プロローグ
森を少し入ったところに、邸宅がある。森の中に突然あらわれる武家屋敷、大きな門構えと漆喰の塀はまるで小さな城のよう。都から歩いて四時間、そこそこ大きな村に所属するこの古里家は、私・木枯柚子の嫁ぎ先だ。
訳あって、この古里家の当主・古里無奈と結婚することになったがその期間は一年間。これは、互いの利益のみを追求した家同士の政略結婚……ではなく契約結婚なのだ。
三畳ほどの広さがあるピカピカの玄関に入ると、出迎えてくれたのは美しい男だった。彼は、見るたびに姿違うが決まって垂れ目で、基本美男子で物腰柔らかな瞳が柚子を優しくとらえている。
「本日より、一年間。お世話になります」
堅苦しい挨拶と共ににこりともせず、柚子は深々と頭を下げた。藍色の留袖とすみれ模様をあしらった薄い同型色の帯を品よく結び、帯留めも質素でシンプルなものだ。上品な出立ちだが、若い娘の嫁入りとは程遠い着こなしだ。
「柚子さん。よく来てくださった。ご両親とも話した通り、君はこの一年間。僕を愛する必要はない」
無奈は、そういうと少し悲しそうに眉を下げそれから目の前にいる美しい柚子に期待の目を向けた。しかし、柚子は大層驚いたあときゅっと眉間に皺を寄せて唸るように口を開いた。
「言われなくても、妖を愛することなどありませんっ」
凛々しい彼女が、キッと無奈を睨んだ。
失礼な態度を取られて怒っている柚子とは対照的に、無奈は「なぜ怒っているんだろう?」と言わんばかりに首を傾げている。
動物に例えたら猫だろうか、子猫だろうかと彼は考えたが目の前の女性を怒らせてしまったと理解して、今度は頭を下げてみる。しかし、頭を下げる人間の真似は不相応だったらしい。柚子はそっぽを向いてしまった。
すると、玄関の後方からガタガタ、カチカチと廊下の板張りを動物が暴れるような音が響く。当主が待ちに待ったお嫁さんを怒らせてしまったと従者たちが騒ぎ出したのだ。
そっぽを向いていた柚子が音の方に視線をやり、興味からか彼女の表情はもう怒ってはいなかった。
「ささ、柚子さん。上がってください」
これは好機とばかりに、無奈は彼女に笑顔を向ける。待ちに待ったお嫁さん。目の前の彼女は困惑しつつも履き物を脱いできっちりと揃え、家の中へ上がり込んだ。
柚子は、廊下の奥でこちらを見つめる四匹のたぬきを目撃した。それから、先を歩くようにして柚子に背を向けた男の腰にふわふわの灰色尻尾が揺れていて、この美しい男が本当に妖なのだと実感する。
(あぁ、私は憎き妖の嫁になってしまったのだわ)
ぎゅっと痛む胸を抑え、悟られないように彼の後ろを歩いた。たった一年、されど一年。彼女は自分の運命がどうなってしまうのかと不安に襲われるのだった。
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