4話
月宮さんから案内されたのは、なかなかに敷居が高そうな洒落たバーだった。
薄暗めの店内に客はおらず、マスターが静かにグラスを拭いている。
「ここは馴染みの店です、会話内容も問題ありません。」
北条……いや、アトリア家と関係があるのだろうか、そんな前置きがなされた。
カウンターに座ると、思いのほか距離が近い彼女にすこし心拍数が上がる。
「何をお飲みになりますか?」
無言のままのマスターをよそに、月宮さんが問う。
「酒は詳しくないんですよね。適当なウイスキーでお願いします。」
「なるほど、飲み方は?」
「トワイスアップで。」
それだけ伝えると、彼女はマスターに注文を投げていた。
なにやら〇年物、といったような単語が聞こえてくるが気にしないことにした。
「あのバイクは通勤には使っていないのですね。」
お酒が用意される前に、質問される。
「ああいうバイク、保護者の受けも悪いんですよ。通勤は徒歩と電車です。」
「あのバイク、お似合いですよ。」
「どうも。」
そこにお酒が用意される。2つのグラスには、どちらも同じ色合いの液体が注がれていた。
「月宮さんもそれでよかったんですか?」
「はい。同じお酒を飲まさせていただきます。」
グラスを合わせる音が響く。
口にしたウイスキーは、香りも良く旨味がしっかり感じられた。一体いくらするのだろうか。
「白坂さんには、負担をかけていると思います。それも将来のことを決めるべき大事な時期に。」
月宮さんが申し訳なさそうに言う。
「それでも、白坂が決めたことなんでしょう?」
「それはそうです。ですが、奏さまがご自身の手でこの事件を解決しようと思わなければ、白坂さんの手を借りる必要もなくアトリア家からの支援が受けれられる話です。」
そういえば、白坂と北条以外に魔法使いの戦力はいないのだろうか。それを聞くと、月宮さんは肯定した。
「魔法を使える人材と言うのは、貴重なんですよ。新しい技術が開発されたとはいえ、それでもまだ限られた人間にしか戦闘魔法なんてものは扱えません。」
「程度は変われど、そういうものですか……。」
ウイスキーを飲むごとに、酔いを感じる。そうしていくうちに、少しずつ饒舌になりつつあることを感じた。
「お恥ずかしい話ですが、私にもその素質はありませんでした。あの銃は、私には使いこなせません。」
あの夜、こちらに向けてきた銃を思い出す。あれに適性が無かったということだろうか。
「かつては魔王討伐の精鋭軍に所属していた私ですが、技術の進化からは取り残されてしまいました。今では用済みの、過去の遺物です。あの槍と同じく。」
奪われたという、骨董品の槍。かつて魔族を打ち倒した月宮さんと同じく、その槍は歴史的な役割をすでに終えたのだろう。
「とはいえ、あなた方は救国の英雄なのでしょう?魔王を倒した功績は大きいでしょうに。」
戦争に勝ち、国を救った英雄だ。相応の報いを受けてしかるべきものだと思うが、しかし月宮さんは否定した。
「戦争の終盤には、魔族の技術や占領地から採掘された魔法石を使用した新たな魔法技術が確立されつつありました。今使用されているものの原型はすでに出来上がっていたんです。それを使う魔法使いも。」
目を瞑りながら、月宮さんは酒を一口飲む。良くないことを思い返しているようでもあった。
「功績の多くは、それらの新しい魔法使いたちのものとして宣伝されるようになりました。旧式の道具を使いこなす素質を持つ、限られた人間の功とするよりも、貴族たち子飼いの魔法使いの功とする方が王国にとっても都合はよかったのでしょう。もちろん、それなりの地位は皆与えられましたが、表立っての大きな名誉は我らに与えられることは有りませんでした。」
「……それは、道理にそぐわないように聞こえます。」
「皆命がけでした。命を落としたものも多くいます。それでも、民のためならと身を投げ打ったのです。……いつか、戦友同士で平和に過ごせる日を思いながら。」
昔を懐かしむように語りながら、彼女の酒のペースも上がりつつある。
話を聞く僕も、その情景を思い浮かべながら彼女の思いに共感する。
「でも、名誉や報酬なんてものは別に良いのです。」
少し上を見ながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「私の夢は……ともに戦う皆と、平和な世で一緒に酒を飲むことでした。当時は未成年でしたけれど、憧れていたんですよ。たったそれだけが叶うなら、他に何もいりませんでした。」
再び彼女は手に持ったグラスに目線を落とす。結局共に酒を飲むこともなく散っていった仲間のことでも思い浮かべているのだろうか。
「多くの者は戦場に消え、私の最大の戦友であった槍姫……黒の英雄は最悪の反逆者として世界を去りました。そして第二の戦友とも言うべき彼女もまた、今王国を追われ遠く離れてしまいました。」
黒の槍姫こと、クリス・ディスノミア。
月宮沙耶こと、サヤ・シアルナク。
そして今この世界に訪れた新たな反逆者であるところの、リサ・エリス。
この3人は、かつての戦友だった。クリスが掲げた黒旗の下で戦った心からの戦友。
彼女たちは最大の敵であったはずの魔族・魔王を倒しながらも今はもうばらばらになってしまった。平和になったというのに、ともに酒を飲み交わすことも叶わない。
月宮さんが僕を酒に誘った理由も分かったような気がした。とにかく、その心境を誰かに吐き出したかったのだろう。
「リサ・エリスとは何か話しましたか?」
とはいえ、まだやり直す余地はあるのかもしれない。戦友であるなら、なんとか説得もできるかもしれない。そう思って問いかける。
「こちらの屋敷に侵入されたこの騒動の後、コンタクトを取ってみました。ですが直接話すことはできず、対話は拒否されてしまっています。」
「簡単にはいきませんか……。」
「彼女から見れば、私は戦友の仇に尻尾を振って服従する裏切者といったところでしょう。反逆者となったクリスを討ち取り、その功を以って4大貴族の地位を得たアトリア家はリサにとって許しがたい敵です。」
アトリア家の当時の当主を殺害したのが槍姫であるならば、それを討ち取ったアトリア家を恨むのは逆恨みに等しいと言えるだろう。
だが、人の感情はそう簡単に割り切れるものでもないと理解している。教師になってまだ長くないが、それでも多少は人の感情の難しさを分かるようにはなってきた。
「……少しお見苦しいところを見せてしまいました。これは本題ではありません。」
話を切り替えるように、彼女はグラスを机に置く。
そうしてマスターに目線を送ると、なにやらマスターは机の下から小さな箱を取り出し彼女に渡した。その様子を見ていた僕の前に、彼女はその箱をトンと置いた。
「なんです?」
尋ねる僕に、しかし彼女はまだ直接的な返答はしなかった。
「こちらの世界のアトリア家、つまりは北条家はろくに魔法戦力を保有していません。この騒動に主に対応しているのは奏さまと、白坂さんの2人です。」
先ほど彼女が語ったように、魔法の素質を持つ人間を用意することは今なお難しい。当主の妹である北条奏自らが戦っているのもそれが理由でもある。
「アトリア家とは別の戦力……奏さまが姉君に負い目を感じる必要のない戦力を我々は必要としています。」
「まさかとは思いますが、その箱の中身は。」
口ぶりからしてある推測が建てられるが、まだ飲み込めていない。
「加えて、結界の中にも入れてしまうあなたはこの戦いに巻き込まれる危険があります。身を守るためにも、教え子を助けるためにも、力が必要かと思います。」
そう言って、彼女は僕に見えるように箱を開く。中にあったのは、小さな宝石がついたネックレスだ。
「腕の良い技士に依頼して作成した最新式の魔法道具です。あなたの特性も考慮に入れた特注品です、どうぞお手に取ってください。」
言われるままに、一応は手に取って近くで見てみる。ひとしきり観察した後、再び視線を彼女に向けた僕に彼女は告げる。
「これを使って、魔法使いになってください。」