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鏡の表面に手を伸ばすと、それはまるで水面のように波紋を描いて自然にその手を受け入れる。
その先に、どこか別の空間に繋がっているようだ。
瑠樺は迷わずそのまま飛び込んでいった。
その向こうにあったのは、見慣れない鏡の世界……ではなく、やはり洋館の別の通路の一画だった。そこには長い廊下が広がっていた。
長い廊下を一気に駆け抜ける。
まだ追いかけてくる人形たちはいるが、やはり瑠樺の力には遠く及ばないようだ。その攻撃を躱すのも、人形を倒すのも決して難しくはない。そのうち追いかけてくる人形たちもいなくなった。
一人になってゆっくりと周囲を見回す。
長い廊下のあちこちに大きな鏡が飾られている。
(ここは何?)
造りは豪華に見える。だが、ここは人が生活出来るようには作られていない。そっと壁に手を伸ばすと、ツルっとしたプラスチックを触ったような感覚がある。まるでおとぎ話に出てくる館のようだ。それともオモチャの館といったほうがいいだろうか。
角を曲がったところに、どこからやって来たのか千波の姿があった。
「あ、千波さん」
「お嬢様、大丈夫でしたか?」
瑠樺を見て、千波が駆け寄ってくる。
「私は大丈夫です。千波さんのほうは? あいつらは?」
「やっつけてやりましたよ」
そう言って空手の型を決めてみせる。千波は空手を習っていたことはない。ただ、子供の頃、同級生に空手の型を教えてもらい、その礼にその型を使って倒したことがあると話してくれたことがある。
そんな千波の空手の型がどれだけ正しいかどうかはわからない。しかし、さっきの人形たちの動きと、千波の身体能力を比較すれば、あの人形たちがどれほど集まったところで千波に勝てるはずもない。
「やっぱり千波さんは強いんですね」
「もちろんです。鍛えてますから」
「でも、この先、何かあったら私のことは気にしないで」
さっきのような人形ばかりが相手とは限らない。
「何を言うんですか? 私はお嬢様のことをお姉から託されているんです。お嬢様を置いて逃げるわけにはいきません」
「そうはいっても敵は何者なのかもわからないんです。この先、あんな人形ばかりが相手とは限りません。あなたの力なら、ここを脱出することも出来るかもしれません」
「ダメです。私にとって、お姉の言うことは絶対ですから」
そう言って、千波はニッコリと笑ってみせた。
だがーー
「あなたは誰?」
瑠樺は千波に声をかけた。
「え? 何ですか?」
キョトンとした顔で瑠樺を見つめる。「何を言っているのですか?」
「あなたは千波さんじゃありませんよね」
「やだなぁ。どうしてそんなこと言うんですか? こんな時に冗談言わないでくださいよ」
千波は大きく笑ってみせた。
「千波さんは、お姉さんのことが大好きなんですよ」
「はい、そうですよ」
「だから、倒すんですよね?」
「え?」
「そう。千波さんは蓮華芽衣子さんのことを倒すことを最大の目的にしているんです。千波さんにとって、芽衣子さんは最大のライバルです。芽衣子さんの言葉を『絶対』なんて、そんなことは言いません。姿も気も似せてはいるけど、あなたは千波さんじゃない。偽物です」
一瞬の沈黙の後――
「よくわかりましたね」
ニヤリと千波の姿をしたものが笑う。そして、その目から生気が消え、肌が、髪が人形のものに変わっていく。人形がゆっくりと瑠樺に向かって手を伸ばす。
瑠樺はその動きを冷静に見つめた。
(人形)
見た目は少し違ってより精巧に作られているが、目の前にいる千波もさっきの人形たちと基本は同じだ。その人形を『気』が動かしている。雅緋がよく木偶人形を使って、沙羅を実体化していたことがある。あれによく似ている。
この『気』を追えば、この術をかけている者を手繰ることが出来るかもしれない。
その時――
壁にかけられていた大鏡が割れて、そこから千波が飛び出してきた。
「どりゃああああああああ!」
掛け声と共に、アッという間に目の前の偽の千波に蹴りかかる。
「千波さん!」
「お嬢様に触るなぁ!」
千波が吠える。
止める間もなく、さっきまでそこで喋っていた千波の人形はボロボロになってその場に散らばった。
すでに人形を動かしていた『気』は消え去っている。