心の変化 6
若葉小学校は二年に一度しかクラス替えが無い。
それ故に良くも悪くも二年間は担任もクラスメイトも変わる事は無い。
そして一、二年の学校での記憶は入学式しかない。
強いて言えば斉藤くんという仲良しが出来た事と、悪がき勘治が国語の時間に「ケーキ」を「ケー木」、「ひよこ」を「日よこ」と書いたこと位だろうか?
ただ家庭では問題が起き始めていた・・・。
うちの父は都内のタクシー乗務員である。
早朝から深夜まで働き翌日は「明け」と呼ばれ、前日の疲れや睡眠不足を自宅で補う日である。
分かりやすく説明すると、月水金曜日が仕事なら火木土曜日が明けで日曜日が休みだ。
今までは午前中に帰ってきていた父が、この頃は帰宅しない様になっていた。
明けになると必ず父から電話が掛かってきて、その都度母が泣いていた事をハッキリと覚えている。
俺には詳細は分からなかったが(ずっとケンカしてるんだなぁ)と、幼いなりに理解をしていた。
俺が二年生になった頃、母は働きに行く様になった。
夕方の五時に家を出て、帰りはいつも夜中の零時過ぎだった。
母が仕事に行く初日、俺は五階のベランダから母を見送り号泣していた。
姉は五歳も年上だが、それでも中学一年生である。
小学二年生の弟の面倒を寝るまで見なければならないのは、凄く大変だったろうと思う。
夜に仕事をしている母を不思議に思った事は無いが、どんな仕事をしているのか聞いても答えてくれなかったのは、さすがにこの歳になれば想像するのは難しくない。
昔の親の年齢に近づくに連れて、親も大変だたんだなぁと改めて思う様になった。