福田洋子(ふくだようこ) 11
「チコちゃん・・・死んじゃった・・・」
母は涙も隠さずにそれだけ言うと、一時もチコと離れたくない様に居間へと戻った。
俺も続いて居間に入った。
居間の隅にはダンボールが置かれ、その横にはお線香が立ててある。
箱の中には顔だけを出してタオルを掛けられているチコが眠っていた。
「今にも目を開けそう・・・」
よく使われる表現だが正にそうだった。
ただ寝ているだけの様に見える。
俺はタオルをめくった。
動物は死ぬと体が硬くなる。
チコには絶対に訪れない事だと思っていた。
体に触れるのが怖い。
この時でもチコの死を信じきれていなかったのだ。
ゆっくりと手を伸ばす。
指先が毛先に触れる。
今朝までと何も変わりは無い。
やがて指は体に辿り着いた。
涙が一粒だけこぼれた。
チコには無縁だと思っていた感触を、間違いなく指先で感じていた。
俺は何度も何度も・・・何度も何度も体を撫で、タオルを掛けなおし自分の部屋に戻った。
母の前だから堪えていたのだろう。
部屋に入った途端にダムが崩壊した。
泣き崩れ声を上げて泣いた。
しかし直ぐに泣き止んだ。
いつまでも飼い主が泣いていると、成仏できないと聞いた事がある。
最期は笑って送り出そう。
「ありがとう!さようなら・・・」
チコへの最期の言葉だった。
俺がチコの体を撫でている時、母はこんな風に言っていた。
「私が病院を出てから三十分もしない内に、苦しみながら死んでいったんだって・・・。こんな事なら病院に預けないで、今日は一緒にいてあげれば良かった・・・」
その時の俺には考える余裕が無かったが、今は自信を持って母の意見を否定できる。
チコは四ヶ月も前から死と闘っていた。
猫は死んだ姿を飼い主には見られたくない動物なのだ。
だから死を感じたチコは、人目のつかないベッドの下の奥の方で闘っていた。
それは万が一命が尽きたとしても、ベッドの下なら見られずらいと考えていたのではないか。
それに、こうも考えられる。
「早く俺を病院へ連れて行ってくれ。もう苦しいよ。早く家族の目の届かない所へ・・・。それまでは絶対に死ねないんだ」
本当の所はチコにしか分からない。
例え違っていたとしても、俺はそうだと信じている。
だから病院から母が出て行った時に、緊張の糸が切れたのだろう。
直ぐにこの世を去ったのだ。
もし病院に連れて行かなければ、チコはもっと生きたかもしれない。
でもそれは苦しみと共にだ。
もっと早く病院へ連れて行けば良かった。
あんなにも苦しい思いをさせてしまうなら、安楽死という方法だってあった。
出来る限り生かしたいと願うのは、完全に人間のエゴなのだろう。
「チコ・・・ごめんね・・・そして、ありがとう・・・」