5
「何なんでしょう、こいつら」
と足元に砕け散った人形を見つめて千波が言った。「敵であることは間違いないんでしょうね」
「敵なんでしょうか?」
「敵でしょう。襲いかかってきたのですから」
「でも、殺気は感じなかったでしょ?」
「そうでしたか? あまり気にしませんでした」
「そうなの?」
「私の場合、かかってくる奴を叩きのめすだけです」
そのシンプルさが千波らしい。「そもそも、ここは何なんでしょう? 鏡を突き抜けてはきましたけど、鏡の世界ってわけじゃなさそうですね」
千波は右手につけた時計を見て、それが反転していないことを確認してから言った。
「そうね。確かにおかしな空間だけど、別空間に飛ばされたような感じはしないわね」
「別空間……お嬢様は行ったことあります?」
「そうね。行ったことないからわからない」
「私もです。一族のなかで、そういう術を使える者がいるという話は聞いたことがあります」
「ホント?」
「そもそも、別空間ってどんなものなんでしょうね。世界が反転してるとか? 妖精がいるとか?」
「魔法使いがいるとか? 魔王がいるとか?」
千波に合わせ、一緒になってイメージしてみる。
「疲れそうな世界ですね」
「そうね、私もあまり行きたくないかも」
「あ、思い出しました」
「何を?」
「術の使い手ですよ。確か美月の一族がそんな感じのものが使えるって」
ずいぶん身近にいたものだ。機会があれば、今度、あやのに訊いてみよう。
「あ、千波さん、ちょっと」
と言って、瑠樺は千波の手に指を伸ばした。さっき、鏡を割って出てきた時のものか、手の甲に一筋の傷が出来て、そこからうっすらと血が滲んでいる。
その傷をそっと瑠樺の指先がなぞる。ピタリと血が止まり、傷が消えていく。
「これは? お嬢様、傷を治す力が?」
「いえ、傷を治すというより、血の動きを活性化させるみたいです。でも、きっと千波さんの治癒力なら必要なかったかもしれませんね」
自分の指先についた千波の血に気を送る。それは小さな羽となって、瑠樺の指先でクルクルと踊る。
「凄いですね。人の血をも自由に動かせるんですか?」
「そういうわけじゃないです。動かすことが出来るのはあくまでも表面に流れ出た血だけ」
「血の羽ですか。血羽とでも呼びましょうか? それとも羽血……これじゃ鼻血みたいですね」
そう言って、千波が笑う。
「さて、これからどうしようか」
「あちこちぶっ壊せば外に出られるんじゃありませんか? それほど頑丈には思えませんし」
千波がコンコンと壁を叩いてみせる。
その時、再び屋敷の形が微妙に変わった。まるで千波の声が届いて、屋敷自身がそれを嫌ったかのようだ。
気づけば、長い廊下の一番奥にドアが現れていた。
(誘っている?)
一気に突っ込んでいきそうな千波をおさえながら、瑠樺はドアのほうへと慎重に近づいていった。
ドアの向こうに人の気配がする。さっきのような人形の気とは明らかに違うものだ。
瑠樺はドアノブを握ると、一呼吸置いてから、瑠樺は一気にドアを開けて踏み込んでいく。
しかし、目の前に広がる光景に、瑠樺は思わず呆然として立ち止まった。
そこはさっきまでとはまるで違う場所だった。
ハッと気づくと、今、自分が通ってきた背後のドアすら消えている。
千波も同じように驚いて周囲を見回して呟く。
「どこですか? ここ」
さっきまでの真っ白な洋館と比べると、真逆だった。灰色の壁、壁一面に棚が並べられ、そこには白いものや土色のものなど、さまざまな器が並んでいる。
それはなにかの作業場に見えた。
部屋の中央には、一人の女性が瑠樺たちに背を向けて一生懸命に土をこねている。
その後姿を眺めていると、女性は瑠樺に気づいたらしく、手を止めて振り返った。
その顔を見て、瑠樺は唖然とした。
「なんだい? わざわざこんなところまで追いかけてきたの?」
それは久しぶりに見る母、美也子の姿だった。