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第8話 無奈視点・可愛い花嫁といつかの記憶


『生まれ変わったら、もっと気が強くて自分の意見をはっきり言える子になりたい』

『やめろ、やめてくれ! 父さん!』


 涙を流す女は、宙に浮いていた。彼女の足元は断崖絶壁、落ちれば命はないだろう。雨に濡れた薄桃色の着物が彼女の体に張り付いている。雷鳴が轟き、豪雨が彼女の白い顔を叩く。


『人間如きが、息子を誑かしただと? 二度と妖に近づくでない』


 その言葉に彼女は言った「嫌よ」と。その瞬間、無奈の願いは叶わず彼女の体を雷が貫いた。黒毛げになった彼女の遺体が灰になって崩れていく。次第に、雷雲は去っていった。呆然とする無奈の頬に涙が伝う。



***



「ちょっと、主様。それってよくないですよ? 僕の体を使って柚子さんの部屋に忍び込むなんて」


 末吉は、深夜に無奈の書斎に呼び出されていた。無奈は末吉に少しの間体を貸して欲しいというのだ。


「おや、僕がそのまま向かえば柚子さんはもっと驚くでしょう? それに、いいじゃないですか。妻の寝顔を見たいという純粋な願いですよ。お前は私の従者でしょう。口答えをするとは」


 末吉は従者という身ではあったが、無奈よりも常識だけは備えており、解答を渋った。


「あの主様。我々たぬきでも女性の寝屋に勝手に入ることが礼儀のなっていないことくらいわかりますよ。もし、お嫁さん候補のたぬきにそんなことしたら一族ぼっこぼこに……」

「柚子さんはもう僕の花嫁ですが??」

「主様……だとしても柚子さんが同じ寝室でいいというまでは良くないような……」

「末吉が体を貸してくれたら明日、マス釣りをしようかな」

「こ、今回だけですよ!」


 川魚に釣られた末吉はきゅっと目を閉じた。


「それでは」


 ポンッと小気味良い音が立つと、見事無奈と末吉の体が入れ替わっていた。末吉はうんざりした様子でため息をつく。


「では、末吉。いい子にしているんですよ」

「いいですか、柚子さんに変なことしちゃあだめですからね!」

「はいはい」


 無奈は末吉の体で真っ直ぐに柚子の部屋へと向かった。そっと襖を開けて中に入るとぼんやりと明かりが灯っていた。彼女は真っ暗な部屋が苦手なようで、それもまた可愛らしいと無奈は思った。すやすやと寝息を立てている柚子の布団、彼女の左手あたりには梅子が丸くなっており、足元には衛門が、柚子の胸元には豆太が丸くなっている。


(うちの従者はもう彼女の虜なんですね)


 末吉の姿をした無奈はそっと柚子の枕元に座ると彼女の寝顔を見下ろした。陶器のように白い肌はピンと張りがあり、健康的に赤みがある。キリッとしたタイプの美人だが、寝顔はまるで赤子のように柔らかい表情だ。


 ほとんど彼女に選択肢を与えずに、ここへ迎えた事に少々の罪悪感があった無奈だったが柚子は持ち前の気量の良さと強さでここの暮らしに順応している。それどころか、たぬきたちに限ってはこのところ無奈よりも柚子を信頼しているようで、先ほどの末吉のように無奈の意見を聞くことを渋ったりする。食いしん坊で人間にあまり興味のない衛門ですら「主様のどんぐりより柚子さんのご飯」という始末。


(柚子さんも、僕よりたぬきですからね。えぇ)


 豆太をきゅっと抱きしめて寝る彼女は腕の中のもふもふを夢の中でも堪能しているようだった。ふにゃりと寝笑いする彼女に、無奈は心を掴まれる。

 どうしたら彼女を幸せにしてやれるか、どうしたら彼女がもっと笑ってくれるか。そんなことを考えながら彼女が心から妖を嫌っているのに、妖である自分が独占している。自分の偽善にゾッとする。


 

『妖とは、人間よりも上等な生き物の事を言う。妖は人間を支配するものだ』 


 かつてこの地に住んでいた高名な妖の言葉だ。妖は人間よりも力が強く命も長い。だからこそ、妖は人間の上に立つべきだということだが無奈はそれを否定し続けてきた。人間は美しく、儚くそして妖と共に生きることができると信じていた。妖も人間も平等だと信じていた。

 けれど、彼は柚子を見つけた途端彼女を「支配」しようとあの手この手で彼女を嫁にしたのだ。その欲深さと執念に無奈は自分でも驚いた。


 柚子はかなり美人な部類で男たちが熱い視線を向けるのだ。オサキに関しても柚子もかなり気に入っているようだったし、昼にきた飛脚の男もそうだ。柚子の猫のような気の強そうな目元も白い肌も綺麗なのは同意だが、彼女がそういう視線を受けていると無奈は嫌な気持ちになった。彼女にとって人間の男と結ばれるのが幸せに近い事だとわかってはいるのに、渡したくないとすら思っている。


 目の前で眠っている柚子に少し近づいた。すやすや、すうすうと寝息を立てていても美しい。起きていれば気が強くて抜け目なく、眠っている時はまるで赤子。猫、だろうか? 魅力的で可愛らしいのにやけに気が強い、その上可愛い。

 けれど、柚子は犬っぽいところもある。嬉しそうに食材を持ってたぬきたちに自慢をしていたり、豆太に誘われて庭で遊ぶこともある。その上彼女は、何も頼んでいないのによく働く。

 彼女は毎日洗濯をするし、たぬきたちでは届かない場所の掃除、それからたぬきたちの毛繕い、屋敷の外をぐるっと掃き掃除。必要ないと伝えれば、不機嫌になるので止めようがない。そのくせ、「ありがとう」と言えば嬉しそうに頬を染める。


「頑張ってくれているから、よく眠っているのですね」


「あれ、末吉君まだ起きてたの……?」


 柚子は枕元に座っていた末吉に声をかけた。まだ眠い目を擦り、ぼやける視界の中なんだか落ち着いた顔の末吉は柚子を優しい眼差しで眺めている。


「末吉くん……?」


 柚子は答えない末吉を不思議に思い彼に手を伸ばした。ぽふっと音を立てて末吉の頭が柚子の細い手にとらえられる。もふもふ、と耳を巻き込むように撫でると彼はブルブルと体をふって逃げ出すように部屋を出ていった。


 柚子はどうしたものかと考える暇もなく、暖かくすやすや眠る豆太を起こさないようにそっと寝返りを打って再び眠りについた。

 一方で、部屋の外に出た末吉……に扮した無奈は心臓が飛び出そうになった。


(柚子さんはたぬきたちにあんなに優しい眼差しを……?)


 柚子が末吉(に扮した無奈)に向けた、視線はとても優しく慈愛にみちたものだったのだ。そのうえ、かなりの至近距離だったし頭を撫でられたのだ。無奈は人間の女性に頭を撫でられたあの感触を思い出した。柔い人の掌が、額に触れるとポカポカと温かくなる。妖である無奈は、人間と触れ合うとその感情が流れてくるが、柚子はただ末吉が眠らないのを心配していた。そこに、この屋敷に住んでいる恐怖とか、妖への恨みなどはなかった。

 無奈は早足で書斎の方へと向かった。



「おや、主様。どうされました?」

「いや、えっとなんでもありません。末吉、ありがとう」

「明日、マス釣りは絶対ですよ? 僕と衛門と梅子と豆太。それから柚子さんと主様の分です」

「おや、主様が最後と?」

「えぇ、そうですとも。僕は柚子さんを裏切らされたんですよ? まったく、女性の寝屋に入るなんて……ブツブツ」


 不満げな末吉が書斎から出ていくと無奈は高鳴る胸を抑えるように深く深呼吸をした。まだ彼女がきて一週間。一年の期限までまだまだ長い。次は「末吉君」ではなく、己の名を呼ばれたいと心から思った。


「いつだって、貴女の手は温かく、柔いのですね」


 無奈はそっと自分の頭を触ってみる。柚子に撫でてもらった感触がまだ残っていた。



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