13
夕方、陸奥中里市のバス停で、瑠樺は千波と別れた。
いつの間にか、怜羅も姿を消していた。
その後、瑠樺がすぐに向かったのが音無雅緋の家だった。雅緋は子供の頃、父を亡くして以来、伯母の家で暮らしている。もともと警察官だった父とは血の繋がりはなく、当然、伯母の日奈子も血縁関係ではない。それでも日奈子は、雅緋をかわいがり大切に育ててくれていたが、まだ雅緋の得た力については知らないままだ。
チャイムを押してみたが、反応はなかった。
雅緋は眠り続けていることが予想出来るし、日奈子はまだ仕事から帰っていないのだろう。
やはり、先日の事件の時に彼女は力を使いすぎたのだろう。
以前、彼女が眠っている時に、霊体である呉明沙羅だけが出てきたこともあるが、今日は何の気配も感じない。やはり沙羅自身も眠っているのかもしれない。そういえば、あの事件の前、沙羅がよく眠るようになった、と雅緋から相談されたことがある。何か、沙羅の身に起きているのだろうか。
彼女の回復を願いながらも、仕方なく、瑠樺はその場から去ろうとした。
だが、少し歩いてから瑠樺はハッとして足を止めた。
誰かに見られている。突き刺すような視線を感じる。
瑠樺は振り返った。遠く見える廃工場の屋上に人影が見える。
その人影に見覚えがあった。上空を流れる風に、彼女のフリルのロングワンピースの裾が揺れている。
(雅緋さん?)
間違いない。それは音無雅緋だった。
雅緋はクルリと背を向けた。そのまま暗闇に向かって消えていく。
瑠樺は思わずその背を追いかけた。その距離は『妖かしの一族』である瑠樺にとって、決して追いつけないような遠い距離ではない。風を纏い、その距離を一気に縮める。だが、雅緋の動きも早かった。きっと沙羅の力を使っているのだろう。暗闇から暗闇に飛び移るかのように、雅緋が宙を駆け抜けていく。その後を瑠樺が追いかける。
なぜ雅緋が逃げようとするのか、それは瑠樺にもわからなかった。だが、きっとそれは先日の事件のことが原因だろう。矢塚を殺したことを、雅緋も心を痛めているに違いない。
今、雅緋を見失ってはいけない気がした。
人気のない街の裏通りを雅緋が駆け抜けていくのを、瑠樺は懸命に追いかけた。
やがて、雅緋は足を止めた。
そこは学校裏の誰もいないグラウンドだった。逃げるのを諦めた、ということではなく、はじめから話が出来るところまでやって来たということだろう。
「早いのね。いつの間にかずいぶん『妖かしの一族』らしくなったみたいじゃないの」
雅緋は振り返りもせずに言った。そう言った雅緋も、決して息が切れているわけでもない。まだまだ本気は出していないといった感じだ。
「雅緋さん、身体はもう大丈夫なの?」
「そうね。今朝、目が覚めたのよ。そして、思い出していたのよ。私が眠る前に起きたことをね」
そう言ってすでに月の出ている暗い空を見上げる。
「憶えているの?」
「そりゃあね。夢だったら良い……とか、私が言うのを期待しているのかしら。でも、私は思わないわよ。私は私のやりたいことをやった。望んでいたことをやった。そういうことよ」
雅緋の言葉は、自分に言い聞かせようとしているように聞こえる。雅緋は本当にあの『フタクビ』が矢塚だということを知ったうえで殺したのだろうか。
それを訊くのが怖かった。
「雅緋さん、あのーー」
「瑠樺さんはどこへ行ってきたの?」
「え?」
「どこか遠くまで行ってきたみたいね」
「どうして、それを?」
あやのがそんなことを雅緋に話すはずがない。他にそれを知っているのは隼音怜羅と蓮華芽衣子だが、それも考えられない。
なぜ雅緋は知っているのだろう。
「どうしてかしら……ね。そんな気がしたの。違うの?」
「ちょっと……母に会いに」
「あぁ、見つかったのね? お母さんがどこにいるかわかったのね。良かったわ。でも、それだけじゃないわよね。他に何かわかったことがあるんじゃないの?」
感情が押さえられた低い声。いや、押さえられているというよりも、感情というものが失われつつあるように思える。
雅緋と知り合った時、あの頃も雅緋は感情をおもてに出すことはなかった。だが、あの時とはまた違っている。負の感情だけが彼女のなかに渦巻いている。
「何かって?」
「この前のことよ。なぜ、あんなことになったのか、何が起きているのか、何かわかったことがあるんじゃないの?」
朱雀火輪たちに会ったことを言っているのだろうか。口ぶりからは、詳しい事情を知っているわけではなさそうだ。なぜ、雅緋はそれに気づいていのだろう。
「それを知ってどうするの?」
「教えてくれないの? 瑠樺さんはいつも私に内緒ばっかり」
「そんなつもりじゃーー」
「わかってるわ。あなたはそんな人じゃない。あなたは『妖かしの一族』で、私はそうじゃない。だから教えたくても教えられないのよね。そして、あなたはいつも本気で私のことを想ってくれているのよね」
雅緋の声が心に突き刺さる。
「これからどうするつもりなの?」
「どうもしない。当然、やるべきことをやるだけよ」
「やるべきこと? それは何なの? もう矢塚さんは死んだのよ」
一瞬、躊躇われたが、それでも瑠樺はその名を口にした。だが、雅緋はさほど大きな反応を見せなかった。
「そうね……矢塚さんはね。私がこの手で殺したからね」
「じゃあ、他に何が?」
「聞かないほうがいいんじゃない?」
「どうして?」
「それを聞いて、あなたが喜ぶとは思えないから」
雅緋の言葉を聞いていると、胸が締め付けられる気がしてくる。
「教えて」
「嫌よ。あなただって私に何も教えてくれないじゃないの」
「まだハッキリしたことは何もわからないのよ」
「私も同じよ。だからそれを捜すの」
雅緋は冷たい目で言った。
「私に出来ることはないの?」
「そうね」
「私、ずっと雅緋さんに助けてもらってきた。今度は私が雅緋さんを助けたいの」
「助ける……か。簡単に言うのね。じゃあ、死んでくれる?」
「え?」
「冗談よ。あなたが死んだからって私が助かるわけでもないしね。忘れて」
そう言って再び去っていこうとする。
「雅緋さん、待って」
「ごめんなさい」
雅緋はそう言って闇に姿を消した。会話の間、一切、雅緋は瑠樺のほうを見ようともしなかった。
彼女を一人にしてはいけないと思いつつ、追いかけることは出来なかった。
雅緋の心が遠へいってしまったように感じる。