第六話
帝都を出た列車は真っ直ぐにレールを辿って来ている。
木々に遮られてその姿は確認出来ない。しかし、鉄の聴覚は近付いてくる駆動音を捉えていた。
列車が姿を現すまで時間はかからなかった。レールを敷く為に木々が伐採され、平坦に均された道を、金属の塊が重厚な音を響かせて走っている。
周囲は暗い。列車の姿は未だ遠く、無人であるが故か走り来る列車には一切の光源が見当たらない。それでも、異常発達した視覚を持つ鉄にはその姿がはっきりと見えていた。
先頭車両には大量の魔道具が搭載され、人の乗るスペースは見られない。その魔道具こそ列車の動力部なのだろう。実際に魔素を利用して動いているのは先頭車両だけで、後ろに連なる車両は全て引っ張られているだけに過ぎない。
幸いな事に、鉄が危惧していたよりも列車の速度は遅かった。徒歩はもちろん、自転車よりも少し速い程度だ。この速度ならば鉄もアリシアも問題なく乗り込む事が出来るだろう。
「行くわよ」
静かに告げるアリシアの声に、了解とだけ返す。
光源となる魔道具はアリシアの手の中にあった。それが無ければ、確実にレールを走る貨車に飛び乗る事は難しいからだ。
暗視の出来る鉄は魔道具による光を必要としない。片手は塞がってしまうが、光源はアリシアが持っていた方がいい。それに、彼女の身体能力なら片手が塞がっていても問題はない筈だ。
レールを進む列車が目前を通り過ぎようとする一瞬。鉄とアリシアは同時に列車へと飛び乗った。
列車の疾走は高速だ。貨物を積んだ箱の縁へと手をかけると同時、列車の進行方向へ腕が引っ張られていく。
間を置かずに跳躍。地面を蹴った両足は、列車の慣性を乗せたままに宙を歩く。
車輪の付いた台枠部分に、貨物を乗せた箱が乗っている。その箱の辺と外縁の間。十センチもない狭い空間こそが着地地点だ。
着地の瞬間、僅かに足下で金属の擦れる音を聞いた。突然二人分の体重が追加されたのだから無理もない。
しかしそれだけだ。車輪が脱線する事も、火花を散らす事もなく、列車は何事もなかったかのように運行を継続していた。
貨物を積んだ箱部分は、ゴールディアンに停留している時と一部違う点があった。
箱の四隅から中心に向けて金属棒が伸びている。棒は四隅よりも高い位置で交差し、山なりの骨組みを形成していた。
その上には布が被さっている。布は四隅で固定され、ピンと張られた状態だ。ただの布ではないらしく、手で表面を撫でるとツルツルとした滑りがあった。どうやら防水加工のようだ。
「アリシア、こっちこっち」
厚い雲に月光が遮られた夜。森の暗闇の中を列車が疾駆する。光はアリシアの持つ魔道具が放つ小さな物だけだ。
列車の外側。僅かに突き出した台枠の上を鉄は危なげもなく移動する。十両程が連結した列車の最後尾の車両へと。
魔道具で足下を照らしつつアリシアが後に続く。不安定な足場。片手は塞がり、薄光の中であってもその動きに一切の淀みはない。
程なくして二人は最後尾の車両へと到達する。同じように被された布を、四隅の一角の固定だけを外して箱への入り口を開ける。
布を捲り、その下の骨組みの間から箱の内部へと侵入した二人。
魔道具の光に照らし出された物がある。柔らかそうな毛皮が、実に箱の半分程の面積を占領していた。
「……ふうん。よく見てたわね」
「まあね」
ゴールディアンに停留していた列車。それを観察する際に、どの車両にどんな貨物を積み込んだかも確認していたのだ。
金属や木材、加工済みの武具など。その種類は多岐に渡るが、しかし食糧は一切積み込まれていなかった。腐敗を危惧しているのか、ゼクストの国柄他国に輸出している余裕がないだけかは分からないが。
そんな中、最後尾の車両に大量の毛皮が積み込まれていくのを鉄は確認していた。人が乗る事を考慮されていない金属の箱の中、毛皮が何かの役に立つ事があるかも知れない。
何より、アリシアは極度の寒がりだ。毛布なども所持してはいるが、真っ直ぐに北上する列車の中では心許ない。箱の中で火を熾す訳にもいかず、暖を取る方法は多いに越した事はないだろう。
幸い毛皮は既に加工済みで獣臭は殆ど消えている。これならば毛布代わりにはなる筈だ。
鉄が観察している間に、アリシアはさっさと毛布を取り出していた。
二人で荷物を分担し、日用品の殆どは鉄の鞄に入っている。しかし、アリシアがよく使う物だけは彼女の鞄に入れておくようにしていた。毛布などはその最たる例だ。
アリシアは毛布を数回折って厚みを作ると、それを山積みにされた毛皮のすぐ傍に敷いた。
レールを噛む車輪、その上の台枠から、貨物を乗せる箱に至るまで。全てが金属製で作られている。確かにクッションも無しにずっと座っているのは辛い。
毛布は衝撃を和らげる為に。防寒対策は毛皮を借りればいいという判断だろう。
「ほら、早く来なさい」
元々そこまで大きくない毛布だ。厚みを出す為に何度も折れば、その面積は相対的に狭くなっていく。
詰めれば何とか二人が座れる程度の広さ。その半分を占領したアリシアが、残りの領土をぽんぽんと叩いて見せた。
「お邪魔します」
下賜された領土に腰を下ろす。
狭い空間だ。肩や腕までもが密着しているが、不思議と気恥ずかしさはない。
背後、毛皮の山が背凭れとなって体を支えている。毛布や毛皮を通して、列車の揺れが柔らかな衝撃となって届いていた。
二人を乗せた列車は、オルファスの最南端を終着駅に定めている。ルドニアに用がない以上、二人の目的地も同じだ。
しかしそこまで直行という訳にもいかない。列車は一度ルドニアで停車する事になるだろう。
そこで二人も一度降車する事になる。それは裏を返せば、そこまでは乗車したままでいられるという事だ。
無事に乗車出来た事にとりあえず一息。張り詰めていた気が緩んだからか、安堵と共に僅かな倦怠感があった。
少し睡眠をとっておこうと鉄は考える。どうせ暫くはこのままで、暇を潰す手段はそう多くない。いつ何が起こってもいいように、眠れる時に眠っておくべきだ。
同じ結論に至ったのだろう。隣のアリシアはいつの間にか数枚の毛皮に身を包んで目を閉じていた。
時刻は夜。魔道具の薄ぼんやりとした光は睡眠の邪魔にはならない。密着した腕からアリシアの体温を、毛布越しに列車の揺れを感じながら、鉄も静かに目を閉じた。
鉄を微睡みから引き上げたのは、極々小さな音だった。
目を閉じる前から景色は変わっていない。暗い箱の中、魔道具が小さな光を放っている。未だ夜は明けていないようだ。
いつの間にか鉄の左肩にアリシアの頭が乗っていた。鉄が聞いた音は連続し、段々とその間隔を狭めていく。
鉄に寄りかかって眠っていたアリシアが、小さな身動ぎの後に離れていく。どうやら目を覚ましたようだ。
「降ってきたね」
「……そうね」
とうとう天気が崩れたらしい。外では雨が降り始めていた。
その雨の最初の一粒こそ、鉄を起こした音の正体だった。完全に横になっていない状態で眠ったからか、普段より敏感になっていたのだろう。
体を起こして箱の端まで移動する。膝立ちになり、指で布を押し上げて外を覗くと、途端に雨の匂いを強く感じた。
列車は湖の傍を走っていた。相当に大きな湖で、アルファルド大森林の中にあった物の倍ほどの直径がある。
その向こう。湖の対岸には街があった。大きな街だったが、何より目を引いたのは、その街に幾つもの光源が存在する事だった。
この世界では、夜中に光を見る事は珍しい。
日本と違い科学が発達しておらず、電気という概念が存在しないからだ。その代わりとなるのが魔道具であり、アリシアが持っているような光を放つ魔道具なら電気の代わりにはなるだろう。
だが、本来魔道具とは高価な物だという。少なくとも一般家庭に普及しているような物ではない。だからこそ、ほぼ無条件で魔道具を精製出来る異能を持ったアリシアが狙われているのだ。
しかし、対岸の街には多くの光があった。光は湖面に反射し、雨粒が落ちる度にゆらゆらと揺らめいている。
魔術大国、という単語が脳裏を過る。魔素の多い土地に恵まれ、魔法が盛んな国だからこその光景だ。
貴重な筈の魔道具を惜しみなく使用しているのだろう。どうやら鉄の想像以上に、ルドニアという国は魔法文化に特化しているらしい。