【184】 レベルゼロ
「――案の定、無味乾燥な返答か。カイト、お前の力を『覚醒』させれば、その効果を全人類に対して行使できるのだ。つまり、全ての人間のレベルを思いのままに操れるのだよ」
「全ての……? 馬鹿な、信じられるか。能力を持つ俺でさえ、そんな特殊能力は知らないし、神の真似事が出来るとは到底思えない」
そうだろうね、とアトモスフィアは、乾いた笑みを浮かべ――静かに歩み寄って来る。
「遥か昔、古代の御伽噺にあるのさ。月と太陽を創造した『原初』の神は、万物全てのレベルを操り、ただの単細胞生物であったものを進化させ、やがて『人間』を誕生させた。
原初は、レベルアップさせたのだよ。それがレベルゼロ……始まり。我々全ての人間にレベルという概念が与えられ、誕生した。そして、世界がある……つまり、カイト、お前は原初と同等の力を持つのだよ。……そう、それは神の力さ」
「お前は……何を言って……」
「驚くのも無理はないだろう。これは、つい最近判明した真実なのだから」
俺の耳元で囁くアトモスフィアの眼は本気だった。嘘では……ないのか。それから、ベルガマスク・セルリアンが一冊の黒い本を取り出した。
「俺がわざわざリスクを冒してまで『オルビス』に侵入したのは、聖典が理由でね。コイツを入手するのにブラック卿を始め、アメリアとかいう小娘、ヴァルムやら様々な同志の力を借りた。おかげで『月と太陽の聖典』は我々の所有物となった」
そうか、それでコイツは臣下に化けて……。脱獄から全ては始まっていて、計画通りに事は運んでいた、というわけだ。この将軍の知略、侮れない。
「その為だけに!」
「ああ、ルナ・オルビスの暗殺は計画に含まれていなかった。だが、この聖典の内容が判明してね、彼女の存在は不要となってしまったのだよ。だから、俺は彼女を殺そうとした……けどね、私情が出来てしまった。俺は、あのルナに惚れちまったのさ」
邪悪に俺を見下す、ベルガマスク。
コイツ……、ルナと勝手に呼び捨てに……絶対にいつか殴る! いや、今すぐ殴る! この拳で!
「ベルガマスク、お前は泣いても笑っても絶対に許さん。アトモスフィア……俺はお前のオモチャになるつもりは金輪際ない。あの時の恨みもあるからな。
いいか、敵共! 二度と娑婆に出て来れないよう、二人共この場で縛り上げて、オルビス騎士団に突き出してやる」
迷う時間も惜しい俺は、即座に手を向けた。二人の明確な敵に対し『レベル売買』スキルの【レベルダウン】を発動した。
まずはレベルを奪う!
「無意味な事を。私のレベルがいくつになろうと関係はない。今この世界には、有り余る神器装備が存在しているのだよ。昔ならばいざ知らず――、星力を内包する『パライバトルマリン』の寵愛を受けしアイテムが潤沢でね。
……そう、察しの通り、レベルはたいした問題ではない。それは以前、この【帝国・レッドムーン】で我がギルドメンバーと相見えて実感したのではないかな」
まさか……!
対レベル売買の神器装備か。
「くっ……それでも!」
「カイト、お前は私の玩具だ」
その全身が濃緑に煌めくアトモスフィアは、瞬時に腕を伸ばしてくる。
「――――しまっ!!」
神器装備で固めていやがったか! 低レベルを感じさせない俊敏で、異常な動きをしている。ヤツの手が俺の首を絞めようとした――――のだが。
ガンッ、と鈍い音が響く。
アトモスフィアの体躯が紙のように宙を舞い、吹き飛ばされていた。……何だ!? 何が起こった!?
サラリ、あるいはフワリとクリーム色の髪が揺れた。サラサラと整う髪の毛は、その一本一本が光を帯びていて、神々しい。
その一瞬の幻想に、俺の胸が熱くなった。
「ルナ……!」
「予見は的中しました。遠方から感じた優しくも勇ましい気配は、カイト様に違いないと。……息災で何よりです。我が主様」
「――ああ、おかえり、ルナ」
「ただいまです。道中で身の竦むような気配を察知しましたから、急いでエクリプス家に馳せ参じたのですが……これは。
男性の方はベルガマスク・セルリアン……なぜ此処に。あちらの女性の方は……誰です?」
「あの金髪のエルフは、シャロウのギルドマスターの『アトモスフィアだ』……間違いないよ。将軍が名前を呼んでいたからな」
「な、なんですって。彼女が……これは驚きましたね。エルフだったとは」
メイド服姿のルナは、いつになく警戒していたが、それでも泰然自若の様相だった。この落ち着きっぷりを貫ける彼女の姿勢には、感服する。おかげで俺も冷静でいられた。
「アトモスフィア、それが貴女の姿ですか」
「――ルナ・オルビス……噂に違わぬ容貌か。お前が赤なら、私は緑。そして、エキナセアが青だ。女側の駒は揃っていた。だが、扉を開ける『鍵』が必要だった。それがカイトの『レベル売買』スキルなのだよ。お前は、あと一歩の所まで迫っているようだな――愛の力とやらで……。ならば、貴様には眠ってもらおう」
深い溜息を漏らすルナは、話にならないと吐き捨て、冷徹に右手を向けていた。まさか……戦う気か!
「アトモスフィア、正直言えば、貴女の容姿には驚かされました。疑念は尽きませんし、理由は様々でしょうがその問答をしている余分な時間は無いのです。――カイト様には指一本触れさせません」
血潮を具現化したような、真っ赤なオーラがルナを包む。俺を守るようにして一歩、また一歩と歩き出す。
「ダメだ、ルナ!」
「カイト様をお守りする為です。力を出し惜しみしている場合ではありませんから、どうか主様は安全な場所でご自愛下さい」
「世界で一番大切な女性に丸投げなんて出来るかよ。……俺が戦う。決着はこの『レベル売買』スキルでつける……これがケジメってヤツだ」