福田洋子(ふくだようこ) 2
体育館の半分をバレー部が使い、残りの半分はバスケ部が使っていた。
俺はバレー部のコートにいながらも、バスケ部の方ばかりを見ていた。
それはバスケがしたかっというよりも、マネージャーから目が離せなかった。
先ずクラスメイトのきけちゃんが目に入ってきた。
次に隣の席の福田さんだった。
更に視界に入り込んできたのは何と、相田清子だった。
やはり俺は単純だった。
清子を見つけた事によって、次の日からはバスケ部に行くようになった。
これが運命の分かれ道だったなんて、当時の俺には当然分かるはずは無かった。
こうして俺はバスケ部に通う様になり、まだ会話はしてないが、清子との距離が縮まった錯覚をしていた。
しかし清子は本入部をしなかった。
仮入部の期限が終わると同時に顔を出さなくなってしまった。
ただ俺はバスケ自体は嫌いじゃなかったので、そのまま本入部をする事にしたのだ。
そしてGW前に清子にラブレターを書いた。
「あの頃よりは大人になりました。また戻りたいのですが・・・」的な事を書いた様な気がする。
そして至って古典的だが放課後に手紙を下駄箱に入れた。
数日後に下駄箱に返事が返ってきた。
答えはダメだった。
簡潔に書くと「私ばかりを見るのではなく視野を広げて欲しい」との事だったが、なるべく傷つけない様に書いてくれたのが読み取れた。
俺の清子への思いは完全に断ち切られた。
高校生活初の中間テストが迫っている時期になった。
この時の俺は粕谷とヨッパの事を考えていた。
高校に入ってからの俺は勉強に対する姿勢が以前とは全く違っていたからだ。
普段の授業は当然クラスメートと受けるのだが、数学と英語だけは隣のクラスと合同だった。
ただ同じ教室で二クラス一辺に受けるのでは無く、A,B,Cと三つのクラスに分けられていた。
分ける基準は成績順でAが良いクラスだ。
これは学期毎にクラス替えがあるので、頑張れば上のクラスにいけるし、手を抜けば下がってしまう。
一年の一学期目は入試の成績で分けられていたが、何とこの俺が両教科共にAクラスに入っていた。
中学ではワースト十の俺が、信じられない快挙である。
これは俺の努力の賜物なのか、北高校のレベルの低さなのかは分からないが、この事が俺を勇気付けた事だけは確かだった。
これは拒否られながらも助けてくれていた粕谷のおかげである。
本当に感謝しきれない。
それと同時にテスト勉強に向かう時には、ヨッパの言葉を思い出していた。
前にも書いたが「お前はやれば出来る」と言われた事だ。
しかし実はもう一つあった。
個人的に言われた事ではなく、クラスの皆に向かって言った言葉だった。
「中学というのは地域で決められるから、勉強の出来る人と出来ない人の差は激しい。ただ高校は違うんだ。似たり寄ったりの成績の人が多い。それでもやはり差はあるけど中学程ではない。だから今自信を失う事はない。高校に行ってから頑張れば必ずトップクラスに入れるんだ。だから高校では絶対に手を抜くな」