それは、初めてのキスだった。
「あのー…二人はお知り合いで?」
担任の女性教師が、俺と彼を交互に見て、問いかけてきた。
知り合いというか、なんというか…。
ていうか、俺はなんで立ち上がってまでこんなことを言ってるんだ…?
すると、俺が口を開く前に、彼が口を開いた。
「ええ、今朝助けていただいたので。…先生彼の名は?」
「…村山 航輝くんですけど…」
そう担任が、答えると、彼はこちらに向かって口を開いた。
「村山くん、今朝はありがとう。…それと、さっき詐欺だとかなんだとか言っていたけど…どういうことかな?」
彼は、鋭い目付きで俺を睨みつけてくる。
「ああ、もしかして、女の子だと思った?残念、僕はこう見えても男の子なんだ。」
彼は、嘲笑うかのように、自らを指さして言う。
「な、それが人に礼を言う態度か?」
俺は少し、怯えながら反論する。
「…僕が礼を言ってるんだ。それだけで十分だろう?」
「はぁ?そもそもお前が道端なんかで蹲っていたから──」
その瞬間、視界が歪んだ。
彼を映していた目は、今、天井を映している。
「──は?」
何が起きたのか、理解する前に、彼がもう一度視界に入ってきた。
どうやら俺は仰向けに倒れたらしい。
彼が、俺を見下ろしている。
そして、彼は俺の耳元で、
「僕が礼を言ってるんだ。黙ってろよ。」
他の人には聞こえないほどの声で囁いた。
俺は、こいつにぶっ飛ばされたのか…?
「おまっ…」
俺が、反撃しようと起き上がろうとした時、担任が割って入ってきた。
「もう!やめ!二人とも今日は、残って教室掃除ね!」
俺たちは、顔を見合わせ、そして、声を合わせて言った。
「「はぁ?!」」
そして、放課後。
俺と、彼は、教師に残り、掃除をしていた。
「…なぜ僕が、こんなことを」
彼は、ホウキで、ゴミをちりとりへ集めながら、文句を垂れた。
「仕方ないだろ。そもそもお前が、俺を殴らなきゃこうはならなかった。」
俺はホウキで床を掃きながら、言った。
「君が余計なことを言おうとしたからだろう。」
「それは…すまん」
「謝らないでくれ。気持ち悪い」
人が謝っているというのに、こいつは…。
どうやら彼は、プライドが高いようだ。
それからしばらく、お互いに話さず、掃除を続けていた。
「そういえば」と俺は気になっていることを、彼に問いかけた。
「確か、お前、苗字東坂だったよな?うちの学校となんか関係あったりするの?」
彼は、掃除の手を止めることなく、適当に答えた。
「父なんだ。ここの学園長が。」
なるほど、だから苗字が東坂なわけか。
「ふーん。じゃあ…結構金持ちだったりするわけ?」
「…君にはプライバシーってものがないのか。…まぁそれなりには」
やはり金持ちか。
…ん?じゃあなんで朝はあんなに疲労していたんだ…?
「なら、なんで今朝は、あんなに餓え死しそうだったんだ?」
「それは…」
そこで、彼は言い淀む。
「…言いたくないんだったら、別にいいけど。」
彼は、少し考えるような表情をしてから、口を開いた。
「…一人暮らしを始めたんだ。…でも今まで、一人で生活なんてしたことなかったから、料理も…その…、」
まともに作れないと。
だから、今朝はあんなだったのか。
しかし、あの堅物そうな学園長が、よく一人暮らしを許してくれたな。
「学園長。結構真面目そうだけど、許してくれたんだな。」
すると、彼は、首を横に振った。
「最初は、猛反対だったさ。でも何度も説得して、東坂学園に転入するという条件付きで、許して貰えたんだ。」
要するに、学園に居れば、ある程度監視できるから、一人暮らしを許したわけか。
しかし、そこまでして一人暮らしをしたい理由はなんなんだ?
「そんなに一人暮らしがしたかったのか?正直、実家で暮らしてた方が色々楽だぞ?」
「…あの家から出たかった。」
「…それ、どういう…」
俺が、詳細を求めようとすると、彼は、ホウキやちりとりを早々に片付けた。
「さぁ、もう終わりにして帰ろう。これ以上君と同じ空気を吸っていると、腐る」
「は?腐るだと?それはこっちのセリフ──」
あれ?また天井を見てる…。
「君も学ばないな。」
「…お前なんでそんな強いんだよ」
どうやら、俺は、背負い投げを受けたらしい。
「…こんな見た目だからね。せめて強くないと。」
なるほど、舐められないようにというわけか。
俺がいつまでも、仰向けで寝転んでいると、彼が不意に手を伸ばした。
「…どういうつもりだよ」
「いや、倒れてこちらを見上げている姿が、なんとも無様だったものでね。」
嘲笑うかのように言った彼は、その手を一層伸ばす。
「…お前、実は素直じゃないだろ」
「お前じゃない。僕には東坂 玲央という名前がある。」
「…そーかよ。…東坂。」
俺は、そう言って東坂の手を取る。
「ああ、それでいい。村山」
彼は、俺の手を思い切り引いた。
「驚いた、俺の名前、覚えてたんだな──」
しかし、東坂は、勢いをつけすぎたのか、バランスを崩し、バタンッと後方に倒れた。
「あ、」
腕を、掴まれていた俺も、それに巻き込まれ、東坂に覆い被さるように倒れる。
「ッ…」
俺が、東坂を押し倒したようになってしまった。
しかし、こいつ、改めて近くで見るとやっぱ可愛いな…。
同じ男とは思えないくらい、白く、肌触りの良さそうな肌と、小柄で華奢な体型。
そして何より…、今、俺の唇と触れている柔らかい唇…?!
「んなぁ?!」
俺は、勢いよく飛び上がる。
東坂は、俺を呆然と見つめたまま、自身の唇を指で触っている。
よく見れば、頬が少し赤いような…。
てか俺こいつと──
「やっほ〜!二人とも掃除終わっ…た…?」
教室のドアが突然開き、奥から、平西が現れた。
どうやら、部活帰りのようだ。
こいつは水泳部だから、髪が濡れているのでわかる。
「…なに、この重たい雰囲気…?」
「ひ、平西、どうしたんだ?」
「いや、玲央くんと、ついでに村山くんにも、話があって。」
ついでって…。
まぁいい、正直助かった。
このまま、二人でいたら、俺は間違いを犯してしまうところだった。
…まぁそんな勇気ないけど。
それに相手は男だし。
そう思って、東坂の方を見ると、内股になってペタンと座り、まだ、唇を弄んでいた。
それがどうしようもなく、可愛くて、やっぱり平西が来てくれて助かったと、心底感じた。
「…で?話って?」
「話があるのは私じゃなくて、ゆかちゃんだよ」
「会長が?何の用だ」
「知らない、わかんない」
ゆかちゃんとは、この学校の生徒会長の事だ。
そんな人から、話なんて、俺はまだわかるが、東坂まで呼ばれるなんて。
「とりあえず、生徒会室に行こう?」
「だな」
平西は、先に教室を出ていった。
俺は、まだ座ったままの東坂に、手を差し伸べた。
「…そういうわけだ、行こうぜ」
ダメだ、さっきのことで大分話しづらくなってる…。
しかし、意外にも、この手はすぐに掴まれた。
そして、東坂は、勢いよく起き上がり、俺の耳元で言った。
「…さっきのことは、誰にも内緒だ…」
俺は今日、人生初めてのキスを、オトコの娘としてしまったのである。
オトコの娘とのキス…それは、彼にとって幸せなのか…。