第6話 祝言はあやかしと
人間にお灸を据えたい場合、多くは「食事を抜きにする」という手を取る。例えば、小さい頃柚子が悪戯をした時に夕飯を抜かれた。空腹とこれからもずっとご飯が食べられないかもという恐怖で必死に親に謝ったものだ。
けれど、その手は無奈には通用しない。彼はどんぐり一つで三日食べなくても問題ないしそもそも人間の食事を食べる必要がないからだ。
だから柚子は、彼の分の夕食もしっかりと用意した。今日は、鮭を入れたおにぎりを二つ、大根の煮物。主菜は、串に刺して焼いた焼き鳥。味噌汁は、これまた無奈が箸を使わずに食べられるように小ネギを具にしている。
彼に先ほどの発言は「失礼だ」と伝えたくて、話の場を用意することにした柚子は、廊下を歩く。
「無奈さん、ご飯ですよ」
書斎に向かって声をかけて、柚子は居間へと向かった。たぬきたちはねこまんまを心待ちにしていたのか綺麗に四匹整列していた。もふもふのほっぺたが今にも落ちそうなくらい口を開けてよだれを垂らしている。なんでも、彼らは鶏肉が好物らしい。
(こんな可愛い子たちを殺すなんて、やっぱりあの村長なんか大っ嫌いだわ!)
それに、柚子は料理をしている間にどうして無奈がそんな発言をしたのかを考えたのだ。彼は「柚子は妖全てが嫌い」と思い込んでいるだけでなく「妖が死ぬことは人間にとって喜ばしいこと」だと思い、さらには「どんな殺し方でも死ぬから同じ」だと思っているのではないかと推測した。
特に、最後の妖の殺し方については人間である柚子と妖の無奈にとっては価値観が違う可能性が高いと柚子は思っている。柚子にとっては残虐で恐ろしい方法でも無奈にとってはそうは感じず、もっと残虐な方法を知っているとか、実は妖は痛みを感じないとかそういう柚子には想像もつかない彼だけの知識があったのかもしれない。
もしくは、無奈はあまり村長に対して嫌悪感を抱いていないとか。その可能性が一番高い。
冷静になれば、そうやって彼の無神経な発言をしっかりと受け止められるのに柚子はどうしても頭に血が上ると売り言葉に買い言葉で言い返してしまう。そんな自分を反省しつつ、じっと彼が居間に来るのを待った。
しばらくすると、廊下をゆっくりと歩く音が聞こえ申し訳なさそうに眉を下げた無奈が居間に入ってきた。ちらりと柚子をみると彼は会釈をする。
「無奈さん」
柚子に声をかけられて、彼はちゃぶ台の前に正座した。ふわふわと彼の背中には大きな尻尾が揺れているのが見えた。無奈が口を開く。
「はい、あの……先ほどは」
「いえ、私、ひどいことをいって申し訳ありませんでした」
柚子は、無奈の言葉を遮るように謝罪、三つ指をついてそっと頭を下げた。それをみて、無奈は大慌てで声を上げる。
「ええっ! 僕は柚子さんに頭を下げさせたくて出てきたわけじゃないんですよ! ぼ、僕がきっと何か嫌なことを言ってしまったのかもしれないと思って……それで、とりあえず謝っておこうと思って」
とりあえず謝っておこう。という言葉に柚子は少し違和感を感じたが怒っていては仕方ないので話を続ける。
「まず、私はあの松永と同じだと言われたことに怒っています。でも、それがどうして怒っているのか無奈さんはわからなかった。違いますか?」
柚子のまっすぐな美しい瞳に吸い込まれそうになったが、無奈は真実のまま答える。
「はい。柚子さんは、妖を心から嫌っている。それは知っていましたから。同じく妖を心から嫌っている村長と気が合うと、同じ考えの人間だと思ったのです」
「確かに私は妖が嫌いです。兄の命を奪った妖が嫌いで、人間を襲う妖も嫌いです。でも、それと同じようにあの村長も嫌いだと感じました。罪もない妖を遊び殺し、子供を守ろうとする妖の性質を利用し、囮にさえする……私はそれが許せません」
「死んでいるのは妖ですよ? 死に方はどうあれ人間にとっては嬉しいことでしょう?」
無奈は、不思議そうに柚子を見つめた。柚子が少し涙ぐんでいたからだ。大嫌いな妖の死は嬉しいものではないのかと無奈の頭が混乱する。その無奈の表情をみて柚子は「やはり」と自身の推論に確信を得た。
「いえ、あの人の話は聞いていて気分のいいものじゃなかったです。私は妖嫌いですけれどあの人の毒牙にかかった妖が可哀想で仕方がありませんでした。あの男を殴って罵ってやりたいぐらいでしたよ」
「柚子さん、貴女は妖が好きなのですか?」
「いいえ、嫌いです。でも……人間に害を与えない妖を殺そうとは思いません。妖が、仲間や子供を殺され狼狽える姿を楽しそうに話すなど絶対にしません。そんなことしてはいけないと思います。私はあれを聞いて嬉しいだなんて思いませんでした」
柚子の声が揺れ、大粒の涙がこぼれた。彼女はうまく言葉にできなったが、あの村長の話で死んでいった妖たちに、理不尽に襲われて死んだ兄を重ねてしまったのだ。妖も人間も無闇に命をとりあげられるべきではない。妖が嫌いでも人間が嫌いでも、害のないものを遊び殺すようなことはしてはいけない。
それを、嬉々として語るような人間と一緒にはされたくない。けれど、うまく無奈には伝えられない自分自身が悔しくて、柚子は涙をこぼした。
「すみません、柚子さん。やっと理解しました。柚子さんはお優しい方だ。たとえ、嫌いな妖だとしても殺されてしまうのは可哀想だとお感じになった。ということですか?」
「はい、そう思い……ました」
わたわたと慌てた末吉と梅子が柚子の両端に駆け寄り彼女に擦り寄った。「泣かないで」「泣かないで」と尻尾で柚子の頬を拭う。
「それで、あの村長とは柚子さんは一緒ではないと。一緒にされて不愉快だったと?」
「はい。私は……あんな非道な人間と同じだと思われていたのかと悲しくなりました」
「僕は……あの村長さんは別に非道な人間だと思ったことはありませんよ。ですから、元気を出してください。柚子さんが、優しい人だということはよくわかりましたから。よく考えればそうですよ、柚子さんは妖が嫌いなのに僕にこんなに美味しい食事を作ってくださるです。僕を疑っていた村長とは全然違いますよ。本当に申し訳ありませんでした」
勝手に解決してニコニコとした無奈に、柚子は呆れつつ自分の言葉足らずを恥じて涙を拭った。少し柚子の本心とは違うが、半分くらいは……いやもっと少しかもしれないが彼に気持ちが伝わったと信じて息を吐いた。
「末吉君、梅子ちゃん。心配させてごめんね。冷めちゃうからご飯食べましょ。無奈さんも。とにかく怒ったりしてごめんなさい」
末吉だけ心配そうに最後まで柚子を眺めていたが、柚子に背中をぽんぽんされてやっと自分の皿の前に戻った。すでに衛門は食べ終えて夢の中。豆太は不思議そうにみんなを眺めていた。
「そうだ、無奈さん。最初は握って刺すだけでいいのでお箸の練習をしてみてくださいね」
「箸……先ほどまで書斎で練習をしていたのです。持ち方はこうであっていますか?」
無奈は不器用ではあるが、正しく箸を持ててはいた。柚子は、笑顔で頷いた。そっと彼がおおっきく切った大根を挟んで持ち上げる。誰もがその大根が彼の口に運ばれるまでを見届け、ぱくっと無奈が大根を口に入れると末吉と梅子、豆太が拍手をした。カチカチカチと爪の音が響き無奈は嬉しそうに目を細めた。
「主様すごい!」
「すごい、上手ですね」
「えぇ、えぇ。先ほど柚子さんを怒らせてしまったので必死に練習をしたんですよ。これで、柚子さんが料理に気を配らなくて済むでしょう? 僕のために握り飯を作らなくていいですし」
と自慢げにいった無奈に柚子が
「無奈さん。そうじゃなくて、人間と同じものを食べられて嬉しいとかそういう風にいって欲しいです」
と訂正した。無奈はその言葉に恥ずかしそうに口を閉じる。そして
「柚子さんと同じ膳を失礼なく食べられて嬉しいです。貴女が食べている姿はとても美しいですから、こうして向かい合って食べられるのは幸せです」
と口にした。その言葉に今度は柚子が耳まで真っ赤になる。彼女は恥ずかしさを誤魔化すため、おにぎりを齧ってそれから味噌汁で流し込んだ。塩鮭の美味しさも感じないほど小恥ずかしく、無奈の顔を見ることができない。そんな彼女をみて無奈は
「喜んでいただけて嬉しいです」
と満足げに微笑んでこんがりと焼けた焼き鳥を口にした。
***
用意してあった白無垢を着付けてもらい、村の近くにある神社で祝言をあげた。煌びやかな装飾と大体二十人ほどの参列客は全て柚子の知らない顔だった。村の人が来ているのかと思いきや、宮司がそうではないと柚子に教えてくれた。
神社の宮司・尾崎は祝詞などの一通りの儀式のあと、見物客が来ているのをみて柚子たちにこっそりと話した。
「馬鹿だよねぇ、人間って。ここは結構人気の神社でさ。ほら商売繁盛とかそういうご利益があるでしょう。でもさ、ここの神職のほとんどは妖なんだよ。ほら、俺も化け狐。そこの巫女も狐さ。無奈とは古い仲でね。参列客も俺の仲間達がそれっぽく化けてるだけ。人間共は妖を殺したつもりでいるけど、実は妖が運営する場所に賽銭したり祈願しにくるのさ。ケッケッ、馬鹿だよねぇ」
尾崎は吊り目をきゅっと細めてくすくすと笑った。その様子はまるで狐面のように整っていて少し不気味だ。
「オサキ、あんまり柚子さんを怖がらせないでくれよ。僕の大事なお嫁さんなんだから」
オサキ、というのは尾崎の妖としての名前らしい。彼は、無奈を揶揄うようにニヤリと笑う。
「いいじゃないか。こんなに別嬪なお嫁さんがお前に来てくれたんだぞ? 少しくらい嫉妬するさ。あーあ、お嬢さん。狐なら嫁入りはもっと豪勢でたくさんの仲間から祝ってもらえるよ?」
「結構です……」
「おやおや、つれないなぁ。お嬢さん、こんなに綺麗なんだよ? いいじゃないか、うちは無奈より金持ちだし神と崇められてるから危険もないよ?」
尾崎は白無垢姿の美しい柚子に夢中になっているようだった。柚子が恐ろしくなって無奈の方をみると無奈は笑顔一つ浮かべず、じっと尾崎を視線で追っている。
「すみません。さ、祝言はこれまででしょう? 着替えたいのですが」
「おや、気の強い子だ。無奈」
「オサキ。柚子さんがすごく綺麗なのは同意するけれど、彼女は僕の嫁でね。それ以上近づいて欲しくないのだが?」
ニヤニヤ笑っていた尾崎が一瞬だけ真顔に戻る。そして、柚子から離れるとまたニヤニヤの笑顔に戻った。その横で柚子は、白無垢の角隠しがあってよかったと心から思った。顔から火が出るくらい熱く、恥ずかしいような嬉しいような不思議な気持ちになっていたからだ。契約結婚とはいえ「僕の嫁」と呼ばれるのは気恥ずかしかったのだ。
「ところで、無奈。あの村長が来ていないようだが?」
「あぁ、祝い金だけもらったよ。今日は遠出らしい。けれど、酒が届いていたろう?」
「下品な酒。本当にあの馬鹿は嫌いだよ。先もみず、欲に走り暴力にものを言わせて人を侍らせる。そういえば、平安の時代にそんな鬼がいたねぇ。あれは本当にひどかったや、ひどかった。無奈、覚えているかい?」
尾崎は、無奈の前に置かれた漆塗りの皿に酒を注いだ。
「あぁ、覚えているよ。あの鬼は……酷かった。妖も人間も見境なく殺し、暴力で支配した。妖と人間が手を取ったのはそういう未曾有の事態だけだね。あぁ、懐かしい。僕はまだ小さくて父の影に隠れていただけだった。なぁ、オサキ」
「そうそう。俺もまだまだ小さくて木の葉に化けて隠れてたっけ。あぁ、懐かしい懐かしい」
二人はこの地で古くからの友人だった。ただ、妖として過ごし続ける無奈と、神に仕えることで人間と同一化を図った尾崎とでつい最近道が分かれただけ。
村長から届いた日本酒を啜りながら、二人はしばらくの間昔話に花を咲かせていた。仲がいいのか悪いのか、よくわからない会話を聞きながら柚子はじっとそれが終わるのを待った。
帰りは尾崎が用意した籠にのり、柚子と無奈はゆったりと自宅へと向かう。街の雑踏を聞きながらゆっくりと動く籠の中、二人は向かい合わせに座っている。無奈は一升近くの酒を飲んだというのに顔色ひとつ変えず飄々としていて、柚子に優しい笑顔をむけていた。
柚子の方は、白無垢を着ていた疲れから、うつらうつら眠ってしまいそうであった。
「お疲れですね」
「えぇ、だって尾崎さんと無奈さん。ずっと話し込むんですもの」
「あぁ、すみません。彼は古い友人なのですよ。人間で言うと幼馴染というやつです。彼はなんでも要領が良い上に力も強い。世話になってばかりです」
「あの……私、勝手に狐とたぬきは仲が悪いものだと思っていました」
それを聞くと、無奈はぷっと吹き出した。
「な、なにかがおかしいんですか」
「いえいえ、人の子は対立を作るのが好きだと思って。古い時代からたぬきと狐が一緒にいると不思議そうな顔をするのです。ですが、実際のところ、たぬきと狐は争う関係にありませんからほとんど対立はないのです。もうこの森にはいませんが、我らの天敵は狼や鴉天狗ですよ」
「狼や鴉天狗……?」
「そうですねぇ、狼はそのまま大きな犬です。鴉天狗は鷹や鳶のような猛禽類を想像してください。妖の強さは自然界の動物の強さと比例しますからね」
柚子は、ぽてぽての狸やふわふわの狐を追いかけ回す狼や猛禽類を思い浮かべた。狐はともかくとして動きが鈍い上にまんまるの狸には勝ち目はないだろうと柚子は理解した。
「村長が殺した妖って……もしかして」
「この森にいた妖のことでしょうか?」
「はい、中には無奈さんの友人もいたんですよね? なぜ、怒らないのですか?」
無奈は柚子の質問に少し戸惑ったように目を泳がせた。しかし、下手に嘘をついたり隠そうとすると喧嘩に発展してしまうことを覚えた彼は素直に口にする。
「実は妖たちは死んでいないのです」
「え?」
「末吉たちにもまだ話してはいないのですが、妖というのは基本的に妖同士の戦いか、もしくは妖自らが成仏したいと思った時にしか死なないのです。すみません。柚子さんは妖がお嫌いだから……政府の妖一掃作戦で妖が少なくなったと信じたかったでしょうから黙っていたのですが……」
「じゃあ、森にいた妖たちはどこに?」
「おそらく、別の動物の姿を借りて安全な地に移った者がほとんどですね。ただ、逃げては人間が追ってくるのをわかっているので殺されたふりをするのです。村長が嬉々として語っていた妖の死に様は妖たちによって演出されたものですから、はい」
「そう……だったんですか。じゃあ、私の異能でも?」
「えぇ。妖を殺すには特殊な手順が必要ですから……うーん、僕に触ってみますか?」
へらへらと笑いながら、柚子に手を差し出した無奈。
妖は死なない。柚子は知らなかった事実を、受け止めている自分に驚いた。少し前の自分なら「妖が怖い」と恐怖しただろうが、今はなんとも思わなかった。
(だから、尾崎は村長を馬鹿にしていたし無奈さんも相手にしていないのだわ)
「変なこと言わないでくださいよ。痛いですよ。普通に」
「それは……そうですね。黒焦げになると服もダメになってしまいますし」
「でも、私あの村長は嫌いですよ。たぬきは妖じゃないんだから死なないわけありませんし」
「それは、そうですね」
「じゃあ、人間と争う気のない妖はどこかで平和に暮らしているんですね」
「えぇ。僕やオサキのように、このまま人間になってしまおうなんていうのは結構珍しくてですね……僕もですが、この場所が好きなのですよ」
「なんだか、私の考えてた妖とは随分違う気がしてきました」
柚子を見て無奈が安心したように息をつく。そう話していた柚子の表情が必定に穏やかだったからだ。
「柚子さん。妖も知恵と言葉を持つ生き物です。つまりは根幹は人間と似通っている。人間に良い人間が多いように妖も無害なものがほとんどです。ただ……妖同士の争い事で天地をひっくり返すような嵐が起こったり、火の海になったりしますからね。えぇ」
「それは……やっぱり迷惑ですね。もうすぐかしら、無奈さん。夕食は何が良いですか?」
無奈は顎に手を当てて考える。
今日は祝言で、柚子はほとんどの時間を着付けや儀式に費やしていた。その上、朝は焼き鳥を使った凝った定食まで用意したのだ。無奈からみれば、柚子はさぞかし疲れているように思えた。
(ここは遠慮をするべきですね。柚子さんも疲れているだろうからきっと喜ぶはず)
「今日は、祝言もありましたし……せっかくですから」
柚子は納屋にあった野菜を思い出しながら今夜はせっかくだから豪勢な料理にしようと計画をする。何せ、柚子は祝言のあと尾崎からさっと柚子を守ってくれた無奈に感謝していたのだ。だから、彼の好きなものをたんまり作ろうと思ったが、無奈は満面の笑みで言った。
「せっかくですから、今日は夕食などいりませんよ。僕はどんぐりを食べますから結構です」
それと同時に、籠がぴたりと止まりゆっくりと地面に降りる。柚子はむっとした表情のまま一人で籠を降りた。
(あー考えて損したわ! 私が大好きなもの作りましょ!)
足を踏み鳴らしながら家に入っていく花嫁を、無奈は不思議そうに眺めるのだった。