第十四話
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(気付かれた!? この距離で!? 嘘だろ!)
そんな筈は無い。鉄ならともかく、普通の人間では視覚も聴覚も届かない距離だ。
しかし、マリアは確かに鉄のいる場所を見ている。
なんで、という言葉が頭の中で一周し、ようやくその原因かも知れない可能性に辿り着く。
鉄の膝の上には、未だ魔法の鞄が口を開けていた。
慌てて、しかし音を立てないように鞄の口を閉じる。
この鞄は魔道具だ。普段は魔力の欠片も感じないただの鞄だが、いざ口を開けると少しの魔力が感じ取れる。
忘れていた訳ではない。
だが、感じる魔力は非常に希薄で、ここは鉄が予測したマリアの探知範囲外だ。
現に、エナとカリンは気付かなかった。今はマリアの突然の動きに驚き、しかしすぐに警戒を始めている。
「……マリア、何かいるのか」
カリンの言葉に、マリアが頷くのが見えた。
やはり気付かれていた。それも確証さえ持っている。
マリアの視線を追って、エナとカリンも鉄のいる場所を凝視した。
鉄の推測が正しければ、鉄が不用意に鞄を開けなければ気付かれる事はないだろう。
女性三人と鉄の視線がぶつかる。とはいっても、相手が見えているのは鉄だけだが。
「一瞬だけ、あの木の辺りで急に魔力が湧くのを感じたんですけど……すぐに消えちゃいました。今はもう何も感じません」
「わかった、では私が様子を見てこよう。二人はここで待っていてくれ」
やはり鞄が原因だったらしい。何とか鉄はマリアの探知から逃れる事に成功した。
だが、一度気付かれてしまったからにはこの場所に留まる訳にはいかない。というか、既にカリンが剣を片手に鉄の潜む木の方へと向かって来ている。
既にどの木かまで特定している。何となく、彼女は後先考えずに木を切り倒しそうな予感がした。
音を立てないように木から降りる。幸いまだカリンとは距離があるし、太い木や森の闇が鉄を隠してくれる。
地面に足を付く音は完全に消した。後は逆方向に逃げるだけだが、走って音を立てては本末転倒だ。
姿だけは隠せるので選択肢には残るが、そこまで切羽詰まっている訳でも無い。
ゆっくりと、限界まで音と気配を殺しながら、鉄は夜の闇の中へと姿を消した。
しばらくして、後ろから大木が倒れる音が響く。
逃げといてよかった、と鉄は内心冷や汗を流した。
結局、かなり離れた所まで逃げてきてしまった。
冒険者達の野営地から、歩いておよそ十分程の距離だ。
木の一つに背中を預け座り込む。はぁ、と一つ大きな息を吐いた。
(あぁ、失敗した。まさかマリア嬢の探知能力があんなに高いなんて)
気付かれないと思っていただけに、驚きは大きい。
あれだけの探知能力があるのなら昼間の巨大魚も接近される前に気付けるだろうと思った程だ。
あの巨大魚も微弱な魔力を発していた。それでも、魔法の鞄よりは探知しやすい大きさだ。
というより、鉄の見立てでは大きな魔力を隠そうとして、しかし隠しきれずに漏れているという感じに見えた。
確かに戦闘中で不意を突かれたというのもあるかも知れないが、それにしたって不自然に思える。
何かカラクリがあるのか、まだ能力にムラがあるのか。
どちらにしても、下手な事はしない方が良さそうだ。
さて、これからどうしよう、と考える。
一応戻ってみる事も考えたが、一度気付かれてしまった以上更に警戒は強くなっているだろう。
物資の調達はおろか、下手をすれば朝食さえ抜きで出発してしまう可能性がある。
鉄の拠点から例の湖まで、普通に歩いて三時間ほどだ。ここからなら、最短で二時間も歩けば草原に出られるだろう。
森と比べれば草原は遥かに安全だ。ならば、急いで草原に出ようとする可能性は高い。
とはいえ、湖で盗み聞きした会話によると、彼らは既に何度か野営をしているらしい。
流石に歩いて二時間の距離では、どう考えても一日すら使わない。
彼らは、もっと遠くから森に入ったのだろうと推測出来る。
(王都……って言ってたよね)
仮に彼らが王都からすぐに森に入ったとして、森の中を移動して王都前に出るより、先に森を抜けてから草原を王都へ向かった方が確実に安全だ。
どう転んでも、彼らは明日でこの森を脱出するだろう。
……何事もなければね、と。
鉄は鞄から一本の剣を取り出した。
聴覚を研ぎ澄ます。どうやら先程の騒動のせいで男性陣も起きてきてしまったらしい。
いや、そもそも眠れなかったのかも知れないが。
面倒だなあ、と呟きを残し、鉄は逃げてきた道を迂回して冒険者達の野営地へと向かう。
ざわざわと、森全体が騒がしく鳴いていた。
テントに潜り、しかし全く寝付けなかった男性陣は、突如鳴り響いた轟音に慌てて起き出した。
外に出てみると、遠くで倒れた大木が月明かりに照らされている。
そして、その方角からはカリンが歩いてきていた。
女性陣に事情を聴くと、どうやらマリアが異常を察知したらしい。
それを受け、マリアの指定した木を調べに行ったカリンが、調査の為に木を切り倒した、という話だ。
誰もマリアを疑う者はいなかった。
『フリック』はもちろん『バティスタ』の面々も、この短い間にマリアの探知能力の高さは知っていたからだ。
マリアは『鷹の目』という異能を所持している。
遠くが見える、という訳では無く。範囲内ならば、どんな微弱な魔力でも質や量まで正確に感知出来るという物だ。
一見地味に見えるが、冒険者にとってその恩恵は計り知れない。
しかし、まだ完全には扱えないらしく、異能が発動する時としない時があるのが悩みの種だ。
それでも、発動したならば疑う余地は無い。
マリアが木の上に魔力を感じたと言うのなら、そこには確実に魔力を発する何かがあったのだ。
全員の頭に、昼間の光景がフラッシュバックする。
「仕方がない……少し予定を変更した方が良さそうだな」
バレットの提案で、全員で徹夜をする事になった。
夜通し起きて、少し日が昇ったらすぐに草原への最短ルートを取る。
草原に出たら、街道沿いに王都へ向かえばいい。運が良ければ、商人の馬車に一緒に乗せて貰えるかも知れない。
とはいえ、AランクパーティとBランクパーティ、護衛を買って出れば、喜んで乗せてくれるだろう。
全員それを了承し、いつでも出発出来るように、既にテントは片付けて、鎧をしっかりと装備している。
最初は男だけで徹夜すると提案したのだが、女性陣も付き合うと言い出した。
有難いな、とバレットは思う。
マリアを抱える時、湖に剣を置いてきてしまった。
故に、今のバレットに戦う術は無い。せいぜい体の大きさを活かして盾になるくらいだろう。
本来なら次の日の事を考えてしっかり寝ておかなければならないが、今回は少しだけ状況が特殊だ。
(……今度は、間違ってねぇよな)
自分の判断に、ここにいる全員の命が懸かっていると言っても過言ではない。
重いな、と思う。同時に、この重さを知れて良かったとも思う。
今までの自分は、これを背負いながらもその重みに気付いていなかったのだ。
夜明けまでは、まだ四時間ほど残っている。
一時間以上が経過しても、誰も眠くなる人間はいなかった。
肉体的にも精神的にも疲労は溜まっている筈だが、張り詰めた気が睡魔を遠ざけている。
『バティスタ』が今までの冒険譚を話し『フリック』がそれを聞く。
経験に差はあるが、次は立場を逆転させる。
他にも、色々な話をした。バレットの若い頃、クリフトとアゼルの故郷。
七人の談笑が、火を囲んで響いている。
それを中断したのは、すぐ近くで響いた一つの音だった。
音の発信源は、バレットの真後ろの森の中だ。
重い音だった。しかし、金属を叩いた時のような高い音でもあった。
「……少し、見てくる。お前たちはここで待機だ」
「武器無しで一人は危険だろ、俺も行くぜ」
腰を上げたバレットに、キースが続く。
断る理由も無い。そう遠い距離でもないし、大人数で見に行く訳にもいかない。
バレットは枯れ木の中でも長い一本を持つと、その先端に焚火から炎を移して即席の松明を作る。
気を付けて、というエナの言葉と共に、二人は慎重に森へと入って行った。
「どうだ、キース」
バレットの短い言葉に、首を左右に振って応える。
未だキースの探知には何も引っ掛かっていなかった。
立ち並ぶ木に触れないように、松明の火を移動させ辺りを照らす。
周囲を確認しながら、野営地から少しずつ遠ざかって行く。
「……お、おいオッサン……」
突然、キースが微かな声を漏らす。
どうしたと振り返ると、ある一点を指差してみせた。
気のせいか、その手は少し震えているように見える。
一体何が、とキースの示す方向を見て、バレットは自分の目を疑った。
野営地から数えて三本目の木だ。
その根元に、大きな塊が横たわっている。
先程の音は、木に立てかけられていたそれが倒れた音のようだ。
慎重に近付いていく。ゆっくりと、松明の火にそれが照らされていった。
抜き身の刃が、光を鈍く反射している。
そこにあったのは、湖に置いて来た筈のバレットの大剣だった。
野営地に戻って来た二人を見て、冒険者達は困惑していた。
バレットが大剣を持っていたからだ。
「あの、バレットさん? その大剣、持ってきてたんですか……?」
「……いや、確かに俺はあの時こいつを投げ捨てた」
クリフトの言葉は、そうであって欲しいという願望だ。
他の面々も同じように思っているが、しかしバレットはそれを否定した。
湖に置いて来た剣が戻って来る、これが何を意味するのか、気付かない彼らではない。
……誰かが、ここまで剣を運んできた。
剣は自分では動かない。
では一体誰が、というのが、彼らにとっての問題だ。
例えば、この剣をどこかの冒険者が偶然湖で見付けたとする。
しかし、それでは持ち主はわからない。
バレットは冒険者の間では有名だ。それで持ち主がわかったとしても、この野営地に辿り付く術は無い。
つまり、この剣を持ってきた何かは。持ち主がバレットで、更にここで野営している事も知っていたという事になる。
その上で、名乗り出る事もせずに剣だけを気付かれるように音を立てて置いて行った。
とんでもなく不気味な話だ。
しかも、この剣は非常に重い。
この七人の中でも、持ち上げられるのはバレットだけだ。
だが、倒れた音は聴こえても、引きずる音は聴こえなかった。
持ち上げてきたのだ。この大剣を、音も立てずに。
更に恐ろしいのは、それ程近付いても、キースやマリアの探知にすら引っ掛からなかったという事実だ。
冒険者達が恐怖を感じるには、十分な理由だった。
「でも剣からは何も感じませんし、返しにきてくれたって事はきっといい人ですよー」
マリアの声が響く。
冒険者達は全員体から力が抜けるのを感じた。
そういう問題では無いのだが……と誰もが思ったが、不思議とマリアの笑顔に毒気を抜かれて反論する気も起きない。
確かに魔力を感じない。それはマリアのお墨付きがあるなら確実だ。
結局、自分達がやる事は変わらない。このまま夜を明かして、一気に森を抜けるだけだ。
なら確かに剣が戻って来たのは儲け物か……と一瞬浮かんだ考えを、バレットは慌てて消し去った。
キースとマリアに限らず、普通探知というのは魔力で行う。
魔獣というのは、獣が魔力を蓄えて強化された物の事を指す。
故に、その体からは魔力を発している。それを探知するのだ。
しかし、異常に気が付いたのは全員ほぼ同時だった。
魔力よりも先に、彼らにそれを伝えた物がある。
音だ。
森の一方向から、ザワザワと嫌な音が波のように押し寄せてきている。
何かが近付いて来ている。
数は不明。ただ、かなり多い事だけはわかる。
どうする、と相談するまでも無く、全員自分の武器を構えていた。
森を最短で抜ける方向はわからない。出発時にキースにでも木に登って見てもらうつもりだった。
そして、夜の森を当ても無く移動するのは自殺行為だ。
迷う事も無く、冒険者達はここでの戦闘を決意する。
幸いバレットの武器も戻って来た。今度は絶対に油断しない、と、全員が同じ事を考えていた。
音の波が、すぐ近くまで迫っていた。
もう広場を囲む木の向こうまで近付いているだろう。
そう思った直後。
暗い森の中から、幾つもの赤い光が覗いた。