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第1話 木枯家の没落と縁談話


 木枯家は、木枯屋という反物屋を営む良家である。その歴史は江戸時代からと長く、先々代の当主は、仕立ての腕も良く江戸幕府からも信頼されていたらしい。●代目将軍の正妻様のお着物を仕立てたとか、そんな自慢話ばかりを書き留めた書物が今もまだ木枯家の家宝として残っている。

 日本各国から仕入れる美しい織物が並ぶ木枯屋店内は煌びやかで、自らを着飾ろうとする人々の顔もまた美しい。

 着物とは人には欠かせない衣食住のうちの一つ。貧乏人から大金持ちまで木枯屋を訪れその年身につける物を買ったり仕立てたり直したり。


 しかし、木枯家次期当主・木枯織吉が若くして死亡したことで全てが狂ってしまったのだ。

 木枯家の長男・織吉は妹の柚子を連れて、山を越えた先にある村長の家に挨拶に行く際、妖に襲われた。織吉は柚子を逃すために妖と戦い、のちに無惨な姿となって山中で発見されることとなった。

 妹の柚子は、命からがら山を降りてきたところを保護されたが数週間口が聞けなくなるくらいの状態であった。


 不幸というのは連鎖するものだ。


 その頃、木枯屋と競合関係にあった隣の村の晴燈屋が木枯屋の客をほとんど奪ってしまったのだ。なんでも、「妖に襲われた木枯屋は呪われている」などと言う根も葉もない噂が出回ったからだ。

 しかし、実際に時期当主が妖に襲われて死んだのも事実、妹の柚子が酷い目にあったのも事実で木枯屋が反論する手立てもなく、あれよあれよと上等な織物を仕入れることが難しい状況になってしまった。上等な仕入れができなければ客はさらに遠のいていく。客が来なければまともな仕入れができない。次第にやってくる客はほとんどいなくなった。


「はい、これでもう大丈夫」

「ありがとう、柚子お姉ちゃん」

「いいけど、もう転んだらだめよ?」

「はーい」

「ありがとね、柚子ちゃん。これ少ないけれど」


 木枯柚子は、店頭にやってきたヤンチャ坊主の破れた着物をさっと直してやった。死んだ兄・織吉ほどの腕はないが、健気に店頭に立つ彼女に近所の人々は憐れみの視線を向ける。

 金銭をありがたく受け取って、会計手帳に金額を記す。幼い頃の豊かな生活はどこへやら、明日の米に困る生活にも、彼女はもう慣れてしまった。

 こんな寂れた場所に婿に来る男などおらず、「妖に呪われた家」と縁談を組んでくれる仲人もいない。世間様からの冷たい視線にすっかりやつれてしまった父母は半ば諦めたように柚子に優しく、それが柚子の心をちくちくと傷つける。


「柚子、お昼にしようか。母さんを手伝っておくれ」

「はい、お父さん」


 柚子は、店番を父に任せて母屋に引っ込むと台所に立つ母・櫻子の手伝いをする。小さい頃は、主催・副菜・汁物に漬物と豪華だった食事が、今では玄米がゆと漬物、それから村の人たちからお裾分けしてもらったお野菜があるので夕食は野菜の煮付けが定番だ。


「ごめんね、柚子。柚子はお料理が大好きなのにいい食べ物を買ってあげられなくて」

「お母さん、料理好きは少ない食材でも美味しく作り上げることができるのよ。そうだ、今夜は野菜に甘く味付けした味噌を塗って囲炉裏で炙って食べましょう? ね?」

「そうね、貧しくても美味しいものは食べられるわよね。やっぱり、柚子は特別な子だわ」

「お母さん、やめてよ。私、特別でもなんでもないわ」

「特別よ。だって、柚子は神様に守ってもらったんですもの」


 柚子は、あの日……兄が死んだ日から異能が使えるようになった。彼女の体に触れた妖はまるで雷に打たれたように黒焦げになってしまうのだ。無論、その特異な体質は彼女自身を守るものだが彼女自身が妖との戦いに巻き込まれる可能性を危惧して、これは木枯家だけの秘密となっている。

 もし、この異能が知られれば政府に出頭を明示され強い妖との戦闘に駆り出されてしまう可能性があるのだ。


「お母さん、いいものじゃないでしょう。コレは……。さ、お父さんはおかゆに味噌だったわね。店番してくれているから呼んで来るわね」

「お願いね」


 家族三人、ちゃぶ台で質素な食事を取る。玄米粥に粗塩、漬物にした瓜を時折かじりながらゆっくりと腹を満たしていく。柚子が幼い頃は、都に豪華な店舗が一つ、京にも一つあったがどれもバタバタと閉店せざるを得なくなり、結局、木枯家の出身であるこの小さな村の本店のみが細々と生き残っている程度だ。

 それも、現当主で店じまい。良い縁談があれば柚子を嫁に出して家系図を閉じてしまおうと織蔵と櫻子は決めていた。


 そんな質素で先のない暮らしをしていた木枯家に一件の縁談話が持ち上がる。妖に呪われたと噂される廃業寸前の令嬢に来た不可思議な縁談話に木枯家の運命は左右されるのである。



***



「初めまして、古里無奈と申します。この度は縁談話につきましてお話を聞いていただけるとのことありがたく思っております」


 男は、柚子と変わらぬ年齢に見え、柔らかそうで若白髪の混じったザンバラ髪に浅葱色の着物という学者のような装いで木枯家にやってきた。都からはるばる二日もかけてやってきたにしてはやけに足元の汚れもなく、かといって籠に乗れるほど裕福そうにも見えない。

 その上、「優男」なんて言葉がぴったりなほど気の良さそうな美男子で、その垂れ目がちな目元だけ見れば女子と見違えるほど。ペコペコと腰が低く、彼からはどことなく木の葉のような香りが漂っていた。


 応接間に通された男と向き合うように座っている柚子は、薄桜色に椿柄を華やかにあしらった振袖や髪飾りで着飾っている。きりっとした彼女の顔立ちが紅を差したことでより際立っている。美しい娘の姿にご機嫌の櫻子とは違い、織蔵だけは厳しい表情のままだった。

 その理由を柚子も櫻子も、娘を縁談に出すのを嫌がる典型的な父像だと思っていたが、それは縁談相手の言葉で打ち砕かれることになった。


「古里さん、ご両親はおいでにならないのですか?」


 櫻子の質問に、彼は申し訳なさそうに眉を下げる。


「すみません。両親はすでに他界しており。古里家は現当主の私一人なのです。そして、便りに書いた通り、私は妖です」


 彼の言葉に、柚子と櫻子は凍りついた。そして、織蔵は眉間に深く皺を寄せ何か悩むように腕を組んだままだった。柚子や櫻子が、織蔵に「知っていたのか」「どうして」と責められるが、しばらくすると彼は静かに「座りなさい」と言った。無奈の方は、慌てることなく穏やかな表情を変えず佇んでいる。


「何も、お嬢さんを妖の生贄にしろとは言っておりません。いえ、人間の皆さんにとっては妖の元へ嫁に行くなど生贄に近いのかもしれません。さぞ怖いでしょう。気持ちはわかります。ですから此度の縁談は条件をお書きしました。それを承諾してくださったから、織蔵さんはこの場を設けてくださったのです」


 優しい春風が吹くような、柔い声で説明する彼は、怒っている櫻子を宥めるように、怯えている柚子を励ますように言った。柚子は、みるみる家に母親の櫻子が怒りを鎮めてしまったので何か術にかけられたのではと不安になったが、ふと父親の織蔵に視線を合わせば彼が首を横に振ったので自分も大人しく彼の話を聞くことにした。


「櫻子、柚子。まずは黙っていてすまなかった。古里さんから提示された条件は……この結婚は、契約結婚であることだ。期間は一年間。彼の住まう村で元庄屋の村長に彼が人間であると認めさせるため人間の嫁が必要だからという理由だ。一年もあれば、妖の……彼の力で柚子の姿を人形に化けさせることができるそうだ。一年間、村の行事なんかに妻として参加をするだけ。そして、その対価に富と商売繁盛の祈願をしてくださるそうだ」

「貴方……、我が家は長男を妖に殺められたのよ? 我が家の富のため娘を妖に売るつもりですか?!」


 櫻子のキンキン声が響いた。綺麗に着飾った柚子の肩を抱き涙ながらに夫を批判した。

 縁談話がやっと舞い込んで、一人娘がやっと人並みの幸せを手にできると思った矢先まさか相手が妖だった事で彼女の希望が打ち砕かれたのだ。

 一方で柚子は、母親とは違ってあくまでも冷静だった。織蔵が信じるからには何か根拠があるのだろうし、一年の我慢ならと思い始めてすらいた。それほどまでに木枯家は困窮している。


「私は、狸の妖。場所によっては人々に商売繁盛をもたらす神として崇められている同族もおりますゆえ、私にもそのような力が存在するのです。ゆえに、木枯家の繁栄をお約束しましょう。無論、契約期間の一年が過ぎてもです。我々妖は恩を忘れません」

「何が……恩は忘れないですか。うちの息子は妖に殺されたのですよ? 娘も酷い目にあった。なんて……傲慢な」

「櫻子、やめなさい」

「貴方! どうして妖なんかの味方をするの?」

「妖は柚子に触れることはできない。それは、この古里さんも同じだろう。それに、彼は妖だと我々に便りを出したんだ。これが誠実さの一つだと私は思ったんだ」


 妖と戦いつつも共生を目指していた江戸幕府とは違い、今の政府は妖を討伐対象としている。

 柚子が生まれる数年前まで、妖と人間の戦争が繰り広げられていた。結果は人間の勝利、森や山などの住む場所や心の拠り所となる社を燃やされ、さらには妖と仲良くしていた人間を皆殺しにされ、妖たちは次々に消えていった。

 明治に入ってからも妖の討伐は進み、人々は人間に化けた妖を密告したり時には村人総出で妖狩りを行なっている。つまり、彼が自分を「妖だ」と告白するような便りを書くことは自殺行為なのだ。


「どうして……人間であると認めさせたいのですか」


 柚子の声は、少し震え高くうわずった。小鳥が囀るような可愛らしい声に、無奈は目をぱちくりさせしばらく彼女を見つめてから答える。


「私は、昔から人間が好きなのです。こうして人間と妖が争うことが悲しいのです。ただ、悪い妖がいるのも事実。命が短く、力のない人間にとって妖はとても恐ろしいのも理解はできます。だからこそ、私は人間として穏やかに生きたいのです。人間たちの行く道を見守りながらひっそり生きていたいのです」


 声色こそ穏やかであったが、無奈の言葉は一つ一つに感情がこもっているように柚子には聞き取れた。彼の言っていることは、正しいと柚子には理解できるのに彼が「妖」である以上どうしても懐疑心がやってきて理解を覆い隠してしまう。柚子は、彼に賛同することなく押し黙ってしまった。


「お返事はゆっくりで構いません。なくても構いません。ご気分を害してしまい申し訳ありませんでした」


 数分の沈黙のあと、無奈はそう言って皆に丁寧に頭を下げると応接室を出ていった。見送る者もなく、木枯家には重い空気がどんよりと流れていた。


 しばらくして、柚子は立ち上がり言った。


「私、着替えてくるね。お母さん、振袖ありがとう」

「柚子、断っていいんだからね」


 櫻子の言葉の揺れを柚子は聞き逃さなかった。応接室を出て、自分の部屋に向かい、襖をパシンと閉めると崩れ落ちるように化粧台に突っ伏して泣いた。両親のことは大好きであったし、彼らが目の前にぶら下げられた人参をどうしても目で追ってしまっている姿があまりにも痛々しくて、悲しかったのだ。そして、彼らが心の奥で「娘が我慢すればあの暮らしに戻れる」と思っていることが透けて見えてしまった。


(私は、この縁談を受けても地獄……受けなくても地獄なのね)


 柚子は顔をあげ、化粧台の鏡に映った自分を見つめた。うっすらとはたいた白粉おしろいが涙でぐじゃぐじゃになり、紅も口の周りに滲んでいる。やつれた頬、瞳は涙と絶望で濁って見えた。

 結婚というのは、必ず幸せになれるとは限らないもの。織蔵と櫻子のように幸せで愛し合っている夫婦というのは比較的少ない。

 政略結婚とまでは行かなくても、家同士の付き合いとか、商人の家の場合は取引の安定なんかのために好きでもない好きにもなれないような男の元に嫁ぐ人も多い。現に、柚子の幼馴染の清子も二回りも年上の男と結婚し旦那の世話をすることが苦痛だと話していた。

 家のため家族のためにみな嫁いで行くのだ。そこに幸せがなくても幸せを見つけ出す。それは、迎え入れる男性も同じこと。みな辛いのだ。


 けれど、柚子の相手は人ですらない。

 家を救えるかもしれないという思いと、妖が嫌いだ・怖いという思いで心がぐしゃぐしゃになる。このまま、家族三人で悲しみを抱えながら貧しい暮らしを続けるのは正しい事ではないと心ではわかっているのにどうしても向き合えない。向き合えない自分のことが大嫌いで恥ずかしいとも柚子は思った。自己保身のため優しい両親を不幸にしてよいわけがないのだから。



***



 木枯家の朝は、農家に比べると比較的ゆっくりだ。日が昇って少ししてから、櫻子か柚子が朝食の準備を始める。その間、織蔵は店の掃除をする事が多い。

 貧しくなってからは、昨晩の夕食時に残った冷や飯を雑炊にする事がほとんどだが、今朝は魚の干物を焼くいい香りが漂い、柚子も久々の美味しい匂いに飛び起きた。


「おはよう柚子、見てちょうだい。朝一番に飛脚がうちに来てね。干物やら鶏の卵やらを届けてくれたのよ。なんでも、昨日うちへきた古里さんからって。あぁ、お母さん。こんなにしっかりと朝ごはんを食べるのは久々で涙が出そうだわ」

「あの人が?」

「妖が送ってきた物だけれど、食べ物は無駄にしてはいけないわよねっ」


 庭先で七輪を出し、団扇で仰いで火加減を調整しながら母がいった。台所には目新しい木箱が置いてあり、その中には米が三升、干物が九枚、鶏の卵が九個。そのほかには季節の野菜がいくつかが詰められていた。


「手伝うわ」

「あら、柚子。ありがとう、お願い。お母さんはお米の方をみるわね」


 台所へ戻っていく櫻子はとても嬉しそうで、柚子はため息をついた。目の前でジュクジュクと焼けていく鯵の干物、ひっくり返して皮目に焼き色をつける。油が七輪の中に滴り落ちて、一際大きな音と煙が立った。


(お兄ちゃんが生きていた時以来ね。朝から干物なんて)


 昔、木枯家が廃れてしまう前は漁村の庄屋さんが古くからの顧客で、こうして干物や、冬場には新鮮な魚が届けられて毎朝焼き魚や煮付けが食べられたのだ。今となってはその顧客も「妖に呪われた」なんていう噂を信じて関係が切れてしまった。


「柚子、これを」


 干物を焼いていた柚子に後ろから声をかけたのは織蔵だった。かつては恰幅の良かった彼も今はほっそりとやつれてしまっている。つっかけを履いて庭先に出てきた彼の手には小さく折り畳まれた紙。柚子が受け取って広げてみるとそれは手紙だった。


『木枯柚子様。貴女様の御所からの帰り道、新鮮な野菜と脂の乗った干物が売っているのを見つけました。私のお話を聞いてくださったお礼と言っては少ないですがよければお受け取りください。しっかりと商店に金銭は払ったのでご心配ならさず。我が家に戻ったら森で取れる果実や村の名産であるお米をお送りします。自慢ではありませんが、日本全国津々浦々、我が友人がおり、時間はかかりますがどんな物でもご用意します。あぁ、もう行かなければ。それではまた』


 美しい字体は目を惹かれるほどで、同じ商店で買ったであろう木葉柄の便箋は皮肉にもタヌキを想像させる。


——古里無奈


 あの不可思議な男が柚子の脳裏に浮かんだ。便箋から薫るあの優しい木の葉のような緑の香り、穏やかで朗らかで少し抜けたところのあるような声。


「お父さん。私は、妖が恩のない人間に贈り物をした話を聞いた事がないわ」


 妖というのは、神にも近い存在だと言われている。実際、古くは妖だったものが神として祀られ次第に守り神になっていることも少なくはない。

 ただ、共通して言えるのは、妖というのは人間や妖同士でも必ず「対価」を要求するものだということである。その昔、傷ついた妖を助けた娘に妖が富を授けることで恩返しをしたとかそういう類の話である。

 そのまた逆もしかりで妖に力を借りたのならなら、それ相応の対価を求められる。それが、人間にとっての価値と妖にとっての価値が違う事が問題で……例えば命を助けた代わりに、寿命のほとんどを吸われてしまった話なんかがある。一見不公平に感じるが長い時間を生きる妖にとって「寿命」の価値が違うのだ。妖にとって二十年はほんの少ない時間でも人間にとってはその生涯の半分以上にもなったりする。

 だからこそ、人々は触らぬ神に祟りなしと例え、良い妖であっても取引はしないのだ。


「手紙にあるだろう。これは柚子があの人の話を聞いてくれたお礼のようだね。柚子、もしもこの縁談が嫌ならばすぐにお断りの手紙を書こう。父さんは、昨日あの人をみる柚子を見て考え直したのだよ。娘にあんな顔をさせてまで家の繁栄を考えるなんて父親失格だ。私は、木枯家の当主である前に、柚子の父親だ。だから、少しでも嫌なら断りなさい」


 織蔵は真剣な顔でそう言ったあと、勝手口から家の中へと戻り、柚子は焦げかけていた干物を慌てて皿へと上げ、七輪の火を消した。


 ふわふわのだし巻き卵に、脂ののった鯵の干物。いつも通りの糠漬けすら輝いて見えるほど完璧な朝食。サクッと音がなるほどこんがり焼けた鯵は身はふっくらとつまっている。一口頬張れば、干物の塩気と脂の甘みが口の中で広がってすぐにご飯に手が伸びた。丁寧に精米された白いお米は高級品。玄米独特の強い食感も悪くはないが、白米のもっちり甘味の強いものの方が鯵の干物にはよく合っている。


「美味しいね」


 柚子がそういうと、押し黙っていた櫻子と織蔵が相槌を打った。久々の美味しい食事、少し緊張感のある家族の会話はゆっくり解けていく。



 その後、木枯家にはほとんど毎日贈り物が届くようになった。ある時はとれたての果実が、ある時は珍しいカラクリ人形が、またある時は新鮮な海産物がご近所にお裾分けできるほど届いた。

 毎回、彼から柚子への手紙が同梱されていて綺麗な森を柚子に見せたいとか、実は少し裁縫の練習をしてみたとか、せっかく皮が上手に剥けた柿が渋柿だったけれど柚子に送らなくてよかったとか。そんな内容ばかりだった。

 まるで恋文のようなそれは最初こそ恐怖だったものの、次第に柚子の心に入り込んだ。次第に、次の文が恋しくなっている自分に気がついた時、秋ももうだいぶ深くなっていた。


 肌寒い季節。呉服屋も兼ねている反物屋が一番繁盛する時期だ。ある人は冬の寒さに備えて新しい着物を新調し、ある人は衣替えでダメになった寝巻きを仕立てに……。たくさんの反物を売ったり使うほど儲かるので、冬の前というのは繁忙期の一つである。

 そんな秋の折、柚子はやっと決心をしたのだ。


「お父さん、お母さん。私、この契約結婚を受けるわ」


 娘のまっすぐな視線に、両親はただ頷いて「そうしなさい」と答えた。



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