人の講釈を聞いたことがあるが、それによる良い剣とは、長さと重量、それらのバランスを評価の基準としていうものらしい。もちろん、素材や硬度などはまた別の話だ。熟練した使い手として、同感だった。

 ひととおり見るべき所を押さえた老人は、眼鏡のレンズの間から上目遣いに目線を上げた。

「その剣、すこし調べてほしいの」

「ほう」

 老人はこともなげに言うと、もういちど剣を見た。今度はたてに掲げてみる。

「よろしい、預かろう。これほどの剣なら、鍛冶匠や武器商人をあたれば、出所が分かるかもしれん。調べるのはその類のことで良いんじゃろ?」

「ええ。でも、その剣は私にとっても預かり物だから、その事は忘れないで」

「あんたの信頼は裏切らんよ」

 老人は言った。人間の言葉が持つ重さは、それを発するものによって異なる。時に一枚の紙片に記された文字よりも軽視されるが、シースは老人を信用した。



 ことさら暗くなるのを待って帰宅しているわけではない。ただ、宮廷騎士としての仕事が終わるのを、時刻が待ってくれないだけなのだ。そして、シースティアは暗闇を怖れるより、そこに身を浸して再び邂逅するのを心待ちにしている節があった。あの日、エレの命を奪ったあの暗殺者と。

 夜道をゆくとき、シースは暗闇に黒く猛々しい憎悪の心を曝け出す。闇があの時の記憶を否応なく彼女の脳裏から引き出すからだ。思えばここの所、そんなどす黒い感情が自分の胸中を支配することはなかった。それはあの少年がいてくれたからであろうか。だが、その少年も、傷つき動けないでいる。それは、いったい誰のせいか。

「そこのあなた。先刻から私の後をつけているようですが、早く用件を済ませてはどうです?」

 シースは馬を止めて降りた。本気の斬り合いになれば、馬上は不利になる。逃げるつもりはない。エレが死んで、ルセカーが狙われた。相手の意図は分からないが、素性を明かさぬなら敵と見做しても間違いはない。これ以上、身内を危険にさらすわけにはいかないのだ。

 シースは剣を抜いた。白くきらめく刀身は、シースのえあがる双眸とあいまって美しかった。

 返答はない。ならば。シースは気配が潜む暗がり目掛けて駆けた。相手に動揺が走ったのが気取られた。完璧に身を隠していたつもりだったのだろうが、シースは過たず、そこを目掛けて間合いを詰めたのだ。

 シースの白刃が気配の潜む物陰を襲う。気配の主は慌てて飛びすさった。隠れみのに使っていた樽が、すっぱりと刃の通った筋道どおりの断面をつくった。

「ま………待てッ!」

 潜んでいた男はシースティアを制止したが、彼女は止まらなかった。立て続けの斬撃が男を襲う。男は大柄な体躯に似合わず、素早い身のこなしで躱し続けたが、シースが間合いを詰める迅さがそれを上回り、男はついに剣を抜いて受けた。

「待て! 俺は…………!」

 男は弁明を試みたが、シースは息をつかせなかった。

 右! 左! 切り返しの迅い剣が男を守勢に押しやる。いずれ、必殺を狙う一撃がくるはず。それを読めて、流れを返せない。そして、来た! 男の左胸を貫く軌道で、白刃は突きを閃かせた。その刹那、男はほぼ同時に突きを繰り出した。シースの突きの動作を目で見てからでは遅い。彼女の挙動、必殺の気を察知してこその技だ。そしてその技はそれだけにとどまらない。男は己が剣の柄飾りでシースの切っ先を受け、また自分の剣の切っ先をシースの剣の柄飾りに噛ませた。これで、会話するだけの余裕が二人の間に持てるわけだ。

 男の技量は驚嘆に値した。シースの剣は神速である。それをこれほどまでに精緻な技で防ぐとは。シースは、心理のうちにかすかな敗北感が漂うのを覚えずにはいられなかった。

「落ち着け。俺はワーズ・ワスマイル。あんたのお父上とは盟友の仲だ」

 男は名乗った。ルセカーと会った時の農夫姿とはまるで違う、本来の剣士の姿だ。

 その時、初めてワーズは気づいた。シースの呼吸は荒々しい。恐怖のせいではない。それほどまでに、“敵”に対する殺意を体内に充満させていたのだ。

 獣のように油断なく光るシースティアの眼に、ワーズはぞくりとした。







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