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第一話

5/22 文章を修正

 霜里学園の生徒会長、天野満流。

 学園始まって以来の天才として有名な彼ではあるが、そんな彼としばしば比較される生徒が霜里学園には存在する。


 霜里学園二年八組所属、見崎鉄(みさきくろがね)

 彼もまた、学園内で有名な生徒の一人であった。

 日本人特有の黒髪黒目。男性には珍しく腰の辺りまで伸びた髪。

 学力、身体能力ともに満流を超える程の高水準を保有し、見た目も非常に整った、これだけ聞けば単なる完璧超人である。

 だが、彼を有名たらしめるのはそんな些細な特徴ではない。


 満流にあって鉄にないもの。

 実際は数えきれない程にあるのだろうが、その最たる物として人望が挙げられるだろう。

 彼には、友人らしい友人が一人として存在しない。

 特に人格に難がある訳でも、かといってコミュニケーション能力が欠乏しているというような事もない。

 町で困っている人を見かけたら手助けしたいと思うし、話しかけられれば普通に受け答えもする。

 彼に話しかけるような人間がいれば、の話だが。


 彼を知る人間は、口を揃えてこう言う。


 ――気味が悪い


 何を考えているかわからないだとか、笑い方が不気味だとか、はたまた空き教室で怪しげな儀式をしているのを見たとかではなく。

 恐らくはもっと根本的な所で、彼は人から拒絶されていた。



 どうしてだろう、と見崎鉄は考える。

 季節は既に夏真っ盛り。さっきまで蝉はうるさく鳴いていたし、今年一番の暑さ、なんて朝七時の天気予報で言っていたのは今日だったと記憶している。

 この霜里学園も明日で終業式を迎え、鉄の日常は退屈な学園生活から退屈な夏休みへとその舞台を移す予定だ。

 いつも通りの日常。いつまでも続く訳もないが、まあ後二年くらいは続くかな、なんて思っていた日常。


 ――ならば

 天野満流の姿が鉄の目の前で消えたのは、果たして日常の風景だろうか?



 県内有数の進学校である霜里学園は、終業式の一日前ですら六時限目までみっちりと時間割が埋められている。

 それだけに、その日の六時限目を終えた生徒達の解放感は一層深い。

 帰りの号令と同時、蜘蛛の子を散らすように生徒達は動き、そして仲のいい友達とグループを形成する。

 中には、これからカラオケ行こーぜー、なんて女子に特攻をかける勇者の姿も見られる。誘われた女子も満更でもなさそうだ。

 夏休みを前にして浮き足立つ少年少女達。彼らが次々に出ていく教室で。

 窓際最後尾。前の席も隣の席も明らかに離された席。

 見崎鉄はそこにいた。


 やがて教室から生徒がいなくなり、廊下から聞こえる生徒の声も止んだ頃。ようやく鉄は席を立った。

 ここ霜里学園には寮がある。寮とは言っても、食事などは自前で調達、一応寮長はいるが、よほど騒がなければ何も言ってこないという放任主義な、寮というのも疑わしいような施設ではあるが。

 まあ、それはそれで思春期の学生には好評であるらしい。

 寮は三階建てで、一階あたりの部屋数は十。

 生徒数に比べて部屋数が非常に少ないのだが、寮を利用するほど遠くから通う生徒が少ない事と、寮の劣悪な環境のため、これでも部屋は余っている。


 思春期の学生だからではないが、鉄も寮生の一人である。

 鉄の部屋は二〇一号室。二階の角部屋だ。

 隣には誰も住んでいない。以前はいたのだが、一年前に精神を病んで学校を退学したので今は空き部屋となっている。

 階段は廊下の突き当たりに一つずつ。鉄の部屋は裏口から入って階段を上がればすぐだ。

 なのだが、裏口に回るには部室棟を通らなければならない。そうなると、かなりの確率で部活中の生徒に遭遇する。

 作業中の生徒が鉄を見て手を滑らせて怪我をしたりでもしたら大変だし、目が合った後輩の女子が泣き出す事もザラだ。

 正面玄関から入ると、今度は廊下で他の寮生に出会う可能性が高い。

 鉄に残された道は、部活が終わるまで時間を潰してから裏口を使ってこっそり部屋に戻るというただ一つだけなのだ。

 街に出ると、今度は善良な一般市民を怯えさせてしまう。

 つまり、鉄は誰にも遭遇しないように学校内で時間を潰さなければならない。


「……まぶしい」


 鉄が放課後時間を潰すのは、決まって屋上だった。

 霜里学園の屋上は生徒が利用出来るように常に解放されているが、実際利用されるのは春と秋の昼休みだけだ。

 夏は暑く、海に面した霜里市の冬は寒いだけでなく風も容赦なく吹き付ける。そんな中でわざわざ屋上に来る物好きはそういない。

 しばらく雲でも見ていれば、すぐに時間も経つだろう。


 やがて赤く染まった空が暗くなり始め、海岸線とは反対の山の峰に日が沈む頃。

 鉄は鞄を枕にして寝ていた体をゆっくりと起こした。

 そろそろ部活も終わって、寮の裏口までの道には誰もいなくなるだろう。

 もしかしたら片付けを言い渡された一年生なんかがまだ残っているかも知れないが、その時は物陰にでも隠れてやり過ごせばいい。

 鉄は鞄と背中を軽くはたいて埃を落とすと、校舎へと繋がる扉を開けた。


 階段を一段、また一段、と降りる。

 変化は、踊り場に差し掛かった時に訪れた。

 最初からそうであったなら直ぐには気付けなかったであろう変化。だが只中にいた鉄にとっては、まるで解答がすぐ下に書いてある間違い探しのように稚拙な変化だった。


 一瞬にして、世界から音が消えた。


 通りを走っていた車の音。一日の終わりを告げる烏の声。そして、夏の間命の限り鳴き続ける蝉の声すらも。

 水を打ったように、全ての音が一瞬で消えた。

 何が起こっているのかはわからない。だが、こんなにあからさまに異常事態が発生しても尚、鉄は冷静さを欠く事はなく。

 息を殺して、聴覚に意識を集中させる。

 校舎をすっぽりと包みこむように感覚器の網は広がり、ほどなくして、鉄の耳は校舎の中で人間の話し声を捉えた。

 段々はっきりと鮮明に聞こえるその声は、鉄がいる踊り場から降りた先。

 霜里学園本校舎四階、生徒会室から。



 聞いた。聞いてしまった。

 異世界だって?

 この学園の生徒なら誰でも知ってる有名人。完全無欠の生徒会長。

 天野満流が?


 

 夢かも、と思って頬をつねってみると、普通に痛い。

 夢じゃない。ここは現実で、天野満流は目の前で消えた。

 正確には消えた瞬間を目撃した訳ではない。だが、鉄の五感は人間のそれを遥かに凌ぐ。

 校舎の中の音を拾うくらいは容易だし、人の匂いを嗅ぎ分ける事まで可能だ。

 その聴覚が、嗅覚が、本当に天野満流が消えたと訴えていた。


 誰もいなくなった生徒会室の中に入る。

 入るのは初めてだが、そんな事は全く気にならなかった。

 まだ世界は音を奪われたまま止まっている。

 だが、鉄は確かに感じていた。


 それは視覚でもなく

 聴覚でもなく

 嗅覚でもなく

 味覚でもなく

 触覚でもなく


 しかし確かに感じている。第六感とでも言うべきそれが、もう残された時間が少ない事を鉄に教えてくれていた。


 鉄の目の前にあるのは、なんの変哲もない生徒会室だ。

 今にも役員と顧問が入ってきて、学園に関する事務作業を始めそうに思える。

 だが、そこにいる筈の生徒会長は今まさにこの部屋で姿を消した。

 違う世界へと旅立って、彼はもう戻ってこないかも知れない。


 今ここが日常などではなく非日常である事を鉄は知っている。

 そして非日常を感じている第六感が伝えるままに、鉄はゆっくりと両手を伸ばす。

 

 伸ばした両手は、ズプリと空中へと飲み込まれた。

 空中に消えた両手を、扉を開けるように、勢いよく左右に開く。

 それだけで。

 見崎鉄は、あっさりと一度閉じた異世界への扉をこじ開けた。



 鉄は振り返る。

 この世界に、未練なんて物は感じない。

 今まで生きてきて、決して少なくない人と関わってきた。

 性別も年齢もバラバラだったが、全員に共通している事がある。

 それは、全員が鉄を恐れるという事実だ。

 見た目ではなく、性格でもなく、力でもない。

 理屈では説明出来ない。恐らく誰に理由を聞いてもわからないと言うだろう。

 きっとそれは本能だ。得体の知れない物を恐れる、生き物の本能。

 仕方の無い事だ、と鉄は理解していた。

 実際鉄の五感は異常な物だったし、身体能力も人間の比ではない。

 生物学的な観点で見れば、有り得ない、というレベルだ。

 中身が化け物なのだ。本能で恐れられるのも無理はない。

 もちろん、見せびらかしたりはしていない。むしろそういった異常な能力はずっと隠し通して生きてきた。

 結局無駄ではあったが、現にこの霜里学園に在籍する生徒や教師に至るまで、一人として鉄の能力を知る者はいない。


 そして今この瞬間を以て、彼らがそれを知る機会は永遠に失われた。



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