五円玉+α
「いらっしゃーい」
陽気な声で出迎えられた。
「……ここ、どこ?」
見慣れない場所を見渡して首を捻る。ここはどこだろうか。俺の家でないことは確かだけれど。それより、俺は何をしていたっけ。
「乗るの?乗らないの?」
ぼんやりと辺りを見渡す俺に焦れたのか、昔話に出てくるような編み傘を被った男がそう言った。
「じゃあ……乗ろうかな」
乗らなければどこへも行けない様子だった。後ろは崖っぷち。目の前はどんよりとした海だか湖だか川だか、それさえもわからない様な水面が広がっていたからだ。
ここはどこだろうか。そもそも、俺は何故ここにいるのだろうか。
「お客さん、乗船賃は?」
「え、金取るの」
「当たり前だよ。こっちも商売なんだから」
そんなものか。確かにそうだと納得し、ズボンのポケットを漁る。ひんやりとした小銭の感覚にそれを取り出せば、そこには鈍く光る五円玉だった。
「これしかないけど」
少し申し訳ない気持ちのまま、船頭にそれを手渡した。
「……まあ、いいよ。おんぼろ船だから」
船というよりは舟であろう。モーターなど付いていない手漕ぎの舟だ。こういうのは初めてだなと、やっぱりどこか、ぼんやりと思った。
「お客さん、意味わかってないでしょう」
相変わらず傘で顔は見えないが、面白そうに思っているだろうことはわかった。
「何だか頭がぼんやりしていてね。普段はこんなことないんだけれど」
「それはまだ方向が決まってないから仕方ないさ」
その言葉さえよくわからないまま、遠く目を凝らしてみた。しかし、仄かな暗闇が先を遮る。見えるようでいて見えず、だから、頭もぼんやりしてしまうのだろうか。方向を少しでも違えてしまえば、何かに呑まれてしまいそうだ。
それでも何故か、不思議と不安はなかった。
「右と左、どっちがいいかい?」
ふいにそう尋ねられた。どっちと言われても、どっちが何なのかさえわからない。
「任せるよ」
「いいのかい?」
「ああ、渡し賃も五円玉しかなかったし、あんたがそれで届けてくれるところまでで……あ」
座る位置を直そうとしたら、尻に何かが当たった。取り出してみれば、それは先日焼き肉屋で貰ったイチゴの飴玉だった。
「さっきの五円玉じゃ悪いから、これもやるよ。こんなので悪いけれど」
船頭は驚いたようにこっちを向いて、そして笑った。それは心底可笑しそうに。
「あっちに行こうと思ったんだけどね……それ、貰っとくよ。ははっ、だから人間てのは面白いんだ」
ゆるりと船が揺れ、その先の方向が変更されたのが見てとれる。俺は首を捻ったままだったが、船頭は続けてこう言った。
「それが、思いやりってやつだろ」
そうして俺は、極楽へと連れていかれた。
_2007 / _201110改