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第二話

5/22 文章を修正

 トンネルを抜けると、そこは草原だった。


 思ったよりも衝撃は無い。

 上を見る。

 鉄は確かに落ちてきた筈なのだが、上にも下にも、周囲を見渡して見ても、鉄が通ってきた歪みの残滓すら発見出来なかった。


 とりあえず状況の確認をする。

 まず南……と思ったところで、どちらが南かわからない事に気付く。

 仕方がない。今は方角の事は考えないで、簡単な目印だけで記憶する事にした。というか、採れる手段はそれしかない。

 まず右手側、大きな森が鉄の前後に伸びている。

 森の更に奥には天に届きそうな山が聳え立っているのを見ると、恐らくこの森は相当な大きさだろう。

 草原より遥かに視界が遮られるし、食糧なども期待出来る。しばらくは、この森を自分の活動の中心にしようと鉄は考える。


 次に反対側、鉄の左手方向。

 何もない。地平線まで見事に草原だ。

 もはや見事なまでに……と思っていたが、よく目をこらすと鉄から二百メートル程向こうの地面の色が違う。

 恐らく石であろう灰色の地面は、鉄の前方後方を繋いでいる。

 街道だ。


 振り返る。が、何もない。街道も地平線の彼方に消えている。

 街道があるという事は街があるのだろうが、ここからは見ることが出来ない。

 ならば、反対方向はどうだろう。

 かなり遠いが、黒い壁のようなものが確認出来た。

 目をこらす。

 望遠鏡の倍率を上げるように、カメラのズームを行うように。

 まさしく鉄の視界は、急激に壁の方向へと迫っていった。


 それはやはり街のようだった。

 街道と壁が接する場所に門が設置され、鎧を着た門番らしき男が一人立っている。

 角度が悪いので門の中までは見ることは出来ないが、人間が門番をしているのなら人間の街で確定だろう。


 街から目を逸らし、改めて周囲を見渡す。

 どこまでも続く草原に、大きな森、山。壁に囲まれた街。

 どれも日本では見なかった光景で。

 高鳴る鼓動と湧き上がる興奮をそのままに、呟く。


「ホントに異世界、来ちゃったんだなぁ……!」


 異世界の人間が好意的だなんて楽観的な思想を鉄は持っていない。

 悪人が多いとかではなく、異世界の人間が鉄に友好的かと聞かれれば、彼はこう答えるだろう。そうは思わない、と。

 元の世界でもそうだった。普通に振る舞っていても、黙っていても。

 クラスメイトは怯えた表情で見てくるし、街ですれ違った子供は泣き喚くし、散歩中の犬は飼い主を引きずって逃げていく。

 元の世界でそういう目にあってきた鉄としては、まず間違いなく人間とは友好的な関係は築けないと思ってしまうのは仕方のない事だろう。


 何も目標を持たずにここに来た。特に何かしたい事がある訳でもないが、不用意に他人と関わらないように生きていければそれでいい。

 折角だから、この世界を旅してみるのもいいかも知れない。

 どこもかしこも誰かの土地で、誰にも関わらずに生きるという事が不可能だった日本。

 まだ確定はしていないが、この広大な草原と森を見る限り全ての土地が誰かに管理されている、という事はなさそうだ。


 変な物を食べても大抵の毒は効かないし。

 飲まず食わずでも常人の数十倍の日数は生きていける自信がある。

 食糧は現地調達。サバイバル生活でもある程度は問題ないだろう。



 そうと決まれば、早速野宿の準備だ。

 鉄はまず川を探すことにした。川があれば採った食材も洗えるし、上手くすれば魚も捕れるかも知れない。運が良ければ獣や鳥が水を飲みに来る可能性もある。

 逸る気持ちを抑えて、鉄は耳に全神経を集中させる。

 森の中。聴力の網をどんどんと広げていって。


「……見つけた」


 動物の歩く音、鳥の声、虫の羽ばたき。

 それに混じって水の流れる音を捉えた鉄は、その方向へと歩き出した。


 果たして、そこに川はあった。

 途中で食べれそうな木の実を見つけて、勿論いくつか採って来ている。

 流石に異世界にも夜という概念はあるらしく、空はどんどんと暗くなっていく。とりあえず今日はこの河原を拠点にする事にした。

 唯一の荷物である学生鞄を無造作に置いて、いよいよ野宿の準備だ。

 辺りに転がっていた枯れ木を集める。二往復もすると、そこそこの時間火を焚いていられるだけの量は集まった。

 もし足りなければ、その時にまた集めればいいのだ。


 生まれて初めて火起こしというものを体験した。

 が、どうにも上手くいかない。

 力を入れすぎると木が折れる。

 力を抜きすぎると火は点かない。

 鉄はその腕力の強さ故に細かい作業が苦手だ。結局集めた枯れ木に火が灯ったのは、太陽が完全に沈んでからだった。


 前に本で読んでおいてよかったと思う。でなければ恐らく明日の朝までかかっていた。きっとこれからも、本で読んだサバイバルの知識は役立つ事だろう。

 もう暗闇を怖がるような歳でもなければ獣が寄ってくるのもむしろ願ったりなのだが、旅の道連れもいない状況だと、必要なくても火を焚いておきたくなるらしい。

 それに、異世界、野宿、ときたら、夜の焚火は必須である。つまりは男のロマンだ。

 ここに女の子の手料理が追加されれば数え役満だが、そんな機会は恐らく永遠に訪れない。


 記念すべき異世界一日目の夜。鉄は今までやり忘れていた鞄の中身チェックを実践した。

 結果は……。


「真面目な僕のバカ!」


 散々である。

 今日授業で使った教科書四冊。

 筆記用具の消しゴム、ボールペン、シャーペンとその芯。

 高校生にしては軽い財布に、アドレス帳登録件数ゼロの携帯電話。

 以上。役に立ちそうな物は一つも無かった。

 せめてマッチやライターがあればこれから楽に火を付ける事が出来たのに……と落胆する。

 悔やんでも仕方ない事だが、異世界での鞄チェックはむしろ精神的ダメージを受けるという結果に終わった。


 なんとかダメージから立ち直った鉄は、これから必要な物を考えていた。

 例えば物ではないが、言語だ。

 満流と黒フードの話を盗み聞きした時、何故か黒フードは日本語を話していた。

 この世界での言語が日本語なのか、ファンタジー小説にありがちな翻訳魔法のような物を使っていたのかはわからない。

 仮に後者だとすると、鉄にはこの世界の言語が理解出来ないという事になる。

 黒フードが使用した魔法が翻訳魔法を自動でかけるようにプログラムされていたとしたら別だが、それも希望的観測に過ぎない。

 そもそも魔法が発動終了して閉じかけている世界の繋がりを無理矢理こじ開けて飛び込んで来たのだ。そこに付属されていた効果を受けられるとは言い切れない。


 文字もそうだ。

 使っている文字が違うとしたら、念のためその文字も覚えておいた方がいい。

 だが、こちらはあまり気にしなくていいだろう。

 本を一冊。多くても二冊あれば、そこに使われている言語は解読してマスターする自信があるし、経験もある。


 出来れば調味料もなんとかしたい。

 流石に魚には塩を振りたいし、肉を焼くにしても最低限塩で味を付けたい。

 キノコや野草にも塩は合うだろうし、昔の人は歯を磨くのに塩を使ったらしい。


 ……塩だ。

 まずはなんとしてでも塩を調達しなくては。


 欲を言うなら醤油や香辛料も欲しいが、文明レベルによっては香辛料は非常に高価かも知れないし、醤油にいたっては発明されていない可能性さえある。

 結論として、やはり塩を最優先に手に入れたい。


 最後に、魔法の習得だ。

 黒フードが魔法だの魔力だの言っていたのは忘れようもない。

 こんな森の中、文明の利器も無いのだから少しくらい魔法に頼りたい。

 火の魔法とかが使えれば、もう頑張って火を起こす必要もないのだ。

 最大の理由として、魔法を自在に操るのは男の子のロマンである。



 ある程度考えが纏まり今後の方針が決まった頃には、もう夜も大分更けていた。

 そろそろご飯食べて寝ようかな、と思いさっき採ってきた木の実を手に取る。

 その時だった。

 闇を切り裂いて聞こえる悲鳴。

 本来なら聞こえる筈がないほど遠くで発生したその絶叫を、しかし鉄の異常な聴覚が聞き漏らす事は無く。

 手に持った木の実を鞄の中に放り投げると、小さく燃える火を消すこともせずに声が聞こえた方向へと走って行った。



 ただ一度きりの微かな声。それだけで十分だった。

 暗闇の中を、しかし木にぶつかる事も根に躓く事も無く。

 最初に鉄がいた場所からあの川まで、歩いて十五分ほどの距離がある。

 それとほぼ同距離。誤差にして百メートルも無いその距離を、三分もかけずに走り抜ける。

 森を抜けて草原へ。一度立ち止まって目を凝らす。



 声の発生源は、すぐに見つかった。

 やや左、だいたい十一時の方向。いくつかの炎がゆらゆらと揺れている。

 六つの人影が立っていて、四つの人影が倒れていた。そして、その脇の馬車は動かない。

 荷台を引いていたであろう馬も、既に息絶えて打ち捨てられている。


 まあ、つまりは。

 鉄のこの世界でのファーストコンタクトは、盗賊という職業の方々らしい。



 ━━悲しかった。

 とても悲しくて、泣きそうなくらい悔しかった。

 まっとうに生きている筈の人達が殺されるのが悲しかった。

 他人を傷つけた盗賊達が平然と生きているのが悔しかった。


 だけど、何より。

 そんな場面を見て、まず最初に。

「幸運だ」なんて思った僕自身が許せなくて。

 そんなどうしようもない僕が、一番悲しくて、悔しかった。



 やがて、盗賊達がゆっくりと引き揚げ始めた。恐らくは、これから活動の拠点… わかりやすく言うならば「アジト」へ向かうのだろう。

 盗賊達がある程度離れてから、鉄は止まった荷馬車へと近付いていく。

 鉄の視覚は、夜目がきく、なんてレベルじゃない。見ようと思えば、夜の闇の中でも昼間と同じようにはっきりと見る事が可能だ。

 倒れているのは軽装の男一人と鎧を着た男三人。商人と護衛だろうと鉄は当たりをつける。

 護衛の二人は戦闘したように見えるが、一人は戦闘の形跡が見られない。

 盗賊の存在に気付く前に、一瞬で命を奪われたのだろう。

 奇襲だとすると、さっき鉄が見た炎は彼らを皆殺しにした後に積荷を奪い去る為に用意したという事になる。松明か何かだと思うが、実に周到な事だ。

 商人風の男は、背後から胸を一突きにされている。

 護衛が全員やられたか、盗賊の数が予想以上に多かった為だろう。逃げようとしたところを、後ろから刃物で刺されたのが分かった。


 荷馬車の中を見る。

 やはり食糧や金品などは盗賊に全て持っていかれているだろうが、それでも何か役立ちそうな物の一つくらいはあるはずだ。


 つまりは、盗賊の真似事をしている訳だ。


 小さい荷馬車だ。すぐに作業は終了した。開始から一分も経たずに、鉄は荷馬車の中から二冊の本と鍋を発見する。

 鍋は鉄製。使う機会があるかは今のところ不明だが、一応持っておいて損は無いだろう。

 本は表紙に文字だけの物と絵と文字が書いてある物の二種類。

 捲ってみた感じ、絵がある方は読み物だ。対象年齢がどれくらいかわからないから何とも言えないが、もしかしたら商人か護衛の誰かには子供がいたのかも知れない。



 荷馬車には他にめぼしい物は無かった。

 ゆっくりとその場から離れて、振り返る。


 四人の人間と馬の亡骸。主を失った荷馬車。


「ごめんね」


 彼らを埋葬する事すら、鉄には出来ない。

 下手な事をして不特定多数の人間に存在が悟られてしまう事を鉄は恐れていた。

 ほぼ有り得ない可能性だが、鉄の存在が露呈し何かの間違いで討伐隊のようなものが放たれでもしたら。

 鉄は自分の平穏の為に、彼等の口を永遠に塞ぐくらいは可能だし、必要なら躊躇わない。

 元の世界で一人だった鉄は、きっとこの世界でも他人に避けられ一人で生きていくのだろう。だが、それは鉄の望みでもあった。


 寂しいとは感じる。だが、無い物強請りだという事はとうの昔に理解していた。

 だから、鉄は彼らに何もしてあげる事は出来ない。


「どうせなら、こういう時に何も感じないくらい歪んでいた方が楽だったのに」

 

 鉄は呟き、自嘲気味に笑った。

 亡骸に背を向ける。鍋を無理やり入れたせいで学生鞄はパンパンだ。

 去った男達はもう見えない。それでも、匂いと音でここからでも細かい位置まで把握出来る。

 その方向に向けて、鉄は急ぎ足で歩き出す。

 振り返る事は、一度も無かった。



 前方を歩く六人に悟られないよう、木の陰に身を隠しながら進む。

 鉄は今、盗賊達を尾行していた。


 気配も足音も消している上に、盗賊との距離は目測で五十メートルほど。おまけにここは森の中だ。

 足元を照らす為に松明を持った盗賊の位置はこちらから丸わかりだが、鞄しか持っていない鉄に彼らが気付く道理はない。

 が、制服のシャツが目立つので油断は出来ない。霜里学園の制服はブレザータイプだが、今は夏なので白いYシャツ一枚だ。

 気付かれないように細心の注意を払いつつ、鉄は盗賊達の尾行を続ける。


 結局、それは杞憂だった。

 仕事が成功して気分がいいのか、盗賊達は一度も振り返らずにアジトへと鉄を案内してくれた。

 一時間ほど歩いたが、ここは森の中。歩きにくい事を考えると、意外と街や街道からそう遠くない場所にあるようだ。


 アジトと言っても立派な物ではなく、ちょっとした崖にある洞穴を使っているらしい。

 なんともベタというかお約束というか……と思った鉄だったが、長期間野外で暮らすには洞穴という環境は中々悪くないのは理解出来る。

 少しだけ、ほんの少しだけ、羨ましいと思ってしまった。


 崖の壁面に耳を当てた。

 反響した音が地面を伝い、鉄の耳へと届いてくる。


 どうやら、さっき入っていった六人の他に四人いるらしい。

 総勢十人の盗賊がいる計算になるが、もしかしたらまだ仲間がいて、別の場所で盗賊行為を働いているかも知れない。


 途中で帰ってきたら厄介だ。そんなに時間をかけるつもりもないが、あまりのんびりしてても仕方がない。

 鉄はパンパンになった鞄を繁みに隠すと、音を立てないように歩き出した。


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