なんか調子が悪い今だからこそかけるものもあるのかもしれないなどと思いつつ
それでもなんか筆が乗らない状態で長期連載中の自作品の続きを書いて投稿するのにはどうしても勇気がいるわけで。
書いていながらにして「これじゃない」「なんか違う」という思いに押しつぶされそうになる。
なろうでもなんでもそうだけど、書かずにいることで衰退していく方が怖い。
書かずにいることで余計に書けなくなるんじゃないかっていうのが怖い。
初心を思い出すために、
久しぶりに私が3年前に書いた作品を読み直してみた。
うん。なんというか、ひどい。
まず第一に文字数が少ないというか、内容が薄っぺらいというか、物足りない。
過去の私のことはあまり記憶にないけれど。でも君が書きたかったのはそんな軽い気持ちだったのか?
初めて投稿しようと思った時、なんかこう、もう少しこうなんというか熱く湧き上がるものはなかったの?
当時はなろうのことをほとんど何も知らなくて、初投稿作品にわずかながらポイントがついたのをみて「やったぜ! 私ってもしかして才能あるのでは?」などと考えていたような気がする。
今にして思えばまあ、それぐらいのポイントはつくだろうけど、逆に言えばそれぐらいのポイントしかつかないような作品だよね。
って感じ。
多分今私がキーボードを無心に叩いて作っているこの作品もそう。
特に思い入れがあるわけじゃなくて、ただなんとなく思ったことをただなんとなく何も考えずに書き連ねているだけのこと。
こんな作品に意味があるのか? おそらくないよ。それは今までの私も同じ。これからの私も同じ。
正直な話をいうと、そもそも私の作品は他人から見られることを想定して作っていない。
だったらなろうに投稿するな? んなのは作者の自由だろうが。
てか、私がなろうに投稿したのは多分、勇気というものを身につけるため……なんだと思う。
多分(というかまず間違いなく)私の書いた作品のうち5割は駄作だし、3割は愚作。残り2割もきっと、未だ書籍化しそうにないところを見ると凡作に過ぎない。でもまあ割と(強がりで言っているところはあるけど)どうでもいいと言えばどうでもいい。
例えば「ここをこうすれば書籍化できます」って言われて、それが私の信条を曲げるようなものだった場合は、きっとそのアドバイスは水に流して見なかったことにしてしまうだろう。
だから、よくあるエッセイとかで「ポイントほしい!」「ブクマ外さないで」とかって素直に言っている人を見ると「わかる〜」って共感はできるけど同時に「それを言っちゃあおしまいでしょ!」ってなる。
というか私からしたら「そんな気軽に私のことを評価しないでよ!」……なんてのは流石に言い過ぎかな。
と、何も考えずに書いたらこんな何の意味もなさそうな駄文が出来上がる。
執筆開始からたったの20分。思い入れも何もないようだけど、これが今の私の心の形。
飾らずにそのまま出したらこうなった。それだけのこと。
現代アートっていうのはこうやって、既存の形にとらわれずに思ったことをそのまま表現したようなものだと思う。現代アートとかたまに見るけど、大半は正直な話意味がわからない。てか私はなんでこんなものを見ているんだって気持ちになる。でもなんか、見ちゃうんだよね。理由はわからないけれど。
私はこういう作品を書くときはいつも「なんかこれが、現代アート的な認められ方をすれば嬉しいな」ぐらいの考えでいる。読者からしたら意味不明だろうけれど、そこはまあ、見る価値ないと思ったら見なきゃいいだけの話だしね!