弱きもの(anime)
『今日はもう帰っていいよ』
職場で戦力外通告を出されて私は落ち込んで帰宅した。
思ったように歌が歌えない。
声は出るが曲と歌詞に違和感を感じて思ったように曲の制作が進まない。
芸名 anime 職業 歌い手
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「おう。おかえり」
カチャカチャとゲームのコントローラーを握りしめた私より少し背の高い男がソファーの上で寝そべってゲームをしていた。
この家の同居人であり恋人である。
「anime 聞いてくれよ。」
この同居人の仕事の愚痴を聞くことが私の家庭での仕事だ。
私だって今日は調子が悪かった。
だから私も話したいし、聞いて欲しい。
なんとかなるよ、って言って欲しい。
ゴミ袋を出して周囲の散らばったゴミを片付ける。
カップラーメンの容器、パンの包装に使われた袋。
燃えるゴミを入れていく。
ちくしょう。有給だからってゴロゴロしやがって、羨ましいな。
ローソンのゴミ袋は中を確認して捨てる。
中にプリペイドカードと呼ばれる電子マネーのカードが入っているからだ。
前に確認せずに捨ててすごい剣幕で怒られたことがある。
だったらお前が片付けろ馬鹿野郎、と思ったが喧嘩になりそうだったからやめた。
「うわ、」
ゴミ袋にされた汚いコンビニの袋を、恐る恐る広げる。
鼻腔を異臭が襲った。
コンビニの袋からエナジードリンクと焼きそばのソースが混じった匂い。
というか、確認しろと言ったくせにゴミを入れるというのはどういう了見なんだろ?
確認しないと怒られる、確認したら異臭に困らせられる。
理不尽だ
「anime,聞いてる」
「半分」
嘘だ半分も聞いてない。今日の仕事の反省とお前への怒りが私の思考の8割を占めている。
お前の話なんか遅刻か同僚と製作のことで意見が合わなかったかのどっちかだろ。
たわいのない話だと勝手に決めつけた。
私は多分イライラしてる。
「なんかあった?」
「別に」
鈍感なこの男も私がイライラしてることに気づいたらしい。
少しオドオドした様子で寝転んだ格好をやめ、ソファーに座り直した。
床にきちんと両足がついている。
今日はお行儀がよろしい。
「anime,今日のご飯、何にする?」
前言撤回。
やはり鈍感なこいつは私の怒りに気づいてない。気づこうとさえしてくれない。
スマホでデリバリーを何にするか考えてるこいつのお気楽さが、さらに私の怒りに油を注いだ。
「いて、」
恋人が声を上げる、私が蹴ったからだ。
足の親指に力を込めて、私は蹴った。
常識人は言う、暴力で物事を解決してはいけないと。
ならば問いたい。
思ったことをハッキリ言えず、説明が苦手な人間は怒りをどう処理したらいいだろうか?
そして、もう一つ
暴力を暴力と認識されなかった場合はどうなのかな?
「あー、腰は良くなった。次、背中頼むわ」
悲しいかな私の攻撃力は強めのマッサージにしかならないようだ。
顔の表情を見て実感する。
ヘラヘラしている男。
しょんぼりする私。
攻撃の効かない強敵を前にした主人公はこんな気持ちなのだろうか。
私の求めてるリアクションと180度違う。
困って欲しい、どうしたのってもう少し強く聞いて欲しい。
それが満たされないから心が苦しい。 ・・・かまってよ。
「風呂沸いてるぞ」
その言葉を聞いて、不機嫌な私はタオルと着替えを持って浴室に向かう。
あ、そういえばシャンプーの詰め替えを・・・
浴室の側にあるカラーボックスの引き出しに手をかけると
「詰め替えもやっといた」
ご機嫌な男の声が聞こえた。
絶妙のタイミングに驚いた。
私の動きが読まれてる・・・
すごく不思議だ。
なぜ、私のイライラに気づかないのに私の行動は読めるのだろうか監視カメラで見られてるようで不快だ。
お風呂から出ると洗面所で体を拭き髪を乾かす。
お風呂と洗面所が別々に分かれているのはいい。
欲を言えば、洗面所のドアには鍵もつけたい。
同居人はゲームの新作やネットのニュースが出ると真っ先に私に報告しにくる。
私もゲームは好きだし、ゴシップも気になるけど。
恋人関係とは言え、風呂上がりの体を拭いてる時にこのドアを開けないでいただきたい。
「animeこれ見て」
ドアがいきなり開いた。
それと同時に私の小さな拳が男のおでこに勢いよく炸裂する。
骨の軋む音がした。
とてつもないダメージが発生した。
医療キットが必要かもしれない。
だが男はキョトンとしていた。
痛がるそぶりがない。
攻撃が全然聞いていないようだ。
というより、私がなぜ暴行を加えているのかを考えているようである。
本当にキョトンとしている。
「髪、乾かしてる」
不機嫌な声で私がつぶやくと
この狼藉者はなぜ攻撃されたのか理解したらしい。
「あ、パンチだったのね。そっか、そっか」
・・・え?
どうやら攻撃とすら認識されていなかったようだ、本当に悔しい。
パタン
「悪ぃ、悪ぃ」、そういってにこやかにあいつはドアを閉めた。
余計な捨て台詞を残して。
ドア越しに独り言のようなボソボソした声。
「俺、石頭なんだけど・・・・あいつ痛くなかったのかな?」
ああ、その通りだよ。
ドアが閉ざされた瞬間、同居人が私を視界からはずしたその瞬間。
私は涙と叫び声を我慢してバスマットに膝をついた。
攻撃した私の方がジンワリとした痛みを感じている。
暴力は良くないと反省しました。
自分が壊れてしまう。
この経験を何度も繰り返しては、自分の学習能力の低さを実感する。
お風呂から出るとテーブルの上には出前で取った料理が並んでいた。
「私の分は?」
「適当に頼んでおいた、何から食べる?」
「じゃあ、、サラダから」
「・・・・・」
なんで黙るんだろう?
「何で黙ってるの?」
「すまん。頼んでない」
「サラダくらいなら大丈夫」(でも、私は貧血持ちだから野菜が欲しい)
「そう、何頼んだの?」
「フライドチキン、焼き鳥、牛丼」
ラインナップが全て高カロリー。
「野菜は?」
「サラダ以外に野菜を含んだ料理がデリバリーで存在しているなら、ぜひともご教授願いたい。」
なんとも勝ち誇った顔。この男はメニュー表を開いたスマホを手に持ち、これ見よがしに言ってきた。
まるで私が世間知らずな可哀想な子、みたいな感じの対応。
声のイントネーションからしてうざい。
「ここ、野菜天丼」
私は指をさす。
そこにはレギュラーメニューの欄にきちんと書いてあった。
サイドメニューじゃない、野菜をもう少し認知してくれ。
ついでに私の貧血も覚えてくれたら嬉しい。
男は私の手からスマホを乱暴に取り上げる。
まじまじと睨みつけるようにメニュー 一覧を見ている。
素直に感動した。
そして狂気を感じた。
かつて、メニュー表にここまで熱い視線を送った人がいるのだろうか・・・
この男は野菜というものが現実世界に存在していることを知らないかもしれない。
聞いてみようかな?
「野菜って知ってる?」
「スーパーで売ってることくらいは知ってる」
「健康にいいことは?」
「そんなもの胃に入れば全部一緒だろ? 要はうまいか、まずいかだろ」
存在は認知、価値観は不一致。
これからは時間をかけて食に関しての価値観をすり合わせていこう。
ー 数分後 ー
「うまいか」
「うん」
ただいま栄養補給中。
「てか、そんなチマチマ食べたら冷めるぞ」
「味わって食べたいから」
そういえば小学校でも先生に注意されたっけ。
でも、私からいうと少食だから学校の給食でさえ多く感じた。
食べきれないのに食べろと促されるのは辛い。
「さてと」
「どこ行くんだ」
「飲み物」
そういって私は冷蔵庫を物色しに立ち上がった。
午後の紅茶を飲みたいんだ。
「ノア」
冷蔵庫を開けて私はガックリした。
「何だ」
「チョコレートケーキが消えてるんだけど」
「食べた」
「何で」
「腹減ったから」
パタン
179円のみかんゼリーが奥にあったのに。
高いものを手前に置いたら食べられるのか、なるほど。
学習した。
午後の紅茶を取り出して冷蔵庫を静かに閉める。
・・・・ ああ、私の明日の楽しみが…
「買って返す」
「別にいい、その代わりテーブルを綺麗にして」
テーブルの上に飲み物を置くと私は自分の部屋に向かう。
心がザワザワする。さてゲームをしよう。
自分の部屋からゲーム機を取ってまたこの部屋に戻る。
綺麗になったテーブルの前に座った。
隣にはやらかしたな、という顔の同居人。
準備は整った私はゲームの電源を入れる。
「ゲームか?」
ほどなくして同居人が声をかける
「そう、手伝って」
3日前から狩猟系のゲームが私の心の中で再びブームになっている。
しかし、いかんせんアクション系のゲームは敵の行動パターンを把握しないといけない。
相手の行動を予測。
いかに自分の攻撃を当てるかあるいは避けるか。
または回復するのか、撤退するのか。
そこを判断するのが難しく面白いのだ。
ただ問題なのはゲームの中でも行動の速い敵がいて、私はそいつが倒せない。
だから私は彼氏とこの少し気まずい空気を利用しようと思う。
一人でできないなら誰かを頼る。
弱き者にとって、最後の反則技である。
ゲーマーとの交渉は簡単に成功した。
いつもはネットで知り合った友達を優先するが今日は二つ返事でOK。
私の機嫌を取ろうとしているのだろう。
さあ、傭兵は雇った狩猟の時間だ。
「何行くの?」
「倒せない敵がいてさ」
「へー・・・ ああ、もしかしてあの攻撃中に画面から消えるやつ」
「そいつ、なんでわかったの!?」
ゲームに対しての情報量がすごい。
「animeは回復するタイミングが悪いんだよ。
体力がやばくなるとパニックになって回復優先で敵のこと忘れてるからなお前。
熱戦の予備動作の時に目の前で回復薬飲んでたのには度肝抜かれた」
なんだ私の行動分析で割り出したのか。
だがゲーマーの実力とやらは本物のようだ。
そして私の行動も予測できる。
こんな時ばかりは同居人が輝いて見える。
そしてクエストが始まる。
お婆さんは素材の採取に、おじいさんは狩猟に出かけました。
「あのさ、頼みごとをしたお前がなぜ戦わない? なぜ別のエリアで採集・・・一人でも倒せるからいいけど」
私はクライアントなので作業のほうは現場の方にお任せします。
プレイ時間の長いゲーマーは短時間でクエストを達成した。
私はクエストの報酬でもらった素材で満足のいく装備を手に入れ、達成感と幸福の中でゲームを終えた。
私の機嫌も直り同居人の顔はホッとしている。
私も幸せ、恋人も幸せwin-winだ。
こんな感じで後は普通にたわいのない雑談をして、私は眠りについた。
「おいanime、床で寝るな。
ったく、なんでいつもお前を部屋まで運ばないといけないんだ。」
明日は仕事もうまくいけたらいいな。
仕事とプライベートがうまくいけたらいいと思うのは強欲かな?