第1話 神様から提案されました。
目の前に現れた鮮やかな朱色の稲荷神社に圧倒されていると、その奥から真っ白な毛並みに赤い瞳を持った1匹の狐が歩いてきた。
『百合様、ようこそお越しくださいました。』
「え、きつねが喋ってる!?」
『はい。案内してきたその子は話せませんが、私は話すことが出来ます。…あ、申し遅れました。私は御魂様の使いをしております”茜”と申します。』
「ご丁寧にありがとうございます。私は、神崎百合と申します。」
丁寧に自己紹介をしてくれた狐は茜という名前らしい。
”使い”ということは、やはり手紙の送り主は神様なのだろうか。
『奥で御魂様がお待ちです。どうぞこちらへ…』
茜さんと挨拶を交わした私は、茜さんの案内のもと本殿のほうへと足を進める。
最初に案内してくれた子狐は、私の後ろで周りをキョロキョロ見ながらついてきていた。
やがて1つの部屋の前に辿り着くと、茜さんは器用に前足でノックをして中に声をかける。
『御魂様。百合様をお連れしました。』
すると、襖の奥から鈴を転がすような声で「どうぞ。お入りになって。」と返事が返ってきた。
茜さんが襖を開け『入っていいですよ。』と前足で促してきたので、私は胸の前で鞄を抱きしめながら緊張した面持ちで中に足を踏み入れる。
部屋に入ると、綺麗な女性がお茶を用意しながら待っていた。
漆のように艶やかな黒髪に陶器のように白い肌、目元と頬は薄っすらと口元ははっきりとした赤で色づいており、綺麗な刺繍が施された神御衣を纏う姿は如何にも日本の神様という感じがする。
その女性の風格に圧倒されつつ近くの座椅子に腰を下ろすと、女性は私を安心させるように微笑んで口を開いた。
「神域までご足労いただきありがとうございます。私は五穀豊穣を司る神、宇迦之御魂神と申します。最近では商売繫盛の神様と呼ばれることもありますね。」
「は、はは初めまして。神崎百合と申します。」
「ふふふ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。りらっくすしてくださいまし。」
思っていた通り、女性は神様だったらしい。
神様は緊張している私を見て言葉をかけてくれたようだが、横文字が苦手なようで話し方がたどたどしい…しかし、そのたどたどしさが逆に私の緊張を和らげてくれた。
「百合様。この度はこちらの不注意で驚かせてしまい申し訳ありませんでした。」
「確かに驚きました。しかし、一体何が起きたのですか。」
そう尋ねると、神様は事のあらましを話し始めた。
「事の発端は、ここまで案内させた子狐をお使いに行かせたことにあります。普段下界に行く用事は他の狐に任せているのですが、今日はその狐に別の仕事を頼みまして…そのため急遽代わりの者を下界に行かせることになったのです。そこで最近生まれたこの子に使いになるための修行の一環として行かせたのですが、百合様が作ったいなり寿司の香りに引き寄せられ食べに行ってしまったみたいで…修業中とはいえ、私が生み出した使いですからそれなりの力を持っているのです。この子はいなり寿司に夢中になり力の制御を疎かにしてしまって、百合様のご自宅前に神域に繋がる穴を開けてしまいました。そして、その穴に百合様が落ちてしまったというわけです。」
「つまり今日たまたまお使いに出ていたこの子狐が家にやってきて、力の制御を忘れて神域に繋がる穴を開けてしまい、そこに私が運悪く落ちてしまったというわけですね…一応、お話は理解しました。突然のことで驚きましたが、謝罪も頂きましたし私としてはこれから仕事があるので元の場所に帰していただければそれだけで十分です。」
と、私が気持ちを伝えると神様は申し訳なさそうな表情を浮かべてこう言った。
「申し訳ありません。それが出来ないんです。」
…ん?元の場所に帰すことが出来ない?
頭上に沢山『?』を浮かべた私を見て、神様はさらに言葉を続ける。
「神域に落ちただけなら帰すことが出来たのです。再び神域と百合様が落ちた穴を繋げればいいですから。…ですが、この子は貴女の存在ごと消してしまったのです。」
「私の存在ごと消した…?」
神様から告げられた言葉の意味が理解出来ずに固まる私。
そんな私を見て、神様は私にも理解できるよう言葉を選んで教えてくれる。
「神域への扉を閉じただけであれば、貴女を元の場所へ帰すことが出来ました。しかし、この子は扉と一緒に神崎百合という存在も消してしまったのです。…つまり、今の貴女は実体がない魂だけの状態になっているのです。」
「それは、元の場所に戻れないってことですか?」
私がそう問いかけると、申し訳なさそうに神様は頷く。
そして、ようやく言葉の意味を理解した私はあまりに衝撃的な事実に頭を抱えた。
今朝見た占いで災難に見舞われると書いてはあったが、こんな取り返しのつかないレベルだとは予想もしてなかったのだ。
元凶である子狐に目を向けると、事の重大さは理解しているようで必死に土下座のようなポーズをとって謝っている。
そんな必死な様子を見ていたら段々怒るのも申し訳なくなってきたので、少し冷静になって現状をもう1度よく考えてみることにした。
私は、この子に存在ごと消されて元の場所に戻れなくなった。
仕事では今進めているプロジェクトがあるから、急に私がいなくなったら部下は混乱するだろう。
それでも仕事に関してのみで、プライベートでは特に関わりもない。
家族も全員亡くなって親戚とも交流はないし、仲の良い友人もいなければ恋人もいない…そこまで考えた私は自分がいなくなってもあまり影響がないことに気づいてしまった。
まさか自分の人生が27年という短さで終わるとは思っていなかったが、予定より早く亡くなった両親や祖父母に会えることになったと思えばそこまで悪くないかもしれない…そう思った私は神様に問いかける。
「お待たせしてすみません。突然の出来事が重なって混乱してしまいました。こんな形で人生が終わるとは思っていませんでしたが、これから両親や祖父母に会えると思えばそこまで悪いことではないような気もします。私はこの後、家族のもとに行くことになるのでしょうか。」
「こちらのみすですのに、受け入れてくださりありがとうございます。今後のことについてですが、先程お話したように現在の百合様は魂だけが存在している状態です。通常、天寿を全した魂であれば黄泉の国へお連れするのですが、百合様の場合はまだ天寿を全うしていませんので黄泉の国へお連れすることが出来ません。」
「そうなると、私はどうなるのですか?」
「そうなると本来の寿命がくるまで縁のある神のところで過ごすことになるのですが、百合様の場合はいれぎゅらーですし、こちらに非があります。そこで1つ私からの提案なのですが…別の世界に行けるか試してみませんか?」
「別の世界ですか?」
「そうです。下界で流行っている『異世界転生』というものですね。何故そんな提案をしたかといいますと、実は近々地球から自分の世界に魔力を補充する予定の神がいるんです。地球は魔法を使わない星なので魔力が豊富で、定期的に他の世界に魔力をあげているんですよ。地球から魔力を送る際に媒介となる地球側の魂が必要になるのですが、その魂は神が自ら探して選んでいます。自分の世界と波長の合う魂を選ぶと送れる魔力量も大きく、質もとても良いのだそうです。…そこで最初の話に戻りますが私の知り合いの神が現在媒介となる魂を探しているのですが、地球と似た性質を持つ世界なので私は百合様の魂とその世界の波長が合うと思うのです。なので、百合様さえ良ければ1度その神と会ってみませんか。そこで波長が合えばその神の世界で新しい人生を歩むことが出来るかもしれません。」
異世界転生って、漫画やアニメでよく見かける人気の展開の話だよね。
元の場所に戻ることは出来ないし、天国にもまだ行けないのなら1度その神様に会ってみるのも悪くないかもしれない。
「そうですね。元の場所には戻れませんし、神域で過ごす以外にも選択肢があるのなら試してみたいです。」
そう答えると神様は「少々お待ちを。」と微笑み、その神様と連絡を取り始めた。
割と砕けた口調でやり取りをしているところから、その神様との仲の良さが窺える。
「その神と連絡が取れました。今から神域に来るそうです。茜、お迎えに行ってきてちょうだい。」
神様がそう言うと、茜さんは『かしこまりました。』と返事をして軽やかに部屋から出て行く。
私はお茶を飲みながら「また新しい神様と会うのか。」と、再び緊張することになった。