第24話: もう終わっていることを知っている人
彼は今でも、
教室に入る前になると
左手を見下ろしていた。
ジャケットの内ポケットへ向かう手。
そして戻ってくるときには、
何も持っていない手。
私はその手を
見ないようにしていた。
それなのに、
どうしても目に入ってしまった。
MTの二日目だった。
登山道の脇、
木陰の下で
彼は煙草を吸っていた。
学生のいない場所だった。
きっと彼は知らなかっただろう。
私がその道を通ることを。
足音に気づいたのか、
彼は顔を上げた。
目が合った。
彼は慌てて煙草を消し、
何でもない顔で
ポケットに手を入れた。
私は
見なかったふりをして
そのまま通り過ぎた。
数日後の授業で、
彼が言った。
「煙草は体に良くありません。
学生には勧めたくないですね。」
私は
ノートから顔を上げた。
「先生は吸っていらっしゃいますよね。」
教室が静まり返った。
彼の表情が
ほんの一瞬だけ固まった。
「……そうですか?」
「MTで見ました。」
彼は
しばらく何も言えなかった。
そして、
とても低い声で言った。
「……あのとき、見ていたんですね。」
それは質問でも、
確認でもなかった。
私は
答えなかった。
彼も
それ以上は何も言わなかった。
私はもう、
多くのことを知っていた。
慌てて煙草を消した手も、
指輪を外してポケットにしまう手も。
彼が隠そうとしているものを、
私は全部見ていた。
だから、
もう――
これ以上、
心が揺れることはなかった。
もう、
終わっていることだから。




