【157】 世界情勢
喫茶店『エンジョイ』の情報は、そこらの情報屋よりも質が高くて、信頼できる確かなモノだった。落ち着きのある木製テーブルに腰掛けて、珈琲の香りに囲まれながらも優雅に味わう。
そうしているだけで、情報は勝手に入って来た。
「共和国・ブルームーンの竜騎士は撤退したそうだ」「……ああ、帝国・レッドムーンのオルビス騎士団の軍事力は世界一。圧倒的な月の力を持ち、常に優勢。勝てる筈がねえ」「オルビス騎士団は、今や皇帝陛下の右腕となったノエル騎士団長が率いておる」「――ソレイユ様は戦場に姿を現さなかったとか」「うむ、今や世界唯一のレベル売買店・イルミネイトの一員。まあ、あのカイトさんになら任せられるだろう」「そうだ、戦争には勝ったんだ、文句はねぇべさ。国中のみんな納得しちょる」
四人の常連がコソコソと、そう話していた。俺は変装して聞き耳を立てていたのだが、オーナーにはバレバレだった。
エンジョイのオーナー『ノレッジ』は、俺の前に座って珈琲を淹れてくれた。上質な珈琲豆なのだろう、上品な香りが伝わってきた。
「カイトくん。その執事風の格好はなんだね?」
「あー…バレバレでしたか」
「まあね、似合っていなかったし……常連客にもバレていると思うよ。すっごく怪しいからね。まあ、恒例の情報収集かい」
「そ……そんなところです。情報なら、この喫茶店が一番ですから。ほら、情報屋とかに頼むと高いじゃないですか」
「成程、実に合理的だ。だが、コソコソしなくとも皆教えてくれるよ」
ノレッジさんは、自分の分の珈琲を淹れてカップに口を付けた。湯気で眼鏡が曇る。あのオシャレなゴシック眼鏡は、彼のファッションだという。
とにかく、俺はこの距離感が好きだった。常連客のヒソヒソ話、オーナーは俺の所にやって来て、いろんな情報を提供してくれる。そんな居心地の良い空間がたまらなく好きなのだ。
「皆さんとは不仲ってワケではないんですが、俺の問題に巻き込みたくはないので」
「なんという謙虚さ。素晴らしい気遣いだな。……まあいい、ところで今日は、ソレイユ様やルナ様、ミーティアちゃんはおらんのかね」
顎をしゃくってノレッジさんは期待の眼差しを向けてきた。すっかり仲良くなって、喫茶店に連れてくると常連客も大騒ぎだからなあ。今日は連れて来ていなかった。あくまで情報収集が優先だったからだ。それに連れて来られない理由もあった。
「今日は皆、それぞれの用事なんです」
「そうだったか」
オーナーは、珈琲を飲み干して静かにカップを置く。それから声のトーンを下げてこう言った。
「いいかい、カイトくん。近頃、中立国・サテライトに動きが見られる。あのシャロウのギルドマスターが何やら不穏な動きを見せているとか何とか」
「不穏な、動きですか」
「ああ、ヤツ等は最近、トラモントとかいうドワーフと決裂してしまったからな。内部統制に大分乱れが生じていると風の噂がな。その所為で相当ピリピリしているらしい」
ただでさえ冷たい空間が更に冷え切ったか。自業自得というか、さすがシャロウ。ギスギスとしたギルドの光景が目に浮かぶ。
それにしても――【共和国・ブルームーン】に【中立国・サテライト】。一体、この二か国間で何が起きようとしている? シャロウは何をする気だ?
「ありがとうございます、ノレッジさん」
「いやいや、こちらの方こそいつもご来店戴いて嬉しいよ」
「では、そろそろ俺は」
お金といつもの感謝の気持ちでチップを多めに払う。もちろん、インプラント術式の『帝国ペイ』で――。
「まいど~。チップもありがとう」
◆
また来るよ、と別れの挨拶を済ませて、喫茶店『エンジョイ』を後にした。もう向かうべき場所は決まっている。俺の帰るべき場所は決まっている。
イルミネイトだ。
喫茶店からは徒歩10分の場所にある。露店があったり、大手ショップに囲まれている為、買い物客で賑わう。昼頃から夕方に掛けて数千人から数万人が犇めき合う。あらゆる人種が集中し、武具やアイテムを求めて来る。
もちろん、俺の『レベル売買』もな。
最近では業績も鰻登り。
一度は、テヒニクという隣人から嫌がらせを受けて、傾きかけたけれど耐え抜いた。それからというものの、絶好調。多くのお客様とも取引をして、名も上がった。
このまま商売を続けていけば、安定した生活が永遠に送れるかもしれない。でも、帝国に住み着く以上は膨大な税金やら金が掛かる。維持する為にも日々精進だ。
そう、いくら成り上がったからと言って、初心を忘れてはいけない。人間、心に余裕が出来ると色々と見失いやすい。それが失敗の原因となるのだ。
――なんて喧噪を抜けていれば、イルミネイトの前に。玄関の前には、クリーム色の長い髪を腰まで伸ばしたメイドさんがキョロキョロと誰かを探していた。
誰だろうね。
彼女は緋色の瞳をこちらに向けた。
「カイト様……!」
てこてこと歩いて来て、ジッと見つめ合う。身長差があるから、ルナの上目遣いがたまらない。
「ルナ、待っていてくれたのか」
「はい。わたしの用事は終わったので……」
ルナは、いつしか俺がプレゼントした黒いリボンを優しく撫でながら、ちょっと寂しそうにしていた。心配させちゃったかな。
「ごめんな。シャロウの情報を集めていたんだよ」
「そうだったのですね。あの……」
手をきゅっと握られ、深紅で見つめ直される。ドキドキして、照れ笑い。ルナも同じように照れて頬を赤く染めた。そうされると、こそばゆいというか……色々と顔に出てしまいそうだった。
「店に入ろうか」
「ええ、お客様もいるので」
「え……お客様? 今日は臨時休業のはずだけど」
「ごめんなさい。お客様がどうしてもと仰られるもので……」
「そうか」
たまにいるんだよね。
そういうお客様。
でもいい、お客様を笑顔にするのが俺の商人としての使命である。
今日もどんなヒトが来たのかな――。




