【プロローグ】
消毒液の独特なアルコール臭が漂う。
真っ白のカーテン、壁、布団、ベッド…私からすれば、病室は見慣れた光景だった。
母親のいない私は父のいる病院へと遊びに来るようになり、家より病院にいる時間が長いと言い切れるほどに通い詰めていた。
忙しい父はもちろん私と遊べるはずがなく、私は一人で本を読んで過ごす毎日。
「あそぼ?」
確か、最初の一言目はこうだったと思う。
本を顔に近づけ、今までした時がない朗読まで始めた。
「かくれんぼだよ、じゃんけんでオニ決めるぞ」
二言目を言い終わる頃には目の前から本が消えて、代わりに少年のまっすぐな目が私を見つめていた。
誰だろう、なんで私なのだろう、なぜかくれんぼなのだろうと考えているうちに、握りこぶしが現れる。
「じゃん、けん、ぽん!」
その声に取りあえず私も握りこぶしを出してしまった。
「俺の負けか~。じゃあ30数えるから。1、2、…」
始まってしまった。
この少年は何をしているのだろう。
少年の隣に置いてあった読みかけの本を手に取る。
「早くかくれろよ~。6、7…」
どうやら少年は本気で私と遊ぼうとしているらしい。
とりあえず、本と共に部屋を出て歩き出す。
まっすぐ続く廊下には人は見えず、窓からの陽の光が私の進む道を照らしてくれていた。
見ず知らずの子に声を掛けてまで遊びたいのだろうか。
少年に友達はいないのだろうか。
廊下のガラスに映る自分の顔が私を覗き込む。
かわいく、はないと思う。
「…ふしぎ」
口にしたとき、私はずっとあの少年の事を考えている事に気がついた。
まっすぐに私を見つめてきて、有無を言わさず遊びに付き合わせている少年。
「名前…」
聞かずに部屋を出てきてしまった。
聞こうにももう外の出入り口まで来てしまっている。
「…はぁ」
何を考えているのだろうか。
どうせあの部屋で遊びたかっただけだろう。
わざとじゃんけんに負けて私を追い出したかっただけだ。
そう考えると次第に腹が立ったが、同時に何も言えなかった自分が情けなくなり、目線が足元を映していた。
病院の裏手、人気が無くベンチが一つだけ置いてある小さな庭。
2本の桜の木に囲まれたそのベンチは、目立たずただそこに在り続けた。
私は腰かけ、本を広げる。
「…来たら、どうしよう」
一応かくれんぼの最中だった。
ここまで探しに来るとは思わないが、もし見つかってしまった場合、あの少年と話さなければならない。
同年代の男の子と話すことのない私にとっては、話題作りが全く思いつかない。
ただでさえ、友達がいないのに。
「…寝れば、いいかな」
横になれば、背もたれで私の体は完全に見えなくなってしまう。
うん、我ながら名案だ。
ちょっと疲れたし、休憩がてらこのまま隠れてしまおう。
瞳を閉じると、私を覗き込んでいたまっすぐな目が思い出された。
馬鹿にするような目でもなく、同情するような目でもなく、本当にまっすぐな目。
「…なまえ」
聞いておけばよかったと改めて後悔した。
もしかしたら友達が出来たかもしれないのに。
でも、どうせ私なんて…
「そよ風が、僕らを…んん?なんて読むんだよ…」
声が聞こえる。
たどたどしく言葉を紡いでは、読めないのか文字に対して文句を言っている。
「…本は大人になってからだな」
諦めたみたいだ。
本が木材とぶつかる音と小さな衝撃が耳に入ってきた。
「えっ!?」
私は飛び起き、声が聞こえた方向へ向き直る。
「おう、みーつけた。もう夕方だから、続きはまた今度だな」
少年はベンチから離れると、迷いもなく歩き出した。
「だ、誰?」
いきなりどんな質問だろうと後で思ったが、本当に素直な感想だった。
名前も知らない、目的もなぜここにいるのかも。
「…誰?」
私の言葉を繰り返したあと、少年は振り返る。
「お前の友達じゃん」
何も考えられなくなった。
時が止まったような気がした。
真っ直ぐに、私の目を見つめ笑顔で答えた少年。
初めて友達が出来た日。
初めて、好きな人が出来た日。
好きと自覚したのはだいぶ後になってからだったが、思えばこの日から意識していた。
あの日の笑顔、楽しいそうな声、胸の鼓動の速さ。
今でも鮮明に覚えている。
この日から私は変わった。
次、いつ書こう…(´;ω;`)